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2007年8月31日 (金)

江間章子さんの思い出

 昨日、♪「夏の思い出」でお名前を出しました江間章子さんにお目にかかったのは、1976年(昭和51年)のことでした。岐阜市が團伊玖磨さんと江間章子さんに依頼してソプラノ・ソロと管弦楽のための「長良川」(交響詩「長良川」と呼ばれることが多いと思います)という曲が完成し、團伊玖磨さんご自身の指揮で岐阜交響楽団が初演したおりに江間章子さんにお目にかかったのです。

  そのとき、私も下手ながらトランペットを吹いていましたので、ダンディな團伊玖磨さんにお叱りを受けないように聞こえない程度の音量で真剣な表情で吹きながらその指揮を見せていただいておりました。

 江間章子さんは、練習の合間にステージの袖にいらっしゃるのにお会いして、「岐阜にはすてきなオーケストラがおありになるのですね、感激しております。」というお言葉をいただき、握手していただいたのです。

 江間章子さんは、新潟生まれですが、二歳ころからお母さんの郷里、岩手県で生活され、岩手県西根町では江間章子賞が制定されているそうです。

 團伊玖磨さんとのコンビで生まれた「花の街」は戦後、悲しみに沈んでいる人たち、子どもたちの心を慰め、励まそうとの思いが込められていることがある文に綴られていました。

 きゃしゃなかたでしたが、抱いておられた志は高く、そして成し遂げられたお仕事は大きなかただったと思います。

 さて、明日からは9月・・・どうか、よき8月のフィナーレの一日でありますように。

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2007年8月30日 (木)

夏の思い出

 名曲♪「夏の思い出」の作詞者、江間章子さんが岐阜市に来られたことがあり、短い会話と握手をしていただいたことがあります。

 そのときのお話は、また後日させていただくことにしまして、さて、皆様の今年の「夏の思い出」はいかがですか。

 我が家では、夕食に招いていただいて、長良川の花火大会を眺めたことが筆頭にあげられます。 「スマイル」の表情が金華山を背景に夜空に広がったり、大きな矢印が視線を導いたり・・・新しいアイデアが花火の世界で花開いているのを実感しました。

 涼風の吹くベランダで、今夜が使い初めという英国製のデッキチェアーにくつろがせていただいて、心づくしのお料理・・・フランスパンのカナッペなど・・・を味わいながら、花火を満喫する・・・なんという豊かな時間だったことでしょう。

 熱帯夜も吹き飛ぶ、あたたかいおもてなしをいただいた幸せを今も噛みしめております。

 うーむ、私の心に残る思い出には、どうも食べ物がいつも登場しているようです。皆様はいかがでしょうか。

   8月もあと二日・・・まだまだ暑さは続きそうですから、「夏の思い出」作りをいそがなくてもよいかもしれませんね。

 本日もよき日となりますように。

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2007年8月29日 (水)

焼き肉とベルサイユのばら

 8月29日は、語呂合わせで8(ヤキ)29(ニク)・・・焼き肉の日と1994年に全国焼き肉協会が制定したそうです。

 1974年の8月29日は延べ140万人の観客を動員した宝塚の「ベルサイユのばら」初演の日だそうです。原作を書いた池田理代子さんは、オペラ歌手でもあるのですね。多才でもあるのでしょうが、才能を磨く努力を重ねておられるということだと思います。

  西鉄ライオンズの中西太選手が150メートルを超えるホームランを打ったのも8月29日だそうで、大きなヒットの生まれる日であるのかも知れません。

  「それなら、焼き肉何人前という記録を作ろうか。」・・・などという方はいらっしゃいませんよね。聖書にはつぎのようなことばもあります。

聖書のことば    箴言 第23章  20節

大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。

  腹八分目ということばもあるように、ほどほどにしようという意志を働かせてコントロールできるのが「節制」ということだと思います。私の体重、体型で申し上げても説得力がありませんけれど・・・・・。

  よき日となりますように。

  

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2007年8月28日 (火)

テレビの民間放送開始日

  1953年(昭和28年)の8月28日の午前11時20分から、日本テレビが民放第一号としてテレビ放送を開始したとのこと。NHKはこの年の2月からテレビ放送を始めていたそうです。

  昭和28年といえば、私が小学校に入学した年です。電気屋さんの店先にちょっと高いテレビコーナーが設けられ、柳家金語楼などが出演していたゼスチャーや、力道山のプロレスの試合などを大人に混じって見たのはもう少し後になってからだったような気がします。

 最初のテレビコマーシャルは、時計メーカーの正午の時報だったそうですが、フィルムを裏返しにかけてしまって、3秒ほどしか放送されなかったとか。何事も初めのうちは要領が分からなくて、失敗はつきものなのですね。

 文豪ゲーテが1749年のこの日に生まれているとのことです。礼儀を重んじた彼は、そういうことに苦手な面のあったベートーベンとは、おりあいがあまりよくなかったとか。シューベルトがゲーテの詩につけた歌をゲーテが聴いて感激したのは、シューベルトが亡くなった後のことだったと読んだことがあります。同じ時代に生きてもなかなかめぐり会えない人たち、友だちになれない偉大な人たちというのはあるものですね。

  それだけに、私たちはよき人とのめぐり逢いを人生の宝物として大切にしたいものです。

聖書のことば  箴言 27章 17節

  鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。

  ピアノの詩人と呼ばれるショパンは、ピアノの鬼人と呼ばれることもあるリストと出会い、二人はよき友人となったようです。

 先日、滝廉太郎と土井晩翠のことを書きましたが、島崎藤村が仙台での教師時代に土井晩翠と知り合い、その後、音楽学校で滝廉太郎と出会って土井晩翠を紹介し、「荒城の月」が生まれることとなったそうです。ただし、この二人が実際に顔を合わせたのは、後にロンドンにおいてだったということのようで、不思議な気がいたしますね。

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2007年8月27日 (月)

宮沢賢治の誕生

 1896年の8月27日に、宮沢賢治岩手県花巻市に生まれました。

 あなたは、宮沢賢治のどんな作品がお好きでしょうか。

 有名な「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」は彼の死後、手帳に書かれているのが発見されたのですね。この詩が現在のように多くの人に愛されるとは、書いた賢治自身も思っていなかったのではないでしょうか。

 人間は、先のことを予測することは自分についてであっても難しい存在であるようです。

  ベストを尽くして、でくのぼうと呼ばれても呼ばれなくても自分の信ずるところを行動に移しつつ歩む・・・そんな心境で歩むことが、多くのかたに受け入れられることになるのでしょうか。

  人生というのは、奥が深いものですね。

  そうそう、『男はつらいよ』の第一作が公開されたのも8月27日(1969年)だそうです。以来、48作までシリーズが続いてギネスブックにも載ることになるのですね。

  今日も暑い日になりそうです。 よい一日となりますように。

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2007年8月26日 (日)

うだつの上がる町なみ

  美濃市に行ってきました。美濃市には、うだつの上がる町なみというのがありますが、定年退職した身ですから、これからの出世を望んで出かけたわけではありません。 ・・・「うだつ」とは、そもそも何か・・・そうですね、辞書にも載っていますが、もしできましたら、美濃市に出かけて実際にごらんになっていただくことをお勧めします。

 何カ所かに無料駐車場がありますし、それほど歩き回らなくてもよい距離に美濃の和紙を初め、すてきな店が何軒もあり、きっと楽しんでいただけることと思います。

 パン屋さん、大場久美子さんが何個かのケーキを食べたお店、中原淳一などの本を並べた本屋さん、可愛い作品がすてきにレイアウトしてある雑貨屋さんなどが、気負わずに、けれどしっかりと存在していて、お勧めの観光スポットです。

  さて、今日は日曜日、行くことが出来て、行ってみようというかたは、キリスト教会にお出かけください。

  まだ、暑さが続いていますが、どうかよき一日となりますように。

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2007年8月25日 (土)

ピアノのレッスン

  お師匠さんにとお願いした方に、2回目のピアノのレッスンをしていただきました。

  この日に備えて、ほぼ毎日1時間はピアノに向かうことができました。(お師匠さんは、2時間、3時間ということがおありのようですよ。)

1.ツェルニー30番練習曲・・・指の動きがまだまだで、私が弾けていると思いこんでいた音がきちんと出ていないこと、それを解決する指を鍛える練習方法を教えていただきました。

2.バッハ、シューベルトの短い曲を聴いていただきました。それぞれの曲想からいうと、音色をもっと明るくということ、バッハの曲はリタルダンド(だんだん弾くのをゆっくり)するのは控えたほうがよいと指摘してくださいました。思っていた以上に過剰なテンポ変化になっていたのですね。

3.連弾  お願いして連弾していただきました。テンポ、強弱のバランスなどを考えるよい機会となりました。

4.大それたことですが、「月光」の第一楽章。練習ではもう少しつっかえるのですが、今の段階の私としては奇跡的に比較的順調に終われました。メロディをしっかりと出すこと、その下に三連符をやわらかく弾くことが練習課題となりました。ベートーベン、そしてブラームスの曲に私の手は向いているのではないかとのお言葉をいただきました。

  それは励みになりますが、手の大きさというのは、量に属することにも思えますので、お言葉に甘えず、内実と申しますか、質の高まりを地道な練習で作りだしていきたいと思います。

  まさに六十の手習い(正確には六十一です)ですが、小学校に上がる前から親に習わせてもらい、途中で空白がありますが、高校でもう一度同じ先生に習いに通った時期もありますので、ピアノの先生につくのは、三度目の正直ということでもあります。

  いつまでに何を、という締め切りもないので、自分のまだまだ伸びようとする意欲の確かな表れとして、そして老いの坂を下る速度をゆるめるための上質の時間として、これからもピアノに向かって励みたいと思います。

 音楽関係の本を読むこととも合わせて続けますね。

 暑さが戻ってきた感じですが、よき一日となりますように。そして明日の日曜日、キリスト教会へ可能ならばお出かけくださいますように。

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2007年8月24日 (金)

滝廉太郎

 滝廉太郎は、1879年の8月24日に生まれました。1900年に洗礼を受けてクリスチャンになっています。代表作の一つ「荒城の月」はベルギーでは讃美歌に採り入れられているとのことです。

  ドイツに留学して2か月後に肺結核を患い、帰国。23歳と10か月の人生を父の郷里、大分で閉じました。

  病気になって帰国する途中で立ち寄ったロンドンで、偶然に「荒城の月」の作詞者、土井晩翠と生涯に一度だけの出会いをしたそうです。

  今も親しまれている彼の歌には、「箱根八里」、「鳩ぽっぽ」、「お正月」 「花」「雪やこんこん」などがあります。命は、長さではなくて、深さだといわれますが、やはり短い生涯が惜しまれますね。

  歴史に足跡が残るかどうかは他の人に任せて、一日、一日をベストをつくして歩みたいと思います。  よき日となりますように。

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2007年8月23日 (木)

新たなスタート

  甲子園の全国高校野球の決勝戦が終わりました。どこが優勝するか、最後まで予断を許さない好試合が続きましたね。

  優勝校、準優勝校だけが讃えられるのではなく、すべてのチーム、すべての選手の熱く燃えながら前向きに励んできた一つ一つの努力が尊いのだと思います。ずっと以前から、高校生たちはもちろん、大人もそのことを分かって指導、応援してきたのです。

  そのことを思うと、「勝ち組」だの「負け組」だのと、特に経済的な観点から絞ってだけ評価を下す風潮のなんと底の浅いことかと思わずにはいられません。

  どの野球チームも来年に向けてのチーム作りは既にスタートしています。そして、卒業する3年生も、それぞれの人生の目標に向けて、新たな一歩を踏み出していくことでしょう。

  おいしい食事をしても、再び空腹はやってきます。懸命に生きてもこの世での人生の結びのときはやってきます。

 だからといって、食べることは無駄ではありませんし、生きることは虚しいことでは決してありません。

  教育における評価を研究している方は、講演で次のように語られました。「子どもたちをランクづけることが評価の目的ではありません。私は、どのような評価の窓を設けたら、子どもの良さが見えてくるのか・・・そのことを楽しみにこの仕事に取り組んでいるのです。」(語られた言葉そのままではありませんが、このことを情熱を込めて語られたと私は受けとめたのです。)

聖書のことば マタイによる福音書 6章 

隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 上記の表現が、このマタイによる福音書の6章に、3回出てきます。

 人間が誠実に力を入れている様子のすべてがすべての人の目にみえるわけではありません。縁の下の力持ちで支えている努力が、誰の目にも映らないことのほうが、認められることよりずっとずっと多いことでしょう。

 けれど、神様は一人一人の生き方、していること、していないことをすべてご存知です。

 嘆かず、つぶやかず、真心を込めて自分の出来る最善を尽くしつつ、若人たちと共に今日も新たなスタートをいたしましょう。

 よき一日となりますように。

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2007年8月22日 (水)

人生の音色

  原本が今、手もとになくて正確に引用できないのですが、星野富弘さんに、花は通り過ぎる風をその花らしく染める、今、自分を通り過ぎた風はどんな色に染まったのだろう・・・という意味の詩があります。

  世の中には、いろいろな楽器があります。ピッコロやウッドブロック、カスタネットなどからチェロ、コントラバス、スーザホンなど、大きさも役割も異なりますけれど、それぞれの楽器にはその楽器でなくては出せない音色があります。

  いろいろな楽器がそれぞれの音色で歌うように、私たち一人一人には、その人にしか奏でることのできない人生の音色があるのではないでしょうか。心深くその音色を奏で合って、家族や、人生において出会う方々とすてきなハーモニーを生み出せたらと思います。

  少人数ならばアンサンブル、大人数ならばオーケストラ・・・

 聖書のことば  マタイによる福音書 第5章 13節

   あなたがたは、世の塩です。 もしあなたがたが塩けをなくしてしまったら、この世はどうなるでしょう。 あなたがたも、無用のものとして外に捨てられ、人々に踏みつけられてしまうのです。

 今日という日が、あなたの人生の音色を心込めて世に送り出す日となりますように。

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2007年8月21日 (火)

真夏の水道工事

 20日・・・待望の水道工事屋さんがやってきてくださったのが、朝の8時半・・・土を掘ったり、耳を澄ましたりしてパイプがいたんで水が噴き出ているところをつきとめるまで、およそ45分・・・それから、道具や材料の追加や昼食時などに本社と往復しながら着々と工事をされ、18日夜から水の耐乏生活をおくっていた我が家に水道が復活したのが、およそ15時ころでした。

  最初は、(おひとりで大丈夫かな)と思ったのですが、親切で的確な働きをしてくださり、感謝です。土を掘るときに、そこに生えている植物のことも気にかけて工事を進めてくださる優しい方でした。

  ただし、老朽化したパイプの取り替えをしたけれど、同じ年代に同じ材質を使って構築してあるところがあと2箇所あるとのことで、安心できないことを率直・誠実に教えてくださって、帰って行かれましたので、やや落ち着かない面はあります。

  けれど、考えてみますと、東海地震がいつ来るか分からないし、世の中、永遠に保たれるものはそう多くはありませんから、またどこかで水道管が破れるまでは気にしないでいようと思います。

聖書のことば   マタイによる福音書 第6章 34節

  明日のことを心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。 

  夏の高校野球、岐阜県代表の大垣日大高校は、静岡代表に敗れました。今のメンバーのチームになってからは3敗しかしていないのだそうですが、その3敗がいずれもそのチームなのだそうです。

  でも、炎天のグランドで、精一杯のプレーを積み重ねる姿には胸をうたれましたし、そのこと自体がすばらしいと思いました。なみだを見せずに、私の見たところでは、恒例になっている甲子園の土をかき集めて持ち帰る様子もなかったように思いました。それ自体がよいとか悪いとかいうことではありませんが、賞状とか、物でなく、甲子園で思いっきり野球する、そのことに生き甲斐を込め、燃焼したチームであるような気がいたします。

  そうです。いくら、水道が復活しても、若人たちの青春に水を差すようなことはいたしませぬ・・・これは、心あるかたたちは、どなたでもそうですよね。

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2007年8月20日 (月)

水・・・

 それは、突然の出来事でした。土曜日の夜、我が家の蛇口、全部締めてあるのに、洗面所のパイプから、「ゴーッ」という水の響きが聞こえて来たのです。

 水道の元栓のところへ行くと、クルクルとすごい勢いでメーターの針が回っています。水道管に穴が開いたのだと思いますが、地中のことはよく分かりません。

 朝になるのを待って水道屋さんに電話したのです。落ち着いた声で事情を聞いてくれましたが、「日曜日は、お休みです。」とのこと。ごもっともな話で、月曜日に来てもらうようにしましたが、さて・・・

  午後に、久しぶりの雨が少しですが降り、庭や畑の植物は一息つくことができました。

  夜は、大型銭湯に久しぶりに行きました。時にはこうした銭湯のいろいろな浴槽めぐりもいいものですね。

  明日には水道が復活するでしょうが、水道管のどのあたりが破損しているのか、聴診器のような物で音を聴いて、およその見当をつけて掘ることになるようです。順調につきとめられますように。

 水道やガス、電気など、使えなくなるとありがたみがよく分かります。健康もそこなわれて、そのありがたさが実感できるのですが、できることならばよい状態をキープし続けたいですね。

聖書のことば  ヨハネによる福音書 第4章14節

「・・・わたし(イエス・キリスト)が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

  体の渇きもつらいですけれど、魂が渇くのもつらいことです。イエス・キリストは人生のオアシスになってくださいます。聖書を読み、ラジオやテレビなどで聖書に基づくメッセージをお聴きになってくださると嬉しく思います。

 今日もよき日となりますように。

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2007年8月19日 (日)

幸せな再会

 先回、書いた三十数年ぶりの教え子との再会・・・たいへん、幸せな時間となりました。

  この前会ったのは彼が十代の前半のとき・・・その彼がもうすぐ50歳になる年齢になって、奥さんと眼前に現れたのですから、やはりすぐには分かりませんでした。

  でも、再会してからは、時代が一気に戻りました。彼は中学生時代の真面目さ、明るさを風化させていませんでしたし、初対面の奥さんも明るくて気さくな方で、会話に笑いが絶えませんでした。

  二人は、盆踊りで出会って、奥さんはすぐに彼の実直で、自分を飾らない人柄を感じ取ったそうです。この人は相手に自分をよく見てもらおうと背伸びしたり、表面を取り繕ったりしないで等身大の生き方をしていると感じて、好感をもったそうです。

 デイトを重ねて、めでたくゴール・イン。

 その二人が間もなく銀婚式を迎えるというのです。

  時間というのは、教え子にも、私にも、それぞれのところでそれぞれの内容を盛り込んで積み重なっていく器のようなものだと思いました。

  どの教え子にも幸せな時間が積み重なっていてほしいと思いますが、それは、神様に祈りつつ、おゆだねすることがほとんどとなりましょう。

  教え子たちがそれぞれのところにおいて、前向きに歩み続けていてくれますように。そして、私自身も前向きに自分の人生を歩み続けることができますように。

 今日は、日曜日・・・お近くのキリスト教会に足を運んでいただけたら、嬉しく思います。

 よき一日となりますように。

  

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2007年8月18日 (土)

初期の教え子

  8月18日 ・・・ 今日は、私が初めて教員として勤めた学校時代の教え子と会うことになっています。30数年ぶりに会う彼は、新卒時代の私の年齢を通り越して50代になっていますから、何だか複雑な思いがいたします。

  果たして待ち合わせ場所でお互いの顔を認め合うことができるでしょうか。暑さの続くおりから、このスリルは、涼しさをもたらしてくれるかもしれません。

  30数年ぶりの再会 ・・・  こうした楽しみがあるのは、嬉しいことですね。 

  「三日会わざれば刮目(かつもく)してみるべし」 ・・・ (優れた人物は、三日間会わないあいだにも成長しているから、その成長ぶりを見るためには目を見開いて会うべきである、という意味らしいのですが)・・・・星飛雄馬の成長を描いた『巨人の星』に掲載されていて出会ったことばです。

 彼の目に私がどう映るかは、さておき、私自身が、しっかりと目を見開いて彼を見たいと思います。

 皆様にも、よき一日となりますように。

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2007年8月17日 (金)

若人たちへのエール

  教員採用の第一次試験に合格した学生さんの二次合格に向けての面接練習をしました。第一関門を通過したのはうれしいけれど、第一次試験合格者の中のおよそ4割が二次試験合格という状況なので、喜んでいる時間はないという表情です。

 まっすぐに瞳を向けてくるひたむきさを受けとめながら、いくつかの質問をし、結びにその学生さんから伝わってくるよさとそれを試験当日の面接官に対しても自信を持って発揮するように話し、励まして終わります。

  懸命でありながら、ぎらぎらしていないで、人柄がにじみでてくる笑顔にふれ、どうかして合格して子どもたちの前に立つ日をむかえられますように、と願う思いに満たされました。38年の教職生活を終えた私にこのような思いを強く抱かせる若人たちが育っていること ・・・ こうした若木の大切な芽を摘むことさえしなければ、日本の教育は間違いなく超一流です。

  実は、畑係を任命された私の働きぶりがあまりに遠慮がちなので、我が家のもう一人の住人が野菜の手入れをすることが度々あります。

  それは、有り難いのですが時々、「しまった、残さなければいけないほうを摘んでしまった。」とか「オクラが実ったと思って収穫したら、ほら、見て、見て。これから咲こうとしている花だった。」との報告に接します。

  その時の状況に応じて、慰めたり、私のいたらなさを詫びたりしています。(今までのところ、居直って相手を責めるという愚というか反抗はいたしておりません (^_^;

  家庭菜園のことは、それでよいとして、国の進む教育においては、子どもや若人たちの大切な芽を摘むあやまちを決しておかしてはならないと思います。

  正式採用を目指して、臨時雇用の講師をしながら複数回採用試験に挑戦している人もたくさんいます。講師の仕事に誠実かつ熱心に取り組むがゆえに採用試験の準備に充分な時間をあてることができないまま受験している人たちには頭が下がります。

  どうか、希望している道が開かれますように。

聖書のことば  ローマ人への手紙 第5章 3節~5節

 ・・・わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。・・・

  暑い日が続きます。こういう日を乗り切るには、暑さ以上に熱きハートを燃やすことかもしれません ・・・  扇風機やクーラーもある、ですって ・・・ はい、わかりました。 ついでながら、我が家のフウセンカズラは、まだグリーンのカーテンを形成するにはいたっていません。けれど小さな花をこの暑さの中でも咲かせ、励ましてくれています。

  心を若く保ち、若人に負けないで今日を歩みたいと思います。

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2007年8月16日 (木)

果実とことば

  私の通っている教会の庭にはザクロの木があり、たくさんの実をつけています。実のなる木というのは、手入れがたいへんですが、なかなかに夢があるものですね。

 木はそのなる実によって判断されるのですが、「桃栗3年柿8年、梅はすいすい14年、頑固なゆずは20年」ということばもあります。・・・年数や言い回しは地方によって異なるようですが、一朝一夕によい実を収穫することはできず、ある程度の年数、まずは土を肥やし、果樹を育てる真剣な取り組みが大切なことが教えられています。

聖書の言葉  マタイによる福音書  第7章  15節~17節

7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。

 時々、と申しますか、たびたび私は心ない言葉を口に出してしまったと後悔するのですが、ことばと木の実は似ていて、心の中にあるものがことばとして外に出てくるのだと思います。よいことば、おこないが生まれ出るように、心を育てたいと思います。

 そして、心を養い育てるのには、達人のふるう剪定ばさみのように厳しく心に刈り込みを入れて迫ってくる聖書にまさる書はないと思います。

 冬の寒さ、夏の暑さを乗り越えて秋に実を結ぶ果樹のように、私たちもいろいろな試練を越えて人生によき実を結ぶことができますように。

 今日も、そのために歩む一日となりますように。

  

 

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2007年8月15日 (水)

8月15日

  終戦記念日 ・・・ 戦争で多くのかけがえのない命が失われました。核兵器の撤廃が問題になっていますが、どんな兵器でも許されないのが真の在り方ではないでしょうか。

  詳しくは知りませんが、建物は破壊せずに人の命を奪う中性子爆弾というのがあるです。でも、そういう爆弾を、いったいどんな意義を見いだしながら開発するのでしょうか ・・・ 人道的、文化的だといえる兵器などあるはずがないのです。

 映画にもなった 『ビルマの竪琴』という有名な小説があります。主人公の水島上等兵は戦争後、ビルマ(現在のミャンマー)に残って贖罪と戦友のとむらいに生涯をささげます。

 実際に軍医として派遣され、自身も被弾して療養している間に所属部隊が出動し、ほとんど壊滅したところで終戦を迎えた田村久弥という方がおられます。この方はインドネシアで、長年医師として奉仕され、たくさんの命を救い、後輩の医師を育てられました。高齢になられた今も、日本の山村で医師として生きようとしておられます。

  現在も、インドネシアの医療活動のために田村医師を記念して、田村基金というのが設けられ、現地のために大切に運営されています。ゴーバルというハム・ソーセージを購入していただくと代金の一部がこの田村基金に積み立てられるというシステムも確立されています。

 田村基金について詳しくお知りになりたい方、ご協力いただける方は、このブログの執筆者までメールでご連絡いただければ、幸いです。

  「平和ぼけ日本」などと言われますが、ぼけるほどの平和を享受できるのは、悪いことではないと思います。ただし、世界に目を向け、どの国にも平和が訪れるように現在の日本の平和を生かす目と心を持ちたいと願っています。

聖書のことば  使徒の働き 第20章 35節

  労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私(パウロ)は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

  「受けるよりも与えるほうが幸いである」・・・イエス・キリストのこのことばは、実践してみて初めて深く味わえる、奥深さを備えていると思います。

 暑い日が続いております。どうか、今日も、お体、お大切に。

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2007年8月14日 (火)

緻密な観察力

  『シートン動物記』の著者、アーネスト・トンプソンシートンは1860年の8月14日に英国に生まれ、カナダで多くの動物の生態を研究しました。ボーイスカウトの創立にも、そのもとのところで影響を与えた人だそうです。かなり以前、名古屋のデパートでシートン展が開かれ、「狼王ロボ」とその妻ブランカの毛皮も展示されていたのを見たことがあります。

 シートンの描いた絵の緻密さに驚いた記憶もあります。と申しますか、もともとは画家で、『シートン動物記』にも100点を越える自筆の絵が組み込まれているのですね。ファーブル展でもファーブルのキノコのスケッチなどの精緻さに驚いた覚えがあります。 話は広がりますが、「フィンガルの洞窟」など優れた描写音楽を作曲したメンデルスゾーンの描いた絵を最近テレビで見る機会がありましたが、これも見事でした。なべて、大きな業績をあげる人は観察力、描写力などたいへん優れているように思います。

 極めておおまかな絵しか描けない私ですので、他の人の絵に対して評価があまいのかもしれません。もし、機会がありましたらご自分で上記の人たちのスケッチや絵をご覧になってください。

  ターシャ・チューダの描いた原画を見たのは、可児市の花フェスタ公園に青いバラを見に行ったときだったと思います。

 本物を見る機会を大切にしたいと思う反面、こうも暑い日が続くと、涼しいところで、かき氷でも楽しむのが一番という気がしてきて、一流の人との距離、生き方の質の違いを感じずにはいられません。

 とにかく、元気で、この暑さをおしのぎくださいますように。・・・読み返してみて、尻切れトンボの感がありますけれど、お許しください。ああ、暑い・・・・・・

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2007年8月13日 (月)

城ヶ島の灯台

  1870年の8月13日に神奈川県三浦三崎突端に、城ヶ島の灯台の灯がともされたそうです。全国では4番目にあたるそうですが、城ヶ島は次の名曲によって知名度では、もっと上位かも知れませんね。

城ヶ島の雨

北原白秋作詞 梁田 貞(やなだ ただし)作曲

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ

http://www.ocarina.cc/zyougasima.html

オカリナとピアノによる演奏を上記のホームページで聴くことができます。聴かせていただきましたがすてきな演奏です。

灯台の灯は、嵐の夜にこそ、その真価を発揮します。

私たち、ひとりひとりも、つらさに直面しているときにこそ、それぞれの光を精一杯放つ存在でありたいと思います。

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2007年8月12日 (日)

好きな歌手の一人

 1985年の8月12日にその事故は起きました。日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。4人が生存、520人死亡。

 亡くなった方の一人に、坂本九さんがいました。中学・高校時代、私は彼の笑顔が大好きで、彼の歌をたくさん覚えて歌っていました。次男坊である私は、「ぼくは我が家の次男坊」というテレビドラマに有島一郎さんたちと出演している彼の姿も覚えています。

 最近、図書館で『上を向いて歩こう』という本を借り、彼が長年、福祉の働きを熱心に続けていたことを改めて認識しました。改めてというのは、初めて札幌に行ったとき、タクシーの運転手さんのはからいで、坂本九さんと親交のあった岡本佳子さん(ダウン症の方で、「札幌のヘレン・ケラーと呼ばれることもあるそうです)の美術館を訪れる機会があり、福祉関係での九さんの足跡を知る機会があったからです。

 「上を向いて歩こう」・「見上げてごらん 夜の星を」・「明日があるさ」・・・今までもそうでしたが、これからもおりにふれて歌うこれらの曲を彼の歌声と笑顔と切り離しては思いうかべることのできない私です。

 人の命は、長さでなく深さにこそ意味がある・・・といいますけれど、もっと長く生きて活動していて欲しかった人の一人です。しんみりするのは、彼の贈ってくれた宝物に申し訳ないので、明るく思い出すことにしていますけれど。

 さて、今日は日曜日・・・お近くのキリスト教会に足を運んでいただけたら、とても嬉しいです。   よき一日となりますように。

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2007年8月11日 (土)

自分より賢い人々

  「カーネギーホール」という映画が1946年に作られたほど、その名は有名です。今日、8月11日は、そのカーネギーホールになを残しているアンドリュー・カーネギーの命日(1919年)だそうです。

 自ら選んだ墓碑銘は、つぎのことばだそうで、それをご紹介したいと思い、このブログに取り上げました。

 「ここに、自分より賢い人々を、周囲に集める術を知っていた一人の人間が横たわる」

  人間は、「自分より賢い人々」の存在をなかなか素直に認めることは難しいと思います。鉄鋼王と呼ばれるほど大きな業績を上げた人ならばなおのこと・・・どんな人だったのだろうと、関心を覚えました。

  それはさておき、ニューヨークのマンハッタンにあるカーネギーホール、1891年5月のこけらおとしの指揮者は、チャイコフスキーだったそうです。

  最初に書いた映画「カーネギーホール」で英雄ポロネーズを弾いているピアニスト、アルトウール・ルービンシュタインにまつわるこんな話があるそうです。

  カーネギー・ホールの地理的な場所は7番街、57通りに面した場所にある。古くからある冗談として次のようなものがある。ルービンシュタインがあるときこの近所で「カーネギーホールへはどうやって行くんですか?」と尋かれ、こう答えたという。「練習して練習して、さらに練習してください。」

  プロの歌手、演奏家にとっては、日本の高校球児の甲子園のような存在なのですね。

聖書のことば  コリント人への手紙 第一  第1章 31節

「誇る者は主を誇れ」

  全世界を創られた神様の前に、人間はどんなに謙遜しても謙遜しすぎることのない存在だと思います。

 聖書の別の箇所には、自分ではなく他の人の口によってほめたたえられるようになりなさい、という意味の言葉があります。

  本日も暑い日になりそうです。どうぞ、ご自分によき手応えのある歩みを成し遂げてくださいますように。私もそう努めたいと思います。

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2007年8月10日 (金)

帽子と心臓

  8月10日は、帽子の日・・・8(ハッ)・10(ト)、そして厚生労働省などが制定した健康ハートの日・・8(ハー)・10(ト)の日なのだそうです。

  健康ハートの日のほうは、1985年に制定され、心臓病は生活習慣に気をつけることによってある程度予防できることを知ってもらうため、血圧・心電図の測定などのキャンペーンを毎年、おこなっているとのことです。

 心臓病予防の三原則は「まず歩こう、タバコを吸うまい、太るまい」だそうです。

 大切なところを「心臓部」というくらいですから、いたわりつつ長持ちさせましょうね。

聖書のことば  マタイによる福音書  第16章 26節

  人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 よく知られた「死んで花実が咲くものか」と通ずるところがありますね。ただ、「まことのいのち」は、別の訳では「永遠のいのち」となっており、身体の生命以上のものをさしています。

  8日が立秋でしたけれど、まだまだ暑さは本格的・・・残暑、お見舞い申し上げます。外に出るときは帽子や水分補給を大切になさってくださいますように。

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2007年8月 9日 (木)

創造・継続のエネルギー

  かつて同じ学校に勤めた先輩から美術展の案内をいただきました。他にも毎年個展を開き、案内をくださる方がおられます。

  懸命に仕事をしながら、時間を生み出して作品を創出し続ける方のエネルギーには脱帽の他ありません。これは、時間があるから出来るということではなく、作品に向かわずにはいられない強い生命力と意志が脈々とその方たちの人生に流れていることのあらわれ(表れ・現れ)だと思います。

  俳句や短歌の会を主宰したり、そうした会に所属して十年を超える歳月、毎月、句作・短歌作りを重ねておられる方もおられます。近所には、身を削るようにして作品を仕上げておられる書家もおられます。

  私は、何か一つのことに骨身を削るということに自分をおこうとしない性質の持ち主のようです。(体重は削りたいけれど、食事を抜こうとは思いません・・・)

  ご近所の書家に習字を習いに通っている数学科の先生がおられますが、私は、もし習いに行くと「こんな字で、よくぞ国語の教師を務められましたね」とお叱りを受けそうで、そのお家のそばは、早足で通ることにしているほどです。(ちょっと誇張がありますけれど。)

 ゴルフの中島プロ(クリスチャンです)は、ダンプカー数台分のゴルフボールを打つと、ある程度、つかめてくるものがある、と語っておられます。

  質の高まりは、まずは理屈ぬきでその世界に浸るところから生まれてくるようです。

  とにかく、何かに夢中になれるということ自体がすばらしいですね。このブログを読んでくださっているあなたは、いかがでしょうか。

 うーむ、そういえば、私にも一日に何時間も卓球に打ち込んだ中学・高校時代がありましたし、今でも興の乗った本は、かなりの時間読み続けます。このところ、ピアノに一時間以上向かう日が続いてもいます。

  絵画や彫刻、俳句や短歌のような作品には仕上がらなくても何か、時間を忘れて打ち込めるものを大切にしたいと思う今日の私です。

 今日、8月9日さん・・・花火を買おうとして鵜飼い見物の舟から落ちたり、わんこそばのそばは、2メートルほど離れている障子の隙間から投げ込まれるのだと思いこんでいたり、海に沈む夕日を友だちと眺め、感激のおももちで「明日の朝、あの海から昇る朝日を一緒に見ましょうね」と呼びかけて、周囲が沈黙・・・「あのね、徹子さん、太陽は沈んだところからは昇らないのよ」と諭されても納得できなかったりする、黒柳徹子さんの誕生日だそうです。

  若々しさ、好奇心の旺盛さ、そして国連の働きもなさっている前向きの行動力を見習いたく思います。(生活年齢としては、私のほうがしっかりと若いのですけれど・・・)  

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2007年8月 8日 (水)

そろばんとコンピュータ

 いろいろな記念日が制定されていますが、今日8月8日は何の日でしょうか。そうですね、今日のタイトルにもありますが、そろばんの日なのです。8が二つ並んで、パチパチというわけです。1968年に全国珠算教育連盟が制定したのだそうです。

 また、白玉の日でもあるそうです。

 私は、珠算が得意とはいえず、(はっきり言って苦手です)、そろばんで計算すると筆算で確かめる必要があるほどでした。・・・これでは、意味がありませんね。

 そろばんが上達すると、頭の中にそろばんがセットされ、指を動かすだけで正答が出せるようになるようですね。このブログを読んでくださる方の中にもそうした達人がおられるかもしれません。詳しいメカニズムは忘れましたけれど、そこがパソコンで計算するときとの大きな違いだと書かれている文章を読んだことがあります。

  人体の仕組み・・・本当に奥深いものがあるようです。

  暑さのせいにして今日はこれでブログを終わらせていただきます。夏やせはしたいのですが、夏バテはしたくないと身勝手に思っている執筆者より。

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2007年8月 7日 (火)

「ノーモア」と「リメンバー」

  広島平和公園からのテレビ中継を見終わったところです。小学6年生の平和の誓い、心を打たれました。何と堂々としていたことでしょう。

 チャップリンの映画「独裁者」の最後にある演説も心に残りますが、現実に生きている子どもたちの、「過去の人は救えませんが、未来の人は救えます」ということばには、力強さがありました。

 広島市長の著に「ノーモア・ヒロシマ」と「リメンバー・パールハーバー」について述べた文章があったと思います。 悲惨な苦しみ・・・それが重く、大きいものであればあるほど、もう、このような悲しみ、苦しみを誰にも味わわせてはならないのだとの決意を強め、そのための具体的な呼びかけ、働きかけを積み重ねてきたことを真摯に受けとめ、自分自身の思い、生き方につないでいきたいと思いました。

聖書のことば   マタイによる福音書 第5章 9節

  平和をつくり出そうとしている人は幸福です。 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。

  私の両親は飛騨の古川で終戦を迎えました。両親は広島県の出身ということもあり、私にとっても8月6日は平和への思いを強くする日となっています。

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2007年8月 6日 (月)

ウナギ

 土用のころの夏ばてにはウナギがよいとか。

※ 土用・・・ 暦法で、立夏の前18日を春の土用、立秋の前18日を夏の土用、立冬の前18日を秋の土用、立春の前18日を冬の土用といい、その初めの日を土用の入りという。普通には夏の土用を指していう。(季)夏。(広辞苑より)

  そういう説を唱えて常識にまで定着させ、売れ行きに悩んでいた鰻屋を救ったのが、平賀源内だといわれています。

  現代だと、バレンタインデーのチョコレートの商法にあたるでしょうか。エレキテルだけではない才人だったのですね。

  ところで、私は誰に頼まれて鰻のことを書いているわけでもないので、どうぞ誤解のありませんように。

  さて、8月1日に、体重計に乗ることを自発的に書かせていただいた私ですが・・・乗って驚きました。低めに出る体重計に意図的に乗っていたつもりはなかったのですが、体脂肪率なども出る現代的な体重計に、電池まで新品に取り替えて乗った結果は・・・悲惨でした。数値に目を疑い、食事ものどをとおらなく・・・となるとよかったのですが、食事は大切にするタチの私・・・ちゃんと食べていますが、断固、夏やせを決意いたしました。

 幸い、私よりも軽くなろうと急追しているライバルがいますので、まずは、彼に、そのだいそれた野望をあきらめさせるほどにスリムにならなければ・・・

  全然、質は違いますが、森鴎外が夏目漱石の部屋の明かりが消えるまで勉強に励むことにしていた時代があるとか・・・ただし、漱石のほうは、そんなライバル意識があったのかなかったのか・・・時々、朝まで漱石の部屋に明かりがともっていて鴎外が感心したそうですが、単に漱石が明かりを点けっぱなしで寝ていたというだけのこともあったらしいと、高校時代の社会の先生が話してくださったように覚えています。肝心の授業内容は記憶にないのですが、そういう話だけは、ふと思い出すのです。不思議なものですね。

 とにかく、いろいろな常識、風評に惑わされず、自分の考え、行動のハンドルはきちんと自分が握っている・・・そういうことを大事にしたいと思います。

 たとえ、ライバルに減量レースで抜き去られても、マイペースで私自身も減量に努めればいいのです。(ここだけの話ですが、ライバルの彼はかなり減量しますけれど、リバウンドもよくするのですよ。)

 あ、いえいえ、あくまでもマイペースで、人と比べずに我が道を行きます。ダイエットには結びつきませんが、今日は約1時間、ピアノに向かいました。指に過労がこないよう、しかし贅肉は落とせるよう、というところを見極められるようになりたいと思います。

 暑さゆえか、それとは関係なくか、またまた冗長な文章で申し訳ありません。   どうぞ、よい一日となりますように。

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2007年8月 5日 (日)

花火

  昨日、岐阜市の長良橋下流では盛大に花火が打ち上げられました。夜空に大輪の花が咲いたり、スマイルの表情が愛嬌を振りまいたり・・・。

  先週の花火は、とてもすばらしいシチュエーションから楽しませていただきことができました。今回は、散歩に出て、花火を遠望できるところを探しました。音とのずれはありますが、見える場所が見つかり、しばらく楽しみました。

 つい、最近、花火の仕組みをNHKの「美の壺」で谷啓さんの語りを通して知ったところです。・・・そうそう、谷啓さんは、日本有数のトロンボーン奏者で、その芸名はアメリカの俳優「ダニー・ケイ」を模したものでしたね。

  夜空で美しく拡がる花火は、そうなるように作られているのです。

  アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが幼い頃、父に呼ばれて行ってみると、畑に発芽したたくさんの芽がマス・ゲームのようにといったらよいでしょうか、彼の名前の文字を描いていたそうです。

 「自然にこうなったと思うかね?」

「いいえ、お父さんが種をこのように蒔いておいたのだと思います。」

「そのとおりだ、ジョージ。世の中には美しい自然がたくさんある。すばらしい仕組みも明らかにしつくせないことだろう。お父さんは、そこに創造主、神様の存在があることを確信しないではいられないのだよ。」

 ワシントンが父親の大切に育てていた木を斧で切り倒してしまったことを正直に謝ったというエピソードはよく知られています。今日、ご紹介させていただいたエピソードも心にとめてくだされば、嬉しいです。

聖書のことば  ローマ人への手紙 第1章 20節

  神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められる・・・・

 今日は、日曜日・・・ぜひ、お近くのキリスト教会にお出かけください。

よき日となりますように。

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2007年8月 4日 (土)

夏休みの大学

 夏休みに入って、岐阜大学では理科の公開講座とか、教員になって6年目、12年目のかたの研修とか、教職の上級免許取得のための認定講習などが連日行われています。

 一昨日はオープンキャンパスという催しが行われました。オープンキャンパスというのは、主として受験生を対象に岐阜大学とはどんなところかを学内の見学と、各学科で学ぶ内容などの説明会を通して知ってもらおうという企画です。

 参加者が夢や希望を書いて貼り付ける「やる木・・・」というボードも用意されていて、「岐大に入って先生になる!」とか「来年は学生としてここに来られるように勉強に励む!」とか「医学部に合格してよき医師になる!」「学問と恋愛、両方実現」などなどの願い・決意が貼られていました。

 中には「ダイエット!」というのもありました。きっと質の高い勉強を長時間持続できる体を作って合格を目指すということだろうと拡大解釈をする私に、世話係の学生が「夢」ということでしょうねと優しくフォローしておりました。

 心を打たれたのは、大学前のバス停で下りる参加者を「受付まで案内します」というプラカードを掲げた学生が先導したり、具体的な質問に答えるコーナーを設けて熱心に応対していたことです。

 ボランティアの訳語として「勤労奉仕」などが上げられますが、私が最も心をひかれ、これが最適ではないかと思っているのは「善意の意志」という訳語です。

  他者、未来の後輩のために無償の働きをする学生たちの笑顔に何だか無性に嬉しくなって帰途に着いた一昨日の私でありました。

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2007年8月 3日 (金)

「?」  「!」

  昨日予告させていただいた「?」 「!」 ・・・これもご存じの方が多いかも知れませんね。でも、おつきあいくださいな。 ありがとうございます。

  これは、フランスの文豪 ヴィクトル・ユゴーと出版社の間でやりとりされた手紙で、おそらく世界最短の往信・返信だろうといわれています。

 そうですね、あの名作『ああ無情 レ・ミゼラブル』を出版してしばらく後にユゴーが

「?」  ・・・ 「売れ行きは?」

と問い合わせ

「!」  ・・・ 「驚異的!」

と出版社が答えたのだといわれています。

 きっとこの長編小説の主人公、ジャン・ヴァルジャンは、こう思ったことでしょう。「1828年ころから資料を集めて、執筆に取りかかったのが1845年、全編を完成して出版したのが1862年の3月末・・・渾身の力を注いだので、長い手紙を書くエネルギーもなかったのでは・・・。」

  いえいえ、上に書いたのは、私の勝手な思いで、文豪といわれるユゴーは、まだまだ豊かな力を備えていたに違いありません。失礼いたしました。 

 ああ、どうしましょう ・・・ せっかく模範となる端的な手紙を素材としたのに、饒舌な文章を書いてしまいました。 すみません。

  明日はどうなることでしょうか。

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2007年8月 2日 (木)

「来た、見た、勝った」

 ご存じの方が多いと思いますが、今日の表題は、ジュリアス・シーザーが戦勝の報告を端的にしかも韻を踏んだ三語で伝えたとされる手紙です。これが、紀元前47年8月2日のことだそうです。

 インターネットの「教えて!goo」 には、このシーザーの手紙のことが次のように書かれていました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa577824.html

 岩波文庫の『プルターク英雄伝(九)』のカエサル(シーザー)篇、第50章に載ってます。そこではシーザーのクレオパトラとの出会いの後、アジア(現在のトルコ地方)との戦争のときの言葉となっています。
三軍団を率いて敵を根こそぎ滅ぼした、その際、ローマの友人に当てた手紙の中の言葉とあります。(一説には、凱旋式で高札に書いた言葉)
 ラテン語では「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」と言うそうで、「同じような音で終わっていて信じられない程短い言葉になっている」とプルタークが評しています。

  私の文章は、饒舌になっていることが多く、ブログを読んでくださる方に申し訳なく思っております。

  明日は、もっと短いやりとり、「?」  「!」 について書かせていただきますね。

続きを読む "「来た、見た、勝った」"

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2007年8月 1日 (水)

年齢相応に

  お待たせいたしました。今日は、お世話になっているこのブログのソフトをバージョンアップするためのメンテナンスが行われていた関係で、夕方になってからの更新になりました。このブログのサービスをしてくださっているココログ・・・新しい機能がついてさらに使いやすくなりました。お礼申し上げます。

  さて、このところ、体重計から遠ざかるようになっていた私です。順調にダイエットが進んでいたときには、一日に複数回、体重計に乗っていたのに、いったん体重の増量を自覚し始めると体重計とは疎遠になるのです。何と正直なことでしょう。

 いえいえ、そんなことを分析しても何も値打ちはないので、とにかく勇気と決意をもって現実を見つめるために、体重計と仲良くしたいと思います。

  この体重計は、体脂肪率や、体年齢というのも表示されるようになっていて、私の場合、ほぼ実年齢あたりの数字が出るのに、どうしたものか、家内の場合は実年齢よりも10歳かそれ以上に低い数字が出ることがあるのです。

  そうすると、つい「精神年齢も実年齢よりそれだけ低いのではありませぬか?」などと言いたくなるのを、いやいや、これはひがみから出ることばだと、自制することになります。

  たしか、『法隆寺を支えた木』という本に、齢相応に古色蒼然とした樹木は中身がしっかりしているけれど、青々と葉を茂らせている老木はたいてい内部は空洞になっていて建材としては使い物にならないことが多い、という意味の文章がありました。

 これを人間の場合も同じような可能性がある、とまでは書いておられないところに著者の高い見識がうかがえます。(^_^;

  もちろん、「年齢相応に老いましょう」というのが、結論ではありません。年齢相応に実力と見識をたくわえて、必要なときにそれを発揮することができるようにしておきたいという自分向けの思いを表明させていただきます。

  少なくとも、今日から、体重計にちゃんと乗る生活を続けます。できれば、ウオーキングも欠かさないようにしたいと思います。

 皆様は、毎日、体、そして心によいことを何かなさっていますか。

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