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2007年7月11日 (水)

光回線

 インターネットに接続する我が家の環境が7月9日から光回線になりました。

 電話線の工事に来てくださった二人の方に「この仕事をしておられる方は、皆、お二人のようにスリムで背が高いのですか」と尋ねたら、「いえ、たまたまです。短くて丸っこいのも居ますよ」との返事。さわやかな笑顔が印象的でした。手際のよい仕事ぶりのお二人でした。

 さて、回線の工事が終わってからは「お客様ご本人で設定」というのが基本とのこと・・・正直、何がどう変わるのか分からないまま、マニュアルに従って作業しました。ほぼ、順調だったのですが、あるダイヤルに電話をかけて必要事項をやりとりすると書かれているのに、何回トライしても先方に通じないという壁にぶつかりました。

 うーん、と新しい機器とにらめっこしていると・・・赤くともっているランプと目が合いました。映画「ターミネーター」の瞳ほどではありませんが、その赤いランプもこちらを見ている気がしたのです。(映画をご覧になったことのない方、ごめんなさい。)そこから道が開け、無事に電話が通じて担当者と話すことが出来ました。心残りは「夜遅くまで、お疲れ様です。」というねぎらいのことばをかけ忘れたことです・・・二度とその方にはつながらないだろうな・・・。

 さて、今まではADSLでも電話局との距離の関係で少し特殊な環境でした・・・その分、少し料金が安めなのはよかったのですけれど。光回線になって、画像を添付したメールもスムーズに送受信できているように思います。これで、人生の時間を有効に使うことが出来るような気がしてきました。(ちょっと大げさですけれど・・・)

 E-mail・・・電子メールに対して、切手を貼るメールを原始メールなどという人もいます。 でも、光回線もかなわない、とても速く、すばらしいコミュニケーションのためのラインが人間と神様の間にはひかれています。「祈り」がそれです。人間の側の心が曇っていると停電や断線の状況に陥ることがあるかも知れませんが、いつでも世界のどこからでも、どんな状況にあってもこの神様への「祈り」の道は開かれています。

 光回線の開通を喜びつつ、それ以上に、改めて神様に祈ることの出来る道が開かれていることへの感謝の思いを強くした一日でした。

聖書のことば      マタイによる福音書 第21章 22節

ほんとうに信じて祈り求めるなら、何でも与えられるのです。

 上のように聖書に書かれています。ただし、お分かりいただけると思いますが、悪い心で悪の栄えを祈ることは含まれていません。

  また、神様をアラジンの魔法のランプの精のように自分の思い通りに働く召使いとすることが許されているわけでもありません。

  今日という日を、ただ一度神様にこの世に招待されている人生の大切な一日として、賜物を生かして歩むことができますように。

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コメント

 インターネット回線と、祈りの回線。どちらを重視しているか、と問われた時に、目に見えるもののみに重きを置いている自分に気が付きます。
 目に見えぬ、心のあり方を問われる、神様のことをどれほど大切に考えているか、その優先順位は常に1番か?など考え始めますと、恥ずかしいばかりの信仰生活です。
 重要事項の優先順位を考え、最終的なゴールを目指して、長期的なプランにしたがって、石にかじりついても実行する。全く、口で言うほど簡単にできるものではありません。
 「本当に大切なものはわずかです。」の聖書のみ言葉を、今一度吟味したいものです。

投稿: こじま | 2007年7月11日 (水) 08時06分

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