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2007年5月20日 (日)

大樹の深き根

  みどりの豊かな季節になってまいりました。草花のみどりもそうですが、特に山々のみどりのみずみずしい生命力は目と心をどんなにうるおしてくれていることでしょう。

  岐阜市の木は「つぶらじい」ですが、頂上に岐阜城の建っている金華山の名は、このつぶらじいの葉が黄金色の花が咲いているように見えるところからつけられたとのことです。金華山は方向によっては牛が臥(ふ)しているように見えるので、古くは、臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれていたようです。

 みどり豊かな金華山を見て、「コタンの口笛」などの作者であり、国語教育に造詣の深かった石森延男さんは「マヨネーズをかけて食べてしまいたい」とおっしゃったそうですが、ユーモアと気宇の壮大さが伝わってくるエピソードだと思います。

 したたるようなみどりの葉を茂らせている木々は、強い根を張っています。大樹になるほどその根はしっかりしています。・・・というのは順序が反対でしょうね。地中に深くしっかりと根を張ったからこそ、地上に大樹として勇姿を現しているということなのでしょう。

 今、教育に企業のように競争原理を持ち込み、学校間の成績を競わせる動きが活発化しています。

 目に見える成果を求める性急さは、本来、「国家百年の大計」といわれる教育には馴染まないものです。目に見える成果を促成栽培的に重視することによって、目に見えないところで熟成される大切なものが切り捨てられれば、浅い根しか張っていない木が背伸びして目立とうとするようなもので、ちょっと強い風が吹けば、あっけなく倒れてしまいます。

 大きな展望を持って歩んでいない大人がどうして子どもを深い根を張った大樹のような人物に育成できるでしょうか。

  まずは、「早く芽を出せ、柿の種・・・」式の構えを改めることから始め、どんな人間に子どもを育てるのかをこそ見つめて大人が歩もうではありませんか。

聖書のことば   詩篇  第37編 23節・24節

 正しい人は、神様の指示に従って歩みます。 神様はその一歩一歩をお喜びになるのです。
たとい倒れても、それで終わりではありません。 神様がしっかり支えておられるからです。

  この世の刹那的な利害にとらわれて永遠なる神様を見失うことなく、まず大人が確かな志と展望をもって、子どもに恥じることのない一歩一歩を日々、刻んで歩んでまいりましょう。

  今日も、神様がそのような一日を歩ませてくださいますように。

 今日は日曜日、ぜひキリスト教会へお出かけください。

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