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2007年7月 8日 (日)

失われた銀貨のたとえのメッセージ

 今日は日曜日、キリスト教会では神様への礼拝がささげられます。

 関根一夫という牧師さんが今日お話しされる聖書からのメッセージをご紹介いたします。

 メッセージの題    「なくした銀貨」のたとえ

聖書の箇所 ルカによる福音書   第15章  8節から10節

ルカによる福音書15章
  ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚をなくしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。  そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
  言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。

【メッセージの一部分】

「もし、あなたがいなければ、この宇宙から尊いものが消えうせ、人類の花園から一輪の花が姿を消すのです。」とジャン・バニエはある本の中に書きました。

   あなたという存在は、宇宙の中で、人類の花園の中で本当に尊い、かけがえのない存在なのです。神様の形に造られた特別な存在なのです。その神様の刻印が有効な世界、それは神様の愛の中です。イエス様によって入ることができる神様とのきずな関係の中こそ、あなたがもっともあなたとして花開く場なのです。イエス様はあなたを探しにきてくださいました。そして、あなたの存在を守り、清め、祝福しようと十字架にまでかかってくださいましta

     ◇  ○  □  ☆  ◎  ☆  □  ○  ◇

  上のメッセージは、クリスチャンにも、そしてクリスチャンではない方にも語られています。クリスチャンは、見つけていただいたことへの感謝の思いを新たにし、まだ、イエス・キリストの愛をよく知らない方のために祈ります。

  できましたら、ぜひ、今日、お近くのキリスト教会におでかけください。それぞれのキリスト教会で、聖書に基づいたメッセージが語られるからです。

  部分でなく、上のメッセージの全文を読みたい方は、「続きを読む」をクリックしてください。・・・聖書には「(門を)たたきなさい。そうすれば開かれるであろう。」と書かれています。

  今日という日が、すてきな一日となりますように。

2007.7.8  礼拝説教  「無くした銀貨」のたとえ

ルカによる福音書15章

15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」
++++
ここでも失われたものを探し出して喜ぶ人のことが書かれています。
今回は銀貨をなくした女性が書かれています。

1)銀貨
 当時の銀貨にはその当時の支配者の顔が描かれていました。今でもイギリス系の国ではエリザベス女王の顔が刻まれた銀貨を使っています。古いアメリカ銀貨にはジョージ・ワシントンの顔が刻まれていました。
 イエス様が「シーザーのものはシーザーに神のものは神に」と言われたとき、その銀貨にはシーザーの顔が刻印されていました。
失われたとはいえ、銀貨には当然価値があります。その銀貨が所有者の手の中に握られているとき間違いなく有益なものとして活用されます。

 実は、私達の心の中には「神様の姿」が刻印されているのです。そしてそれは神様の支配の中に生きてこそ、有効な刻印なのです。私達は、それぞれに神様の姿を刻印されている銀貨のような存在なのです。

  それは大いに価値があり、大いに活用されるべき物なのです。私達の存在には「神様の刻印」が押されているので大いに価値があるのです。神様の支配のもとで大いに活用可能な宝物、それが私達の存在であり、私達の命です。
 失われた銀貨、それはいろいろな人生の不公平や理不尽な出来事の中で機会を失い、生まれたときからハンディを背負っているような状況にあるひとりひとりを指しているのかも知れません。
自分で勝手に神様から離れたわけではありません。神様の不注意でなくなってしまったわけでもありません。人生における誰のせいとも言いにくい不条理の中でいつしか神様とは縁遠い生活をしている人たちがたくさんいます。
 価値があるけれど、失われている、しかも、銀貨が自分で所在を訴えることができないように自分では助けを求めるすべも知らない人たち。それがここで言われている銀貨の背景です。

2)大掃除をしてでも探し出す

  銀貨の貴重な価値については所有者の女性が一番よく知っていました。そこでなくなったことに気づいた彼女は明かりをつけ、大掃除をして、探し出します。
  この銀貨のために、どんなことでもして、さがそうとしているのです。意気込みがここにあります。
  それは、まさに、私達を探し出して、価値ある存在として復権させようとする神様の姿と重なります。
  私には価値などないような気がする、私などいてもいなくても同じだという考え方は、探し出して大いに活用しようとしている神様の姿からは到底考えられません。
  あなたが自分でどういう風に自分の価値を見積もっているとしても、神様には別の見方あって、間違いなく「あなたは高価で尊いのだ」と言ってくださいます。

3)一緒に喜ぶということ

  羊の時にもそうでしたが、イエス様のお話の中に、いなくなった羊が見つかったという喜び、銀貨を探し出したという喜びを他の人たちと一緒に喜んでいる姿が印象的に書かれています。
 あえて言えば、三位一体なる神様が心ひとつに喜んでくださるとか、天使たちも一緒に喜んでいてくれるということになるのかもしれません。
あなたが探し出されたことは、神様にとって大きな喜びであり、父なる神様、御子イエス様、聖霊なる神様の心がひとつになって喜びに満たされるほどの大きな事件なのです。

「もし、あなたがいなければ、この宇宙から尊いものが消えうせ、人類の花園から一輪の花が姿を消すのです。」とジャン・バニエはある本の中に書きました。

  あなたという存在は、宇宙の中で、人類の花園の中で本当に尊い、かけがえのない存在なのです。神様の形に造られた特別な存在なのです。その神様の刻印が有効な世界、それは神様の愛の中です。イエス様によって入ることができる神様とのきずな関係の中こそ、あなたがもっともあなたとして花開く場なのです。イエス様はあなたを探しにきてくださいました。そして、あなたの存在を守り、清め、祝福しようと十字架にまでかかってくださいました。

  イエス様は、あなたが父なる神様のもとに戻ることを誰より喜んでくださいます。そのためにこそ十字架に掛かってくださったからです。
聖霊は、あなたが父なる神様のもとに戻るためにイエス様を信じることを誰よりも願い、また誰よりも喜んでくださいます。聖霊は、私たちの心に霊的な知恵を与え、イエス様の救いの意味を理解させてくださるからです。

  あなたは愛されています。
  あなたは捜し求められています。
  祝福は用意されているのです。

    祝福が届きますように。  牧師  関根一夫

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