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2006年11月29日 (水)

靴屋のマルチン

 『靴屋のマルチン』は、トルストイが書いた「愛あるところ神あり」という副題のついている小品です。あらすじを紹介させていただこうと思いましたら、ラジオ牧師山下正雄先生のホームページの2002年12月15日のところにメッセージ付きで掲載されていましたので、それを活用させていただくことにしました。

  おはようございます。山下正雄です。
 ロシアの文豪トルストイの作品に『靴屋のマルチン』というお話があります。

 靴屋のマルチンは妻や子供に先立たれ、そんな辛い出来事の中で生きる希望も失いかけてしまいます。周りの人との関わりもだんだん疎ましく感じられ、ただ惰性で続ける仕事に支えられて毎日を送っています。

 ある日、教会の神父さんが傷んだ革の聖書を修理してほしいと、聖書をおいていきます。マルチンは今までの辛い経験から神への不満をもっていましたが、それでも、神父さんが置いていった聖書をちらちらと読みはじめます。
 そんなある日の夜、夢の中に現れたキリストがマルチンにこう言います。

 「マルチン、明日、おまえのところに行くから、窓の外をよく見てご覧。」

 次の日、マルチンは仕事をしながら窓の外の様子に気をとめます。外には寒そうに雪かきをしているおじいさんがいます。マルチンはそのおじいさんを家に迎え入れてお茶をご馳走します。

 それから、今度は赤ちゃんを抱えた貧しいお母さんに目がとまります。マルチンは出て行って、その親子を家に迎え、ショールをあげました。

 まだかまだかと、キリストがおいでになるのを待っていると、おばあさんの籠から一人の少年がリンゴを奪っていくのが見えました。マルチンは少年のためにとりなしをして、いっしょに謝りました。

 そうして、一日が終りましたが、とうとうマルチンが期待していたキリストは現れませんでした。「やっぱり、あれは夢だったのか」とがっかりしているマルチンに、キリストが現れて言いました。

 「マルチン、今日お前のところに行ったのがわかったか」

 そう言い終わると、キリストの姿は雪かきの老人や貧しい親子やリンゴを盗んだ少年の姿に次々と変わりました。

 さて、この話の題材は言うまでもなく、マタイによる福音書25章40節に出てくるイエス.キリストがおっしゃった言葉です。

 「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」

 今、キリスト教会では待降節、つまり、イエス.キリストがおいでになることを覚えながら過ごす季節を迎えています。しかし、それはただ天を見上げて、いつ来るかいつ来るかと、キリストが神々しいお姿でやってくるのをじっと待っているのとは違います。

 かつてイエス.キリストは私たちを救われるために貧しい様で私たちのこの世にまで降りてきてくださいました。この地上で生きる私たち人間に最大の関心を払ってくださったのです。

 やがて世の終わりの時にやってきてくださるイエス.キリストを待ち望むとは、決してこの世の苦しみや悲しみから目をそらせることではありません。今日出会う一人一人に対して、目を見開き、手を差し伸べること、あたかもキリストご自身を迎えるかのようにそれらの人々に接することです。接する人間を通して、私たちの思いはますますキリストへと向かうことができるのです。逆説的ですが、人間への関心を深める時に、キリストへの思いも深まり、整えられていくのです。

  山下先生、ありがとうございました。マタイによる福音書25章をもう少し長く引用させていただきます。 

25:31 人の子(イエス・キリスト)が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
  今年の待降節(アドヴェント)は12月3日から始まります。教会にもよりますが、4本のろうそくのついたアドヴェント・リースをつるして、日曜日ごとに点火するろうそくを一本ずつ増やしていく教会もあります。4本全部がともるときがクリスマスです。お近くのキリスト教会を訪れてくだされば嬉しいです。その教会の牧師さんやクリスチャンたち、そして神様が喜んでくださることでしょう。

聖書のことば
  いつも主に喜ばれる生き方をして、主の評判を高めることができますように。常に他の人々に善意と親切とを示し、神様をますます深く知るに至りますように。
コロサイ人への手紙 1章10節
"We pray this in order that you may live a life worthy of the Lord and may please him in every way : bearing fruit in every good work,growing in the knowledge of God."
Colossians 1:10

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