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2007年6月 2日 (土)

お礼肥え

  花が咲き終わったあとなどに肥料を施すのを「お礼肥え」というのだと教わり、何とすてきな行為、そしてすてきなことばなのだろうと感じました。よく綺麗な花を咲かせてなごませてくれたね、ありがとうという心が込められているのですよね。

  これは一つの成果が出たときに、「よーし、終わった」という気持ちになると同時に、次の実りに向けて布石をする、ということでもありましょうが、まずは感謝の心を前面に出しているのがすてきだと思ったのです。

聖書のことば  ルカによる福音書 第17章 12節~19節

  ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 上の箇所で重い皮膚病となっているところは、以前は「らい病」と訳されていたことばです。

 十人が治していただいたのに、お礼に戻ってきたのは一人だけでした。

 「苦しいときの神頼み」をすることは人にはあると思います。けれど、その苦しさが解消されたときに、心からの感謝を神様にささげること・・・これができにくいのが人間なのですね。

  三浦綾子さんは、書いています。がんと闘っている人は、この病が治ったらどんなにいいことだろうと心から願っている。では、がんでない健康な人は、自分ががんでないことを同じ真剣さで心から喜んで感謝しているだろうか・・・そういうことを考えもしないで、何か別のことを願っているのではないだろうか・・・

 せっかく「お礼肥え」というすてきなことばから書き始めたのに、我田引水が過ぎる内容へと進んだかも知れません。お許しください。

 気温の変化が大きく、所によってはものすごい大雨が降った今週でした。よき休養とリフレッシュの時をおすごしになることができますように。

 

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