« 航空写真 | トップページ | とんち »

2007年1月 8日 (月)

いちかばちか・・・

 「今日は何の日?」というコーナーがくっついて送られてくるソフト会社のメールレターがあるのですが、それによると、今日1月8日は「勝負の日」なのだそうです。その由来は、今日のタイトルのとおり「1か8か」なのだそうです。今日は、大切な親族の一人の誕生日なのに、このような語呂合わせで「品格」を下げない日にしてほしいな、と、「勝負の日」とした人に言いたいです。

  それはそれとして、神様はいるかいないかについて、こんなふうに述べている人がいます。

「もし、ある人が神様はいない、というほうに賭けて、好き放題な放縦な人生を送ったとする。神様がおられた場合には、その人はその裁きに耐えることが出来ず、すべてを失う。」

「いっぽう、神様はおられる、というほうに賭けて、敬虔な生涯を送る人は、神様がおられなかった場合、何か価値あるものを失うだろうか。もっと好き勝手に生きればよかったと後悔するだろうか。」

「以上のように考えると、神様がおられるほうに賭けて生きる方が、どう考えても賢明だと私は思う。」

  こう述べているのは、パスカルの定理で有名なパスカルです。彼自身は、こうした利害の計算を越えて、純粋な信仰をもって歩んだ人でしたが、神様の存在をなかなか受け入れることができない人のために上記のような説明を考えたようです。

 信仰は、説明されて納得する側面もあるでしょうが、感得するというのがより本質に迫っているのではないでしょうか。

 科学と信仰は対立するものではなく、科学を通して神様がこの世を創造された叡智を感得して信仰に到るという道筋をたどる例が少なくないように思います。

聖書のことば ローマ人への手紙 第1章

1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

1:19 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。

1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

1:21 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。

|

« 航空写真 | トップページ | とんち »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いちかばちか・・・:

« 航空写真 | トップページ | とんち »