2018年9月21日 (金)

『瞳かゞやきて』 ー 園児とすごした幸せな記録 ー

0002  私と同じキリスト教会に通っておられるかたに、32年間幼児教育にたずさわって歩まれた素敵な女性がおられます。

 年齢的には私より少し年長ですが、今もいろいろなことに活躍しておられます。前向きの情熱・若々しいエネルギーは、ワールドサッカーに出場したサッカー選手のよう ・・・ つまり、「半端じゃない」かたです。

  定年退職されたときに作成された冊子、『瞳かゞやきて』は、綴られている文章・短歌・俳句 そしてご自分でお描きになった挿絵もとても素敵です。

  引用・掲載させていただき、ご紹介にかえさせていただきます。

 

  ◇    □    ○   ※   ☆

 「先生 なにがほしい」  ー 保育園から帰る園児を引率したときのこと ー

 里奈ちゃんは5歳。いつもは自分より年下の子の手を引いてくれるのですが、この日は、 先生の手を求めてきて、先生と手をつなぎながら歩き、「ねぇ、先生。先生は今、何がほしいの」と尋ねてきたそうです。

 先生は、「そうね。 健康かな いつまでも元気でこうして皆と一緒に歩いていたい!」

 模範解答したつもりでいたら、こう返ってきたそうです。

「へー。私は『先生は若さがほしいー。』と言うのかと思っていた。 (^J^)

 そして「今日は、お母さんの誕生日なの。お母さんに欲しいものをきいたら、お母さんは、私や弟を叱ってしまった後にね、いつもお願いするんだって 『神様、私にやさしさをくださいって』

 と続け、やがて、遠くの集合場所に子どもを迎えようと待っておられるお母さんの姿が見えると、里奈ちゃんはいつ摘んだのか一輪の野の花をしっかりと握って駆けていったとのこと。

 結びに 次の短歌が置かれています。

母に似し しぐさやさしく 弟と歩道横切る 姉も幼く

   ◇    □    ○   ※   ☆

 へびみつけし 保母の悲鳴に 園児らが 手に手に棒持ち 強がり見する

 秋あかね ボール遊びを かわし飛ぶ

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 保育園、そして子育て支援センターにお勤めになられた日々 ・・・毎日がこうした宝物で一杯だったことと思われます。

 暖かい陽だまりの中に憩わせていただきました。 ありがとうございます。

 これからもお健やかでお歩みくださいますように。

  生かされて ひと日一日が 晴れ舞台 By ムーミンパパ

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2018年9月20日 (木)

母と みたらし団子

  この「母と みたらし団子」が、なぜ音楽という項目に収まるのか・・・それをこれからお話しさせていただきますね。

   ◇    □    ○  ※  ☆

  私が小学校に上がる前のこと。食事中に父が私に何か話しかけました。食べることに集中していたのか、父の言葉を聞き漏らしましたが、ともかくも、まず、と思って「はい」と返事しました。

 すると、父が「そうか。それならば、習いに行きなさい」 ・・・(?!)

 これが、私がピアノを習いに行くことになったそもそもの出だしでした。

  父は、牧師。高山教会に、中国でドイツ人の先生についてピアノを学んだかたが礼拝に来られるようになり、次男である私が将来、礼拝で讃美歌などの奏楽が出来るようになればいいな、と考え、本人に習う意志があるかどうかを確かめてみようと聞いてくれたようです。

   (余談ですが、朝市が開かれる陣屋前に、夏になると大きなテントを張って天幕伝道というキリスト教の布教活動が行われていました。父やほかの牧師さんたちは、臨時の楽隊を編成して、町を一巡して広報 ・・・ 太鼓 アコーディオン タンバリン ・・・父はどの楽器も手がけていましたが、タンバリンを肘も使って器用に打ち鳴らす姿が印象に残っています。)

  そんなきっかけで始まったピアノ教室への入門 ・・・ 長続きしそうにないとお思いになるでしょう ?  それが続いたのは、ピアノ教室への行き帰りに付き添ってくれた母と、練習の帰り道に時々食べさせてくれたみたらし団子のおかげなのです。 先月の岐阜新聞に みたらし団子の由来が掲載されていて、上記のことを改めて思い浮かべました。※ 画像をクリックすると、読みやすくなるかと思います。

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 記事には、1本5円とありますが、私がピアノ教室に通い始めた昭和27年頃は、10円で3本だったという記憶が・・・。現在は1本70円だと思います。

 母は、ふだんの練習にも付き合ってくれました。「子守歌」をつたなく練習していると、「上手に弾いていたから、寝てしまった」、とうつらうつら・・・疲れからか、演技なのか ・・・ どうも、励ますための演技だったと今では思うのですが・・・。

 小学三年生の時の担任の先生が文集にクラスの子の一口紹介を書いてくださったのですが、私の項目は、こうでした。

 「ピアノが上手で 本の虫」

 ・・・ ピアノが上手と言えるかどうかは分かりませんけれど、本を手放せない小学生であったことは確かです。 もし、あの頃、ピアノの練習の虫であったら ・・・ひょっとしたらレコードが出せるくらいの域に達していたかも知れません。 そう、思いつつ、けれど、教会のオルガニストの一人として、そして「音楽療法」というより、双方が音楽を通して活力を満たす時間を過ごすのだから「音楽両方」という呼称がいいな と楽しみながら 音楽とすごす時間を生活の一部と出来ることに喜びと感謝を覚えている72歳です。

 芸術の秋  食欲の秋 ・・・ よい日々となりますように。

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2018年9月19日 (水)

『対談 銀色のあしあと』  2

 昨日からの続きです。

 『対談 銀色のあしあと』の書名は、星野富弘さんの著書『風の旅』の次の一節から 名付けられたとのことです。

 ◇   □   ○  ※  ☆

 小さな村は、盛り上がる緑に埋ってしまいそうだ。風が銀色の足跡を残して夏の山を登っていく。この山に今年もそろそろ、八木節の軽快な笛やつづみの音がこだまする時期である。

◇   □   ○  ※  ☆

 群馬県の赤城山のふもと ・・・星野富弘美術館を訪れた方も、おられることと思います。

  1946年4月24日生まれ(三浦綾子さんは1922年4月25日生まれ)の星野富弘さん・・・星野さんは私と同い年のお生まれですね。1970年に教師としてのスタートを切ったことも同じです。ただ、皆さま、ご存じのように、その年の6月、指導中に鉄棒から転落して、頸髄を損傷され、首から下を動かすことが富弘さんは出来なくなりました。

  そこから立ち直られ、口にくわえた筆で、絵を描き、詩を書いてたくさんのかたに大きな感動を与え続けておられます。 1974年に病床で、洗礼を受けてクリスチャンに。 この本の冒頭にあります詩画「木瓜」を引用・紹介させていただきます。

  苦しみの中から詩篇の言葉を書いておられることに胸を打たれます。

  ありがとうございます。 今日も、よき歩みをと お祈りいたします。

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2018年9月18日 (火)

『対談 銀色のあしあと』 三浦綾子 星野富弘

0006『対談 銀色のあしあと』 

三浦綾子 星野富弘

いのちのことば社

1988年11月10日 第1刷

 表紙の絵は、星野富弘さんが描かれた「泰山木の花」とのこと。

 お二人の対談は、1988年5月20日に実現したそうです。

 以下、表紙の見返しのお二人の言葉、三浦綾子さんの当日献げた祈り、星野富弘さんの「あとがき」を引用・掲載させていただいて、この本のご紹介といたします。 ありがとうございます。

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2018年9月17日 (月)

映画 「シェルブールの雨傘」

0014 NHKのBSで放映されていたので、久しぶりにこの映画を観ました。

  全部の台詞にメロディが付いているミュージカルですが、特に、愛し合って兵役で召集されて列車に乗って任地に向かう恋人との別れのシーンで歌われる主題歌が、とても美しいですね。

 この映画の音楽を担当したミシェル・ルグランさんと、羽田健太郎さんが「題名のない音楽会」で二台のピアノで、この映画の主題曲を演奏した場面がありました。

 羽田健太郎さんの幸せそのものの表情を、懐かしく思い浮かべることがあります。

 そうした思いも含めて、この映画、すてきだと思います。映画冒頭の色とりどりの傘が行き交うシーンからして色彩の美しさも心に残りました。

 結びは、クリスマスの雪降るガソリンスタンドでの束の間の再会と別れ・・・この場面もすてきです。

  私の映画音楽のレパートリーの中でも、この映画の主題曲は大切な1曲となっています。

 映画を観た後、秋の長雨の午後、ピアノに向かって新たな気持ちでこの主題歌を弾いてみました。  うーん、映画って、やっぱりいいですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2018年9月16日 (日)

ムラサキシキブ

0006 このところ、ぐっと秋めいてきましたので、普段とは違う散歩コースを歩いてみました。

 むむっ、この植物は ?   以前にも尋ねた記憶はあるのですが、返ってきた答えは 記憶にございません。 ムーミンママの答えは 「ムラサキシキブでございます。」

 聞くとよみがえる記憶 というのは、覚えていることになるのかどうか・・・

 それはともかく、雰囲気のあるたたずまい ですね。 ぴったりの命名に思えます。

 河合隼雄さんが外国の方に『源氏物語』の話をすると、「その時代に、われらの祖先は、鎧兜に身を固め、戦に明け暮れていた。 日本ではこのような優れた文学作品を女性が書いていたというのか」と、ジャパンを見る目が大きく変わるのだそうです。

 紫式部、清少納言 世界的にも希有な存在ですね。

 「遣らずの雨」という表現の意味を聞いた韓国からの研修生が、そのことを通して反日感情を克服して、日本文化を愛してくれるようになったという話も聞きました。

 うーむ、こんな感慨を抱くのも、涼しくさわやかな秋風の中に身をおいたからでしょうか。

 よき秋となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にどうぞ。

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2018年9月15日 (土)

『木練柿(こねりがき』 あさのあつこ 著

0002『木練柿(こねりがき』 

あさのあつこ 著

光文社 

2009年10月25日 初版一刷 発行

 近 ごろ、読み始めたあさのあつこさんの時代小説・・・と思っていましたが、この本の表紙、以前に見たことがあるように思い、調べてみましたら、9年9か月前、2009年12月20日のこのブログに、この本の内容には直接触れていないのですが登場していました。

 そういうわけで、この本を読むのは二度目なのですが、前回に読んだことはほとんど忘れていて、・・・一度読んだ本を新鮮に読めるのは年齢を重ねてきたことの特権(?!)かもしれません。(^_^;

 この本は、『弥勒の月』からスタートしたシリーズで、武士から商人になった遠野屋の主人、清之介とクールで事件解決にめっぽう頭脳の冴えを示す町廻り同心の木暮信次郎、信次郎の人間性の欠如に辟易しながらも、長年の経験を生かして有能な働きで支える岡っ引きの伊佐治を軸に展開しています。

 岡っ引きの伊佐治親分は、なかなかの人情家で、窮地にありながら弱音をはかない遠野屋を見ながら、胸の中で、つぶやいています。こんなふうに。

  ◇    □    ○   ※   ☆

 遠野屋さん、あんた、間違っていますよ。黙って耐えるだけが人の生き方じゃありません。叫ぶのも、喚くのも、声を上げて泣くことだって人には入り用なんですぜ。あんたが黙って耐えている限りおしのさん(義母)も殻から出てこれねえ。あんたほどのお人が、それくれえのことになんで気がつかねんで。

 もっと、生身でいい。生の感情に振り回されていい。圧(の)し掛かってくる悲傷の前に跪(ひざまず)いたっていいではないか。跪いて、へたり込んで、頭(こうべ)を垂れて、泣き叫んで、身悶えして・・・・・・その後に人はゆっくり立ち上がるのだ。やっと立ち上がれるのだ

 言ってやりたい。けれど、伊佐治は喉元までせり上がってくる言葉をいつも飲み下してしまう。

    ◇    □    ○   ※   ☆

 こうしたところに、登場人物の口を通して、あさのあつこさんが、苦しいことに直面している人に いたわりと励ましのことばをかけているように思われました。

 人生は、いつも晴天のもと、ピクニックに出かけるようなときばかりではなく、徳川家康の述懐しているように、重い荷を背負って険しく長い坂道を登っていくようなときのほうがすっと多いのかも知れません。

 そんなときにも、視界の開けるところに足を運んで、空を見上げ、思いっきり新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでみる 心にあるやり場のない苦しみを叫んでみる  心にある重いものを思い切って吐露してみる そうすると重荷も 負いやすくなるかもしれません。 一気に重荷を雲散霧消してくれる特効薬があるといいのですけれど、大きな苦難に直面したときは、一段と強い心へと鍛え上げられるときであるかもしれません。

 早いもので、9月も半ばとなりました。どうぞ、お風邪を召したりなさいませんように。

 今日も、よい日となりますように。

明日は日曜日。キリスト教会の礼拝に、お出かけください。

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2018年9月14日 (金)

障害のある人の強さ

 岐阜新聞2018年8月31日朝刊から 「初めての給料」 ー労働は社会とのつながりー  ※ 画像をクリックしていただくと大きくなると思います。

0007 この記事の結びの「よく障害者は社会的な弱者だと言われるけれど、彼らは本当に強い人たちです。・・・私はそれまでの固定観念がことごとく崩されました」という文章が心に響きました。

 私は、大学での専攻は国語教育でしたが、特別支援教育(当時は特殊教育と呼ばれていました)で熱い講義をなさる先生がおられると耳にして、その先生の講義を受講しました。

 講義の第一声は「教育は人間を人間たらしめるものと定義するならば、特殊教育は、まさにその原点に位置するものといえます。」でした。心が震えました。

 その先生、柚木馥先生は、講義だけでなく、大学の砂場でひとりの子どもに寄り添っておられる姿も見かけましたし、特殊学級・養護学校の卒業生が働く場を作ることにも精力的に働かれました。

  ずっと後になってお目に掛かったとき、にこにこしておられ「働いてパンやクッキーを喜んで食べていただき、そのお金を貯めて、みんなでハワイ旅行をしようと歩んできたその夢が実現するんだ」と語られました。

 不肖の教え子ではありますが、本当にすばらしい師との出会いでした。

 柚木先生を海にたとえるならば、私は小さな杯をひっくり返したその底面のくぼみともいえないほど小さな器です。

 私は、教師になった最初の三年間、白川町の白川中学校で特殊学級の設立を和田三里という校長先生にご指導いただきながら進め、誕生したそのクラスの担任として歩みました。

 長男が生まれて間もない頃、教員住宅に遊びに来た教え子が、乗り物絵本を「先生のお子さんに」 とプレゼントしてくれました。 彼は新聞配達をしていて、手にしたお金の中からその絵本を贈ってくれたのです。 今から思っても、頭が下がる思いです。 彼は今、愛知県で働いていて、奥さんと会いに来てくれたこともあります。 駅で待っていた私を「あの人が先生じゃない?」と彼よりもさきに初対面の私を奥さんが見つけてくれたことも、懐かしい思い出です。

  今日も、よい日となりますように。


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2018年9月13日 (木)

他人事と 見過ごすことなく

 関根一夫牧師先生のメールマガジン「いてくれてありがとう」に先月末、こういう文章が掲載されていました。

 よく知られていることなのかも知れませんが、のんびりしている私には衝撃を受けるニュースに思えました。

  実験したことはありませんが、カエルをいきなりお湯の中に入れると、敏捷に飛び出すけれど、水の中に入れて、ゆっくりと下から温めると、徐々の変化にならされて、身の危険を感知できなくなって飛び出さないのだそうです。

  下の話を読んで、そのことを思い出しました。関根先生がお書きになっているように、正しいと思うことには「イエス」、納得がいかないことには、今、その理不尽さが他の人にだけふりかかっていることに思えても、断固として「ノー」といえる歩みを貫くことがとても大事だと考えさせられました。以下は引用です。 今日も、よい日となりますように。

   ◇   □   ○   ※  ☆

【8月の終わりに】

 8月が終わりますね。
1年は12ヶ月ですから6月が終わった時点で半分が過ぎているわけですが、私の中ではなんとなく8月が終わると一年の半分の大きな山を乗り越えたという気持ちになります。
 でも、気がつけば今年もあと4ヶ月しかないわけですから、一年の終わりがあっという間だというのは当然のことです。
 そして、プロ野球や相撲や高校野球やアジア大会などスポーツの話題で心ワクワクしている間に、政治の世界や国際社会では深刻な問題が起こっており、国内では新しい法律がどんどん作られて生活の規制が入り込んできているような気がします。

  気がつけば、報道への規制や言論への規制、道徳の押し付けや憲法無視に近い政治家たちの言動など、冷静にはいられないほどの深刻な「全体主義」の足音が聞こえてくるような気がしてなりません。
8月、毎年のことながら私は平和について考え、本を読み、映像を見てあれこれ考えました。
近代における戦争が始まる前には「国民総動員」を扇動する声や「政治に無関心な雰囲気」が蔓延しているような事態が起こされていることに気付かされました。
 マルティン・ニーメラー牧師の言葉として知られている詩を思い出しています。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 ちなみに丸山眞男氏は著作の中でこのように訳し直しています。

  ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
  それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
  それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
  さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。 しかしそのときにはすでに手遅れであった。
丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)

+++
「いてくれてありがとう」の心が排除される出来事について
イエスはイエス、ノーはノーとはっきり言える者でありたいと心から願っています。

   ◇   □   ○   ※   ☆

 まさに、警鐘ですね。

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2018年9月12日 (水)

車庫のこと  9月4日の後編

 ガタガタ音がしていた車庫の波トタンを台風21号がやってくる前に取り外しました。 岐阜市でもかなりの強風が吹き荒れましたので、この作業は、わたしにしては珍しく、効果的な「事前の一策」となりました。

 電動ドリルのバッテリーの充電も出来ましたので、車庫の骨組みの解体に挑戦しました。 まずは、ビフォアーの写真です。

Photo 波トタンをはずしたカーポートを上から見ると、こんなふうなのだと、改めて思いました。

 解体と申しましても、順番を考えつつ、ネジをはずしていくと一つ一つの部品は、それほど重い物ではないので大丈夫そうです。

 さて、アフターの画像です。

0003 我ながら すっきりいたしました。

  三本の柱はコンクリートに脚部が埋め込まれていますので、記念に残します。(記念というほどのものではないのですけれど)

  ムーミンママが、空洞になっている柱の頭を防水テープでくるんでくれました。

  不器用な、シルエットのムーミンパパですが、作る自信はありませんが、壊すほうならば、案外、ある程度ならば、できるのかも と、しばらく余韻に浸りました。

 長く世話になったカーポートさん、ありがとうございました。 

  考えてみますと、買い物に出かけたときなど、駐車場は屋根付きではないことがほとんどですし、岐阜市では、雪もあまり降らなくなってきていますので、なくても大丈夫かな、と思った次第です。  どうぞ「稀に見る大雪」 などということに なりませんように。

 つたない作業のことに 二回 お付き合いいただき、ありがとうございます。

 辛抱強い読者の皆さまに よい日となりますように。 いえ、辛抱強くないかたにも よい日となりますように (^J^)

【追伸】

    ー 屋根を取り去るということ ー

 この作業完了の翌朝(9月7日)、雨が降っていました。

 車の屋根には、水滴が・・・・・今までこの位置に車を置いたときには見られなかった光景です。 屋根を取り去るとは、こういうことなのだなぁ、と人生のいろいろなことと思いあわせて、しばらく感慨にふけりました。

A
B


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