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2007年1月21日 (日)

生命はあずかりもの

   三浦綾子さんに、実在した榎本保郎牧師さんの生涯を描いた 『ちいろば先生』という本があります。そして、この榎本牧師さん自身の著に「生命を私物化するな」ということばがあります。

 自分の仕事を私物化しなければ収賄問題を起こすこともないでしょうし、自分の子どもを私物化しなければ、児童虐待も起こらないでしょう。自分の立場や地位を私物化できずに自分の家族を真っ先に戦地に送ることになるとしたら、それでもなお戦争開始の文書に押印する人はいるのでしょうか。

  「子どもは授かりもの」ということば間違いではないでしょうけれど、「子どもは預かりもの」と考えたほうがより謙虚にその生命に敬意をはらいながら対することが出来るのではないでしょうか。

   地球という環境にしても、授かりものではなく、未来の子どもたちから借り、ある期間、その管理を委託されているのだと考えたら、もっともっと大切にすることが出来るように思います。

聖書のことば  創世記 第11章

11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。

11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。

11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」

11:5 そのとき【主】(神様)は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。

11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。

11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。

11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

 バベルの塔についての聖書の記述です。人間には多くのことが託されているのですが、預かっているのであって、すべてを授かって神様と同じ位置にあるのでは決してないことを自覚したいと思います。

 自分の生命、そしてすべての生き物の命を私物化することなく、神様に生かされてあることを受けとめ、謙虚に、そして聡明に歩んでまいりましょう。

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