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2006年9月28日 (木)

本当に必要なのは

聖書とコンピュータシリーズ NO.1
 
 岐阜ラジオで月曜日から土曜日まで、 毎朝6時15分から「さわやか世の光」が放送されています。讃美歌などの美しい音楽と、聖書からのメッセージを聞きながら一日が始まるのは、精神的なぜいたくの一つかもしれません。(さわやか世の光のホームページは次のところです。)
 ある朝、その「さわやか世の光」からこんな話が聞こえてきました。
 
  イタリアの高名な画家の家を一人の少年が訪問して、応対した奥さんに 頼んだそうです。「ぼく、絵描きになりたいんです。ご主人の使っている絵筆をください。それで描いたらきっといい絵が描けると思うんです。」
  懇願された奥さんが絵筆を贈ると、少年は喜んで早速描き始めました。 ・・・でもどうもうまくいかないようです。首をかしげている少年に奥さんは言いました。わかったでしょ。絵筆じゃなくて、あなた自身なの。」
 
 この話を紹介させていただいたのはコンピュータを連想したからです。
 コンピュータの発達によって文字、音声、画像をデジタル化して一元的に扱えるようになり、それらを組み合わせて加工したり、送受信したりすることができるようになりました。情報伝達の速度は速くなり、範囲も広くなりました。
 けれど、肝心の情報の質が、伝達される速度や範囲の向上に釣り合うものになっているかというと、大いに疑問です。道具としてのコンピュータの発達を人間がどう生かすかこそが課題なのです。先の話に戻りますと、「大切なのはコンピュータじゃなくて人間自身なの。」ということではないでしょうか。
                         
 コンピュータに限らず、すべての科学技術は人間の備えている良い可能性を大きく伸ばし、よい願いを実現するために進歩させることが大切です。
 そうでないこと、たとえば「核兵器の安全性を高めるための臨界前核実験」などというのは、情けないですし、言葉としても矛盾を感じてしまいます。真の科学のねらいはそんなものであってはならないと思います。
 人間が正しい方向に歩むために聖書はあやまりのない指針です。神様に私たち人間の目を開いていただき、正しい方向に進んでいきましょう。
 
   聖書の言葉
  私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇(くす)しいことに目を留めるようにしてください。
                     詩篇 119: 18
 

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