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2007年4月20日 (金)

木を植え、山を育てる心

  「教育は国家百年の大計」ということばもあるのに、教育改革、教育改革と、何とかまびすしいことでしょう。

  教育には、稲作、野菜作りのように1年周期のように思える側面もありますが、もっと長い期間をかけて構想して林や山を育成する林業のようなところに本質があるように思います。

  古来、木を植える人は、自分の代で利を得るのでなく、孫、あるいはその先の子孫のことまでおもんぱかって苗木を植え、雪起こしや枝打ちなどをして次代にバトンタッチしてきたものです。

  私は下呂の小学校に勤めたとき、学校林の活動に初めて参加する機会を得ました。その企画にとても熱心で、先頭に立って地味な作業に打ち込まれたのは、白髪の校長先生でした。ひのきの苗木を植えてもそれが大きくなるころには、この世にはおられないであろう校長先生が情熱をもって育林される姿に、頭が下がり、これこそ未来を信じ、自分の利害を越えて力を尽くす教育の心だ、と感じ入ったものです。

  教科書のこのページの内容が分かるように、また、ドリルのこの問題が解けるようにという思いにかられやすいのですが、子どもがどんな人間に育ってほしいかという大きな観点、遠い将来への展望をこそ大切にしたいと思います。

  即効的で促成栽培的な構えで、目先の成果にとらわれている目に応えようとすると、すぐに形に表れてこない、それだけにとても大事なものを育てる地味な歩みは切り捨てられてしまうおそれがあります。

  化学肥料とビニールハウスの効用について、異を唱えるものではありませんけれど、堆肥をじっくりと効かせて土を養い、自然の風雪に耐えて実を結ぶ露地栽培の作物の味わいを、より大切にしたいものです。

聖書のことば  第3章 23節 

 何をするにも、人に対してではなく、主(神様)に対してするように、心からしなさい。

  目先のことにとらわれず、自分を利することに走らず、小さい存在を軽んじることのない大人のみが、教育のことを論ずる資格をもつのだと思います。『国家の品格』の中で藤原正彦さんが、愛国心ということばよりも「祖国愛」ということばとその理念を自分は広めていきたいと書いておられますが、どっしりとした構えと展望を私は感じました。

  今年のNHKの大河ドラマは「風林火山」ですが、教育には特に「動かざること、山のごとし」というところが必要だと思います。「大山鳴動して鼠一匹」というようなこと、あるいは「大山を鳴動させて子どもの将来を閉ざす」というようなことは、決してあってはならないのです。

  神様に対して何かをさせていただくような構えで、子どもたちに対すること、そういう身の引き締まるような厳然としたものを教育の根底に据えていたいと思います。

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