« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月30日 (土)

平常心

 ナイアガラの滝の上49メートルの高さに綱を張り、フランスのシャルル・ブロンダンという人が見事に渡りきったのが1859年の6月30日だそうです。

 この人はどんなに高いところであっても、床の上に置いた綱の上を歩くのと同じだと平常心を保つことができるということではないでしょうか・・・修練の技術を生かすことができるのは心だと思います。

 1986年のこの日、ワールドカップメキシコ大会の決勝が行われ、アルゼンチンのマラドーナ選手(当時25歳)が5人抜きをして歴史に残るシュートを決めました。

 これも、日頃の練習があればこそ、これ以上ないという晴れ舞台で見事なプレーが生まれるのでしょうね。

 また、アインシュタインが相対性理論をドイツの物理雑誌に届けたのが1905年のこの日だそうです。

聖書のことば  テサロニケ人への手紙 第一 第5章 16節~18節

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

  付け焼き刃でなく、一日一日を神様と正しい関係を結びながら感謝して歩むこと・・・そのことができますように。

  この6月30日は私にとって弟のような存在であり、音楽を一緒に楽しんだある教師を亡くした日でもあります。彼のことは心から離れません・・・心に刻んで今日も歩もうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

プリンス

 1900年の6月29日、サン・テグジュペリが生まれました。ご存じ、『星の王子様』を書いた人です。倍賞千恵子さんも、何年生まれかは書きませんが、この日が誕生日だそうです。

  野球のハンカチ王子、ゴルフのハニカミ王子などなど、世の中の人に愛されると○○王子という愛称で呼ばれるようになるのですね。

 ちなみに、引退した三遊亭円楽さんが若い頃に「星の王子さま」と呼ばれたことがあります。

 年齢を加えると、「獅子王リチャード」とか、さらに年齢が加わると、「ご老公」というようなことになるのでしょうか。

聖書のことば  伝道者の書  第12章 1節

  あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

  若者には若者のよさ、輝きがあります。

  でも、年代を経ることでさらに値打ちを増す場合もあります。骨董的な価値というだけでなく、年代物の芳醇なワインとか・・・

  一人一人が自分の人生においては主人公です。

  今日の一日もかけがえのない日・・・踏みしめて歩みましょう。

神様の助けがいただけますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月28日 (木)

落とし穴

 ニュースの中には、どうしてその道の専門家がそんなことを・・・と思うようなことがあります。

  政治家の国際関係を悪くするような発言・・・多くは指摘されても失言であったことにすら本人は気づかないようなときさえあります。使うのが懸念される症例・データのある薬をストップさせない医学者、「機長、なにをするんですか」と周囲を驚かせながらの逆噴射、最高に安全を要求されるジェットコースターの点検のずさんさ・・・いくら悲鳴を上げさせるための機会でも点検不実による恐怖はごめんだとの記事もありました。外国から入ってくる肉に気を遣いながら、国内では「羊頭狗肉」の表現を改めたほうがいいのでは、と思わせられる偽りがありました。

 人は、毎日通る道でこそ、落とし穴に陥りやすいのです。運転しないペーパードライバーならば、交通事故は起こさないですものね。

 人一倍敏感であるべきアンテナも働かせ続けていると摩耗してしまいますが、教育に携わる人、そして親である人は、いつも子どもの心に鈍感になってしまうことのない大人であり続けたいと思います。

聖書のことば  マタイによる福音書 第5章 13節

  あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

 自分の使命が何であるかを忘れず、その使命を果たすことで毎日の糧を得ているのだということを私たちは見失わないようにいたしましょう。

 今日という日、使命と誇りを持って歩むことができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月27日 (水)

奇跡の人

 6月27日は、ヘレン・ケラーの誕生日です。1880年に生まれ、重複障害をもちながら、世界で初めて、盲ろうあ者として大学に入学、卒業し、社会福祉活動のために、本を書き、世界各地を講演して多くの人に光と希望を与えました。彼女が学んだラドクリフ大学は、現在ハーバード大学となっています。

 日本には、1937年、1948年、1955年の三回訪れています。最初の来日の時、秋田犬を所望し、2頭贈られたとのことです。

  ヘレン・ケラーの生涯は、確かに「奇跡の人」と呼ばれるに値するものです。けれど、もともと「奇跡の人」というのは、ヘレンの教育にあたり、出会いから50年を共にしたアン・サリヴァンにささげられたことばです。

 でも、どちらか一人ということではなく、この師弟二人ともを「奇跡の人」と考えてよいのではないでしょうか。

聖書のことば  マタイによる福音書 5章 14節から16節

  あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

  私たち、一人一人がこの世に生を受け、人生を歩んでいること・・・そして神様が私たちを愛していてくださることを思うと、私たち自身も充分に、そう、存在自体が既に「奇跡の人」です。

  今日、神様がそのことを一人一人に強く示し、そして光として歩む力を与えてくださいますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月26日 (火)

国際連合

 国際連合憲章に50か国以上が調印し、国際連合の設立が決定されたのが、1945年の6月26日だそうです。

  国を越えて、お互いの痛みがわかり、助け合うことができたら、どんなに地球は美しく輝く星となることでしょう。

  それを夢物語だと馬鹿にする人たちこそ、自らを省みてほしいものです。

聖書のことば  マタイによる福音書  第5章 9節

平和をつくり出そうとしている人は幸福です。 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。

  憤りや意気消沈を心から消して、希望とあたたかい心を目に宿したいものです。

  道徳を教科に、という動きがありますが、川をまっすぐに整備すれば、水はまっすぐに流れます。

  大人が自らの生き方をただし、高い志をもって生きてみせることこそ、今、必要で、そして最高の教育ではありますまいか。

 作家、宮城谷昌光さんの小説にこんなことばがあります。

「文化とは、正しいことが必ず力をもつということだ」

・・・ 今日もどうか力が与えられ、まっすぐに歩み抜くことができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月25日 (月)

さよならホームラン

 1959年(昭和34年)の6月25日・・・巨人阪神戦、得点は4対4。その好試合の9回裏のトップバッター、長嶋茂雄選手が2ストライク2ボールのカウントから、5球目を打つと・・・球はレフトスタンド上段へ。ここぞという好機に強い長嶋選手が、天覧試合でそれを印象づけた一打となりました。

 阪神の村山投手と巨人の王選手は、この年がデビュー、ONのアベックホームランはこの試合が最初、長嶋選手のさよならホームランもこのときが最初だとのことです。

 何事にも最初というのがあるのですね。

 その一打で試合を終わらせるさよならホームランという表現は端的で分かりやすく、本場アメリカでもそのまま英語になっているとのことです。

 もって生まれた運の強さというのは多分あるのでしょうが、晴れの舞台で活躍するにはそれだけの土台が人知れず積み重ねられていることを忘れないでいたいと思います。

聖書のことば マタイによる福音書 第5章 4節

悲しみ嘆いている人は幸福です。 そういう人は慰められるからです。

  プロ野球とちがって、通常の生活、人生にはさよならホームランはなかなか登場しないかも知れません。けれど、神様はいつも私たちの心の内を知り、よく見ていて慰め、力を与えてくださいます。

  ちなみに、村山選手は大投手になり、1500奪三振と2000奪三振という記録の節目の時の相手打者は、いずれも長嶋選手だそうです。

 今日もよき一日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

救援投手

 土曜日の朝、岐阜市の隣り、各務原の友人の家を初めて訪ねました。頭の中にある何枚かの地図が、ジグソーパズルの断片のようだったのが、「あっ、この道は、ここにつながっているのか」とうまく組み合わさった感じで到着できました。

 おかげで、友人と協力して、先日の同窓会の写真を発送する手筈がほぼ整いました。その帰り道に聞いていたラジオで、もと救援投手として活躍した人がこんなことを言っていたのが印象に残りました。

 「相手の打線を抑えたときにニュースになる期間は、まだ一人前の救援投手とは言えない。」と、彼は語ったのです。あれ、どういうことなんだろう、と思いました。すると続けて、彼は

 「相手に打たれたときに、あの○○投手が打たれた、と驚きを持って報道されるようになったときに初めて一人前のリリーフピッチャーになったと言える」

 というのです。少し考えて意味が分かりました。 

  さて、この言い方を借りて書いてみます。

 今日、24日は、日曜日です。私もキリスト教会の礼拝に出たときでなく、行かなかったときに驚かれるクリスチャンへと成長したいと思います。

 いえいえ、一週間のスタートから、少しややこしい文章を書いてしまいました。お許しください。

  このブログを読んでくださっている方で、まだキリスト教会が初めてとか、あまり馴染みがないという方は「あの人が礼拝に出席した」と喜ばれるところから、どうぞスタートなさってください。

   それでは、また。 よき一日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月23日 (土)

あふれる感謝

0001_2  22日の夜は、すてきなディナーをいただきました。

定年退職を祝って教え子たちがプレゼントしてくれたペアでのお食事券を使わせてもらったのです。

  「ご夫婦で新しい時間を刻んでください」とのことばとともに贈られたペアウオッチを身につけ、いそいそと二人で出かけました。

  雨に煙る金華山と鵜飼いの遊覧船の浮かぶ長良川・・・眺めも天下一品の特等席。

  何と見た目にも美しく、そして口当たりのよいフルコースだったことでしょう。ブログを見てくださる方には申し訳ないので、美しいディッシュと、たまたま鵜舟のかがり火を撮ろうとしたカメラに窓ガラスに写った私たち夫婦のシルエットが写ったのでその画像とを掲載させていただきます・・・えっ、おぼろげすぎる画像だと・・・いえいえ、それくらいでちょうどいいのですよ・・・ (^_^;

 あとは、もうことばもありません。こんなに大きな幸せをおなかにも、胸にも、そして心にもプレゼントしていただいて・・・いたらない教師であった私ですが、これからの人生もまっすぐに歩むように努めるので、それを寛容な心で見ていてください。

 ありがとう。本当にありがとう。0002_1 忘れません、今日という日を。そして教え子の皆さんのあたたかい心を・・・・・・。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

凧と雷

  1752年の6月22日・・・フランクリンが雷雨の中で凧を上げ、空中電気の実験をしたそうです。これ以来、虎の皮を着た雷様は非科学的ということになるわけです。

 でも、空で電気の起こる仕組みまでを理解している人はどれくらいいるのかとなると、雷様と電気をすげ替えただけということが多いのではないでしょうか。少なくとも、私自身の理解はことばの上だけのものにとどまっています。

  ちなみに、フランクリンのまねをして凧を上げることは感電のおそれが非常に高いレベルでありますので、避けたほうが賢明です。

 そして、作家の山本周五郎さんが、1903年のこの日に生まれたのだそうです。1903年というと、明治36年・・・ライト兄弟が飛行機の実験に成功した年にあたりますね。

聖書のことば 詩篇 第119篇  18節

  私の目を開いてください。 / 私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。

 科学が発達するとその分、神様の領域がせまくなるという考え方があります。

  けれど、実際には科学が発達するほど、すばらしい仕組みが明らかになって「まさに神わざだ」と神様の存在を信じるようになる人も少なくないようです。

  科学についての私の知識や意欲はかすかなものですけれど、科学が万能だと断言しない程度には科学的な態度を保って謙虚に歩みたいと考えています。

 暑い日が続きましたが、梅雨らしい日も到来するようです。ラジオでは降水確率が30パーセント以上との予報が出た日には雨具の用意をしたほうがよい、と放送されておりました。

 今日も、神様の恵みが雨のようにそそがれていることを感じ取ることの出来る日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

オクラ

 オクラ・・・英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語だそうです。

 あっ、どうしていきなりオクラの話かと申しますと、こういうわけです。私が我が家の菜園の責任者に就任(させられた)と聞いた友人が、3株、オクラの苗をプレゼントしてくれたのです。

 さっそく、青じそを引っ越してスペースを作り、夕方に植えました。深めに土を掘って、根が直接ふれないところに肥料をまき、苗を植えました。その後、根が届かないと肥料の意味がないだろうと、今度は別の肥料を土の表面にまき・・・果たしてこんなことでよいのだろうかと思いながら、とにかく作業を終了しました。

 大事なのは、こちらの自己満足ではなく、オクラが育つかどうかです。うーむ、無責任に楽しみだけを求めているような気もしますが、さて、どうなりますことやら・・・。

聖書のことば   創世記 第2章 7節~ 9節

2:7 神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
2:8 神である【主】は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
2:9 神である【主】は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。

  小さな菜園にオクラを植えて、アダムとエデンの園の聖書の箇所を掲載するとは、我ながら飛躍がすぎますよね。

 今日も、よき歩みをなさってください。神様が守って下さいますように。そうそう、オクラについてその栄養分などを引用させていただきます。 小柄なのになかなかの力量の持ち主なのですね。それでは、また。

オクラはひじょうに歴史の古い野菜で、その原産地はアフリカの北東部で、エジプトでは紀元前2世紀からすでに栽培されていたといわれています。日本に始めて渡来したのは江戸時代の末期ごろですが、ヌメっとした青くさい食感が日本人には好まれなかったようです。本格的に普及しはじめたのは1965年ごろですが、ぬ めりがあるため好き嫌いがハッキリと別れるようです。
しかしこのぬめりこそが整腸作用やコレステロールを減らす作用があり、またこのぬ めりこそがガラクタンやアラバンペクチンなどの食物繊維なのです。特にペクチン血糖値の急上昇を抑える効果 もあり、糖尿病の予防にも役立ちます。そのほかオクラは栄養価の高い野菜で、カルシウムカロチン(ビタミンA)ビタミンCなども含まれていて、夏ばて解消にはもってこいの野菜と言えるでしょう。

http://www.shokuiku.co.jp/data/okura.html

 

インターネット 食育大事典より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

遠慮と近き憂ひ

  「人、遠き慮(おもんぱか)りなければ、必ず近き憂ひあり」・・・論語のことばです。

 先々のことまで考えておかないと必ず身近なところで心配事が起こる
ということで、「転ばぬ先の杖」と受け取ることもできそうですが、もう少し深さがあるように思えます。

  このことばは、遠慮という熟語のもとと思われます。広辞苑では、

(1)遠い先々まで考えること。深い考え。保元物語「父子立ち別れてかおはすらむと思案して、はげたる矢をさしはづす―の程こそ神妙なれ」。「深謀―」
(2)人に対して言語・行動を控え目にすること。狂、鬮罪人「―なしに言うて見よ」。「―なく上がり込む」「君はこの場を―せよ」
(3)公けの秩序を考えて出勤・謁見・祝い事などをさしひかえること。「年頭の挨拶を―する」「喫煙は御―下さい」
(4)それとなく断ること。辞退すること。「招待を―する」
などの意味が紹介されていますが、(1)の意味で使われることがあまりないように思えます。

 目の前のことにひたむきに取り組むのは尊いことです。けれど、命を保つのは、それ以上に大切なことです。

 岡目八目といわれますが、時には丘の上、あるいは空の上から眺めるような視点から、大きな展望を描いて、その上で為すべきことに邁進することが必要だと思います。

聖書のことば  マタイによる福音書 第4章  4節

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』

 今日も、健康が支えられ、為すべきことに遠きおもんぱかりと祈りを込めて為すことができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月19日 (火)

帽子

  夏の陽射しから頭髪を守ろうと思って、帽子を購入いたしました。・・・これで終わっては、つまらないので、もう少し、書かせていただきます。

 野球帽のようなタイプの帽子は、ベトナムで六年前に買ったものがあるのですが、ぐるっとつばがある帽子は、今度のが三つ目なのです。

 以前の二つは、気に入ったのを購入したのですが、どういうものか・・・どこかへ置き忘れたとしか考えられないのですけれど、私の視界から消え去ってしまいました。特に、二つ目のは、名前を書かなくちゃ・・・と思っている内に見あたらなくなってしまったのです。なくなっても惜しくない値段のを選んだのですが、薄いグリーンの、それなりに気に入ったもので、短期間であっけなく姿を消されると、やはり残念無念。

 自分には、帽子を忘れない能力が欠けているのかと、まるで帽子に私が置き去りにされたかのように自信がなくなってくるのが痛手です。

 とにかく、気を取り直して、前の帽子の半分以下の値段で購入した帽子・・・今度こそ、名前を書くか、名刺をはさむなどして失わないようにしたいと思います。

 「母さん、あの帽子、どこへいったんでしょうね」・・・かなり以前、映画「人間の証明」だったか、「野性の証明」だったかでキャッチフレーズになった詩がありました。

  そうそう、私の父はベレー帽を愛用していたのを思い出しました。父には似合っていましたが、私にはどうでしょうか・・・というより、ベレー帽そのものを見かけなくなっているように思えてきました。

  えっ、「ムーミンパパにちなんで、シルクハット・・・」・・・昨年のドラマ、「芋たこなんきん」でシルクハットが登場していましたね。常用するわけにはいかないように思います。他人様がそうそう私が何をかぶろうとかぶらまいと気にかけて下さることはないでしょうけれど。

 帽子の話題に長々とおつきあいくださりありがとうございました。ところで、あなたは夏の陽射し対策、どうなさっていますか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

ほのおを燃え上がらせて

 昨日の同窓会・・・中学時代の同窓生との語らいの何と楽しいことでしょう。二つの会場で、6時間ほどを過ごして、まだまだ名残惜しさを覚えながら別れを告げてきました。

 中学生当時には知らなかったようなことが話され、何回か重ねてきた同窓会でのエピソードを事細かに記憶している人から目に見えるように名場面が再現され、老親の介護の苦労や、それが報いられたと感ずることの喜びの話や孫のことなど・・・♪「校歌」をひとまずの区切りに歌いました。

 若い日の想い出の断片が一人一人に残っていて、それがより集まると大きな炎となって、かがり火となる・・・今、振り返って、そんな表現が浮かんでいます。このかがり火が、今日、そして今日以降も同窓生一人一人の人生に光と熱を消えることなく与えてくれますように。

 つたないこのブログを読んでくださるお一人お一人の心にも、それぞれのかたの同窓生、旧友との懐かしい時間がよみがえって、新しい力を得ることができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月17日 (日)

主役交代、されど現役

  今日は、日曜日・・・キリスト教会での礼拝のあと、高山市の中学のミニ同窓会に向かいます。岐阜市や名古屋市などの近辺で生活している同窓生たちの集まりで、当然のことながら、みな同い年です。

  こういうときにふと生まれた川柳です。以前にも紹介したかもしれませんが・・・

  同窓会 昔の自分に 会いに行く

 還暦をすぎ、職場では主役を交代した年代ですが、それぞれの人生においては、みな現役で、そして主人公です。

 野球でも、豪速球でならした投手が、やがて技巧派になり、コーチや監督になり、テレビやラジオの中継放送の解説者になりますし、高名な女優も主役から脇役になり、引き立て役、助演の立場になります。今までとは別の心得が必要になることもあるでしょう。

 たとえば、結婚式には花嫁をかすませない配慮をして女性たちはひかえめに臨むとか・・・

  でも、下り坂を急転直下ではなく、ゆるゆると楽しみながら、重力に、そして年齢にあらがわないでおりていく・・・これも大切なことですね。

 いろいろ書きましたが、今日は、同年齢同士、まだ枯れ木ではないので話にいろとりどりの花が咲くことでしょう。

  それはともかく、まずは教会へ・・・

  お読みくださっているお一人お一人にもよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月16日 (土)

新ジャガ、新タマネギ

 この時期、麦だけでなく、ジャガイモやタマネギも収穫されるのですね。

  テーブルほどの広さの家庭菜園の責任者に任ぜられた私が畑を見ますと、虫に大きく食べられたナス、とやせ細りながら小さな実をつけているシシトウ、わき芽を摘むはずが本命の芽を摘まれた部分もあるミニトマト・・・と何らかのマイナスの修飾語をつけざるを得ない野菜たちばかりです。

  でも、順風満帆ばかりでなくても歩むのが人生ということを示してくれているようにも思います。今日は、少し別のところにヒマワリの種を蒔きました。「マティス」「ゴーギャン」「モネ」と種の袋に書かれていて、それぞれがどんな花を咲かせるのか・・・果たしてそこまで行き着けるのかと不安と楽しみをいだいています。

聖書のことば  マルコによる福音書 第4章 2節~9節

イエスが人々に教えられる時には、たとえ話を使うのが普通でしたが、この日の話は次のようなものでした。
「よく聞きなさい。 農夫が種まきをしました。 畑に種をまいていると、 ある種はあぜ道に落ちました。 すると鳥が来て、その種を食べてしまいました。
別の種は土の浅い石地に落ちました。 初めは急速に生長した種も、 土が浅いため、根から十分養分を取ることができず、強烈な日差しの中で、すぐに枯れてしまいました。
また、いばらの中に落ちた種もありましたが、いばらが茂って、生長をはばみ、結局、実を結べませんでした。
けれども中には、良い地に落ちた種もありました。 その種は、三十倍、六十倍、いや百倍もの収穫をあげることができたのです。
聞く耳のある人はよく聞きなさい。」

  このたとえ話の中で、種というのは神様のことば、いろいろな地は、人の心を表していることがこの後、解説されます。

  よき実を結ぶよき日となりますように。 明日の日曜日、キリスト教会へどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月15日 (金)

上を向いて

 1963年の6月15日・・・♪「上を向いて歩こう」がアメリカでのヒット曲の第一位に輝きました。永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌・・・ご存じ六・八・九コンビの快挙です。

  時々、思うのですが、ヒットソングというのはねらって生まれるものではないと思います。それぞれの時代の世情、人情などが歌と合致したとき当事者にも思いもかけないうねりが生じて、あれよあれよという間に多くの人に歌われ広がっていく、という場合が大半ではないでしょうか。

  その時代という風土に真摯に向き合って生を刻んでいることが、ヒットを生む必要条件となっているように思います。・・・けれど、そのことは十分条件ではないのですね・・・おお、久しぶりに懐かしい用語を用いました、口に出していれば舌を噛みそうなところです。

聖書のことば  ピリピ人への手紙 第3章  20節

  私たちのふるさとは天にあります。 そこには救い主である主イエス・キリストがおられます。 私たちは、キリスト様がそこから帰って来られるのを、ひたすら待ち望んでいるのです。

 これは、パウロという伝道者のことばです。彼は、地上の人々の思いではなく、牢に入れられたり、ムチ打たれたり、嘲られたり、難船したりしながら、神様をいつも見上げながらこの世での人生を全うした人でした。

 今日も、神様に希望をいだいて、前向きに歩む日となりますように。

 たとえ、今日がつらい日であっても、そうです、上を向いて歩いていれば、希望の♪「明日がある」のです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月14日 (木)

師事

  中学生か、高校生のころ、音楽家の伝記などを読んでいて、「彼は誰々に師事した」という表現に出会いました。文字からは、こちらが誰かの師匠になって教えること、というような印象を受けたのですが、文脈からは逆になるように思って、意味を調べて確かめたように思います。   先ほど、広辞苑で確かめましたら、し‐じ【師事】 師としてつかえ、教えを受けること。となっていましたので、「ベートーベンはモーツアルトに師事した」というような遣い方でいいのだと思います。

 さて、私は、このたび、ある方にピアノを師事することにいたしました。定年退職したら、ピアノのある夜のスナックで懐かしのメロディや映画音楽、そして演歌などを弾くのに雇っていただけるという、冗談半分の会話をマスターと交わしたりしていたのですが、私よりも早く、そのお店のほうがリタイアしたので、実現にいたりませんでした。

  よくよく考え、そして自分のピアノの力量を省みると、指は真面目に楽譜をたどろうとするとずっこけやすくなっていますし、指使いを正確にと思って楽譜を見ると、細かい数字を見るのに目は戸惑いがち・・・用いる和音やパターンは固定しがち・・・という老化とマンネリのコラボレーション状態です。建物でいうと、メンテナンスが行き届かず、シロアリの侵蝕が進行中という状態でしょうか。

 これでは、いかん、と一念発起して、よいお師匠さんはいないかと思いめぐらし、ある方に弟子志願状なるものを持参いたしました。今、ファーストレッスンに備えている期間です。

  お年寄りの集まりで、童謡や懐かしのメロディを伴奏することなどを依頼されたということもあり、教会の礼拝では讃美歌のオルガニストでもありますので、腕を磨くこと、少なくとも老化の下り坂を転げ落ちるのでなく、少しはゆるやかにすることができるようにと願って、ピアノに向かう時間を努めて設けるようにいたします。

 こう、決意して脳裏に浮かんだのが「六十の手習い」ということばです。昔の人は、いいことばを残してくださっていますね。これまでは、「六十の手習い、毎日の手洗い」などと思っていたのですが、心を改めることにいたします。以前に比べたら、六十というのは比較的若い年齢という感じでもありますし・・・・。

聖書のことば  ゼカリヤ書 第14章 7節

 そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。

 この聖書の文脈は、特別な日のことを指しているのですが、拡大解釈して希望を強めさせていただくことにいたします。

 教わりにいくとなると、それだけ自分なりに練習と工夫をして臨むことになります。

  人間、おとろえは足から来るといいますから、土台をしっかりするためにもウオーキングを再開して、体力作りにも意を用いたいと思います。

 今日も、坂を下るのでなく、神様に力をいただいて、よき歩みを積むことができますように。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年6月13日 (水)

アンネの日記

  昨6月12日は『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクの誕生日でした。1929年生まれで、収容所で亡くなったのが1945年・・・何と短い命だったことでしょう。

  ドイツに占領されたオランダのアムステルダムの隠れ家でアンネとその家族など、計8人のユダヤ人が息を潜めるようにして暮らしたのですが、ついにゲシュタポに急襲され、秘密の扉が打ち破られようとするとき、映画「アンネの日記」でミリー・パーキンスの扮するアンネはこう言います。「今までは、不安の中で暮らしてきましたが、これからは希望に生きられます。」

 アンネの死後、『アンネの日記』、『アンネの童話集』が出版されました。また、インターネットの百科事典、ウイキペディアで調べたのですが、彼女の名に由来する小惑星アンネフランク、そして「スベニア・デ・アンネフランク」(アンネの思い出・形見)という名前のバラがあります。これは、ベルギーの園芸家が作った新種のバラで、アンネの父オットー・フランクに贈られたものだそうです。1972年12月に、オットー・フランクより10本が日本に贈られ、さらに、1976年3月再び10本が贈られ、日本全国で「アンネのバラ」として育てられているとのことです。

  アンネは日記と童話、星とバラにその名を留め、平和への願いを語りかけ続けているように思われます。

聖書のことば  マタイによる福音書  第5章 9節

  平和をつくり出そうとしている人は幸福です。 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。

 今日という日、家庭において、職場において、平和をつくりだす人となることができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

映画通?

  映画「めぐり逢い」をTVで見ました。デボラ・カーとケーリー・グラント主演です。天国に一番近いところ、という台詞と共にエンパイア・ステートビルが登場しているのですね。後年「めぐり逢えたら」(メグ・ライアンとトム・ハンクス)が作られる素地ともなった名作です。

  最近では、映画の本数も多く、見たいと思ってもなかなか映画館までは行けませんが、以前は結構、映画通だったことを思い出しました。特にミュージカルについては・・・。

 デボラ・カーは、「王様と私」の家庭教師役でユル・ブリンナーと共演し、他には「クオ・ヴァディス」「ジュリアス・シーザー」「キング・ソロモン」などに出演し、気品のある美しさで人気を博した女優です。

 ちなみに「王様と私」のデボラ・カー、「ウエストサイド・ストーリー」のナタリー・ウッド、「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘップバーンの歌の部分の吹き替えを務めた人は、同一人物で、マルニ・ニクソンです。

 この三つのミュージカルでは姿を現さなかった彼女がついに登場したのが「サウンド・オブ・ミュージック」の尼僧役でした。

 ・・・ということを知っているのが一つの自慢ですが、私が知っているくらいですから有名な話なのかも知れません。

  カトリーヌ・ドヌーヴが主演した「シェルブールの雨傘」は台詞が全部歌になっていたことも話題を呼びました。音楽を担当したミシェル・ルグランが来日し、この方と喜々としてこの映画の主題歌を協演していた羽田健太郎さんの姿は長く私の心に残ることでしょう。

聖書のことば  詩篇  第126編  5節  

  涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。

 「いやー、映画って本当にすばらしいですね」 そして、音楽もすばらしいですね。「さよなら、さよなら、さよなら」・・・

 さて、今日も神様に祝福していただいてよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月11日 (月)

羽田健太郎さん

  「題名のない音楽会」の司会と演奏者を続けてきた羽田健太郎、愛称ハネケンさんが6月2日になくなり、6月10日のこの番組は、ハネケンさんの名演奏の場面を放送しておりました。

  ハネケンさんは58歳と4か月少し・・・テレビの画面でにこやかに話し、華麗にピアノを弾き、指揮をする姿を見ていると、何か、ことばにならない思いがこみ上げて来ました。

  ハネケンさんのことだけでなく、かつてピアノを連弾したり、一緒にアマチュアのオーケストラで演奏したりしたことのあった若くして逝去した友だちのことなども思い出しました。

  けれど、せっかくの追悼番組を見ていて心が沈んでいてはいけませんね。心の元気を回復して、希望と喜びをいだき、下に引用する聖書のことばにある「新しい歌」を歌い、あるいは奏でられるように、神様から力をいただきたいと思います。 

聖書のことば  イザヤ書 第42章 10節

  神様に新しい歌をうたいなさい。 地の果てに住む人たちは、こぞって神様をたたえる歌をうたいなさい。 海も、海の向こうの遠い国々に住む人たちも、こぞって歌いなさい。

  人のこの世での命には限りがあります・・・それだからこそ、これからますます、生きている間に、周囲の人と心を響かせ合う時間・・・必ずしも楽器での協演に限定せず、会話や協働作業・・などなどを大切にして歩みたいとの願いが私の中で強まっています。

  ♪日はまた昇る・・・今日もよき一日となりますように。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

自由が丘

 『窓ぎわのトットちゃん』に描かれているトモヱ学園の前身は自由ヶ丘学園・・・その学園のあったところに所有者の厚意から土地が与えられて1988年、記念の碑が建てられたということが『不思議の国のトットちゃん』黒柳徹子著・新潮社(2005年5月30日発行)に書かれているのを読みました。今、東横線の駅の名に「自由が丘」の名が文字通り名残(なごり)をとどめているとのことです。

  学園があったことの記念碑を覆う布を引くのは卒業生の中の三人、黒柳徹子さんと、有名なバレーリーナである谷桃子さん、そして、現在NHKで再放送中の「さくら」のハワイのおばあさん役、津島恵子さんだったそうです。ちなみに自由ヶ丘学園とトモヱ学園の卒業生は合わせて百数十人なのだそうです。

  有名な人がでるかどうかは、学校の規模の大小や歴史の長さによるのではない・・・そんなことを思いました。唐突かもしれませんが、松下村塾を訪れたときにもそのように思ったことを覚えています。

  黒柳徹子さんが単位時間に口にすることのできる文字数同様、著書の一章、一章の情報量は多いと感じました。しばらく前に読んだ『マイフレンズ』も、越路吹雪さんや渥美清さん、そしてユル・ブリンナーなど多くの方との親交が描かれているのを驚きながら読んだものでした。

 1984年以来、ユニセフの親善大使としても広い範囲にわたって足を運び、中身の濃い活動を展開しておられることをご存じの方は多いことでしょう。日本におけるテレビ女優第一号ということもありますが、テレビだけでなく、黒柳さんの本も、まだのかたはぜひお読みになってください。

  戦争や饑餓、津波など深刻な題材もありますが、そこでくじけることなく前向きに呼びかけながら歩んでおられるたくましさが伝わってきます。

聖書のことば  ヘブル人への手紙 第10章  23節

  いま私たちは、神様が約束してくださった救いを、希望をいだいて待ち望むことができます。 今や私たちは、一点の疑いもなく、救いが確実であることを、だれにでも話せます。 神様のことばは、必ず実現するからです。

  黒柳さんは、自分がスポーツ関係の知識に弱く、ゴールキーパーをゴールドキーパーだと思いこんでいたり、「ホームランのサインはどう出すのですか?」と尋ねて「(ホームランは打てと言われて打てるものではないので)そういうサインはありません」と教えられたりしたことも隠さずに書いておられます・・・そういう飾らないところが、また大きな魅力になっているように思います。

 きょうは、日曜日です。キリスト教会へ行くことが出来る方はどうぞおちかくの教会の礼拝にお出かけくださいますように。

 天候が不安定ですけれど、どうぞ体調をくずさないようになさってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 9日 (土)

オールド・ルーキー

  録画しておいた「オールド・ルーキー」という映画を見ました。けがをしてプロを引退して教師となり、高校生の野球チームの監督をしていた人が、若い頃より速い球が投げられるようになっているのに気がつきました。率いるチームにこの監督が「夢を持て」と語ると、「じゃあ、俺たちが優勝したら、監督も自分の夢・・・大リーガーになることに挑戦するか」と逆襲され、OKと応えます。弱かったチームは連勝し、選手たちから「今度は監督の番だ」と励まされます。

  この監督は入団テストに挑戦し、若い頃の球速は138キロだったのに実に158キロを記録します。まずマイナーリーグの選手になり、そしてついに昇格してメジャーリーグの選手となって2シーズン活躍するのです。

  感動したのは、この映画の主人公ジミー・モリスが実在の人物ということ、つまり、この映画は実話に基づいて制作されたということです。

 「夢を失うとき人は老いる」・・・その対となるのは「夢を抱き続ける限り人は老いることがない」ということばです。

  人間は生きている限り人生の現役・・・定年退職した私にも、大いに希望を与えてくれた映画でした。

 オールド・ルーキー・・・まだまだ老け込まずに情熱と希望をもって新しい自分作りにチャレンジし続けたいと思います・・・なんだかチャンバラ映画やカンフー映画などを観て映画館から出てきた人がしばらく映画の中の人物になりきった気分でどことなく歩き方などに力みが感じられるような状態に近いのかもしれませんけれど・・・。

聖書のことば  コリント人への手紙 第二 第4章16節

  私たちは決して落胆しません。 肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなってゆきます

 泉に連なっている川は涸れることがありません。本当に信じられるものに根ざした人生は先細りになることなく、本人と周囲に新たな力が満たされつつ歩めるのだと思います。

 夢ある限り、人は老いない・・・さあ、今日も元気に歩むことができますように。ヤング・ルーキーはもちろん、ミドル・ルーキーも、そしてオールド・ルーキーも・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

六月の別名たち

 もう、6月も8日まできたのですね。「水無月」というのは、旧暦六月は夏の盛りだったことから水が涸れる月という説と、田に水をひくので「水の月」という説、そのほか田植えなどの農作業を「みなやりつくした・・・皆し尽き」という説などがあるそうです。

 ほかに「松風月」「涼暮れ月」などとの呼び名もあるそうですが、そうした中で、暑くなったので風が恋しいという気持ちを込めて「風待月」という呼び方は、味があると思いました。

  私たちの人生、暴風は願い下げにしたいですが、心地よい風、順風が吹いてくれると嬉しいですね。

聖書のことば  伝道者の書 第1章

  風は南に吹き、巡って北に吹く。 / 巡り巡って風は吹く。 / しかし、その巡る道に風は帰る。
川はみな海に流れ込むが、 / 海は満ちることがない。 / 川は流れ込む所に、また流れる。

  「海は満つることなし」・・・若いときの深夜のラジオかテレビ放送の終了時、この一節が朗読される局があったように思います。

  風立ちぬ、いざ生きめやも・・・ 堀辰雄の名作の結びのこのことばも、おりにふれて脳裏に浮かびます。

  自然の力が満ちていく季節・・・私たちも日々、実を結ぶ時を描きつつ希望をいだいて歩んでまいりましょう。収穫の時期は同じではないかも知れませんけれど、いつか実を結ぶときがくるということでは思いを一つにして歩むことが出来るのではないでしょうか。  今日もよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 7日 (木)

ある画家の話

  6月7日は、ゴーギャンの誕生日だそうです。1848年生まれ、画家になったのは、35歳の時・・・今でいう脱サラ。「私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ」とのことばが有名。文明社会に訣別し、タヒチへ。

  私たちにも、キャンプに出かけたり、山に登ったり、海に泳ぎに行ったりと自然に憧れる心はあり、都会を離れて山里に住まいを移り住んだりする人の話もよく耳にします。

  いろいろな物が欲しくなったり、ますます便利な生活のために器具を購入したくなっりするということと自然の中での生活への回帰願望・・・きっと一人一人の中でバランスがとられるのでしょうね。

  花や野菜を丹誠込めて世話しておられる知人、友人は、総じて健康で、穏やかに思われます。

  けれど、自分には根気よく植物の世話をし続けることは難しいように思われます。花をいただいたり、野菜をいただいておいしさを味わう役どころに今のところ喜んで着任していますが、さて、この先、どのように舵をとることになるでしょうか。

  ちなみに、昨日は積み立てのイチゴと新鮮なレタスをどっさりといただき、幸せを味わわせていただきました。

聖書のことば  コリント人への手紙 第一  第3章6節

私(パウロ)が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

 パウロという人は、最初はクリスチャンを迫害していたのですが、イエス・キリストを信ずるようになり、命をかけてイエス・キリストの愛をのべ伝えるようになった人です。新約聖書のおよそ半分を神様に用いられてパウロは書きました。アポロは、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なユダヤ人で聖書に通じているひとだったことが使徒の働き(第18章24節)に書かれています。

  初代の教会を築き、多くのクリスチャンを誕生させたその功績をパウロは、自分やアポロやペテロなどの個人の誰かのものだと主張することなく、神様に栄光を帰しているのですね。

  今日の一日、私たちも自分を誇るのでなく、謙虚に神様に栄光を帰しながら、しかし、力強く歩みたいと思います。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

麦の秋

0002  6月6日は楽器の日・・・昔から、邦楽や踊りなどの芸事は、6歳の6月6日から始めると上達するといわれていることから、1970年に全国楽器協会が制定・・・とのことです。

 「麦秋」という小津安二郎監督の映画もありますが、麦の収穫期の今ごろをいうそうです。

  知識としてだけでなく、目で見ると印象に残りやすいと考え、今朝、色づいて収穫を待つばかりの麦畑の写真を写してきました。雲雀(ひばり)もさえずり、田植えの終わった田には青い苗がしっかりと根付き・・・6月もなかなか、よい月だなあと感じました。

  麦畑を見ることも少なくなりましたが、写真は岐阜市の芥見小学校の東側一帯を写したものです。

聖書のことば  ヨハネによる福音書 第12章 24節

  畑にまかれる一粒の麦のように、わたし(イエス・キリスト)も地に落ちて死ななければなりません。 そうしなければ、いつまでたっても、一人のまま、一粒の種のままです。 だが、死ねば、多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。

 これは、イエス・キリストが十字架の上での死を遂げること、そして、それを通して神様の愛が現されて神様を信じる人がたくさん興されてこの世での人生に豊かな実を結ぶようになることを述べています。

  さて、今日の一日、すぐに収穫の刈り入れはないかもしれませんが、仕事、生活を通してよき種を蒔く歩みが出来ますように。

  楽器や何かの習い事をしておられる方、厳しい練習を通して、すてきな花を咲かすことが出来ますように。

  ピアニストで作曲家でもある羽田健太郎さんが亡くなり、少し、しんみりした心でいますが、元気に私も歩みます。ある方が私をハネケンさんに似ていると言ってくださったことがありました。もちろんピアノの技倆など私は遠く及ばないのですが、ハネケンさんの演奏を見るなどして励みにしている面もありました。今度、お年寄りの方と懐かしのメロディを楽しむ会のお世話をさせていただく機会もありますので、毎日ピアノに向かうよう、心がけたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 5日 (火)

伝統を引き継ぐとは

  百年以上も続いている老舗のご主人が「のれんを守るとは、日々、新しいことに挑戦し続けることです。決して先代のやっていたことをそのまま引き継ぐことではありません。そんなことをしていたら、すぐ店は古びてしまいます。」と語っていました。

  先人のしていたことではなく、先人の求めていたところを求める・・・情熱の炎を受け継ぐつもりで、炎の燃えかすである灰をかき集めるようなことにならない歩みを築きたいと思います。

 私たちの歩みが、惰性に陥らないで、日々新しい情熱の炎に燃えて前進していくことができますように。

聖書のことば  コリント人への手紙 第二 4章 16節

  私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 今日の歩みを納得のいくものと為すことが出来ますように・・・、そして神様がそのために必要な力を満たしてくださいますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 4日 (月)

思い出の一年生たち

  虫歯予防デーを迎えると思い出すことがあります。38年の教職生活で一度だけ小学一年生を担任したときのことです。

 小学一年生というと、給食を時間内に食べ終わらせるのにも苦心する場合があるのですが、なぜか、そういうことでは苦労のない子たちでした。(食べることの好きな担任ゆえ、という声が聞こえてきそう・・・)

 ところが、その日は、いつもと様子が異なっていました。食べ終わるのにとても時間がかかったのです。どうしてかなと不思議に思ったら、何と子どもたちは一口ごとに「1,2,3,4・・・・」と勘定しながら食べているのです。

 実は、その日は6月4日、虫歯予防デーでした。その日の朝、子どもたちに私は「小学生の時、歯医者さんが丈夫な歯でしっかり噛んで食べることが健康な体を作ります。一口、30回噛むといいのです、という話を聞きました。」と話したのでした。子どもたちは、それを給食時間に実行していたのです。話した私は、そう話したことも忘れかけていたというのに・・・。何と素直で可愛い子どもたちだったことでしょう。

 そのときの小学校では、もう少し上のクラスを受け持ったときにも心に残っている場面があります。給食時間になると持ってきていたフィルムのケースの砂糖で砂糖水を作り、給食を食べる自分の横でクワガタムシなどにその砂糖水を与えていたのです。牛などの世話をする子どもたちでしたから、昆虫にも優しかったのですね。

聖書のことば ルカによる福音書 第16章 10節

  小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実です。 小さなことに不忠実な人は、大きな責任を与えられても、忠実に果たすことはできません。

 そのときの小学生たちも、今では成人しています。きっと家族を大切にし、周囲の人を愛し、責任をもってしっかりした仕事を果たしていることでしょう。それは、彼らが幼いときから家庭の中で愛されてはぐくまれてきたことの所産だと思います。親さんがたも、「うちの地域の子はスクールバスで通わせてもらっているけれど、学校まで乗せるのでなく、途中でおろして歩かせてくれ。」というような、子どもを鍛えることに見識のあるかたたちでした。

 小さな歯を大切にすることは健康な生活の大きな土台です。そして、日々聖書を読むことは、神様からたった一度限りで招待されているこの世での人生を生きるための確かな糧(かて)となります。

 今日も、神様に祝福をいただいて、よき一日となりますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

衣更え

  6月1日は衣更えの日でした。でも、どうしても、というわけではなく気温や体調に合わせて半袖でも長袖でも一人一人が主体的に選べばいいのですよね。

  衣を替えると、それなりに内面の構えがうながされるのか、心も一新したような気持ちになる面もあります。

  「馬子にも衣装」を今では「孫にも衣装」とは物入りで大変なこっちゃと勘違いされる人もあるかもしれませんが、形と内面とは相互につながりあっている面があると思います。

聖書のことば  ヨハネによる福音書 第3章 3節

 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。」

 心替えは衣更えよりも難しいとお思いになるかもしれませんが、イエス・キリストを私たち一人一人のために身代わりになって十字架にかかってくださった方として受け入れるとき、その人は新しく生まれることになります。

 今日は、日曜日、どうか、お近くのキリスト教会へお出かけになってイエス・キリストと出会ってくださいますように。  教会に行くことができない方も、よい一日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

お礼肥え

  花が咲き終わったあとなどに肥料を施すのを「お礼肥え」というのだと教わり、何とすてきな行為、そしてすてきなことばなのだろうと感じました。よく綺麗な花を咲かせてなごませてくれたね、ありがとうという心が込められているのですよね。

  これは一つの成果が出たときに、「よーし、終わった」という気持ちになると同時に、次の実りに向けて布石をする、ということでもありましょうが、まずは感謝の心を前面に出しているのがすてきだと思ったのです。

聖書のことば  ルカによる福音書 第17章 12節~19節

  ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 上の箇所で重い皮膚病となっているところは、以前は「らい病」と訳されていたことばです。

 十人が治していただいたのに、お礼に戻ってきたのは一人だけでした。

 「苦しいときの神頼み」をすることは人にはあると思います。けれど、その苦しさが解消されたときに、心からの感謝を神様にささげること・・・これができにくいのが人間なのですね。

  三浦綾子さんは、書いています。がんと闘っている人は、この病が治ったらどんなにいいことだろうと心から願っている。では、がんでない健康な人は、自分ががんでないことを同じ真剣さで心から喜んで感謝しているだろうか・・・そういうことを考えもしないで、何か別のことを願っているのではないだろうか・・・

 せっかく「お礼肥え」というすてきなことばから書き始めたのに、我田引水が過ぎる内容へと進んだかも知れません。お許しください。

 気温の変化が大きく、所によってはものすごい大雨が降った今週でした。よき休養とリフレッシュの時をおすごしになることができますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 1日 (金)

六月のスタート

 新しい月となりました。赤毛のアン流に申しますと、「まだ失敗のない月」ということになります。何だか、希望が湧いてきますね。

聖書のことば 詩篇 第118篇 24節

   きょうこそ、主がお造りになった日です。 さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。

  「日々これ好日」ということばがあります。最近では招待状などに「何月吉日」と印刷されることが少なくなってきたように思います。「吉日」と改めて書くと、そうでない日もあるということを認めることになるからではないでしょうか。

 神様が、悪い日と定めている日はありません。今日というこの日、そしてどの一日一日も希望をもって歩み出し、新しい命の一歩一歩を刻んでいこうではありませんか。

  神様とともに歩んでよき一日としていただけますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »