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2006年10月28日 (土)

みんなを すきに

わたしは すきに なりたいな、

なんでも かんでも みいんな。

ねぎも、トマトも、おさかなも、

のこらず すきに なりたいな。

うちの おかずはみいんな、

かあさまが おつくりなったもの。

わたしは すきに なりたいな、

だれでも かれでも みいんな

おいしゃさんでも、からすでも、

のこらず すきに なりたいな。

せかいの ものは みィんな

かみさまが おつくりなったもの

  出されたものを食べている相手の様子を見たり、会話をしたりしながら、相手の苦手なものをあてるテレビ番組があります。出演者は自分がどんな食べ物が苦手なのかを相手にさとられまいと苦労の演技をするのです。食べ物に関しては、私には好き嫌いはありません。自信があります。ということは、私にはこのテレビ番組に出演する資格がないということです。もちろん、どう転んでも私にはお呼びはかかりませんけれど。

 けれど、人に関しては、「だれでも かれでも みいんな」好き、というわけにはいきません。金子みすゞさんもそうだったのです。「わたしは すきに なりたいな だれでも かれでも みいんな」とあるからです。

 うまがあうとか、あわぬとかいうことはあるでしょうが、苦手な人物との接触は避けたいのが人情です。けれども、「イエス・キリストは彼のためにも死なれた」・・・この世の人は、みな、イエス・キリストがその人のために命を投げ出して身代わりとなって死んでくださったほどの人なのです。

 世界のどの人をも好きになるというのは人間にはできないことでしょう。けれども聖書には、つぎのようにあります。

イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

  ルカによる福音書 18章27節

 そして、今日の詩と呼応するようにも思えるのですが、聖書の最初にはつぎのことばが書かれています。

初めに、神が天と地を創造した。

     創世記 第1章1節

 人が、神様をつくったのではなく、神様が私たちをつくってくださったのです。このことへの理解が逆転しているところから多くの悲しい出来事が歴史の最初から繰り返し起こっているのです。

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