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2007年2月28日 (水)

死海

  「死海というところは、塩分の濃度が高く、泳がなくても体が浮き、したがって浮いたまま読書が出来る」と聞いたことがあります。そして実際にそうしている人の写真を見たこともあります。

  ただし、読書をするためにわざわざ死海まで出かける人はいないでしょうし、私も死海まで行って本を読むよりも、家で読書するほうを選びます。第一、長時間、塩分の濃い水につかって読書していたら、皮膚は、きっとひりひりといたむことでしょう。

 死海では、魚も塩漬けになってしまうので、その中で生きていける生物はいないことからその名がついたわけでしょうね。

  なぜ、そんなに塩分の濃度が濃いのでしょうか。広辞苑には死海について次のように書かれています。

し‐かい【死海】
(Dead Sea)イスラエルとヨルダンとの境にある内陸の塩湖。ヨルダン川が流入。面積約1020平方キロメートル、琵琶湖の約1.5倍。水面は海面下392メートルで、地球上で水面の最も低い所。最大深度410メートル。塩度が非常に高い。聖書に関係した史跡が多い

 つまり、地球上で最も低いくぼみなので、一度流れ込んだ水は、どこへも流れていきようがなく、蒸発するしかありません。そういう状況だと岩塩などもある地域なので、濃縮されて塩分濃度は高まる一方だということになり、生物が生きられない死の世界が形成されたわけです。

 私たちの魂の状態をかえりみたとき、霊的な死海がそこに展開することがありませんように。・・・「癌(がん)」という漢字は「品物が山のように積まれて病んでいると見ることができる」と言った人がいます。

聖書のことば  使徒による働き 第20章35節

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

 イエス・キリストは、命までも与え尽くされた方でした。

  マザー・テレサの要請に応えて膨大な資金・物資が寄せられたのも、彼女が私利私欲で行動しているのでなく、愛の人であることが広く世の人に知られていたからです。

  たとえ、世の中を動かす地位、権力を手に入れたとしても、それを用いる魂が貧弱であったとしたら、その害は図り知れません。

祈り

  神様に感謝し、私たち一人一人に与えられている賜物を・・・それは必ずしも物質やお金ではなく、優しい言動、まなざしかもしれません・・・その賜物を惜しみなく生かして今日という日を歩むことができますように。

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2007年2月27日 (火)

山下泰裕柔道八段

 1984年のロサンゼルスオリンピックで、柔道の無差別級の金メダリスト山下さんは、203連勝して現役生活を退いた後、若手の育成に携わってこられました。

 ある日のラジオで、その山下さんにアナウンサーが次のように問い掛けました。「ご自分がすばらしい選手でしたから、若手の選手を育てるときに、こんなこともできないのか、と歯がゆさを感じることはありませんか?」・・・あまり感心した質問ではないな、と思ったのですが、山下さんの答えには感動しました。「そういうことは、ありません。こんな簡単なこともできるように教えられない自分なのかと反省することは、あります。」

 めげずにアナウンサーは、さらに尋ねました。「でも、この選手にこのわざを習得させるのは無理だな、と思われることはあるでしょう?」・・・これまた、何を言わせたいのかと思うような質問ですが、山下さんの答えはこうでした。「無理だなと思うことはありません。けれど、時間がかかるだろうな、と思うことはあります。」

 私はこのインタビューを聞いて山下八段という人が好きになりましたから、そのときのアナウンサーがそうなることを意図して質問していたのなら、これはすばらしいインタビュー者ということになりますが、さて、どうでしょうか。

聖書のことば  コリント人への手紙 第一 第1章 31節

「誇る者は主(神様)を誇れ」

  勝利の栄光を自分一人だけのものにしない人こそ、本当の勝者ではないでしょうか。一流の野球選手の中には、身銭を切って年間の観客席を確保してフアンを招待したり、シーズンが終わったときには裏方さんをねぎらって感謝の意を表したりする人がいます。

 私たちも、そうした心をもつ存在へと神様に成長させていただけたら世の中がどんなにかうるおいのある輝くところとなることでしょう。神様の祝福が満ちあふれますように。

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2007年2月26日 (月)

お年寄りに学ぶ その2

 あるおばあさんは、おやつを手にすると自分の肩越しにおやつをゆかに落としてしまわれるのだそうです。

 介助する人が「○○さん、どうしたの?」と尋ねると、とってもいい笑顔で「うちのお宝坊ややがね。」と答えられたそうです。

 その話を聞いた介護士さんたちは、みな、あたたかい思いに包まれたそうです。

 少しだけ説明させていただくと、そのおばあさんは背中にお子さんかお孫さんを背負ってお守りしていたことを覚えていて、その幼な子におやつを肩越しに渡していた記憶に基づいてする行為が、人には肩越しに床にお菓子を落としているとしか見えなかったということなのです。

 記憶を徐々になくしていかれる方・・・けれど、一番幸せだったときの記憶はしっかりと残るのだそうです。すてきな話ですね。

聖書のことば  詩篇 1003篇 第2節

 わがたましいよ。【主】(神様)をほめたたえよ。 / 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

 私たちはともすると、よくしてくださったことをあたりまえのこととして感謝することも忘れてしまい、その反対に自分の思うようにならなかったときのことばかりをしっかりと覚えて不満をつのらせているということはないでしょうか。

 神様のよくしてくださったことを記憶に留め、今日という日を感謝の内に歩むことができますように。

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2007年2月25日 (日)

お年寄りに学ぶ

  特別養護老人ホームに勤めていた人から耳にしたお話しです。もちろん、プライバシーにふれない形で記させていただきます。

 水仕事をしているときにナースコールが鳴って駆けつけ、着替えをお手伝いしていて、つい、手がふれてしまったとき

「あれ、かわいそうに、冷たいとこで仕事しとったんやね。」といってくださるお年寄りがおられたそうです。感激したと、その介護士は話してくださいました。

 「冷たい手でさわらんといて」と私なら怒ってしまいそうなのに、相手をいたわる言葉がとっさに出るとは、いったいそのお年寄りはどういう生き方をなさってきたのでしょう。

 とっさの一言にその人の生き方が出る・・・そのことを思いながら、そのお年寄りに頭がさがりました。

聖書のことば  箴言  第16章31節

  白髪は何よりもすばらしい冠です。 神様を恐れる人にそれが目立ちます。

 還暦を迎えた私・・・まだまだ若いつもりですが、しばらく前の歌には♪「村の渡しのお船頭さんは 今年六十のおじいさん」とあります。ふけ急ぐつもりはありませんが、美しく老いたいと思います。そういえば、「人は、四十をすぎたら自分の顔に責任がある。」 といったのはリンカーンでしたっけ・・・うーむ、まだまだ責任を果たせていない私です。

  2月最後の日曜日、今日も神様の祝福を感ずる謙虚な心が与えられますように。 日曜日には、キリスト教会へどうぞ。

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2007年2月24日 (土)

プリンとするめ

  昔の人のあごに比べて、現代人のあごは、漫画の主人公もそうですが、ずいぶん細くなってしまっています。「鉄腕アトム」に出てくるゲタ警部のような(といってもあまり通じないでしょうか)四角張った見事なあごには、なかなか出会えません。

 現代人が一食の間に噛む回数は、500~600回が平均だそうです。どう調べるのか分かりませんけれど、卑弥呼の時代の人は一食平均3600回ほど噛んでいたのだそうです。食材が固かったということもあるのでしょうけれど、ずいぶん違いますね。

 プリンのほうがほとんど噛む必要もなくやわらかいわけですが、頭脳の発達や消化には、するめのように固いものをしっかりと噛むのがいいのだそうです。これと同じようなことが、本を読む場合にも、ありそうです。

 読み応えのある本を読む人とそうでない場合とでは成果が異なってくることは容易に予想がつきますよね。刻苦精励するか怠惰な生活を送るかは選べますが、その結果までは選ぶことはできません。水を飲むか、毒を飲むかは選べますが、それによってもたらされる結果は、選んだものによって必然的にもたらされるのです。

聖書のことば マタイによる福音書 第6章

  だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

 人生の真理を見いだしたいと思う方は、神様を知ることに勤勉であることが大切です。そして、このこと以上に大切なことは、人生にそう多くはないことがキリスト教会に足を運んでいただけるとお分かりいただけるのではないかと思います。 神様があなたに呼びかけ、導いてくださいますように。

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2007年2月23日 (金)

「みる」ということ

 仕事の先輩に「みる」という漢字はいろいろあるけれど、「本質をみること」「全体をみること」「先をみること」を大事にしなさいと教えられたことがあります。

  しばらく前の新聞に年配の女性の投稿記事が載ったことがあります。およそ、次の内容でした。

 「私が小学生のときに、わんぱく坊主として名を馳せていた子が私にいきなりばけつで水を浴びせたことがありました。先生にきつく叱られ、級友たちから、何でそんなことをしたんだと詰め寄られたのに、その子は一言の言い訳も釈明もしなかったのです。私はそのとき、何も言えなかったのですが、何十年も経った今、勇気を持って書こうと思えるようになりました。実は、私はそのときおもらしをしたのです。すぐ近くの席にいて気がついたその子は、水を汲んできてとっさに私の衣服をびしょびしょにすることで、私の窮状を救ってくれたのでした。本当におそまきですけれど、心からその子におわびし、そして心からお礼申します。」

  読んで、私は、わんぱく坊主と言われていた子のとっさの行動と級友をかばい続けた人間としての器量の大きさ、そして何十年か経っているとはいえ、新聞に投稿して真実を明らかにした方の勇気に心をうたれました。

 

 そして、その昔の出来事が起きたとき、周囲の人にはみえなかったことが、みえるようになったこと・・・目を開かれることの大切さをも改めて思ったのです。

聖書のことば マタイによる福音書  第6章

6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 何十年か前にわんぱく坊主だったかたも、真実を投稿したかたも、見返りを求めておられないということは明らかだと思います。でも、神様はみていてくださる・・・そう聖書に書かれていることはなんと大きな慰めでしょうか。

 今日の一日、人にあらわさないで、真心をこめた行いができますように。

 

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2007年2月22日 (木)

三つの歌

 日本の教育の歩みを三つの歌で表すと・・・という話、お聞きになったことがおありの方もあると思います。

 戦前・・・♪「すずめの学校」 ・・・先生はムチをふりふり・・・黒板をさすのに教鞭と呼ばれる棒を使ったのであって、必ずしも体罰に用いたのではないようですけれど。

 戦後・・・♪「メダカの学校」・・・だれが生徒か先生か・・・開かれすぎた雰囲気のもと、規律が弱まったとか・・・

 現在・・・♪「チューリップ」・・・ならんだ ならんだ 赤白黄色 どの花みてもきれいだな・・・個性重視の教育

 これから先・・・♪「チューリップ」の延長線にあるように思われますが、スマップの♪「世界に一つだけの花」でしょうか。

  国際的な学力テストでは、フィンランドの子どもたちがとても良い成績を収めているのですね。それも1.高得点を挙げている・しかも、子どもたちの学力差が小さい 2.親の経済力による子どもの学力差が小さい 3.男女の学力差が小さい という三つの面で世界一なのだそうです。それを支えている要因の一つに、公共の図書館の数が多く、その内容もたいへん充実していることが挙げられるそうです。

 経済的に落ち込んだときに、日本でいうと「米百俵の精神」を語るだけでなく実行したのだそうで、教育が充実するにつれて経済も復興してきたのだそうです。教育を先細りさせると、子どもも大人もしぼんでしまう、子どものために大人が力を入れると、そのことが大人自身にも大きなエネルギーをもたらす・・・それを見事に表しているのがフィンランドだと言えそうです。

聖書のことば ヨハネによる福音書 第12章24節

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

  国連で提唱され、日本、そして多くの国が批准している児童の権利条約の根幹の精神は、「すべての大人は、子どもに最善のものを贈る義務を負う」ということばで表されています。

 私たちは、子どものための一粒の麦たり得るでしょうか。・・・そう願いつつ、到らないまでも力を尽くしたいと思います。

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2007年2月21日 (水)

2月の異名

 おお、2月もあと少し・・・と思ったら、どうして2月を如月(きさらぎ)というのかを知りたくなってインターネットのお世話になりました。※今日は、手抜きというか、小休止というか、オリジナルな内容ではありませんので、特に2月の異名に関心のない方は、ここまでで、読むのをおやめください。でも、明日は自分で書きますので、ぜひ、訪れてくださいね。2月には、如月のほかに「はつはなつき」(初花月)、「ゆききえつき」(雪消月)、「をぐさおひつき」(小草生月)という異名があることが分かりました。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2月(にがつ)はグレゴリオ暦の第2のに当たり、通常は28日、閏年では29日となる。これまでに3回、2月30日があった。他の月の日数が30または31日なのに対して、2月だけ28または29日なのは、アウグストゥス紀元前8年、8月の日数を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたためである。それ以前のローマ暦では、年初は3月であったため、単に年末の2月から日数を差し引いたらしい。

 日本では旧暦2月如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。

  • 旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
  • 草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
  • 前年の旧暦八月にが来て、更にが来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
  • 陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」

他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、の花が咲く時期である。

欧米での呼び名であるFebruaryローマ神話フェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。

 以上は、http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%88

からの情報です。今、宮城谷昌光さんの『三国志』第5巻を読んでいて興がのってきたので、このようなことで、お許しください。

  それでは、また。

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2007年2月20日 (火)

漢字の世界

 宮城谷昌光さんや白川静博士の域までには遠く及びませんが、漢字の世界のおもしろさに、ときどき惹かれる私です。久しぶりに熟字訓のことを・・・。かなり前に取り上げたのと同じ材料があるかもしれませんが、忘却力の強まっている筆者に免じてお許しを。

 次の漢字をお読みください。(おいそがしいのに、突然申し訳ありません。)

「土筆」・・・春が近づくと土手などに顔を出す植物

「剣橋」・・・カタカナことばを使うなと言われた時代に外国の都市を漢字 で表記したなごりの一つ・これは名作といってよいでしょう。ヒント・・・イギリスの都市で、大学もあります。

「雪洞」・・・かまくら、と読んだ方は、いいセンスをしていらっしゃいます。

でも、あと一歩です。もうすぐやってくるひなまつりの歌に出てきます。

「鯑」・・・さかなへんの漢字は多いですね。実は、最近、ある小学生に出題され、読めるようになりました。

「鱧」・・・こちらのほうが目にする頻度は多いかも知れませんね。

解答は、「続き」に掲載させていただきます。

続きを読む "漢字の世界"

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2007年2月19日 (月)

天地の日

  2月19日は「天地の日」なのだそうです。由来は「1473年、ポーランドの天文学者で地動説を唱えたコペルニクスが誕生したことから、天文愛好家などが制定しました。」ということだそうです。

 もういっぽうの天動説は、はるか以前、2世紀にギリシャのプトレマイオスという人が集大成した説で、厳密には、地球は宇宙の中心にあるとする「地球中心説」なのだそうです。

 「地動説の日」とせずに「天地の日」としたのは、なかなか含蓄がありますね。

聖書のことば  箴言 第19章21節

人の心には多くの計画がある、しかしただ主(神様)の、み旨だけが堅く立つ。

 人間の目には実感として「朝日が昇り、夕日が沈む」ように見えます。それは、客観的事実詩的真実のちがい、といえるかも知れません。

 神様の摂理は、そうしたものを超えているように思います。大切なのは、神様が私たち一人一人を愛してくださっていること・・・そのことをイエス・キリストを通して受け入れることができるようになることだと思います。 神様が今日をよき日としてくださいますように。

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2007年2月18日 (日)

宮城谷昌光(その2)

 広大な中国の歴史、膨大な中国の人々、たくさんの漢字・漢語の世界へ宮城谷さんをいざなったのは、「衛」という漢字だったそうです。

 「衛」という文字は、「近衛兵」とか百人一首に出てくる「衛士」(えじ)などの熟語から察するに、身分の高い人を護衛するという意味があるようです。

 「衛」の古い字体は、紫宸殿というのでしょうか、身分の高い人が起居する建物の周囲を護衛のために巡回する武人がどちら周りで回っていたかまで明確に示しているそうです。漢字一字にしてもそんなことがこめられているのか・・・と感動したことが宮城谷さんを中国の歴史に登場する人物を描かせたら随一という作家にならしめたのです。

 ある著書の後書きに書かれていた作者ご自身の文章に基づいて、上記のように書かせていただきました。理解不足のところがありましたらお許しください。

 ところで、衛士はどちら周りに回っていたのかって・・・武士が刀を腰に下げていて建物の周りを巡回するとき、どちらまわりに回ると曲者に出会ったとき刀を抜きやすいでしょうか。 私は、剣道七段の方に、尋ねてみました。すると古い字体の「衛」に描かれている方向と一致したのです。とここまで書いて、結論は読んでくださっているあなたにおゆだねいたします。それでは、また。

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2007年2月17日 (土)

宮城谷昌光(その1)

  愛知県蒲郡市に生まれたこの作家の作品は、いったい幾夜、私を睡眠不足に追い込んでいることでしょう。

 『天空の舟』・『太公望』・『晏子』・『子産』・『管仲』・『奇貨居くべし』・『青雲はるかに』などなど。

 今は、『三国志』、そして徳川家康の祖父の時代から書き起こして今川家、織田家などとの動きをからめながら描かれている『風は山河より』が執筆と刊行の進行中です。

 物語の展開がおもしろいこともさることながら、私の場合、ほとんどの書の中に惹きつけられてしまう表現がどこかにあるのです。

 例を挙げると「正しいことが必ず力をもつ。これを文化という。」とか「人に問うから分からなくなる。まず自分に問え。」とか・・・記憶にあることばなので、必ずしも正確な引用ではないことをお断りしなければなりませんけれど・・・。

  この方が、中国の歴史、人物の世界に入り込むことになったきっかけは、ある漢字の成り立ちを知ったことだったそうです。明日は、それをご紹介させていただきますね。

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2007年2月16日 (金)

雪は天からの手紙

 春一番も吹く気圧配置のためでしょうか、久しぶりに岐阜でも雪が舞いました。

 「雪は天からの手紙である。」と書いたのは、中谷宇吉郎博士でした。「雪の結晶は六角形だそうですね。」という人がいると、「そうです、ほらご覧ください。」と肉眼でも雪の六角形が見えることを教えてあげることもよくあったようです。

 また、立春に卵が立つ・・・という話が広まったときには、中谷博士は科学的にその真偽のほどを確かめ、分かりやすくそれについて書き表されました。

 博士は自然界のいろいろなことを科学の目から探求し、中学校の国語の教科書には中谷博士の書かれた「ラスコー洞窟の壁画」という文章が掲載されていたこともあります。

 卵の立つ話には、コロンブスのようにしなくても理論的には立春かどうかに関係なく、注意深く挑戦すれば卵は立つことが書かれています。

 お時間のある方は、卵を立てることに取り組んでみてください。

聖書のことば  コロサイ人への手紙 第2章

2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

 自然界の仕組みを例に挙げても、私たちにはその仕組みを明らかにしつくすことは至難の業ですし、いろいろな法則、真理を明らかにすることはもっと困難でしょう。あのニュートンも、「私は真理の大海に入ることもできず、その砂浜で貝殻をいくつか拾っている子どものようなものだ。」という意味のことを述べています。

 にもかかわらず、いえ、それだからこそ、大いにいろいろなことを日々、学びたいと思います。

 その中でも大事なことは何でしょうか・・・聖書には「主(神様)をおそれること(敬愛すること)は知恵のはじめである」とのことばがあります。

 お近くにキリスト教会があれば、ぜひ足を運んでみてください。

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2007年2月15日 (木)

春一番

 2月15日は、「春一番名附けの日」なのだそうです。・・・
  初めて「春一番」という言葉が使われるようになったことを記念した日です。春を招くように吹く暖かい南からの強風で、気象庁が毎年発表してきました。・・・とあるのですが、いったい何年からなのかは、そのメールニュースには書いてありませんでした。

 強風だそうですから、油断しないですごしましょうね。とくに洗濯物などが遠くに飛ぶことがありませんように。

 昨日、私の書いた「セント・バレンタイン・(チョコレート)・シンドローム」というのは、実際にあるのだそうです。もっとも、チョコレートがどれだけいただけるかどうかを考えることによる心の動揺、不安定さというのではなく、チョコレートを食べ過ぎてなるアレルギーのことを言うようで、これは、私には縁がない方面のことのようです。

聖書のことば コリント人への手紙 第一  第13章13節

  いつまでも残るものが三つあります。 信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれたものは愛です。 

  春一番にちなんで「一番」という言葉の出てくる聖書のことばをご紹介いたしました。

 2月も、もう半ばとなりました。一日、一日を味わいながら歩んでまいりましょう。 神様の祝福を豊かにいただいていることを感じ取って感謝を捧げることができる日となりますように。

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2007年2月14日 (水)

チョコレート

  バレンタインデーには女性から愛の告白が出来る・・・というのは、日本独自の習慣。アメリカから来た宣教師夫人が「えーっ、なんでそうなるの?」と驚いていました。

 それはともかく、バレンタインデーの時期のチョコレートの売り上げは、一年間の総量の1/3から1/2を占めると聞いたこともあります。

 これがメーカーの作戦だとしたら、とても見事な成果、いえ、「製菓」と書いたほうがいいでしょうか。

聖書のことば 箴言 第17章1節

  一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 

 分かりやすく意訳したリビングバイブルでは同じ箇所がこのように書かれています。

  けんかしながら毎日ビフテキをぱくつくより、冷や飯を仲よく食べるほうがましです。

 名訳ですね。といいながら、私は、欲張りで、食べることが大好きですから、ビフテキをぱくついて仲がよければ一番いい、などと思ってしまいます。

  えっ、いきなりビフテキにいってしまって、チョコレートからの飛躍が大きい、とおっしゃいますか。そうかもしれません。チョコレートをもらえなくてもいいと思ってはいても、なぜか、この時期不安定になる現象に陥っているのかもしれませぬ。

  題して「セントバレンタイン・チョコレート・シンドローム」・・・いえ、本当にそういう言葉や症状があるわけではありません。あくまでも、このブログを書きながら思いついた造語です。お騒がせいたしました。

  今日の飲み物はココアといたします・・・うーむ、やっぱり、とらわれているような。 それでは、また。 よき日となりますように。

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2007年2月13日 (火)

マヘリア・ジャクソン

 マヘリア・ジャクソンは「ゴスペルの女王」と呼ばれた黒人歌手です。ブルースを歌うことを進められたときに、「ブルースは歌わない。それは絶望の歌だから。私は希望の歌であるゴスペルを歌い続けます。」と、はっきりといったそうです。

 彼女は1971年4月に一度来日し、翌年1月に天に召されました。60歳だったそうです。ゴスペルはコーラスで歌われることが多いのですが、マヘリア・ジャクソンの場合はもっぱらソロで歌いました。バックコーラスがつくことはありますけれど。

  聞きかじりですが、黒人霊歌は黒人が奴隷として扱われた時代に集団で歌われた歌で、ゴスペルは奴隷解放後の黒人が黒人の教会の中で歌うようになった福音の歌をさすのだそうです。

 魂の底から神様を誉め称える思いを越えて歌い上げられる名唱ばかりですが、私は♪「一羽の雀に」、♪「夕べの祈り」、♪「主の祈り」などが特に好きです。

 もし、CDなどを購入される方は、あの不祥事を起こす○○○○・ジャクソンでなく、「ゴスペルの女王であるマヘリア・ジャクソン」のCDであることをご確認ください。生き方も、歌の格も全然ことなるのですから。

聖書のことば イザヤ書 第42章 10節

  神様に新しい歌をうたいなさい。 地の果てに住む人たちは、こぞって神様をたたえる歌をうたいなさい。 海も、海の向こうの遠い国々に住む人たちも、こぞって歌いなさい。

 新しい歌とは、神様によって希望を抱いて生きる人へと変えられた新しい人によって歌われる歌です。かりにそれまでと同じ歌であっても、まったく新しい歌として歌う人自身もその恵みを受ける讃美・・・今日の一日の生き方を通して、そうした希望の歌を歌うことができますように。

 

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2007年2月12日 (月)

「ペニシリンの日」

 2月12日は「ペニシリンの日」なのだそうです。 
  1941(昭和16)年、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界初のペニシリンの臨床実験に成功したことに由来しています。

 多くの人の命を救ったペニシリンは、青カビがきんの培養中に生えてしまって、本来ならば、「ああ、培養に失敗してしまった。」で終わるところだったのを、「おや、青カビの周囲だけ、菌が増えていないぞ。」と気がついた人・・・たしかフレミングという人でしたね・・・によって、殺菌作用があることがつきとめられて、開発されたのでした。

 「失敗は成功のもと」と言われます。けれど、人類は多くの戦争を経験しながら、まだその失敗に学んで恒久平和をもたらすことができていないのです。核兵器を多くの国がもつようになっている現在、これ以上の失敗は人類の歴史に終止符を打つことにつながりかねません。戦争にこそ終止符を打ちたいのに・・・。

 そうした世界にあって、日本の憲法こそ、世界の恒久平和へのみちしるべとして輝くはずのものですのに・・・雲行きが怪しくなってきていると感ずるのは私だけではないはずです。

聖書のことば マタイによる福音書 第5章9節

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

 国と国との平和を創り出すには、まず、それぞれの人が神との平和を得ることが必要だと考えます。自分が殺されることを好まない人は、他の人も殺されることを好まないということがよく分かるのではないかと思うのです。

 論語 「己の欲せざるところを人に施すなかれ」

 聖書では、「自分のして欲しいようにあなたの隣人にせよ」

とあります。まず、身近な人との平和を創り出すことから始めることができますように。

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2007年2月11日 (日)

歌詞の勘違い

  向田邦子さんに「眠る盃」という随筆があります。滝廉太郎の「荒城の月」の歌詞に「めぐる盃」とあるのを間違えて「眠る盃」と覚えてしまって、分かっていても間違えてしまう・・・というお話で、ほかにもいくつかの例があげてありました。

  聞き間違えではないのですが、シャンソンの本を読んでいたら「オー・シャンゼリーゼ」の「オー」は「シャンゼリーゼでは」「シャンゼリーゼにおいては」という意味の言葉なのだけれど、感嘆詞の「オー」だと思っている人が多いようだと書いてありました。私もそう思っていた一人です。

 歌ではないのですが、小椋佳さんの書に「食間の薬」は食事の途中で飲む薬だと思われることがある・・・食事と食事の間に飲む薬なのに、と書いてありました。実は、私も中学生の時だったか、食事の途中で飲みかけて、父に正しい意味を教えられ、「まあ、それだけ今まで薬と縁がなくきたということだけどな。」と言われたことがあります。

 それ以前、私が小学生のとき、入浴中の父が「階段のところにサンゼンをおいといてと母さんに伝えてくれ。」 と声をかけるので、母に「三千円だって。」と伝え、母が首をかしげながらそのとおりにしたことがあります。

 風呂から上がった父が三千円を見て「何じゃこれは・・・」

 そうなのです。父は「丹前」といったのですが、私の理解できる語彙に「丹前」はなかったのでした。

  父にまつわる思い出の一つとなっていますが、このブログを読んでくださる皆さんにも、言葉に関する思い違い、勘違いがおありではないでしょうか。

 今日は、ブログの更新も遅くなりましたので、このへんで。

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2007年2月10日 (土)

レイン・マン

  映画「レイン・マン」の主演はダスティン・ホフマンとトムクルーズでした。旅路を急ぐ弟がいやがる兄と飛行機に乗ろうとすると、兄は過去に起こった航空機事故を驚くべき記憶力で述べ立てて乗るのを徹底的に拒否するのです。

 業を煮やした弟が「事故を起こしたことのない航空機会社なんて一つもないだろう。」と叫ぶと兄は「いや、カンザス航空は事故を起こしたことがない。」と即座に答えます。

 結局、兄弟は長い距離を車で旅する羽目になるのですが、映画を見ていて私が不思議に思ったのは、なぜ、カンザス航空という固有名詞が登場するのかということでした。映画制作のスポンサーなのか、と・・・。

 すると、ある日のラジオが偶然のタイミングでこんなことを言ったのです。「カンザス航空では、全社員が安全確保に一致して当たっている。合い言葉は、安全確認のためには少しくらい遅れてもいい。永遠に目的地に着かないことに比べたら、だ。それで、数ある航空会社の中でカンザス航空は事故を起こしたことがない。」

 以来、ダスティンホフマンかトム・クルーズの出ている映画を見ると私はカンザス航空を思い浮かべるようになりました。

聖書のことば  マタイによる福音書 第16章26節

  人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 2月9日のNHKドラマ「芋たこなんきん」でお医者さんである「かもかのおっちゃん」が「命より大切なものはあらへん。」と語っていたのを思い出しました。

 その命のことを忘れてほかのことを優先させてしまいがちなのが人間なのですよね。でも、それを人間的という言い訳で心配事を不安定な状態のままにしておかないようにいたしましょう。

 

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2007年2月 9日 (金)

『子どもの宇宙』

 先の文化庁長官、河合隼雄さんは、たくさんの書を著しておられます。その一冊、『子どもの宇宙』に次の文章があり、心に残っています。

 この宇宙の中に子どもたちがいる。これは誰でも知っている。

  しかし、  ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを誰もが知っているだろうか。それは、無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れて しまう。

聖書のことば マタイによる福音書 第25章

25:35 あなたがたは、わたし(イエス・キリスト)が空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

 この続きには、上とは逆に「最も小さい者のひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。」と述べられています。

 自分より小さい存在に見える人を軽んじない心のたたずまいの大切さ・・・それを河合隼雄さんやキリストの言葉から感じます。

 浴槽の栓は、一番低いところについていなければその役目をはたせません。私たちのよりよく生きたい、今以上に幅の広い心の持ち主になりたいと願う心の栓は、どの位置についているでしょうか。

 今日という日、そして今日の私たちの心が神様からの豊かな祝福をしっかりと受けとめる大きなうつわとなりますように。

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2007年2月 8日 (木)

楽天的な人は健康的

中川健一という牧師さんがおられます。この方は多くの働きをされています。その働きの一つとして、テレビでハーベストタイムという番組を長年放送し続けておられます。岐阜放送では毎週日曜日午前7時半から30分間放送されています。よろしかったらご覧ください。いろいろなゲストが登場して印象に残る番組となっています。今日は、そのハーベストタイムのホームページに載っていた記事を紹介させていただきます。

『前向きな人生』

 感謝する心を持った人は、積極的で前向きな人生を歩むようになります。前向きな人は、心がすこやかになると同時に、からだも健康になります。

 米国で最近実施された、長寿に関するある調査結果を次に紹介します。<Leadership,Vol.9, no.1>

 この調査は、およそ10年にわたって、1,000人(65~85歳まで)を対象に実施されたものです。
 その結果は、実に興味深いものでした。自分のことを楽天的だと考えている人は、そうでない人と比較して、病死する率が55%も低いという結果が出たのです(心臓病による死亡率だけを見ると、23%低い)。

 楽天的な人々には、肉体的により活発、飲酒や喫煙の量が少ない、などといった特徴があります。つまり、その人たちはストレスへの対応が上手だということです。

 感謝の言葉を口にすることは、内面を健やかにするだけでなく、肉体までも健康にします。また、意識して感謝を始めると、不思議なことに、感謝することがどんどん増えていきます。

月刊『収穫の時』より

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月刊デボーションガイド『クレイ』より

ハーベストタイムのURLはつぎのとおりです。http://www.harvesttime.tv/

 しばらく前に評判になった『脳内革命』という本にも、楽しいとき、脳はとてもすばらしい成分の物質を作り出し、憎しみや強い悲しみは毒性の強い物質を発生させることが書かれていたように思います。

 今日は、どのような日になるか、人には分からないことが多いのですが、聖書には次の言葉があります。

聖書のことば テサロニケ人への手紙 第一 第5章 

5:16 いつも喜んでいなさい。

5:17 絶えず祈りなさい。

5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 もちろん、悲しいことに出会って悲嘆にくれることもあるのが人生です。けれど、その悲しみ、苦しみが強いときほど、命綱を握る力も強くしてくださるのが、神様なのです。祝福をお祈りいたします。

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2007年2月 7日 (水)

中原淳一

  「もしこの世の中に」
                                 中 原 淳 一

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もしこの世の中に、風にゆれる「花」がなかったら、
 人の心はもっともっと荒(すさ)んでいたかもしれない。

もしこの世の中に「色」がなかったら、
 人々の人生観まで変わっていたかも知れない。

もしこの世の中に「信じる」ことがなかったら、
 一日として安心してはいられない。

もしこの世の中に「思いやり」がなかったら、
 淋しくて、とても生きてはいられない。

もしこの世の中に「小鳥」が歌わなかったら、
 人は微笑(ほほえ)むことを知らなかったかもしれない。

もしこの世の中に「音楽」がなかったら、
 このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

もしこの世の中に「詩」がなかったら、
 人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

もしこの世の中に「愛する心」がなかったら、
 人間はだれもが孤独です。

 中原淳一は、大正2年生まれ。すてきなフランス人形を18歳で作って家人を驚かせたり、少女雑誌の表紙絵、婦人雑誌の挿絵などを描くようになり、「それいゆ」や「ひまわり」などを刊行・・・奥さんは女優の葦原邦子さん。葦原邦子さんが竹久夢二の歌を歌うときに中原淳一がピアノ伴奏をしたのが二人の結婚話のスクープされるきっかけになったという記事がありますから、豊かな才能をいろいろな面で花開かせた人だったのですね。

 今日のブログは、その才能の一端の紹介ということで、中原淳一の描いた絵と詩とを掲載させていただきました。

  この詩にあるよいもののどれかが、今日の歩みを豊かにしてくれますように・・・。

  

 

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2007年2月 6日 (火)

サウンド・オブ・ミュージック

 2月5日夜、NHKテレビで、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のもとである実際のトラップ一家を紹介する番組が放送されました。

 マリア夫人は下呂に来られたことがあるのだと、下呂の人に聞いたことがあります。

  トラップ一家に基づいた映画は、実は「サウンド・オブ・ミュージック」以前に作られたことがあるのをご存じの方もあると思います。

 ウイーン少年合唱団も出演した「菩提樹」という映画です。トラップ一家がアメリカに渡ってからの生活を描いた「続・菩提樹」も作られました。

  余談ですが、「菩提樹」は小学6年生のときに学校から観に行き、「サウンド・オブ・ミュージック」は大学生のときでした。

 家族で歌ったり、合奏したり出来ること・・・すてきですよね。そんなことを考えていたら、ある指揮者に聞いた話を思い出しました。

 「日本では、子どもにピアノを買うと、親は将来はピアニストに・・・などと期待し、プレッシャーをかけすぎる。値段はだいぶん違うけれど、たとえば、子どもに自転車を買ってやるときに、将来は競輪の選手に、などと思って買う親はほとんどいないでしょう?自転車が日常の生活に気軽に使われるように、子どもが一本指で弾くピアノに合わせてお父さんが茶わんを箸でたたいて合奏するなど、もっと日常の中で楽しみましょうよ。」

 なるほど、と思いました。合唱部やオーケストラに入って活動することはなかなかできませんが、ギターを一人が弾き、一人がタンバリンをたたく・・・鼻歌を歌う・・・そんな楽しみ方をすると、もっと音楽も身近になってくるのではないでしょうか。

 音楽療法ということばもありますが、こういう言葉にとらわれないで、音楽を日常の生活に気軽にとりいれることを私自身、もっと大切にしたいと思います。

 この世に音楽が、花が、詩がなかったら。どんなにあじけのないものになることでしょう。明日は、そんな中原淳一の詩を掲載したいと思います。

 心に太陽を くちびるに歌を  今日のひとひ、それぞれの方の人生のサウンド・オブ・ミュージックが お一人お一人によって豊かにかなでられますように。そしてお互いにその響きを聴き合うことができますように。  神様の祝福をお祈りいたします。

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2007年2月 5日 (月)

偽りのない看板

 「立春」の日以降いきなりぽかぽか陽気の春になる・・・というわけではないので、寒い日があっても「立春という看板に偽りありだ!」と息巻いてどこかに抗議する人はいないと思います。

  たとえ、気象庁に抗議しても、「立春」を定めたのは気象庁ではありませんし、天気予報が外れたときの抗議にしても、気象庁は天気を予測しているのであって、天気を管理しているわけではないのですから、責任のとりようがありません。

 けれど、大切な政治をゆだねられている人が人間性を疑われる発言をしては困りますし、看板のペコちゃんを泣かせるような製菓会社の在り方も困ります。

 看板を偽らない生き方は、外側から規制するだけでは不十分で、一人一人の内側にしっかりと行動、生き方を支える規範とそれを貫くエネルギーが備わっていることが不可欠だと思います。

 人はうわべを見ますが、神様はそれぞれの人の心をご覧になります。神様をあざむくことはできません。それと同時に、人が非難するときも神様は正しく生きる人の心をよしとして力を与えてくださる方です。

 私たち一人一人は、意識するとしないとにかかわらず、いろいろな看板を立てたり、負わされたりしている存在かも知れません。でも看板倒れにならないように、というような不安感や義務感からでなく、また、自分だけを喜ばせるという動機ではなく、神様に喜んでいただけるように歩むことを大事にして、ゆるがない、そして確信をもって今日を生きたいと思います。

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2007年2月 4日 (日)

召された恩師

 恩師の逝去の報に接しました。

  特殊教育・・・今は特別支援教育という名に移行しつつありますが、恩師は大学で障害児教育の講義を長い間なさっておられました。そして講義だけでなく、障害のある方とご家族のために、パンやクッキー作り、喫茶店などの仕事をして給料が得られるようにと行政などに働きかけ、実際にいくつもの授産所をスタートされました。本巣に福祉工場が発足するときにはその工場長の任を受け、自ら製品のパンやクッキーを配達するなどの仕事も果たしておられた方です。

 四十年ほど前に初めて受けた講義、恩師の第一声は「教育が人間を人間たらしめるものであるとすれば、特殊教育はまさにその原点に位置するものです。」でした。

  豊かな学識と高い識見、深い愛情と行動力・・・近々、ゆっくりとお話しにうかがおうと思っていただけに、私には心残りがありますが、その心残りよりも遙かに大きな糧を私に、そして多くの方々に残してくださった方でした。

  3年近く前、大きな全国大会についてご教示をうかがうためにお目にかかったとき、恩師は、「もうすぐ『働いてハワイへ行こう』という企画が実現するんだよ。」と嬉しそうに語ってくださいました。

  働いてお金を貯め、障害のある方とそのご家族とが一緒にハワイに行く・・・今日も多くのかたが、力を合わせて実現したハワイ旅行の思い出に力づけられながら歩んでおられることでしょう。

聖書のことば マルコによる福音書 第12章 30節 31節

2:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

 恩師はクリスチャンではありませんでしたが、障害のある方々を愛する生涯をまっとうされた方でありました。その恩師に学ばせていただいたことは私の生涯の幸せです。

 恩師の固有名詞やその業績をお知りになりたい方は、続きをご覧ください。

続きを読む "召された恩師"

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2007年2月 3日 (土)

愛は意志である

 「愛は意志である」・・・この言葉に初めて出会ったとき、驚きました。それまで、愛は感情に根ざしているものだと、さしたる根拠もなくずっと思いこんでいたからです。

 でも、この言葉に出会って考えてみると、確かに「あんぱんが好き」、「ココアが好き」「カレーが好き」というのと「わが子が好き」というのとは次元が違うことに気がつきました。

 母性愛・父性愛という言葉は、しばらく前までは特に意志がなくても、子どもが生まれたら親となった大人に自然に備わっているのだと、自明の理のように思われていました。確かにそういう面もあると思います。

 でも、もしそうだったら、児童虐待や育児放棄ということがどうして起こるのでしょうか。

 赤ちゃんが夜泣くと、大人は眠い目をこすりながら、その泣き声に応えて求めていると思われる対応をします。そのとき、眠気に立ち向かわせてその行為を支えているのは何かの利益を求める気持ちではなく、意志ではないでしょうか。その意志がもてないとき、赤ちゃんを憎いと思い、赤ちゃんの求めているのではない行為によって泣き声を強制的に静めようとしてしまう人もいるということではないでしょうか。

  泣くことしかできない弱い存在の幼な子・・・それだからこそ、全身を耳にして幼な子の心を聴き、よかれと考えることを疲れを乗り越えてする、その積み重ねが、幼な子をいとしいと思う心をはぐくんでいく・・・そういう側面もあるように思います。

 「愛」には、様々な様態、いろいろなレベルがあって、とても私などが書ききれるものではありませんが、大きくは次の三つだと書いている書物があります。

 相手が見返りを与えてくれることを期待して与える愛

 バレンタインデイにおける本命の人へのチョコレート

 人間として尊敬し、お互いを磨きあい、成長に向かわせ合う愛

 「走れメロス」に描かれているメロスとセリヌンティウスの友情

 見返りを期待できない相手のために自分の全存在を賭けて愛する愛

 神のゆるしを得させるために、すべてを棄てて十字架に自らの意志でかかってくださったイエス・キリストの愛・そのキリストをこの世におくってくださった神様の愛

聖書のことば ヨハネによる福音書 第3章16節

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

イザヤ書 第43章4節

 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 とるに足りない私たちを、全知全能の神様が愛していてくださること、そのことを一人でも多くの方が知り、信じてその愛を受け入れることができますように。・・・心からお祈りいたします。

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2007年2月 2日 (金)

月と星

 今夜(2月1日の夜)は月が明るいですね。そしてきれいな星もたくさん見えます。

 ただし、それだけ晴れわたっているということは、放射冷却というのでしょうか、明日の朝は、だいぶん冷えるのではないかと思います。ものごとは、このように多面的なのですね。

 さて、マヒナ・スターズ・・・♪「誰よりも誰よりも君を愛す」を松尾和子さんと歌っていたあのグループ・・・のマヒナというのは「月」のことだそうです。

 もし、日本語で「月と星」とすると、確か靴のメーカーにこうした名前がありますが、ヒット曲をたくさん生み出すミュージシャンのグループのイメージは描きにくかったかも知れませんね。

 小椋桂さんの大ヒット曲♪「シクラメンの香り」は、十数億円の売り上げがあったと耳にしました。でも、もし、シクラメンの日本名で歌詞を作ったとしたら、ヒットすることはなかっただろうと思います。何しろ、「シクラメン」=「ブタマンジュウ」なのですから。

 あ、別にカタカナ名前を礼賛し、日本語を卑下しているのではないのです。「昴(すばる)」とか「飛び梅」とか日本語の豊かな情感に魅力を感じている私ですから。

 日本車はとても優秀なのですが、カタカナ名前ばかりがついているように思います。そろそろ日本語名で大ヒットするような車は出てこないものでしょうか。ロケット、人工衛星には和名がつけられていますよね。

 冬の夜空を見ていてふと思ったことをまとまりなく綴ってしまいました。「それでどうした」・・・とおっしゃる方がおありに思えてきましたので、今日はこれで・・・・・・  明日は「愛は意志である」という題で書かせていただく予定です。 それでは、また。

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2007年2月 1日 (木)

天使の歌

 すてきな本に出会いました。短いことばと美しい絵の小さな本なのですが、魅せられてしまいました。『心の歌』文 アントニー・デ・メロ 絵 矢野滋子 出版 女子パウロ会 です。 アントニーさんはインドの方のようです。

 今日は、その中の一つをご紹介いたします。

「あなたが生まれたときに うたわれた 天使の歌声を聴こう。

 あなたの心のなかの歌に 耳を傾けなさい。」

 あまりにすてきなので、何をかいても余分になりそうですけれど

 私たち、ひとりひとりが神様からこの世にたった一度限りの招待を受けて誕生したときに、天使が歌ってくれた歌・・・おそらくその歌はそれぞれの人のための特別なオリジナルソングなのでしょう。

 その歌が心を静めるとその人の心の中から聴こえてくる・・・耳を傾けて聴いてみたくなりますね。  よき一日となりますように。

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