« 月と星 | トップページ | 召された恩師 »

2007年2月 3日 (土)

愛は意志である

 「愛は意志である」・・・この言葉に初めて出会ったとき、驚きました。それまで、愛は感情に根ざしているものだと、さしたる根拠もなくずっと思いこんでいたからです。

 でも、この言葉に出会って考えてみると、確かに「あんぱんが好き」、「ココアが好き」「カレーが好き」というのと「わが子が好き」というのとは次元が違うことに気がつきました。

 母性愛・父性愛という言葉は、しばらく前までは特に意志がなくても、子どもが生まれたら親となった大人に自然に備わっているのだと、自明の理のように思われていました。確かにそういう面もあると思います。

 でも、もしそうだったら、児童虐待や育児放棄ということがどうして起こるのでしょうか。

 赤ちゃんが夜泣くと、大人は眠い目をこすりながら、その泣き声に応えて求めていると思われる対応をします。そのとき、眠気に立ち向かわせてその行為を支えているのは何かの利益を求める気持ちではなく、意志ではないでしょうか。その意志がもてないとき、赤ちゃんを憎いと思い、赤ちゃんの求めているのではない行為によって泣き声を強制的に静めようとしてしまう人もいるということではないでしょうか。

  泣くことしかできない弱い存在の幼な子・・・それだからこそ、全身を耳にして幼な子の心を聴き、よかれと考えることを疲れを乗り越えてする、その積み重ねが、幼な子をいとしいと思う心をはぐくんでいく・・・そういう側面もあるように思います。

 「愛」には、様々な様態、いろいろなレベルがあって、とても私などが書ききれるものではありませんが、大きくは次の三つだと書いている書物があります。

 相手が見返りを与えてくれることを期待して与える愛

 バレンタインデイにおける本命の人へのチョコレート

 人間として尊敬し、お互いを磨きあい、成長に向かわせ合う愛

 「走れメロス」に描かれているメロスとセリヌンティウスの友情

 見返りを期待できない相手のために自分の全存在を賭けて愛する愛

 神のゆるしを得させるために、すべてを棄てて十字架に自らの意志でかかってくださったイエス・キリストの愛・そのキリストをこの世におくってくださった神様の愛

聖書のことば ヨハネによる福音書 第3章16節

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

イザヤ書 第43章4節

 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 とるに足りない私たちを、全知全能の神様が愛していてくださること、そのことを一人でも多くの方が知り、信じてその愛を受け入れることができますように。・・・心からお祈りいたします。

|

« 月と星 | トップページ | 召された恩師 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 愛は意志である:

« 月と星 | トップページ | 召された恩師 »