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2006年10月 6日 (金)

電子メールを越えるもの   

聖書とコンピュータシリーズ NO.9

 電子メール・・・E-mail(イーメール)の普及ぶりには目を見張るものがあります。
 E-mailのアドレスを取得することは、自分専用の私書箱を設けるようなもので、都合のいいときにパソコンにスイッチを入れて、その私書箱を見に行けばいいのです。
 下に書くようにたいへん便利なので電子メールに対して従来の郵便のことを「原始メール」などと茶化す言い方があるほどです。もちろん、手書きのたよりには得難い味があり、絵手紙などの人気も高まっていますので、今後も郵便による手紙、葉書がE_-mailによって消滅させられることはありません。このあたり、ワープロが普及するとともに書道の人気が高まったこととほぼ同じ関係があるのではないでしょうか。

【電子メールの便利なところ】
①宛名を書いて、切手を貼って、ポストに入れて・・・という作業の手間 が省けます。 

②速達にしなくてもすべて超特急の速達です。

③外国に送るとき、時差を考えなくても相手に迷惑をかける心配があ りません。

④ファイルを添付する方法を覚えれば、長い文章も、写真も、音楽も、素早く相手に届けることができます。受信した相手がそれを加工することもできます。

⑤パスワード(暗証番号のようなもの)によってプライバシーが守れます。
 
およそこのような利点があるので、インターネットに接続できるように環境を整備した人は、最初の内はいろいろなホームページを見に行くこと・・・ネットサーフィン・・・を楽しみますが、その内に主な用途はE-mailのやりとりに落ち着く場合が多いようです。ただし、昔から筆無精だった人は「E-mail無精」になりやすい傾向があることは、やはり否定できないように思いますけれど。

  でも、こんな便利なE-mailを越えるものがあります。それは、神様への祈りです。祈りにはパソコンも、それを使う技術も不要です。停電を心配することも、混雑の時間帯を避けることもありません。人間的な思いのすべてが聞き届けられる訳ではありませんが、神様の御心にかなう形で、神様の定められたときに必ず応答があります。
 あるクリスチャンは3人の友人のために祈り続け、聞き届けられてどの友人もクリスチャンになったそうですが、3人目の友人がクリスチャンになったのは、その人が祈り初めてから数十年後だったとのことです。
  自分の祈りが思い通りに聞かれないと言って怒ったり、失望したりするのは、神様を自分の召使いのように思っている人・・・自分がランプを持ったアラジンで、神様を魔法のランプの精のように思っている人です。人間が神様に従うのであって、神様を従わせるのではない・・・そのことを忘れないでいたいものです。

    聖書の言葉
  いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。         第一テサロニケ 5:16~18

 

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