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2007年2月23日 (金)

「みる」ということ

 仕事の先輩に「みる」という漢字はいろいろあるけれど、「本質をみること」「全体をみること」「先をみること」を大事にしなさいと教えられたことがあります。

  しばらく前の新聞に年配の女性の投稿記事が載ったことがあります。およそ、次の内容でした。

 「私が小学生のときに、わんぱく坊主として名を馳せていた子が私にいきなりばけつで水を浴びせたことがありました。先生にきつく叱られ、級友たちから、何でそんなことをしたんだと詰め寄られたのに、その子は一言の言い訳も釈明もしなかったのです。私はそのとき、何も言えなかったのですが、何十年も経った今、勇気を持って書こうと思えるようになりました。実は、私はそのときおもらしをしたのです。すぐ近くの席にいて気がついたその子は、水を汲んできてとっさに私の衣服をびしょびしょにすることで、私の窮状を救ってくれたのでした。本当におそまきですけれど、心からその子におわびし、そして心からお礼申します。」

  読んで、私は、わんぱく坊主と言われていた子のとっさの行動と級友をかばい続けた人間としての器量の大きさ、そして何十年か経っているとはいえ、新聞に投稿して真実を明らかにした方の勇気に心をうたれました。

 

 そして、その昔の出来事が起きたとき、周囲の人にはみえなかったことが、みえるようになったこと・・・目を開かれることの大切さをも改めて思ったのです。

聖書のことば マタイによる福音書  第6章

6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 何十年か前にわんぱく坊主だったかたも、真実を投稿したかたも、見返りを求めておられないということは明らかだと思います。でも、神様はみていてくださる・・・そう聖書に書かれていることはなんと大きな慰めでしょうか。

 今日の一日、人にあらわさないで、真心をこめた行いができますように。

 

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