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2007年5月16日 (水)

仲代達矢さん・・・種の話

 平成12年に、その年の美濃加茂市の坪内逍遙大賞を受賞された俳優の仲代達矢さんと映画の篠田正浩監督や美濃加茂市長さんとの対談をすぐ間近でお聞きする機会がありました。

  仲代達矢さんが俳優になる前に、資本がなくても何とか食べていける仕事をと考え 、最初はボクサーになろうと思い、実際に何カ月かジムでトレーニングしたそうです。

 けれど、殴られると痛いし、人を殴るのも気が引けるということで、友人に相談しますと、「お前は顔がいいから役者になったらどうか。」と言われ、顔のことは分からないけれど、その道に進んで今日に至ったと、ユーモアを交えて語られました。今でもこの道よりも自分に合っている仕事があるのではないかという気がするとも言っておられました。俳優として数々の賞を受賞されている名優ですのに、何と謙遜なことばでしょう。

 その仲代達矢さんが奥様と力を合わせて後輩を育てる意図で続けてきた無名塾についても話されました。この人はきっと大成するぞと見込んで入塾させた人が必ずしも順調に伸びるとは限らないそうです。あまりに成長がないので「種だと思ったけれど、もしかして石を見間違ったのだろうか。」と思いかけたころに、「あっ、芽が出ているじゃないか、やっぱり石ではなく種だったのだ。」と再認識させられる経験が何回もおありだとのことでした。
 私がこの話を何人かにしたところ、「テレビで見たのだけれど、オーストラリアには山火事に遭って初めて種が発芽する植物があるそうですよ。」と教えてくれる人がありました。一人ではなかったので、きっと実在する植物だと思います。

 学校に通っているどの子どもにも可能性の種が内在していると思います。そして「先生の将来の夢は?」と突然子どもに尋ねられてどきっとした私の中にも、ひょっとすると山火事に遭ってさえ発芽していないような種がまだ眠っているかもしれません。

  人がいだく夢、願いは種と共通するところがあるように思います。夢も、願いも、そして種も、命が内在していれば、いつの日かきっと花開くときがくるのではないでしょうか。

聖書のことば  マタイによる福音書 第17章 20節

 イエスはお答えになりました。 「・・(中略)・・・ もしあなたがたに、からしの種ほどの信仰があったら、この山に向かって『動け』と言えば、そのとおり山は動くのです。 何でもできないことはありません。」

  これは、神様を信ずる信仰に基づいて願うことですから、わがままで横暴な願いも聞き届けられるということではありません。また、時を指定できることでもありません。

  けれど、神様に信頼し、心から願うならば、きっと神様は神様の選んだ方法と時に、その願いに応えてくださいます。

 今日という一日、謙虚に、しかしたくましく、しなやかに歩むことができますように。

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