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2007年5月 4日 (金)

うぐいす

  今朝、家の近くでうぐいすが鳴きました。練習期間が終わったのか、つっかえることもなく、メロディといい、声といい、とても美しいのです。朝の目覚めにこのようにすてきなプレゼントをいただけるとは、なんとすばらしいことでしょう。

  昨日の午後、長良シンフォニックバンドの演奏会に行きました。司会者も指揮者も演奏者もすばらしく、とてもすてきな演奏会でした。特に私自身が若い頃に吹いていた楽器、トランペットがソロを吹くところでは、血が騒ぎ、心が高揚しました。

 うぐいすがうぐいすの歌を歌い上げ、トランペットがトランペットの受け持つメロディを高らかに奏でる・・・まことにすてきなことです。一人一人の人生もそうなのですね。

 学級でも、アンサンブルでも、オーケストラでも、家庭でも職場でも、一人一人がその持ち味を調和的に最高に磨き上げて発揮するとき、すばらしいハーモニーが現出します。

 聖書には、次に引用するように、一人一人を体の各器官に見立ててかけがえのない大切な存在であることが書かれています。

 今日も私たち一人一人が神様から与えられている音色で、精一杯のメロディを奏でることができますように。聖書の引用が長くなりましたので、先に思いを書かせていただきました。

聖書のことば  コリント人への手紙 第一  第12章 14節から

12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。

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