« 階段の手すり | トップページ | 詩人 »

2007年7月27日 (金)

大人の責任

  階段の手すり・・・孫をかかえて下りる大人が用いることを想定して取り付けたのでした。ですから、感動したのです、孫自身が「自分で下りる」と宣言してその手すりに小さな手を伸ばし、精一杯手すりを活用して無事に階下に下りきったときには。

 もちろん、大人が見守りながらすぐ下を先行して孫の安全を確保していますけれど、孫は自分の手足を使って下り、大人がほっとして、そしてその快挙を喜ぶのが伝わると百万ドルの笑顔を見せるのです。いえいえ、百万ドルなどというお金に換算できるものではありません。

  話は一気に飛ぶのですが、産廃問題で暴漢に襲撃された御嵩町の前町長さんが引退するときに憲法改正の動きについて・・・特に国民投票のことについて問われたときに、こんな言葉を残されました。

 「国民投票すると憲法が悪いほうへ変わるのではないか、と考えるのは敗北主義です。どんな結果が出るか、国民投票してみたらいい。」・・・字句までは正確な引用ではないかもしれませんが、この内容のことを毅然として語られたのです。

  このことと階段の手すりが、私の中で一つにつながりました。

  孫の安全を守るために取り付けた手すりは、その手すりにすがる孫の信頼に応えて孫を守っています。孫を危険にさらすような、見せかけだけの手すりをつけておくなどということは考えることさえできません。

  まして、憲法は国の歩む方向を方向付けるものです。子々孫々という遠い先のことを抽象的に考えるのではなく、子どものこと、孫のこと、ひ孫のこと、愛する人のことというように身近なところから考えるとき、改正案に安易に賛成する人がどれほどいるでしょうか。

  国全体、国民全員を戦争というとてつもないところから遠ざけ、強固に守ってきた現在の憲法という手すりをはずしてしまう行為を、子どもや孫のことを忘れてしまって決行するような愚を犯さないこと・・・それこそ大人の責任というものではないでしょうか。

  階段の手すりとはかけ離れている話でしょうか ・・・ いえ、決してそうではないと思います。

聖書のことば  マタイによる福音書

5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

7:9 パンをねだる子供に、石ころを与える父親がいるでしょうか。
7:10 『魚が食べたい』と言う子供に、毒蛇を与える父親がいるでしょうか。 いるわけがありません。

 

|

« 階段の手すり | トップページ | 詩人 »

コメント

 自分で下りるとお孫さんが意思表示し、より高次な目標に向かって挑戦、実行したというその意欲に感動を覚えます。
 2歳の子供には、この世界はどのように見えるのでしょうか?全ての新しいものに感動し、失敗など恐れず、人がどう見ていようが気にせず、自らの可能性に挑む。私たち大人が忘れてしまったものを、小さな子供が教えてくれているようです。
 聖書にも「子供のようにならなければ、神の国に入れない。」という記述があります。自分の心に誠実であり、ごまかさないようにしたいものです。

投稿: 小島 | 2007年7月27日 (金) 16時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大人の責任:

« 階段の手すり | トップページ | 詩人 »