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2006年10月31日 (火)

女の子

女の子って

ものは、

木のぼりしない

ものなのよ。

竹馬乗ったら

おてんばで、

打ち独楽(ぶちごま)するのは

お馬鹿なの。

私はこいだけ

知ってるの

だって一ぺんずつ

叱られたから。

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2006年10月30日 (月)

つもった ゆき

うえの ゆき

さむかろな。

つめたい つきが さしていて

したのゆき

おもかろな

なんびゃくにんも のせていて

なかの ゆき

さみしかろな

そらも じべたも みえないで

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2006年10月29日 (日)

つゆ

だれにも いわずに おきましょう。

あさの おにわの すみっこで、

はなが ほろりと ないた こと。

もしも うわさが ひろがって

はちの おみみへ はいったら、

わるい ことでも したように、

みつを かえしに ゆくでしょう

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2006年10月28日 (土)

みんなを すきに

わたしは すきに なりたいな、

なんでも かんでも みいんな。

ねぎも、トマトも、おさかなも、

のこらず すきに なりたいな。

うちの おかずはみいんな、

かあさまが おつくりなったもの。

わたしは すきに なりたいな、

だれでも かれでも みいんな

おいしゃさんでも、からすでも、

のこらず すきに なりたいな。

せかいの ものは みィんな

かみさまが おつくりなったもの

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2006年10月27日 (金)

ほしとたんぽぽ

あおい おそらの そこ ふかく

うみの こいしの そのように、

よるが くるまで しずんでる

ひるの おほしは めに みえぬ

みえぬけれども あるんだよ、

みえぬ ものでも あるんだよ。

ちって すがれた たんぽぽの、

かわらの すきに、 だァまって

はるの くるまで かくれてる、

つよい その ねは めに みえぬ。

みえぬけれども あるんだよ、

みえぬ ものでも あるんだよ。

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2006年10月26日 (木)

わたしと ことりと すずと

わたしが りょうてを ひろげても

おそらは ちっとも とべないが

とべる ことりは わたしのように

じべたを はやくは はしれない。

わたしが からだを ゆすっても

きれいな おとは でないけど

あの なる すずは わたしのように

たくさんな うたは しらないよ。

すずと、 ことりと、 それから わたし、

みんな ちがって、 みんな いい。

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2006年10月25日 (水)

ふしぎ

わたしは ふしぎで たまらない

くろい くもから ふる あめが

ぎんに ひかって いることが

わたしは ふしぎで たまらない

あおい くわの は たべている

かいこが しろく なる ことが

わたしは ふしぎで たまらない

たれも いじらぬ ゆうがおが

ひとりで ぱらりと ひらくのが

わたしは ふしぎで たまらない

たれに きいても わらってて

あたりまえだ、 と いう ことが 

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2006年10月24日 (火)

雨・薪をくべよ

「雨」

雨のおとがきこえる

雨がふっていたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

雨があがるようにしずかに死んでゆこう

「薪をくべよ」

薪(たきぎ)をくべよ
もえはじまった火をけすな
いまがだいじだ
これをもえ切らせてみろ
あとはらくにゆけよう

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2006年10月23日 (月)

母をおもう・虫

「母をおもう」

けしきが

あかるくなってきた

母をつれて

てくてくあるきたくなった

母はきっと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

「虫」

虫が鳴いてる

いま ないておかなければ

もう駄目だというふうに鳴いてる

しぜんと涙をさそわれる

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2006年10月22日 (日)

幼い私

幼い私が

まだわたしのまわりに生きていて

美しく力づけてくれるようなきがする

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2006年10月21日 (土)

私が三月も入院して

死ぬかといわれたのに

癒って国へ俥で帰りつく日

父は凱旋将軍のように俥のわきへついて歩るいていた

黒い腿引きをけつっきりひんまくって

あの父をおもうとたまらなくなる

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2006年10月20日 (金)

お母さま

わたしは 時とすると

お母さまがたいへん小さいひとのようにおもえてきて

このてのひらのうえへいただいて

あなたを拝んでいるようなきがしてくることがあります

こんなあかるい日なぞ

わたしの心は美しくなってしまって

お母さんをこの胸へかざり

いばってやりたいようなきがします

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2006年10月19日 (木)

ねがい

どこを

断ち切っても

うつくしくあればいいなあ

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2006年10月18日 (水)

夕焼け・人形

「夕焼け」

あの夕焼けのしたに
妻や桃子たちもまっているだろうと
明るんだ道をたのしく帰ってきた


 ─────────────────

「人形」
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸〈腹〉をふくらませてみたりつぼめたりしていた

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2006年10月17日 (火)

『寂寥三昧』から

「無 題」

あかつきの
しずけさ
ゆうぐれの
しずけさ
いかる日あれど
いかりなき
その日のうれしさ

「無 題」

みずが
ひとつのみちをみいでて
河となってながれてゆくように
わたしの このこころも
じざいなるみちをみいでて
うつくしくながれてゆきたい

「三つの秋」

きょねんは
水のおとがうれしかった
おととしは
空がうれしかった
ことしの秋は
まっ赤なさくらの葉がうれしい

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2006年10月16日 (月)

金魚・桃子よ・陽二よ

「金魚」

桃子は

金魚のことを

「ちんとん」という

ほんものの金魚より

もっと金魚らしくいう

◇ ◇ ○ □ ○ □ ◇ ◇

「桃子よ」

ももこよ

おまえがぐずってしかたないとき

わたしはおまえに げんこつをくれる

だが 桃子

お父さんの命が要るときがあったら

いつでもおまえにあげる

◇ ◇ ○ □ ○ □ ◇ ◇

「陽二よ」

なんという いたずらっ児だ

陽二 おまえは 豚のようなやつだ

ときどき うっちゃりたくなる

でも陽二よ

お父さんはおまえのためにいつでも命をなげだすよ

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2006年10月15日 (日)

果物・雲・幼い日

「果  物」

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい

「雲」

    くものある日
    くもは かなしい

    くものない日
    そらは さびしい

「幼い日」

  幼い日は

  水が もの言う日

  木が そだてば

  そだつひびきが きこゆる日

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2006年10月14日 (土)

素朴な琴

素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね(て)
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 1898年(明治31年)に生まれ、1927年(昭和2年)に30歳(数え年)でこの世を去ったクリスチャンの詩人、八木重吉。10月26日が天に召された日ということですので、しばらく、彼の詩を掲載させていただきます。

 出典は、『定本 八木重吉詩集』 彌生書房 (やよいしょぼう)

 初版が平成5年5月20日発行、私のもっているのは第2版平成9年7月20日発行となっています。高村光太郎が序を記し、吉野秀雄が年譜と編集後記を記しています。

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2006年10月13日 (金)

いろいろな熟字訓

熟字訓シリーズ4

 今回は、特定のジャンルにしぼらず、とにかくおもしろそうなのを並べさせていただきました。

1.心 太  特に夏に喜ばれる食べ物です。箸一本で食べるところもあ るようです。

2.雪 洞  「せつどう」という読みも辞書に載っていますが、ひらがな4文字で、情緒のある読みを考えてみてください。「かまくら」・・・・・いいセンスをしておられます。でも、あと一息です。

3.氷 柱  季節外れですが、実際に冬に出題すると寒さが増してしまうので・・・

4.白耳義  国の名前です。「フランダースの犬」はこの国で書かれました。

5.土耳古  これも国の名前です。ドミンゴ?お気持ちは分かりますが、ハズレです。三文字です。

6.大蚊    四文字です。あまり有名ではないかもしれませんが。答えをご覧になったら、辞書でひいてみてください。ある中学生が見事に正解し、本人もびっくりしたことがあります。

7.河豚    海豚は「いるか」でしたね。これも生き物ですが・・・・・

 さて、答えは

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2006年10月12日 (木)

国名・地名編

熟字訓シリーズ3.

今回は、国名・地名です。

亜米利加・・・米国、英吉利・・・英吉利、仏蘭西・・・フランス、というたぐいです。戦争中、よその国のことばを使うなということで、漢字による表記がたくさん生まれた時代のなごりもあるかもしれません。たとえば、国名ではありませんが、「抜き差し自在曲がりがね」などという苦心の作もあったようです。これは、楽器の「トロンボーン」のことなのですね。さて、本題です。

1.印 度  2.伊太利亜 3.加奈陀 4.瑞 典

5.丁 抹    6.阿蘭陀(和蘭) 

 ここからは、都市名です。

7.紐 育  8.巴 里  9.桑 港  10.剣 橋

いかがでしょうか。答えは・・・

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2006年10月11日 (水)

動物編

熟字訓シリーズ2 

練習  ア 土 竜   イ 水 馬  

 アは「もぐら」、イは「あめんぼ」・・・「みずすまし」 です。
どうも植物のほうが広く知られているように思えてきました。今回は「海」のつくのを並べてみます。

1.海 月   海でぷかぷか 浮いています。「水母」とも書きます。

2.海 星    形からのイメージなのでしょう。

3.海 馬  4,海 豹 5.海 栗 6.海 象 7.海 豚

  さて答えは・・・

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2006年10月10日 (火)

読書の秋

 今回は「読書の秋」です。といっても、直接に本の話ではなく、趣向を変えて、「七夕」をたなばたと読む「熟字訓」のたぐいのクイズをお楽しみいただくことにいたしました。「次のシリーズを準備する間の時間稼ぎではないか」って・・・うっ、鋭い・・・まさにそのとおりですが、ブログを全文出さないで「続きを読む」というふうにするそのテクニックをマスターしたいなあとも思ったのです。しっかり時間を稼ぎたいので、何回か「熟字訓シリーズ」とさせていただきます。では、植物から始めますね。

1.紫陽花 2.山茶花 3.秋桜 4.土筆 

5.百日紅  6.万年青 7.吾亦紅(吾木香)

さて、答えは・・・

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2006年10月 9日 (月)

楽観的向上論

 今日は「芸術の秋」に関する内容です。学生時代、交響楽団でトランペットを吹いていました。あまり上手ではない、というよりはっきり言って下手だった私がロングトーンの練習をしていると先輩が現れてこんな話をしてくれました。
 「あのなあ、自分が下手だ、下手だ、駄目だ、駄目だと思いながら練習していたら、上達はおぼつかない。そりゃあ、はっきり言って今は下手だけど、まず、こう思いなさい」・・・と、話してくださったのは、およそこういうことでした。

 「まず、今の自分の音はなかなかのものだ、と思うこと。だけど、本当は下手なのに上手だと思い込んでいてはどうしようもないから、正しい練習をきちんと積み重ねれば、ますます自分はすばらしいトランペッターになれると希望をもって練習に励むこと。」

 「ロングトーンは、どの音も30秒以上安定して続くようになれば一人前だけど、今は10秒しか続かなかったら、それであきらめないで、11秒目に向かって息だけでも出しなさい。それを続けていたら、11秒続くようになる。そしたら、12秒目に向かって息だけでも出しなさい。」

 「トランペットは口にあてる。だからといって、口と周囲の筋肉だけに気を取られていてはいけない。体全体を鍛えて、初めて安定した音が出るようになるんだよ。もっと言うと、生き方がしっかりしていないと、ふらついた音しか出せないと思いなさい。」

 この先輩は、私に語ったことを自ら実行している人でした。日本の大きなコンクールで外国に留学する権利の得られる上位の成績を収め、プロの交響楽団で活躍され、大学の先生になり、青少年を熱心に育成しながら、ご自分の修練を続けてリサイタルを開いておられます。

 えっ、私ですか・・・その後、めきめきとトランペットが上達・・・とは本人も周囲の誰も思いようがないのですけれど、このときの先輩の教え・・・「今も悪くはない。でも正しい方向に修練を積み重ねればもっともっと自分は高まり、すばらしくなる。」・・・を「楽観的向上論」と名付けて、楽しみながらいろいろなことに挑戦して自分を育て続け、今日にいたっております。どれだけ向上しているかはともかく、停滞しないで前進することを願いながら。

聖書の言葉
(私たちは)患難さえも喜んでいます。それは、
患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

          ローマ人への手紙 5章3節4節

同じ箇所がリビングバイブルでは、次のように書かれています。
 私たちは、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。

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2006年10月 8日 (日)

舌が肥える

 「○○の秋」・・・読書、学問、スポーツ、行楽など、○○にはいろいろなことばが入ります。それだけ充実した生活をしやすい条件がそろっている季節なのでしょうね。

 この文を書いている今、空には皎皎(こうこう)、あるいは煌煌(こうこう)と満月が輝いています。「花鳥風月」とか「春花秋月」ということばがあるように、風流を愛(め)でるとき、月は大きな存在です。「名月を取つてくれろと泣く子かな」と一茶の句にありますが、とても一人の子に独占させられるものではありません。そんなことをしたらかぐや姫も立ち退きを迫られて困ってしまいます。

 さて、あまりに月が見事なので本題にはいるのが遅れました。「味覚の秋」「食欲の秋」にちなんで、「舌が肥える」について書きたかったのです。

 普通、「舌が肥える」とは、よほど美味な物しか口に合わなくなることをいいます。でも、ちょっと待ってください。贅(ぜい)をこらした山海の珍味、高級料亭の板前さんが工夫に工夫を重ねて提供する料理がおいしいのはむしろ当たり前ではないでしょうか。

 私は思うのです。いわゆる食通、現代風にいうとグルメ自慢の人は、おいしいのが当然のものしか口に合わず、おいしいと思えなくなっているのだから、美味だと感ずるものの幅がむしろ狭くなっているのではないかと。
 つまり、味覚の幅が狭くなっているのだから、それは肥えたのではなくて、「舌が痩(や)せた」のです。

 結論です。たいていの物を「おいしい、おいしい」と食べることができる人こそ、舌の肥えた人なのです。

 もっと言えば、素材が高級でなくても、作る人の愛・・・ビタミン愛が込められていることを感じながらおいしく食べることの出来る人こそ、「目が肥え」「舌の肥えた」人、人生の達人なのです。

聖書のことば 箴言(しんげん)17章1節

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

  リビング・バイブルという大胆に分かりやすい表現をした聖書では、同じ箇所が次のように表現されています。

けんかしながら毎日ビフテキをぱくつくより、冷や飯を仲よく食べるほうがましです。

※ 箴言(しんげん)・・・広辞苑では下記の説明がされています。
1いましめとなる短い句。格言。
2旧約聖書中の一書。格言・教訓・道徳訓を多く含む。ソロモンの箴言。
 

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2006年10月 7日 (土)

知識を正しく用いる心 

聖書とコンピュータシリーズ NO.10

 インターネットが普及して、良い使われ方がされている例と、犯罪に利用されている例とがあります。
 
【良い例】
 ある手術に特別の血液が必要なことをインターネットで迅速に広範囲に知らせ、必要な量を素早く確保できた。
【悪い例】
  ホームページに家族旅行に出かけることを掲載して出かけ、帰宅したら空き巣に家財道具を根こそぎ盗まれていた。

  良い活用例が圧倒的に多いのでしょうが、悪い活用例も数多く報道されています。知識も技術もそれ自体に善悪はなく、相手や社会全体を思いやって正しく用いることのできる豊かな心の持ち主とそうでない人とがいるということだと思います。
 このことを先の例と結んで車を登場させてお話しますと次のように言えるのではないでしょうか。
 命を助けるために血液輸送に使われる車もあり、盗んだ品物を運ぶために使われる車もあります。車自体に善悪があるのではなく、使う人間の心によって善にも悪にも使われるということです。
 車やコンピュータやソフトがいかに発達しようと、その活用の仕方は人間にかかっている・・・この先、時代がどれだけ進んでも、一番基本となるのは人の心の在り方だということを上の例は示していると思います。

 こうした例をみると、ユネスコ憲章の初めにある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから,人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない。」という有名な言葉が真実味を伴って思い起こされます。

  これは、マザー・テレサも語っていることですが、世界には食料が不足している地域があるけれど、地球の食料の絶対的な量が不足しているわけではないとのことです。聖書に記されている次のことを実践する人が増えたら、どんなにこの世界は光に満ちたものになることでしょう。
 食料のことだけではなく、日常生活における思いやりもそうです。科学技術の発達も次の聖書の言葉を一人一人が実践するとき、最も良い実を結ぶことになるでしょう。

    聖書の言葉
  『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
 また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』

                               ルカによる福音書10:27

※ NO.10をもって「聖書とコンピュータシリーズ」をひとまず終わらせていただきます。2000年ころに書いた文章をベースにしましたので、内容的には「何をいまさら・・・」と感じられた方もおられると思います。私自身は、このシリーズを校正しながら、コンピュータに代表される賞味期限の短い世界と、時代、国を越えて不変であり続ける聖書との接点を改めて体感いたしました今後も単発的にこのテーマで書いた文書が登場することがあると思いますが、まずは「聖書とコンピュータシリーズ」をお読みいただき、ありがとうございました。m(__)m
                           

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2006年10月 6日 (金)

電子メールを越えるもの   

聖書とコンピュータシリーズ NO.9

 電子メール・・・E-mail(イーメール)の普及ぶりには目を見張るものがあります。
 E-mailのアドレスを取得することは、自分専用の私書箱を設けるようなもので、都合のいいときにパソコンにスイッチを入れて、その私書箱を見に行けばいいのです。
 下に書くようにたいへん便利なので電子メールに対して従来の郵便のことを「原始メール」などと茶化す言い方があるほどです。もちろん、手書きのたよりには得難い味があり、絵手紙などの人気も高まっていますので、今後も郵便による手紙、葉書がE_-mailによって消滅させられることはありません。このあたり、ワープロが普及するとともに書道の人気が高まったこととほぼ同じ関係があるのではないでしょうか。

【電子メールの便利なところ】
①宛名を書いて、切手を貼って、ポストに入れて・・・という作業の手間 が省けます。 

②速達にしなくてもすべて超特急の速達です。

③外国に送るとき、時差を考えなくても相手に迷惑をかける心配があ りません。

④ファイルを添付する方法を覚えれば、長い文章も、写真も、音楽も、素早く相手に届けることができます。受信した相手がそれを加工することもできます。

⑤パスワード(暗証番号のようなもの)によってプライバシーが守れます。
 
およそこのような利点があるので、インターネットに接続できるように環境を整備した人は、最初の内はいろいろなホームページを見に行くこと・・・ネットサーフィン・・・を楽しみますが、その内に主な用途はE-mailのやりとりに落ち着く場合が多いようです。ただし、昔から筆無精だった人は「E-mail無精」になりやすい傾向があることは、やはり否定できないように思いますけれど。

  でも、こんな便利なE-mailを越えるものがあります。それは、神様への祈りです。祈りにはパソコンも、それを使う技術も不要です。停電を心配することも、混雑の時間帯を避けることもありません。人間的な思いのすべてが聞き届けられる訳ではありませんが、神様の御心にかなう形で、神様の定められたときに必ず応答があります。
 あるクリスチャンは3人の友人のために祈り続け、聞き届けられてどの友人もクリスチャンになったそうですが、3人目の友人がクリスチャンになったのは、その人が祈り初めてから数十年後だったとのことです。
  自分の祈りが思い通りに聞かれないと言って怒ったり、失望したりするのは、神様を自分の召使いのように思っている人・・・自分がランプを持ったアラジンで、神様を魔法のランプの精のように思っている人です。人間が神様に従うのであって、神様を従わせるのではない・・・そのことを忘れないでいたいものです。

    聖書の言葉
  いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。         第一テサロニケ 5:16~18

 

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2006年10月 5日 (木)

神様のプログラム

聖書とコンピュータシリーズ NO.8

 ロボットといえば、漫画の世界ですが手塚治虫さんの生み出した鉄腕アトムが有名です。空を飛ぶことができ、強く、優しく、成長していきます。

 アトムのように親しみやすい形はしていませんが、最近では定型の作業、精密な作業を正確に果たす優秀な産業ロボットも多く開発され、活躍しています。
 家庭向けのロボットとしては1999年に、犬型のロボットが発売され、人気を呼んでいます。犬型のロボットの他にも、家族の顔や声を認識し、物を運んだり、挨拶をしたり、留守番電話を報告したりできるロボットも出てきているようです。時々、いきなり音楽を鳴らしてダンスを始め、その時間はロボットが自分の意志で楽しんでいるように見えるということです。もちろん、あくまでもそう見えるように人間がプログラムを組んでいる訳で、ロボットには意志決定はできません。2005年の愛知万博では、トランペットなどを演奏するロボットたちによるコンサートが人気を博しました。これも、ロボットが意志をもって動いていたわけではありません。一定の状況で一定の反応をさせることや、あらかじめ用意してあるいくつかのプログラムのどれかを実行するように人間が仕組むことは可能ですが、ロボットに考えさせること、問題の解き方自体を考案させるところまではいっていません。

  自分で考えることのできる「人工知能」の研究はどんどん進むようにみえたのですが、大きな壁にぶつかって止まっています。それは、人間の脳のアイデアを生む仕組みそのものが明らかになっていないのに、人間の脳の働きを再現させることはできないということが分かってきたからです。複雑に脳神経の絡み合った人間の脳の仕組みを明らかにする研究は、まだ入り口に立ったところというのが定説のようです。

 科学が進むに連れて、生物のすばらしい仕組みが次第に明らかになっていますが、その仕組みを人間が作り出すことができるかどうかということは、また別の問題です。遺伝子の組み替えなども、適用、応用であって、創造ではありません。
 蟻(あり)一つとってみても、あの大きさでセンサーと動力と集団社会を営む習性、いろいろな本能を備えたロボットを作ることは、まず不可能ではないでしょうか。
 すばらしい勢いで進んできたコンピュータの開発も、加工の精度が肉眼では見えない、ウイルスの大きさに近い小さなものを扱うところまで来ていて、普通の物理法則が通用しなくなる量子力学の世界の少し手前に達しているのだそうです。技術の改良は今しばらく進むけれど、技術の改革、新天地を開くことは困難なところに間もなく到達する・・・科学技術に詳しい人ほどそれを感じているようです。

 科学が進むにつれて、自然界を構成された神様のプログラムのすばらしさ、人間の及ばなさが明らかになってくるというのが本当のところではないでしょうか。 
    聖書の言葉
  神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと
認められ
・・・               ローマ人への手紙 1:20

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2006年10月 4日 (水)

完璧ではないけれど   

聖書とコンピュータシリーズ NO.7

 しばらく前に有名になったマーフィの法則に、確かこういうのがあったと思います。
「待っている電話は席をはずしたときにかかってくる。」「パンをうっかり落としたとき、そのパンのバターを塗った面が下向きに落ちる確率は、下に敷かれている絨毯(じゅうたん)の価格に正比例する。」・・・ マーフィの法則は、経験から導き出された法則なので、科学的に証明できるかどうかは別にして、笑い、それもたいていは苦笑いとともに受け入れられる法則ですね。    

 上の二つの例をもとに、コンピュータにおけるマーフィの法則を作ることはそんなに難しくないと思います。二つ、三つ、作ってみましょうか。

・一生懸命に作成したデータが保存できなくなる事故は、そのデータがほとんど完成したときに起こる。
・あるデータがバックアップ(予備に保存しておくこと)してある確率は、
そのデータの必要性・重要性に反比例する。
・新製品は、それが出るのを待ちかねて従来の製品を購入した直後に発売される。しかも、それまでの製品よりも安い値段で。

 まだまだ出来そうですが、あまり精神衛生上よろしくないので、やめることにします。

 ところで、ソフトのプログラムのミスや不備のことをバグ(虫)といいます。大切な作業をしたいときほど、このバグは困った方向へ悪さをします。高価なコンピュータが「あれっ」と思うような単純な計算を間違えることが分かってプログラムを修正されたという報道がされたのを覚えておいでの方もおられることでしょう。
 バグが多いソフトは困りものですし、バグはないにこしたことはありません。けれど、それはそれとして下に記すような考え方も出来ないでしょうか。

 コンピュータよりも格段に優秀な人間でも、判断ミスをすることがある。プログラムを作る人間が完璧ではないのだから、まして、その人間の作ったまだ歴史も浅く、発展途上にあるコンピュータが思い通りに動かなくても、何の不思議もないではないか。・・・ちょっと寛大すぎるかも知れませんが、これくらいに構えているほうが、過大に期待して裏切られるよりも人間としての器が大きくなるような気がいたします。

    聖書の言葉
 なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の
中の梁には気がつかないのですか。 兄弟に向かって、『あなたの
目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。 
            
     
   マタイによる福音書  7:3~4   

 ※  有名な山上の垂訓の一部です

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2006年10月 3日 (火)

何を土台に

聖書とコンピュータシリーズ NO.6

 コンピュータを選ぶとき、OS(オペレーションシステム)を何にするかで機種が左右されることがあります。
 ワープロや表計算などのアプリケーションソフト、(応用ソフト)が働けるようにコンピュータをオペレート(管理)するのがOS(オーエス)の役目です。OSは基本ソフトともいわれますが、最近あまり基本ソフトという言葉は使われません。コンピュータ機器のハードに仕えるよりも、むしろ、「私を使いたいのなら、性能としては、これくらいでなくては・・・」と、まるで庶民の家にお輿入れするお姫様のように大きな顔をしたがるからでしょう。でも、働きとしては、やはり基本・・・ラーメンにたとえるなら、塩ラーメン、醤油ラーメンなどの基本の味付けとなるスープにあたるのがOSといってよいでしょう。

 現在、OSの主流は,マイクロソフト社のウィンドウズです。「ウインドウズ95」がヒットし、それ以来独占禁止法にふれるのではないかと問題にされるほどのシェアを誇るようになり、発売の年度に合わせて「ウインドウズ98」、「ME」「XP/2000」、と開発、販売されています。もう少しすると「VISTA」というのが登場するようです。

 デザインの斬新なiMACの発売以来好調だったアップル社のマックOSは、新年や誕生日にはお祝いのメッセージが出るなど、どこか親しみがもてる工夫がされています。
 他に、富士通のFM-TOWNSという機種には専用のTOWNS-OSが使われています。「和製マック」と言われ、一時は教育界に根強い人気がありました。かつては、この機種専門の月刊誌も発売されていたほどです。
 日本純正のOSの関係では、東大の坂村健教授が中心となって開発を進めている「トロン」があります。日本の学校で使われるコンピュータは「トロン」でいこうと一時は決まっていました。外圧でその方針は貫けませんでしたが、その後も開発が進められ、13万字以上の漢字や世界のいろいろな国の文字が扱えるOSとして成長しています。(製品名は「超漢字」です。今は、変わっているかも知れません。)「トロン」は正式にはプロジェクトの名前で、志の高い計画です。携帯電話、そしてカーナビに活路を切り開き、(私としては不満なのですが)、マイクロソフトと業務提携したようです。
 最近、人気が高まっているのはLINUXというOSです。トロンと同じくオープンソースといって、ちょうど料理のレシピのようにプログラムの構造などが公表され、力量のある人ならば自分で開発したり、ユーザーが協力したりして進化させていけるOSです。これはUNIXという学術関係者や技術者が使っているOSの流れを汲んでいるようです。
  ちょっとマニアックな文章になってしまいましたがお許しください。

 結局、どんなOSを土台に据えるかはどんなパソコンライフを目指すかということと密接不可分の面があるように思います。さて、あなたは人生の土台として何を据えていますか。それによって、建て上げられる人生・・・毎日の生活や言動、歩む方向、目指すゴールが変わってきます。
    聖書の言葉
 わたし(イエス・キリスト)のもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょ う。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから 家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
       ルカによる福音書 6:47~48      

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2006年10月 2日 (月)

限りなきバージョンアップ   

聖書とコンピュータシリーズ NO.5

 コンピュータは、ハード面、ソフト面にわたって日進月歩の成長をしています。あまりに速いその成長ぶりを秒進分歩という人もいるほどです。

 ハードでは、エンジンであるCPUの速度が非常に速くなりましたし、作業机にたとえられるメモリ、書庫にあたるハードディスクの容量も巨大になり、しかも安くなってきました。以前からコンピュータを使っている人が嘆くほどです。

  ソフトでは、OS(オペレーションシステム)と呼ばれる基本ソフトを初め、定評のあるソフトがバージョンアップを続けています。
 定評があれば変わらなくてもよさそうなものですが、定評があるソフトほど使用者が多いために改善要求も多く寄せられます。メーカーも一度購入してもらった人から二度と収入が期待できないのは困りますし、開発に見合う見返りも得られるので、日夜バージョンアップに向かって努力する宿命を背負うことになるのです。

  これに競争相手とのシェアの奪い合いという要素がからんでくると、使用者の要求の有無に関わらずバージョンアップが続くことになります。改善されて価格が下がるなど使用者にとってありがたい面もあるわけですけれど、際限なくバージョンアップが続くということは、未完成、不完全の証明ということにも思えます。

 人間の成長ということであれば、たとえば、映画「第三の男」などで有名なオーソンウェルズが「あなたの会心作は?」という問いに対して、いつも「The next one.」(次に作るやつさ。)と答えていたなどと聞くと、飽くなき追求心を感じて、立派に思えます。 けれど、終着駅の見えないバージョンアップは、出費もかさみますし、そうかといって無視すると何か落ち着けないという具合で、よいことばかりとはいえません。

  さて、これ以上のものはない、最高のものが手に入ると確信したとき人はどうするかについて、またバージョンアップする必要のない永遠の真理について、聖書には次のように記されています。
    聖書の言葉
    天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
   すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
 

マタイによる福音書 13:45~46 
 
  草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
                       イザヤ書  40:8

  聖書は決して読みやすいところばかりではありませんが、時代を超えてベストセラーであり続ける聖書を、ぜひ、あなたもお読みになってください。
※ 翻訳にはバリエーションがありますが、原語の聖書は不変のまま引き継がれています。

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2006年10月 1日 (日)

トラブルは前進の糧

聖書とコンピュータシリーズ NO.4

 順調に働いてくれるときは便利なコンピュータですが、人間が操作の仕方を身に付けるまでは、知らぬ顔をしてただそこにあるだけという物体にすぎません。
 強力な味方のつもりで買ったのに、必死の働きかけをしても知らぬ顔どころか、意味の分からないメッセージで答えたり、一つの壁を乗り越えてもすぐに新たな壁が立ちはだかったりして、何だか敵にさえ思えてくることもあります。

「コンピュータ ソフトなければ ただの箱」という名言( ? ! )がありますが、「コンピュータ 使えなければ 癪(しゃく)の種」とも言えるように思います。
 何しろ、高いお金がかかっており、買うときには相当の決意をして買うのですから、家族の手前もありますし、簡単にあきらめる訳にはいきません。けれど、途方に暮れながら時間ばかりが過ぎていくと悲壮感さえ漂ってきます。

 そうした苦労に見合う見返りが予感できればいいのですが、いつ抜けられるか分からないトンネルの中を手探りで進むような状態は、つらいものです。

 余談ですがコンピュータ技術を駆使して生計を立てている人も、ある本でこんな意味のことを書いています。
 「コンピュータが本当に高速で仕事をしてくれる便利なものだというのなら、どうしてコンピュータ関連の仕事をしている人間たちがあんなに時間に追われているんだい?」
 コンピュータがいろいろな難題を解決してくれる魔法の箱ではないことを示してくれる言葉ですね。

 鉛筆やボールペンのように、手に入れてすぐ使えないのは、コンピュータがたくさんのことができ、今もできることが増え続けている発展途上の機械だということでもあります。
 けれど、ある知人がこんなことを言って励ましてくれました。
「何かトラブルが起こったときに、よく取り組まないでハードディスクを初期化したり、再インストールで現象を消してしまってはノウハウが貯まりません。トラブル1件1件が実力アップのチャンスです。」

 トラブルを楽しむところまでは、なかなかいけそうにありませんが、前進のための糧(糧)として生かしていこうではありませんか。落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりする必要はありません。なにしろ相手はまだ未熟な機械なのですから。

    聖書の言葉
   患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し,

練られた品性が希望を生み出す。  ローマ人への手紙 5:3~4

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