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2007年5月15日 (火)

思わぬ余波

  ある方が、私の二男と二人がかりで大きな木の株を引っこ抜くという大仕事を成し遂げたことをブログに書いておられました。「おおきなかぶ」の民話になぞらえて楽しい文章でした。

 そのことを家内に知らせましたら、思わぬ余波が・・・「ウチの庭にも長年、気になっている株があるんだけど・・・」

  ・・・二男は趣味を「筋肉トレーニング」と公言しているほどですが、こちらは別に体に悪いところはないのですが、安静にしてごろごろしているのが好きな性分です。そういう大きな土台の異なりを越えて、久しぶりに土を掘り、株を抜くという仕事に挑戦いたしました。(別に兵糧攻めをおそれたのではなく、一家の主人としての崇高な決意からです。)

  幸い、成果が上がり、(私の息もあがりましたけれど)、にこやかな家内の笑顔に接することができました。

  人生、いつどんな形で意外な局面に立たされることがあるか、わかりません。「備えあれば憂いなし」ということわざもありますが、心していろいろなことに備えておきましょう。

聖書のことば   マタイによる福音書 第25章

25:1 天国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘〔花嫁の付き添い〕の話でも説明できます。
25:2 -4そのうちの五人は賢く、ランプの油を十分用意していましたが、残りの五人は愚かで、うっかり忘れていました。
25:5 さて、花婿の到着が遅れたので、みな横になり寝入ってしまいました。
25:6 真夜中ごろ、ようやく、『花婿のお着きーっ。 迎えに出なさーい』と叫ぶ声がします。
25:7 -8娘たちはとび起きると、めいめい自分のランプを整えました。 その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。
25:9 『ごめんなさい。 でも、分けてあげるほどはないの。 それよりもお店に行って、買ってきたほうがいいんじゃないかしら。』
25:10 こう言われて、あわてて買いに行っているうちに、花婿が到着しました。 用意のできていた娘たちは、花婿といっしょに披露宴に行き、戸は閉じられました。
25:11 そのあとで、例の五人が帰って来て、『ご主人様ーっ、戸を、戸を開けてくださーい』と叫びました。
25:12 ところが主人は、『さっさと行ってしまえ。 もう遅すぎる!』と冷たく答えました。
25:13 こんなことにならないために、目を覚まして、いつでもわたしを迎える準備をしていなさい。 わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから……。

 13節の「わたし」はイエス・キリストで、「わたしが来る日」というのは、イエス・キリストの再臨の日のことです。

 イエス・キリストが再び、この世に来るときには、すべての人を裁く権威をもって来られることが聖書に書かれています。

 裁かれるのが恐ろしいから、正しく生きなければ・・・というのとはニュアンスが異なるのですが、「誰も見ていないから好き勝手に生きる」という生き方と「いつも神様が見ておられるから、心に恥じる行為、生き方は私はしないぞ」という生き方とを比べるとしたら、後者のほうがよい実を結ぶであろうことは言うまでもありません。

 今日の一日、眠る前に振り返って心に平安を覚える歩みをすることができますように。

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