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2007年6月14日 (木)

師事

  中学生か、高校生のころ、音楽家の伝記などを読んでいて、「彼は誰々に師事した」という表現に出会いました。文字からは、こちらが誰かの師匠になって教えること、というような印象を受けたのですが、文脈からは逆になるように思って、意味を調べて確かめたように思います。   先ほど、広辞苑で確かめましたら、し‐じ【師事】 師としてつかえ、教えを受けること。となっていましたので、「ベートーベンはモーツアルトに師事した」というような遣い方でいいのだと思います。

 さて、私は、このたび、ある方にピアノを師事することにいたしました。定年退職したら、ピアノのある夜のスナックで懐かしのメロディや映画音楽、そして演歌などを弾くのに雇っていただけるという、冗談半分の会話をマスターと交わしたりしていたのですが、私よりも早く、そのお店のほうがリタイアしたので、実現にいたりませんでした。

  よくよく考え、そして自分のピアノの力量を省みると、指は真面目に楽譜をたどろうとするとずっこけやすくなっていますし、指使いを正確にと思って楽譜を見ると、細かい数字を見るのに目は戸惑いがち・・・用いる和音やパターンは固定しがち・・・という老化とマンネリのコラボレーション状態です。建物でいうと、メンテナンスが行き届かず、シロアリの侵蝕が進行中という状態でしょうか。

 これでは、いかん、と一念発起して、よいお師匠さんはいないかと思いめぐらし、ある方に弟子志願状なるものを持参いたしました。今、ファーストレッスンに備えている期間です。

  お年寄りの集まりで、童謡や懐かしのメロディを伴奏することなどを依頼されたということもあり、教会の礼拝では讃美歌のオルガニストでもありますので、腕を磨くこと、少なくとも老化の下り坂を転げ落ちるのでなく、少しはゆるやかにすることができるようにと願って、ピアノに向かう時間を努めて設けるようにいたします。

 こう、決意して脳裏に浮かんだのが「六十の手習い」ということばです。昔の人は、いいことばを残してくださっていますね。これまでは、「六十の手習い、毎日の手洗い」などと思っていたのですが、心を改めることにいたします。以前に比べたら、六十というのは比較的若い年齢という感じでもありますし・・・・。

聖書のことば  ゼカリヤ書 第14章 7節

 そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。

 この聖書の文脈は、特別な日のことを指しているのですが、拡大解釈して希望を強めさせていただくことにいたします。

 教わりにいくとなると、それだけ自分なりに練習と工夫をして臨むことになります。

  人間、おとろえは足から来るといいますから、土台をしっかりするためにもウオーキングを再開して、体力作りにも意を用いたいと思います。

 今日も、坂を下るのでなく、神様に力をいただいて、よき歩みを積むことができますように。

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コメント

 私もボケ防止のため、49歳の時に一念発起して、ピアノを始めました。高校の頃、リチャードクレイダーマンの「渚のアデリーヌ」に心動かされ、いつかは…と思っていました。ようやく夢が実現し、何とか弾けるようになりました。娘が通ったピアノ塾へ1年ほど通いました。今は、単身赴任のため、通うのは中断しています。しかし、部屋に電子ピアノを置いてほぼ毎日のように練習はしています。エリーゼ…、星に願いを、ボレロ、月の光、君が代など一時は10曲ほど弾けたのに、今は練習不足でだめです。でも、退職後のために、ゴルフ同様に続けていきたいと思います。

投稿: 谷口浩治 | 2007年6月14日 (木) 09時30分

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