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2007年4月30日 (月)

図書館記念日

  4月30日は図書館記念日・・・説明・・・1950(昭和25)年、図書館法が公布されたことに因み、1971(昭和46)年の全国図書館大会で決定、翌年より記念日として行事を行なっている・・・とのことです。

 「ある本と自分の関係は、買って持っているかどうかでなく、読んだかどうかが大事・・・買うよりも人に借りたり、図書館で借りたりするほうが期限も意識するので、本が読めるのではないか」と大学の先生に教わりました。

  けれど、取り寄せてもらわないとない本などはなかなかこういう訳にはいかないので上の原則はなかなか貫けないものですね。

  少し前にも書いたように思いますが、子どもの学力が現在世界一といわれるフィンランドでは、公立図書館がとても充実し、そしてよく活用されているのだそうです。

  お近くに公立の図書館がありましたら、新刊書も購入を希望したりするなどして、大いに活用いたしましょう。

  「読んだ本の厚みが一年間で身長に達するほど読めるといいね」、という働きかけをし、実際にそれぞれの子が読んだ本の厚みをカラーテープで表し、つなぎ合わせて読書の足跡を視覚的に記録している先生もおられるそうです。

 えっ、私ですか・・・読む本の厚みの合計は、身長を軽くオーバーしていると思います。読んだ本の総重量が体重にまで達するように、という設定にするとどうかなあという思いがあります。・・・誰も尋ねていないのに、よけいなことを書いてしまいました。

聖書のことば  箴言  第10章 5節

  夏のうちに集める者は思慮深い子であり、 / 刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。 

 あの有名な寓話「アリとキリギリス」を連想しますね。

  苦労と思わずに、歯ごたえのある本を楽しんで読めるとよいのですが・・・・・・。

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2007年4月29日 (日)

ジンギスカン

 4月29日は、羊肉の日なのだそうです。 ・・説明・・・「よう(4)に(2)く(9)」の語呂合せで、北海道のジンギスカン食普及拡大促進協議会が2004(平成16)年に制定。

  ジンギスカンということばで、ある子のことを思い出しました。

  小学校に勤めていたとき、廊下で出会った男の子が何だかいつものような元気がないように思えました。足が痛そうに見えたのです。

その子は言いました。「先生、ジンギスカンが痛い!」

  一瞬、聞き間違えたのではないかと思いました。「先生、ジンギスカンが食いたい!」と言ったのではないかと・・・。けれど、それはあまりにも状況にあいません。・・・・・閃いて聞き直しました。

「もしかして、アキレス腱が痛いの?」

  その子は、自分の言い間違いに気がついたのですね。「あっ、そう、アキレス腱が痛いの。・・・でも先生、よく分かったね。」

「足が痛そうに見えたからね。」

聖書のことば  エペソ人への手紙 第3章20節

  どうか、私たちのなしうるかぎりの祈り、願い、考え、望みを無限に超えて、つまり、私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に、栄光がありますように。

  ジンギスカン・・・アキレス腱 というのは、たまたまの例であって、子どもたちの願い、本当に言いたいことをいつも理解できていた教師である自信は私にはありません。むしろ、慚愧(ざんき)に堪えないこと、今からでは追いつかない反省も多くもっているのです。いえ、子どもたちの心に添えなかったことにさえ気づけず、反省にさえいたっていないことがたくさんあるに違いないと思います。

  けれど、神様は、私たちの願いをはるかに超えたすばらしいことを既に私たちのために為してくださっているのです。

  今日は日曜日、キリスト教会にお出かけになることができますように。教会では牧師さんや宣教師さんが神様に祈りつつ準備したメッセージを聖書をもとに語ってくださいます。

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2007年4月27日 (金)

少子化の波を越えるくふう

  昨日、少し話題にした遠足のことをもう少し。以前勤務した学校の遠足では、1年生と6年生のコースを途中まで重ねていました。

 そして、1年生と6年生のペアで、1年生の目的地まで一緒に行くのです。同行といっても、6年生はエスコートすることになります。このとき、大半の1年生のしゃべることしゃべること・・・ほとんどしゃべり詰めになるのです。お兄さん、お姉さんが話を聞いてくれる時間、機会が得られて夢のように楽しい時間をすごす子が多いのです。

  6年生は、一年生の話のよい聴き手の役を務めつつ、車道側を歩んで1年生を守りながら進みます。1年生の目的地に着くと、そこからは6年生単独の遠足に切り替わり、6年生の目的地に向かいます。

  もちろん、1年生の担任も6年生の担任も引率しているのですが、6年生は1年生と別れると、少しのさびしさと、かなりの安堵感、解放感を覚えるようです。上級生としての自覚が育つ機会ともなるのですね。

  少子化になると兄弟が居ない一人っ子、あるいは兄弟は一人という子が多くなります。学校で学年を越えて活動する縦割り活動の時間を設けることが、以前より大きな意味をもっているように思います。

聖書のことば 箴言 第27章 17節

 鉄は鉄によってとがれ、 / 人はその友によってとがれる。

  人は、大人でも子どもでも、友だち同士によって切磋琢磨されます。付和雷同でなく、お互いを高め合うような人間関係を築き上げることに意を大いに用いたいと思います。

  今日も、お互いがよき聴き手となりあいながら、神様の祝福の中を歩むことができますように。

  

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2007年4月26日 (木)

子どもの優しさ

 春も深まり、木々の緑も勢いをましてきました。今週は遠足を実施している小学校も多いようです。

  小学校に勤めていたとき、運動場の遊具の点検を自分の体を使ってするようにしていました。ブランコ、ジャングル、平均台・・・スリムとは言い難い大人の私が乗っても大丈夫ならば、子どもたちの体重ならばもっと大丈夫ですから。

  えっ、私が乗ったためにこわれるのではないか、ですって・・・たしかに、エレベーターに乗るときは、最後の一人にならないようにできるだけ気をつけていますけれど、現在の体重は70キロ台ですよ (^o^)

  それは、ともかく、ちょっと困ったのが、滑り台につながっている円柱の中のはしごの点検です。中に入ると出られなくなるのではないかという不安を感じる太さの柱なのでちゅうちょしていると、それを察した子がいるのですね、「先生、ぼくがこの中を見ます。」と声をかけて、中に入りするすると上に登って顔を出し、「だいじょうぶです。」と報告してくれました。

 私の体型と柱についての考察について改めて何かを述べることなく、さらっと助けてくれたこの子の心、何とやさしいのでしょう。退職した今も忘れることができません。

聖書のことば  ルカによる福音書 第18章 16節

  イエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。

  幼子もそのままでは神様を信じて成長するとは限りません。キリスト教会では子どもたちのためのクラス、時間を設けています。ぜひ、お子さんと一緒にキリスト教会にいらしてくださいますように。

  今日も、神様の守りと祝福の中を歩むことができますように。

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2007年4月25日 (水)

大局を見る

  こんな話を思い出しました。

  国連の事務総長を勤めたアナンさんの大学生時代に、学長がいろいろな模様のついた大きな紙を提示して、「諸君、何が見えますか?」と尋ねたそうです。

  おそらく、ロールシャッハテストに出てくるような模様だったのでしょう、いろいろな意見が出たようです。

 一つ一つの意見を丁寧に聞いて、最後に学長はこういったそうです。「どれも間違っているとは言わないが、諸君にはもっと大きな視野をもってほしいね。私は、まず大きな紙が見えますと言ってほしかったんだよ。」

  細部に注目しながらも、大きなことを見逃さない目、それはその人の生き方と通ずるものであると思います。

聖書のことば  マタイによる福音書 第16章 26節

  たとい、全世界を自分のものにしても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。 いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。 

 「朝三暮四」ということばもありましたね。これも目先のことにとらわれて大局が目に入っていないことを端的に表したことばだと思います。

  永遠のいのちを神様からいただける目先のことにとらわれない大きな目、大きな心で毎日を歩むことができますように。そのために神様の守り、祝福がいただけますように。

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2007年4月24日 (火)

植物・・・この美しきもの

 4月24日は、次のような日なのだそうです。

記念日・・・植物学の日・・・植物の研究に生涯を費やし、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎さんの1862(文久2)年の誕生日に由来しています。

出来事・・・・1989年 カラヤンさんが、34年間在任したベルリン・フィルの指揮者を辞任
 
誕生日
 ・1946年 星野富弘さん (詩画作家) 

Photo_4 私は、自信をもっていえる花の名前がそれほど多くありません。でも簡単に「名もない花が咲いていた」などと書くと植物学者に「それは、新種ということになります。大発見です。」などと突っ込まれたり、叱られたりするでしょうから、できるだけ、詳しい人に名前を教えていただくことにしています。けれど、悲しいことに、教えていただいた回数とちょうど同じ回数だけ、忘れてしまうということになってきました。それはともかく、私の通っている教会の庭と、そこに咲いた牡丹・・・(多分、シャクヤクではなくて牡丹)の画像を掲載させていただきます。 Photo_5 

聖書のことば  イザヤ書 第40章 8節

 草はしおれ、花はしぼむ。 しかし神様のおことばは、いつまでもすたれることはない。」

4月24日に関係のあるカラヤンと星野さんのことはまた別の機会に・・・

 今日も神様の祝福をいただけますように。

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2007年4月23日 (月)

こども読書の日

  4月23日こども読書の日だそうです。説明・・・ 2001(平成13)年12月に制定され、文部科学省が実施。こどもが積極的に読書活動を行う意欲を高めることを目的としているとのことです。

  テレビをつけっぱなしにしないで、親子がそれぞれ読書している時間、あるいは一つの本を親子で楽しむ時間などを設けることができたら、すてきですね。

 メグ・ライアンという女優さんがトム・ハンクスと共演した映画ユー・ガット・ア・メール」には、大手の書店に押されてとてもすてきな本屋さんの経営が圧迫されていく展開がありました。

 今、思うと本屋が本屋を圧迫するのは、テレビが読書時間を追いやっていくよりも、まだ救いがあるようにも思えます。

 世間で活字離れ、読書離れというほどではない姿が子どもたちの中にはあるように思いますが、中学生、高校生は学年が上がるほど読書の時間がとれなくなっていく傾向はあると思います。

 子どもの学力が今、世界で一番高いとされるフィンランドは、公立の図書館が質・量ともに秀でていることが明らかになっています。

  本は、必ずしも所有する必要はなく、むしろ借りるほうが期限もあるのでせっせと読むことになる、とある先生はおっしゃいました。親子で図書館に足を運ぶのもいいかもしれませんね。

 お母さん、お父さんの声を通して本に親しむ素地を養われる子どもは、とても幸せだと思います。

聖書のことば  テモテ人への手紙 第3章 16節

 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

  とくに、永遠のベストセラーといわれる聖書に小さいときからふれることができたら、とてもすばらしいみのりを人生において得ることができると思います。多くのキリスト教会では、子どもたちのための聖書教室が開かれています。図書館以上に、親子でキリスト教会へお行きになることをお勧めさせていただきます。

 今日も神様によき日としていただくことができますように。

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2007年4月22日 (日)

信仰・・・希望を生む力

  関根一夫牧師さんからのメールレターをご紹介いたします。

  私たちの人生における元気は「望んでいる事柄」を持っているかどうかで決まるようです。私たちは「希望」や「将来」についての楽しみを持っていないと、今をしっかり生きることが難しいのです。これからああしたい、こうしたい、きっとこうなって欲しいという意識を私たちはそれぞれどこかに持っています。それがどんなものであれ、今この時だけでなく、明日以降の出来事を期待し、夢をもっているかどうか、それが私たちの今を元気にします。
 逆に、それが崩れてしまったり、絶望的になると、間違いなく「生きる意欲」はそがれてしまうのです。

 ルーサーキング牧師は「私には夢がある」と語りました。それが彼の差別と戦う力でした。私たちにも、明日がこうなればいいな、来週こういうことが起こるといいな、来年こういう風に出来ていればいいなという意欲や夢や希望があるとそれに向って意欲的に生きることができるようになるのです。

 生物学者の方にお話を伺ったとき、脳の話になりました。その方が言うには、私たちの脳は、いつも難しいことや未知のことにチャレンジすることが好きなのだそうです。そして、いくらでも成長し、いくらでも難しい問題にチャレンジする力を持っているのだそうです。しかも人間が使っている脳は全体の中のほんの一部なのだと言われています。つまり、私たちの脳は、いろいろな場面で「望んでいることを確認したい」という意欲を持っているのです。
 「わからないことをわかるようになりたい」という意欲と方向性を脳は生まれながらにして持っていると言われています。しかも、それは何歳になっても失われることはないようです。新しいことへのチャレンジは何歳からでも遅すぎることはないと言われています。
人間らしい生き方のためにも、脳の活性化のために希望は重要であり、脳はそれを確認させる「信仰の役目」を担うように出来ているのです。
  望んでいる事柄は、できるだけ到達が困難なものでないと脳はスランプを起こしやすいとその先生は言っていました。入手が簡単なものを手に入れるだけでは脳は喜ばないし、満足しないのです。脳は常に私たちが最善のものを、最高のものを手に入れるように意欲を作り出しているのです。

 それをさせる力は信仰そのものなのです。つまり人間は将来を語ろうと思うとき、信仰が必要なのです。そしてすべての人に信仰が持てるように脳が作られていると考えることもできます。

    ◇  ◇  ◇  ○  ○  ○  ☆  ☆  ☆ 

  私自身の脳は上に書かれているような勤勉さをそなえているかどうか、自信が持てない面もありますが、印象に残りましたので、紹介させていただきました。

 今日は、日曜日・・・ぜひ、キリスト教会に足をお運びくださいますように。  キリスト教会に行くことができない方の上にも神様の愛がそそがれています。どうぞ、神様の祝福の中を今日もお歩みくださいますように。

※ 関根一夫先生のメッセージの全文を「続き」に引用させていただき ました。

続きを読む "信仰・・・希望を生む力"

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2007年4月21日 (土)

コミュニケーションのてだて

 4月21日は、こんな日だそうです・

 民放の日・・・ 日本民間放送連盟が1968(昭和43)年に制定しました。1951(昭和26)、日本で初めて民放16社に放送の予備免許が与えられたことに由来します。

出来事
 ・1932年 東京市内4か所に自動式公衆電話を設置
 ・1934年 渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成し除幕式

  ハチ公の像のことは別として、放送と公衆電話のことから、こんなことを思いました。

  放送・・・マス・コミュニケーションの手段。一度にたくさんの人に伝えることが出来る・・・ただし、一方的であり、相互に考えを伝え合うというのは、(アンケートに答える形が出てきたけれど)、一般的なところまではきていない

 公衆電話・・・双方向の通信手段。けれど、東京に4カ所というのでは使える人、使える場所がいかにも限られていたなあと思います。

 付録ですが、一番最初に自宅に電話機を取り付けた人は、いったいどこに電話をかけたのでしょうね。

 現在の携帯電話、パソコンのインターネット利用のさかんな時代とは隔世の感があります。

 けれど、もっともっと大切なのは「祈り」だと思います。「祈り」は神様と一人一人とのコミュニケーションの一番重要なてだてです。たとえ祈ることさえできないような苦しみ、悩みの状況に陥っても、神様は決して見捨てないで一人一人を愛し、呼びかけていてくださいます。

 静かに神様に祈る時を生活の中に位置づけることをお勧めいたします。装置も電力も要りません。神様は、きっと応えてくださいます。

  祈りについて、知りたい方はキリスト教会にお出かけください。最初は勇気が要るかもしれませんが聖書に次のことばがあるように、必ず門は開かれます。

聖書のことば マタイによる福音書 第7章 7節 8節

  求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
  すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

 今日も神様の祝福がありますようにお祈りいたします。

 

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2007年4月20日 (金)

木を植え、山を育てる心

  「教育は国家百年の大計」ということばもあるのに、教育改革、教育改革と、何とかまびすしいことでしょう。

  教育には、稲作、野菜作りのように1年周期のように思える側面もありますが、もっと長い期間をかけて構想して林や山を育成する林業のようなところに本質があるように思います。

  古来、木を植える人は、自分の代で利を得るのでなく、孫、あるいはその先の子孫のことまでおもんぱかって苗木を植え、雪起こしや枝打ちなどをして次代にバトンタッチしてきたものです。

  私は下呂の小学校に勤めたとき、学校林の活動に初めて参加する機会を得ました。その企画にとても熱心で、先頭に立って地味な作業に打ち込まれたのは、白髪の校長先生でした。ひのきの苗木を植えてもそれが大きくなるころには、この世にはおられないであろう校長先生が情熱をもって育林される姿に、頭が下がり、これこそ未来を信じ、自分の利害を越えて力を尽くす教育の心だ、と感じ入ったものです。

  教科書のこのページの内容が分かるように、また、ドリルのこの問題が解けるようにという思いにかられやすいのですが、子どもがどんな人間に育ってほしいかという大きな観点、遠い将来への展望をこそ大切にしたいと思います。

  即効的で促成栽培的な構えで、目先の成果にとらわれている目に応えようとすると、すぐに形に表れてこない、それだけにとても大事なものを育てる地味な歩みは切り捨てられてしまうおそれがあります。

  化学肥料とビニールハウスの効用について、異を唱えるものではありませんけれど、堆肥をじっくりと効かせて土を養い、自然の風雪に耐えて実を結ぶ露地栽培の作物の味わいを、より大切にしたいものです。

聖書のことば  第3章 23節 

 何をするにも、人に対してではなく、主(神様)に対してするように、心からしなさい。

  目先のことにとらわれず、自分を利することに走らず、小さい存在を軽んじることのない大人のみが、教育のことを論ずる資格をもつのだと思います。『国家の品格』の中で藤原正彦さんが、愛国心ということばよりも「祖国愛」ということばとその理念を自分は広めていきたいと書いておられますが、どっしりとした構えと展望を私は感じました。

  今年のNHKの大河ドラマは「風林火山」ですが、教育には特に「動かざること、山のごとし」というところが必要だと思います。「大山鳴動して鼠一匹」というようなこと、あるいは「大山を鳴動させて子どもの将来を閉ざす」というようなことは、決してあってはならないのです。

  神様に対して何かをさせていただくような構えで、子どもたちに対すること、そういう身の引き締まるような厳然としたものを教育の根底に据えていたいと思います。

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2007年4月19日 (木)

最初の一歩の日

 4月19日は「最初の一歩の日」(地図の日)だそうです。説明・・・1800(寛政12)年、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発したことに由来します。16年間に渡って全国を測量して歩き、日本初の実測地図作成を手がけました。

  伊能忠敬の作成した地図は、驚くほど精確だったことで賞賛されています。簡単な道具によるものだったのに精度の高い仕事を成し遂げたのですね。ごく最近、彼の地図が確かアメリカの図書館にたくさん保管されていることが明らかになったというニュースが報道されたように思います。

 千里の道もまず一歩から・・・新学期のスタートが励まされるような今日の記念日ですね。

聖書のことば 創世記 第1章 第1節

初めに、神が天と地を創造した。

  これは、聖書の一番最初のことばです。神様はこの宇宙を創られた方、そして私たちも神様によって創られた存在です。その逆であるような考え方、生き方にならないように心いたしましょう。

 「我が魂よ、神をほめまつれ」が正しい在り方で、「神よ、我が魂をほめよ」では決してないのです。

 今日も神様に力をいただいて歩むことができますように。

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2007年4月18日 (水)

DVDプレーヤー

  今まで、DVDはノートパソコンなどで見ていたのですが、迷った末にDVDプレーヤーを購入しました。

 一番の要因は、ビデオテープが増えてきて場所をとるので、何とかしたいということでした。ただし、せっかくの機会なので、アナログ放送が終了してもテレビを見ることができるように、デジタル放送の受信できるチューナーのついたDVDプレーヤーにしました。

  デジタル放送対応のテレビは、まだまだ安くなる日がきそうなので、しばらくこの体制で過ごせるようにし、現在のテレビの生き残り作戦を立てたわけです。(デジタル放送だけになるのは4年先でしたか、そんなに先のことを考えたのは、我ながら不思議です。いえいえ、単にテレビの買い換えキャンペーンに踊らされているだけとも言えましょうか。)

  おかげで、新聞の番組表でタイトルしか見ることのできなかったデジタル放送を実際に見ることができるようになりましたし、テレビの画面とスピーカーでDVDを楽しめるようになったのも嬉しいことです。そうそう、これで、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のDVDを友人から借りて観ることもできますし、友人の送ってくれたモーツアルトのDVDをよりよい環境で楽しむこともできます。

  ただ、思うのです。楽しめるチャンネルやメディアが増えても体は一つなのだから、自分の人生の時間の使い方、心の在りどころをしっかりさせておかないと、深い生き方はできないぞ・・・と。早い話が、アナログ放送終了の時期よりも早く自分のこの世での人生は終わるかもしれないのですよね。

聖書のことば  ルカによる福音書 第12章 15節~21節

 (イエスは)人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
 それから人々にたとえを話された。 / 「ある金持ちの畑が豊作であった。 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

  人間にとって一番大切なのは、神様の声を聞くアンテナを磨き、神様に喜んでいただける生き方を日々実行することだと思います。そのためには、設備投資はほとんど要らず、必要なのは、聖書を読み、キリスト教会を訪れること、そして神様に祈ることです。聖書を贈ることを大切にしているギデオン協会の働きにあずかるならば、聖書を無料で入手することもできます。

 今日も、神様の守りと祝福の中を歩むことができますように。

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2007年4月17日 (火)

春はあけぼの

 春が深まってきましたね。春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝・・・『枕草子』の冒頭で清少納言が綴っている四季それぞれへの情感の何と豊かなことでしょう。

 古典という文字を分解してみると、「古」は「十代にわたって口で語り伝えられてきたほど長い時間を経ていること」、「典」は机の上に置かれている本の象形文字で、寝転がって読むのでなく、きちんと机に向かって姿勢を正して読むべき価値ある本を意味するそうです。

 古典中の古典、世界のベストセラー、聖書が多くの人に読むことが可能になったのは、グーテンベルグが印刷機を発明したことと、もう一つ、聖書を翻訳する人たちの苦心惨憺の信仰に基づく努力の成果です。

 ぜひ、聖書をお読みになる時間を生活の中に位置づけてください。

聖書のことば  ヨハネによる福音書 第5章 39節

  あなたがたは、永遠のいのちを見つけようと、熱心に聖書を調べています。 その聖書は、わたし(イエス・キリスト)を指し示しているのです。

テモテ人への手紙  第3章15節

  聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

  このブログ、時に長くなりますので、反省し、古典の歯切れのよい文章にならって、引き締めたいなと願っています。耐えて読んでくださlっていること、感謝申し上げます。

  今日も私たち一人一人を愛してくださっている神様が豊かに力を与えてくださいますように。

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2007年4月16日 (月)

モールス信号の発明者

Photo_3  昨日のエジソンのところで、彼が信号技手時代、モールス信号の送受信の達人だったことを書きました。

 たまたま、その信号を考案したモールスのことを調べていましたら、新しい発見がありました。こんな記事に出会ったのです。

「 モース(モールス)は、日本ではモールス信号の発明者として知られています。しかし、電信の実験に打ち込む前は、19世紀前半のアメリカで最も活躍した肖像画家の一人で、アメリカ美術史にその名を残しています。」※上の写真はモールスの自画像です。

 有名な人には、「この人は何をやらせても一流になっただろう」とコメントされることが多いような気がします。それはそれですばらしいことです。けれど、一つのことにこつこつと取り組んで花を咲かせることも、またすばらしいことだと思います。

聖書のことば タラントの教え・・・タラントはお金の単位(分かりやすく意訳されたリビングバイブルでは1タラントを30万円と訳しています。原文では5タラントとあるところを150万円と訳していますから。

マタイによる福音書 第25章 14節から

 25:14 天国はまた、他国へ出かけたある人の例で説明できます。 彼は出発前に、使用人たちを呼び、『さあ、元手をやるから、これで留守中に商売をしろ』と、それぞれにお金を預けました。
25:15 めいめいの能力に応じて、一人には百五十万円、ほかの一人には六十万円、もう一人には三十万円というふうに。 こうして、彼は旅に出ました。
25:16 百五十万円受け取った男は、それを元手にさっそく商売を始め、じきに百五十万円もうけました。
25:17 六十万円受け取った男もすぐ仕事を始め、六十万円もうけました。
25:18 ところが、三十万円受け取った男は、地面に穴を掘ると、その中にお金を隠してしまいました。
25:19 だいぶ時がたち、主人が帰って来ました。 すぐに使用人たちが呼ばれ、清算が始まりました。
25:20 百五十万円預かった男は三百万円を差し出しました。
25:21 主人は彼の働きをほめました。 『おまえはわずかなお金を忠実に使ったな。 今度はもっと大きな責任のある仕事をやろう。 私といっしょに喜んでくれ。』
25:22 次に、六十万円受け取った男が来て、報告しました。 『ご主人様。 ごらんください。 あの六十万円を倍にしました。』
25:23 『よくやった。 おまえはやり手で、しかも忠実なやつだ。 わずかなお金を忠実に使ったから、次はもっとたくさんの仕事をやろう。』主人はこの男もほめてやりました。
25:24 -25最後に、三十万円受け取った男が進み出て、言いました。 『ご主人様。 あなた様はたいそうひどい方でございます。 私は前々から、それを存じ上げておりましたから、せっかくお金をもうけても、あなた様が横取りなさるのではないかと、こわくてしかたがなかったのです。 それで、あなた様のお金を土の中に隠しておきました。 はい、これがそのお金でございます。』
25:26 これを聞いて、主人は答えて言いました。 『なんという悪いやつだ! なまけ者めが! 私がおまえのもうけを取り上げるのが、わかっていたというのか。
25:27 だったら、せめて、そのお金を銀行にでも預金しておけばよかったのだ。 そうすりゃあ、利息がついたじゃないか。
25:28 さあ、こいつのお金を取り上げて、三百万円持っている者にやってしまえ。
25:29 与えられたものを上手に使う者にはもっと多くのものが与えられて、ますます豊かになる。 だが不忠実な者は、与えられたわずかなものさえ取り上げられてしまうのだ。

 このタラントということばは、「タレント」・・・才能という意味もあります。

 私たち、一人一人に神様からタラントが与えられています。それを人と比べることなく、かけがえのないものとして感謝し、磨き上げつつ、一日一日を歩んでまいりましょう。

 今日、この日も、神様の祝福は私たちにそそがれているのです。よき日となりますように。

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2007年4月15日 (日)

再び、エジソン 一日三食

  エジソンは、あの「ちびまる子ちゃん」の主題歌♪「踊るぽんぽこりん」の歌詞にも「エジソンは偉い人 こんなの常識」・・・・と出てくるほどの人ですから、昨日の追加をもう少し書かせていただきます。

  インターネットのエジソン紹介の記事を読んでいて、エジソンが一日三食の定着のためのキャンペーンに力を入れていたことを知りました。

  現在「早寝早起き朝ご飯」を文部科学省が提唱していますが、その先駆けはエジソンにあったのか、とここまで読んで思われた方はおられるでしょうか?その方は情報通ですね。でも、エジソンの考えはその路線とは異なっていたようです。

  パンを焼くトースターもエジソンが発明したようで、トースターの売れ行きを伸ばすにはパンの消費を増やすのが近道それにはきちんと一日三食食べることを定着するのがいい・・・このように考えたらしいのです。ということは、多分、当時は二食がスタンダードだったのでしょうね。

  ベートーベンがその時代において卓越したピアニストでもあったように、エジソンはモールス信号の送受信において、すばらしい技能の持ち主でもあったそうです。また、有名な発明にはならなかったようですが、テーブルに上がってくるゴキブリに困っている食堂のために、テーブルの下にゴキブリを感電させる装置を取り付けて成功したなどのエピソードを伝記で読んだ記憶もあります。自分に与えられている賜物を磨き上げ、与えられた力をいろいろなことに注ぎ込んで自他の人生の時間を意義のあるもので満たすこと・・・その生き方にやはり心惹かれる私です。

  ただし、家族や友人としてベートーベンやエジソンとすごしたいかとなると、また別かもしれません。(大きな山の姿を鑑賞するのと、その山に登ることの間には大きな違いがあるように思います。)

 さあ、今日は日曜日です。よろしければ、キリスト教会に足をお運びくださいますように。 

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2007年4月14日 (土)

エジソンとエッフェル塔

  4月14日は1900年にパリでの万博が開かれた記念日だそうです。パリでは1855年の初めて万博と呼ばれるようになった国際博覧会以来8回、大きな博覧会が開催されているそうで、さすが花の都パリといわれるだけありますね。

  1889年にもフランス革命100年を記念してパリで万博が開かれており、(この時は5月5日にオープン)、エッフェル塔はその万博のシンボルとして建てられたのだそうです。

  この万博のときにエッフェル塔を夜間のイルミネーションで彩ったのが、エジソンの白熱電球だそうで、ちなみに1878年のパリ万博にはエジソンの蓄音機が出展されたとのことです。

  エジソンの電球のフィラメントとして日本の竹が使われたことは有名ですが、エジソンは野口英世など何人かの日本人と親交があり、新渡戸稲造の『武士道』を愛読していたそうです。

 上記と下記の内容は、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 のエジソンの項目から引用させていただいています。

 なお、エジソンの有名な言葉 「天才は1%のひらめきと99%の努力」 は本人が後年語ったところによると実際の発言は 「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」 であったとのこと。 言い換えれば、 「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」 ともいえ、 それこそが、例えば電球を発明するのに一万回失敗しても挫折せずに努力し続けるよう 彼を支えたものであったと思われているようです。

 最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。 よいアイディアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、その来源が深ければ深いほど、通常の表層意識では意識できないものなので、いとも簡単に忘れてしまうということで、 エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。 ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった (再びちなむと、二人とも、研究以上にジョークを作ることに没頭したことでも知られている)。

  エジソンのメモ・記録は半端な数ではなく「エジソンプロジェクトという、 エジソンが残した500万枚以上のメモや記録を整理、分析するという計画がアメリカで進行している。 しかし、まだ全貌の解明には至ってない。 」と前記の百科事典にあります。

  小学校の教育になじめず、母親が教育したというエジソンはADHDだったのではないかとの説があるようです。それについて詳しいことは私には分かりませんが、出来るだけ受容的にそれぞれの子の可能性を信じてともに歩む構えと、それを可能にするふところの深い教育体制が整えられることの重要性を思います。

  少年時代、伝記を読んでエジソンに惹かれたことがありましたので、つい長くなりました。お立ち寄りくださって、ありがとうございます。

聖書のことば ローマ人への手紙 第5章 2節~ 5節

 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。
  忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。
  そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。

 電球の発明を完成させようとするエジソンは何回失敗してもくじけませんでした。「駄目な方法を私は何百も知ることができた」というようなことばを胸を張って周囲に語りながら、光を見るまでチャレンジしたのです。

 私たちも、困難な闇の中にあるときほど、神様にある光にたどり着くよう、祈りつつ前進したいと思います。

 今日も、神様の祝福をいただくことができますように。

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2007年4月13日 (金)

炭坑のカナリア

  4月10日は、さだまさしさんの誕生日でした。現代の吟遊詩人と言われる彼は、♪「主人公」では「自分の人生の中では誰もがみな主人公」と歌い、♪「風に立つライオン」では「僕たちの国は残念だけれど何か大事なところで道を間違えたようですね」と歌っています。

 その彼は、炭坑のカナリア・・・有害なガスがあったら真っ先に死ぬことを通してそれを伝える命懸けの使命を果たす・・・に自分をなぞらえています。『本気で言いたいことがある』さだまさし著・新潮新書700円

  争いを繰り返している世界の国々に日本の憲法を合わせていくのではなく、多くの血を流し、そのことによって得られたたった一つの財産といってよい戦争を放棄している日本の憲法の気高い精神に世界の国々を参集させることに唯一の被爆国である日本は力を尽くすべきであると、さだまさしさんだけでなく、多くの人は願っていると思います。

  私たちは、日本をどういう国として子孫にバトンタッチしていこうと考えているのでしょうか。

聖書のことば  マタイによる福音書 第5章9節

  平和をつくり出そうとしている人は幸福です。 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。

  この春は、桜が比較的長持ちしているようですが、やはり散り始めました。無風状態では次の三つはほぼ同じ速度・・・毎秒約50センチ・・・なのだと前掲の本には書かれています。ぼたん雪の降る速度桜の花びらの散る速度、そして螢の飛ぶ速度

  政治家たちが急激に人為的に起こそうとする変化の速度は、日本の美しい自然の歩む速度とあまりにもかけ離れ過ぎているように思われます。再び戦場に教え子たちを送る事態になったら、命をもって平和をもたらしてくださった先人たちに私たちはどんな顔を向けることができるというのでしょうか。

 

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2007年4月12日 (木)

竹久夢二展

  美濃加茂市のギャラリー・ルネというところで「竹久夢二」の作品の木版画展が開かれていることを新聞で知り、見に行ってきました。

 「宵待草」・「花影」・「椿姫」・「マノンレスコー」などおよそ四十点・・・夢二自身が監修して彫られ、刷られた貴重な木版画や、直筆の絵も飾られ、静かにショパンなどのピアノ曲が流れる上質の環境の中にしばらくたたずませていただきました。

  ギャラリー・ルネは、美濃加茂駅から少し南に行ったところにある七階建てのビルの二階にあり、そのビル用の駐車場もあります。

  会期は15日(日)まで、時間は11時から19時です。無料です。お時間の作れる方は、ぜひどうぞ。復刻版の木版画は数万円で購入できるとのことでした。お勧めいただいて光栄ではありましたけれど、代わりに絵はがきセットで満喫させていただいている我が家であります。

聖書のことば  マタイによる福音書 第7章 第6節

  聖なるものを犬に与えてはいけません。 真珠を豚にやってはいけません。 豚は真珠を踏みつけ、向き直って、あなたがたに突っかかって来るでしょう。 

 日本の「猫に小判」にあたるのが、「豚に真珠」です。あれ、今日のエピソードと上の聖書のことばを結ぶと・・・私が豚ということになってしまうのかな・・・そんなつもりでは・・・

 そうそう、思い出しました。かつて、私の親族に「この子が、口がきける年齢になって、父ちゃんよりも豚のほうが好き、と言ったら、ちゅうちょせずに豚になります」と笑顔で語った人がいます。聞いた私たちは、その大きな愛に心をうたれたものでした。

 私たちを愛して、イエス・キリストをこの世の中に遣わしてくださった神様は、私たち一人一人に対して

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 / わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)

と聖書の中で語ってくださっています。

 今日も、神様の大きな愛の中に生かされていることを感じながら、歩むことができますように。

 新年度の出発のいそがしさのゆえに健康が圧迫されているかたの上に、特に神様の助けを具体的にいただくことができますように。

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2007年4月11日 (水)

「虫歯があっても・・・」

 ♪「ぴっかぴかの 一年生」というCMソングというには短いようにも思うのですが、印象的な歌がかつてありました。

 この春、いったい何人の新一年生が小学校に入学したことでしょう。

 そう考えていて思い出したのが、入学を半年ほどあとに控えた時期に行われる「就学時健診」での出来事です。

 「来年の四月には、元気で入学式に来てくださいね」と声をかけたら、その男の子は、間髪を入れずにこう言ったのです。

「虫歯があっても、入学していいの?」

  就学時健診で、虫歯が見つかったことをよほど気にしていたのでしょうね。

「もちろんです。待っていますよ」

 その子の顔が、ぱっと明るくなりました。

 今朝、その子の顔を思い出しながら(今年は2年生になりました)神様の愛のことを考えています。

 「さあ、あなたも洗礼を受けてクリスチャンになりなさい」

 「清く正しいとはいえない私でもいいのですか?」

「もちろんです。イエス・キリストは、すべての人の罪を背負って十字架にかかってくださったのですから、そのキリストを救い主として受け入れる人は、誰でも洗礼を受けてクリスチャンになっていいのですよ」

聖書のことば  ヨハネによる福音書 第3章16節

 実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。 それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。

 この箇所は、聖書の内容が凝縮して書かれていることから「小聖書」と呼ばれています。

 あなたがお近くのキリスト教会に足を運び、イエス・キリストの愛を確信して生きる道の新入生になられることをお祈りさせていただきます。

 今日も、神様があなたを守ってくださいますように。

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2007年4月10日 (火)

初登板

 数年前、「将来の夢は?」といきなり四年生の女の子に尋ねられたことがあります。

  わおっ、こちらから尋ねることがあっても、まさか、初老の私に、この質問が向けられるとは・・・

 不意を突かれてどぎまぎし、とりあえず「皆が元気に成長することだよ。」とか答えたものの、私自身がどうなりたいか、という答えにはなっていなくて反省しました。

  実は、4月9日に新しい仕事で初登板し、「将来の夢は?」と尋ねられたときには形をなしていなかった夢の第一歩を踏み出しました。教育学部の学生さんを教職経験を生かしてサポートさせていただく仕事です。

 大リーグの松坂投手は初登板の日を勝利で飾りました。教育に関する仕事は、その日の内に結果が出るものではありませんけれど、大学構内の桜を見ていたら「おはようございます!」と明るい表情、元気な声をかけてくれる学生さんがかなり居て、すがすがしい気持ちで午後からの初登板に臨むことができました。

 改めて、明るい表情でのあいさつのすばらしさを感じました。

聖書のことば  マタイによる福音書 第28章 9節

 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。

 このイエス・キリストの「おはよう」はとりわけ、すばらしい挨拶でした。十字架の死からよみがえられての挨拶だったからです。闇の中にいた心にさーっと明るい光が差し込む「おはよう」でした。

 子どもとの会話、出会った人との挨拶・・・神様への朝、夕、時を分かたぬ祈りは、特に大きな喜び、慰め、支えをもたらします。

 今日も、明るい笑顔であいさつを交わしながら、ともに神様の祝福をいただいて歩むことが出来ますようお祈りいたします。「行ってらっしゃーい」「行ってきまーす」

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2007年4月 9日 (月)

満開のさくらたち

 いよいよ入学式、始業式の季節到来です。ふと思いました。諸外国は9月が新年度スタートのところが多いようですけれど、なぜ、日本は四月なのかと。

  あっ、ここまで読んで今日の題と結んでくださったあなた、なんとすてきな感性の持ち主なのでしょう。そう、そうなのです。さだまさしさんの本にも「桜の開花が全国ニュースになるなんて、なんとすてきな国でしょう」というようなコマーシャルがかつてあったと書かれていますが、その桜が咲くこの四月以上に入学式、始業式にふさわしい月があるでしょうか。

  とにかく、満開の桜に祝福されて2007年度はスタートしました。桜は散ってもその事実は残ります。新入生も、そうでない人も人生の花をすてきに咲かせ、よき実を結ぶことができますように。

聖書のことば  コリント人への手紙 第二  第2章 15節

 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

 星野富弘さんの詩に、今、私を通り過ぎた風はどんな風になったのだろう・・・というような詩句がありましたね。

  さあ、神様があなたとともに歩んでくださってさわやかな一日となりますように。  行っていらっしゃい  そして私も  行って来まーす。

 

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2007年4月 8日 (日)

復活祭

  今年の4月8日、日曜日はクリスチャンが復活祭(イースター)としてお祝いする日にあたっています。

  イエス・キリストの誕生を祝うのがクリスマス、十字架につけられたキリストが死からよみがえったことを祝うのが復活祭です。

  復活祭は、「立春後の初めての満月が終わって迎える最初の日曜日」となっています。毎年、何月何日という決め方ではないので、今年は4月8日、という言い方になるわけです。

  キリストのよみがえりは、臨死体験をした人が蘇生したというのとは、はっきりと一線を画す出来事として聖書に記されています。

聖書のことば  ヨハネによる福音書  第11章25節

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

  このことばをすんなりと受け入れることは、難しいでしょう。イエス・キリストと寝食を共にし、最後の晩餐にもあずかった弟子たちでさえもすぐには受け入れがたかったのです。けれど神様はこのことについて理解できるようにきっと助けてくださいます。

  あなたは、人生が死で終わることは理不尽であり、不条理だと思われたことはないでしょうか。

  人間には生死を越えて求めるべき大切なことがあるように思います。

  人は創られてあるもの、神様は在って在るもの、永遠から永遠まで支配されるかたなのです。聖書を読み、祈り、キリスト教会を訪れてくださることをお勧めいたします。

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2007年4月 7日 (土)

入学式・始業式

  いよいよ、入学式・始業式・・・スタート時の感激を大事にして一年間をすごすことは難しいことですけれど、何とか竜頭蛇尾にならないように一日一日を励みたいものです。

 毎日、食事をすることは、あまり努力せずに続けられるでしょうから、「このことは、毎日必ずするぞ」ということを習慣化するとよいのでしょうね。このことをしないうちは心がすっきりしないというほどまでに。

 「No bible, No bread.」ということばがあります。「聖書読まずに飯食うな」というところでしょうか。

 体の食事を摂るのと同じように、魂の糧として毎日聖書を読むことができたらと思います。

聖書のことば  マタイによる福音書 第4章 4節

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』

 「衣食足りて礼節を知る」と申しますが、「武士は食わねど高楊枝」ということばもあります。

 食べること以上に、まず魂を飢えさせない生活、志を大切に貫く生活を目指せたら、と思います。兵糧攻めには弱い私ではありますけれど。

 よき19年度となりますように。

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2007年4月 6日 (金)

えっ、そんな・・・

Photo_2  今日書くのは本来は内輪の話なのですけれど、まあ、聞いてください。一昨日のことです。

  せっかく桜が咲いているからどこかへ見に行こう、と家内と出かけることにしました。

 岐阜公園、各務原市の境川沿いなどを想定していたのですが、「友だちと一緒に行った寺田の千本桜がいい、おでんもあるし、団子屋さんもあったから・・・」との家内の意見で方向を定め、車を走らせると・・・ありました。見事に咲いた桜が花明かりのトンネルを形成しています。

 「友だちと来たときは、駐車場がいっぱいで、車がおけないくらいだった。夕方だから人が少ないのかな。桜、綺麗ね、あ、ほら、団子屋さんもあるでしょ。」

 などと話していた家内が、「でも、何だか、前来たときと違う感じがするの、反対方向から来たのかなあ。」というので、家に帰る前に、しばらく道を進んでUターンして反対方向から桜並木と店を眺めて帰途に着きました。「これで、前に来たときと同じ感じになった?」「そうねえ・・・。」

  これでしっくりとおさまったと思っていた私に、夜もふけて大打撃が訪れました。家内が、何とこういったからです。

「あっ、分かった・・・友だちと見に行ったのは桜ではなくて紅葉だった。別の所だったから、イメージが違っていたんだ。」

  こんなとき、あなただったら、どんなコメントをなさいますか・・・まあ、どんな思い違いがひとにあろうと、桜は桜、きれいでしたよ。団子もおいしかったですし・・・。

聖書のことば  コロサイ人への手紙 第3章 18節 19節

妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。
夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。

  これは、結婚式の夫婦の誓いの時に読まれる聖書のことばの一部分です。上に書きましたエピソードと結んでいいのかどうか、書き手にも迷いはありますけれど、先日37回目の結婚記念日を無事(!?!)迎えたことでもありますから引用させていただきます。

 今日も、神様があなたを守り、祝福してくださいますようにお祈りいたします。

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2007年4月 5日 (木)

デビューの日

 4月5日はデビューの日・・・説明・・・1958(昭和33)年、プロ野球界に当時の超大型新人・長嶋茂雄さんがデビューしたことにちなんで、その年デビューした新人にエールを送る日。

出来事
 ・1978年 池袋に60階建の高層ビル・サンシャイン60が完成
 ・1998年 明石海峡大橋開通、つり橋としては世界最長

  あの長嶋さん、そしてサンシャイン60、そして明石海峡大橋がデビューした日なのですね。

 そして、学校でも新年度の学級担任がデビューに備えて春休み中も情熱に燃えて励んでいます。

  長嶋選手は、国鉄スワローズの金田投手に4三振させられたのです。けれど、金田投手は三振させても三振させても思いっきり堂々とバットを振る新人に心の中でこれは大物だとの手応えを感じていたのだそうです。四百勝を越える実績を残した大投手の目もまたさすがですね。

聖書のことば  サムエル記 第一  第16章7節

人はうわべを見るが、【主】(神様)は心を見る。」

  神様の目は、もっともっと確かです。人の評価を気にして小さくまとまらないで、のびのびと自分の賜物を発揮いたしましょう。

 さあ、私たち一人一人が思いっきり持ち味を出してこの世で与えられている場で輝くデビューの日です。

生きている 一日一日 (ひとひ ひとひ)が 晴れ舞台

 今日も、神様がともに歩んですてきな日としてくださいますように。

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2007年4月 4日 (水)

あんぱんの日

 4月4日はあんぱんの日だそうです。説明・・・1875(明治8)年、木村屋の初代・木村安兵衛さんが明治天皇にあんぱんを初献上したことに由来して、株式会社木村屋総本店が制定。

 あんぱんはすごい発明なのだそうです。和洋折衷を高い次元で実現している見本のような存在なのだそうです。

 アンパンマンは子どもたちに人気があります。作者のやなせたかしさんはクリスチャンなのだそうです。森永製菓の商標に天使が登場しているのは、森永の初代の社長がクリスチャンだったからだと聞いたことがあります。

  三浦綾子さんの書にドライクリーニングの白羊舎を興したクリスチャンの生涯を描いたものがあります。

 誰かが始めないと始まらなかったものがこの世にはたくさんあるのですね。私は小さい頃、発明、発見の話を読むことが好きでした。エジソンには特に惹かれたものです。あなたは、いかがでしたか。

聖書のことば  創世記 第1章 1節

初めに、神が天と地を創造した。

  天と地を創られた神様が私たち人間を創造してくださったのです。これが逆転することのないように心して歩みましょう。

  高校選抜野球・・・大垣日大高校は8回に逆転されて準優勝となりましたが、さわやかなチームでしたね。甲子園出場の夢に向かって幼いときから積み重ねてきた練習が実を結んだ喜びを一つ一つのプレーをする姿から感じさせ、力を与えてくれました。決勝戦が終わった直後に、夏の大会への思いを語った優勝校の選手もすごいと思います。

 いつも前へ、未来へまなざしを向けて新しい日の歩みを創り出す若人たちに教えられる思いです。今日も、神様の祝福の中を前進できますように。

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2007年4月 3日 (火)

出発への備え

  4月は子どもたちには入学、進学の季節、大人にとっても社会人になったり、異動して新しい職場の一員になったりする新たな出発のときです。

  昨年度と同じ職場におられる方も、職場のメンバーが一人でも代われば、それは新しい人間関係を構築する新風が吹き込む機会です。また、たとえ、メンバーが代わらなくても、心機一転の機会でもあるのがこの4月です。

  小鳥が羽繕いをして空へ飛び立つように、私たちもまた、心身を整えて毎日の歩みへ船出してまいりましょう。

 パウロという人が、イエス・キリストのことを伝えるためにどんな備えを呼びかけているかを聖書のことばでご紹介させてください。

聖書のことば  エペソ人への手紙 第6章 10節から

 主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての 武具を身に着けなさい。
 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、 足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 パウロは この世に生きるクリスチャンたちに、出陣する戦士のように、神様の武具を身にまとうことを呼びかけています聖書にこんな箇所があるのかと驚かれる方もあると思います。

 けれど、現代はある意味ではパウロの生きた紀元1世紀以上にいろいろな誘惑が巧妙に張り巡らされており、魂が健全に生きるためには多くの戦いが必要である時代といえましょう。

  さまざまな誘惑に負けることなく、また、正しく生きることをはばむ壁にもたじろがず生きるには、このパウロのような決意と備えが現代人にも必要だと思います。

  会議への提案資料、財布、免許証、お弁当、明るい笑顔・・・それらも大事ですが、まず、神様に今日、み心にかなう歩みへの導きを祈って、出発いたしましょう。  神様と共に進むよき日としていただけますように。

 毎日のわざが神様とのコラボレーションとなっている人は、何と幸いなことでしょう。

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2007年4月 2日 (月)

こどもの本の日

  4月2日は国際こどもの本の日だそうです。説明・・・デンマークの童話作家・アンデルセンの誕生日にちなんで、日本国際児童図書評議会等が1996(平成8)年に制定。

  多分、秋田雨雀というかただと思うのですが、童話について次のようなことを書いておられました。(メモを紛失してしまったので、書いた人について不正確なので、すみません。)

 記憶に残っているのは、こんな内容です。「童話は、子どものために書かれるが、書き手の中の永遠の子どもを読み手として書かれるものでもある。永遠の子どもは真・善・美を好み、それに憧れる。永遠の子どもの最もうるわしい性質は、真・善・美を一体のものとしてとらえていることである。」

  原文は、もっと迫力、説得力があり、読んでいて胸が高鳴ったことを覚えています。

  アンデルセン童話は、ハッピーエンドのものばかりではなく、悲しいものも多いのですが、ギリシャ悲劇のようなカタルシスの作用を果たす悲しさとは異なるように思います。※「続きを読む」に「カタルシス」の意味を添えさせていただきます。

 それはともあれ、すぐれた童話は、「すべての大人は子どもに最善のものを贈る義務を負う」という児童の権利条約の根幹の精神を具現しているように思います。

 また、この精神は、北原白秋や芥川龍之介、有島武郎などが賛同して作品を寄せた『赤い鳥』(鈴木三重吉主宰)の心とも通じていると、私は考えています。

 読み返してみると、今日の文章は内容・文体ともに年度当初のりきみがあるようですが、お許しください。(まだまだ青い自分を感じます。)

聖書のことば  マタイによる福音書 7章9節~12節

7:9 パンをねだる子供に、石ころを与える父親がいるでしょうか。
7:10 『魚が食べたい』と言う子供に、毒蛇を与える父親がいるでしょ うか。 いるわけがありません。
7:11 罪深いあなたがたでさえ、自分の子供には良い物をやりたいと思うのです。 だったらなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良い物を下さらないことがあるでしょうか。

 私たちが子どもに最善のものを贈りたいと願う以上に、神様は私たちに最善のもの、救い主としてのイエス・キリストを贈ってくださっているのです。

  今日も、その神様に信頼し、その祝福の中を歩ませていただきましょう。よき日となりますように。

 

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2007年4月 1日 (日)

本当に4月1日

 エープリル・フールではなく、本当に4月1日、昨夜の雨も上がり、晴れて無職の身となりました。まだ実感がわきませんけれど、今はどこかほっとしています。定年退職初日の感想です。

 さて、今日はトレーニングの日なのだそうです。説明・・・スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店エスポートミズノが1994(平成6)年に制定しました。年度始めからトレーニングを始めようという日です。

 元旦も一年の計画のよい起点になりますが、すでに三日坊主に終わっている計画に新しい決意を込めて再挑戦するチャンスが4月1日なのですね。うーん、ウオーキング再開への意欲と希望が湧いてきました。

 何事にも、初めがありますね。

聖書のことば 箴言  第10章  9節

【主】を恐れることは知恵の初め、 / 聖なる方を知ることは悟りである。

 分かりやすく意訳したリビングバイブルでは次のように訳されています。

  知恵の基本は、神様を恐れ、たいせつにすることです。 物事がよくわかりたかったら、まず神様を知りなさい。

 おりしも今日は日曜日、キリスト教会へ行くことで一週間を始めることができたら、どんなにすばらしいことでしょう。ぜひ、お行きになることをお勧めいたします。

 ところで、九州には「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む名字があるのだそうですね。暖かさが本格的になるこの時期に、綿入れの綿をぬいて夏用に仕立て直したことからきていると何かで読んだことがあります。 

 神様の祝福の中を今日も歩ませていただくことができますように。

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