『孟嘗君』2
昨日のブログに付記させていただきます。
宮城谷昌光さんの『孟嘗君』において、波乱に富んだ歩みをしている主人公と奇跡のように結ばれた妻、洛芭(らくは)は、孟嘗君が宰相に登用されたとき、静かに、深く喜びます。それは、夫の出世を喜ぶのでなく、民の幸せを願って政治をする夫が高い位につくことによって、多くの人が人間らしい豊かな暮らしをする国が形成されることを確信しての大きな喜びでした。
その洛芭の美しい笑顔について、昔から彼女を知る公孫戌という人物は、次のような感慨を抱きます。
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人格の高まりは、人格をくるんでいるものを内から照らし、いわば美しさを超えた美しさを現出させるものらしい。 ・・・ 洛芭は夭(わか)いころの美貌をぬけたところにきている。ほかのことばでいえば、天与の美貌というものは、それにこだわるほど醜さを産むもので、洛芭はそういう美貌を惜しげもなく棄てて、自分の美貌を独力でつくりあげた。そこからここへくるまで、洛芭の過去の闇に沈んでいるものは、公孫戌の目にとどかなかったものである。だが、庶人ではかかわりのない苦悩の所在は、おぼろげながらみえる。苦しまぬ人は美しくない、といってよいかもしれない。
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私が,宮城谷昌光さんの作品に惹かれるのは、上記のような文章を通してそれぞれの人物が何を美しいとし、何を人生の目的として生きているかが壮大な歴史が展開するにつれてはっきりと現れてくるからではないかと思います。
今日も、すてきな人生の一日となすことができますように。
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