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2006年11月27日 (月)

大掃除の要らない生き方

 「何が分からないといって、明日、ハウスキーパーが来るから、とあわてて家の中を片付けている家内の気持ちほど分からないものはない。一体、何のためにハウスキーパーを雇ったんだい?」というジョークがあります。でも、本当はこの夫は分かっているのです。ハウスキーパーといってもやはり、他人様、我が家のあまりにもちらかった状態は見せたくないということが。もう一歩進んで言うと、何軒かの家に仕事に行くハウスキーパーが、我が家の状態を他の家でどう話すかが心配な主婦の気持ちも。これは、パーティなどを開く習慣のある外国の話で、日本では多くの家庭では家族で大掃除すれば、他に人手を頼む必要はないというのがほとんどの場合だと思います。

 けれど、私たちの心の状態はどうでしょうか。以前、ご紹介した八木重吉の「ねがい」という詩「どこを 断ち切っても うつくしくあればいいなあ」のように、美しいところばかりとは言えないことを私たちは自覚しています。

 それに比べ、今日の聖書のことばの人物は、何と落ち着いていることでしょう。自分の心は神様にいつ見ていただいても完璧であるという自信があるからでしょうか。いえ、いえ、罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として魂に迎えて日々を歩んでいる人は、もう既にイエス・キリストと毎日を暮らしているのです。ですから、現実にこの世を裁くためにイエス・キリストが来られても、困ることなく、喜んでお迎えすることができるのです。とは言え、イエス様がお生まれになった家畜小屋よりもみすぼらしいのが私の心の現実です・・・・・・神様のはかりしれない大きな愛を心から感謝いたします。

聖書のことば

「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
黙示録 22章20節
"Yes,I am coming soon,Amen,Come,Lord Jesus."
Revelation 22:20

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