« 敬老の日の短歌 | トップページ | かけがえのない存在 »

2006年9月20日 (水)

人生の音色

 私たちの人生において、何一つ悩みの種がないということはあるでしょうか。
 
仕事のこと、家庭のこと、子どもの将来のこと、経済的なこと、そして健康のこと・・・自分の家族だけでなく、親戚関係まで含めて考えてみると、心にひっかかる心配事のない、天候でいうと快晴の状態ばかりの人はほとんどいないのではないでしょうか。
 
「くよくよしたって仕方がないから考えないようにしている」という方もあるでしょう。それも一つの悩みへの対し方ですが、目をそらすだけでは本当の解決にならないことは明らかです。
 
私が大きな心配事を抱え、重くのしかかる苦しみにあえいでいたとき、次のような文章に出会いました。工藤信夫というクリスチャンのお医者さんの書かれた本の一節です。
「人生の音色」
 リュートという、ギターのモデルになった楽器に亀裂が入った。使い物にならなくなると思われたのに、どうしたことか、それまでの状態の時よりずっと新鮮でずっと美しい音色を発するようになった。
 そのことが評判となり、それ以後リュートを作る職人たちは「いかにして美しい音色が出るように亀裂を入れるか」ということに懸命に取り組むようになったという。
 苦しみのある人はすべて胴部に亀裂のある楽器のようなものだ。そして、実はそうした亀裂が、楽器だけでなく人の場合にもその人の人生を奏でる音色を高めているのではなかろうか。
   ◇   ◇   □   ◇   ◇   ○  ◇  ◇  □  ◇  ◇
 私たちが生きて行くとき、何一つ申し分のない環境、理想的な状態に恵まれるというのはむしろ稀なことで、どこかが満たされず理想からはずれた状態にあるのが人生の普通の状態なのかもしれません。
 
 そしてそこからもたらされる苦しみにくじけずに自分自身の精一杯の音色を奏で続けることこそ、生きるということではないか
・・・上の文章を読んで、そう思うようになりました。
深い苦しみを体験することは、それだけその人の奏でる人生の音色を豊かにする・・・自分が苦しんだ人は、周囲の人が苦しんでいるとき、それを敏感にとらえ、一緒に涙を流し、苦しみに立ち向かうことができる・・・確かに私たちの人生にはそういうことがあると思います。
 
 ある国で、栄養失調のために目が見えない人が出るほど食物が不足したとき、ある地方で食事が配られることになったそうです。食事といっても一人にお椀一杯のおかゆというほどのものだったようですが、それを聞きつけて二日がかりで山を越えてやってきた少年がいました。長い列にならんで順番を待ち、いよいよ一杯のおかゆが得られるというそのとき、その少年は食事が配られる地域の子ではないことが判明しました。
 この地域の人にも十分ではない食事ですから、気の毒だがやれないということになりました。
 
 力を落として帰ろうとする少年を呼びとめて食事を与えた人がいました。
それは、自分自身も何日も食べる物がなくてひもじい思いをし、やっとさきほどそれを得たこの地方の人だったそうです。
 
聖書の言葉をご紹介いたしましょう。
 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。  
   詩篇119篇71節
   
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
   マタイによる福音書 5章4節
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道もそなえてくださいます。
  コリント人への手紙 第一 10 13節
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなた がたを休ませてあげます。            マタイによる福音書11章28
 

|

« 敬老の日の短歌 | トップページ | かけがえのない存在 »

コメント

もしかして、今日のメッセージは私の為でしょうか?
と思うほどです。

ムーミンパパを通して神様から祝福を頂きました。

今宵もぐっすり眠れます。

明日に希望を抱いて思いっきり愉快な夢を味わいたいと思います。

ありがとうございました。

明日も楽しみです。

投稿: みちよママ | 2006年9月20日 (水) 22時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生の音色:

« 敬老の日の短歌 | トップページ | かけがえのない存在 »