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2007年8月23日 (木)

新たなスタート

  甲子園の全国高校野球の決勝戦が終わりました。どこが優勝するか、最後まで予断を許さない好試合が続きましたね。

  優勝校、準優勝校だけが讃えられるのではなく、すべてのチーム、すべての選手の熱く燃えながら前向きに励んできた一つ一つの努力が尊いのだと思います。ずっと以前から、高校生たちはもちろん、大人もそのことを分かって指導、応援してきたのです。

  そのことを思うと、「勝ち組」だの「負け組」だのと、特に経済的な観点から絞ってだけ評価を下す風潮のなんと底の浅いことかと思わずにはいられません。

  どの野球チームも来年に向けてのチーム作りは既にスタートしています。そして、卒業する3年生も、それぞれの人生の目標に向けて、新たな一歩を踏み出していくことでしょう。

  おいしい食事をしても、再び空腹はやってきます。懸命に生きてもこの世での人生の結びのときはやってきます。

 だからといって、食べることは無駄ではありませんし、生きることは虚しいことでは決してありません。

  教育における評価を研究している方は、講演で次のように語られました。「子どもたちをランクづけることが評価の目的ではありません。私は、どのような評価の窓を設けたら、子どもの良さが見えてくるのか・・・そのことを楽しみにこの仕事に取り組んでいるのです。」(語られた言葉そのままではありませんが、このことを情熱を込めて語られたと私は受けとめたのです。)

聖書のことば マタイによる福音書 6章 

隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 上記の表現が、このマタイによる福音書の6章に、3回出てきます。

 人間が誠実に力を入れている様子のすべてがすべての人の目にみえるわけではありません。縁の下の力持ちで支えている努力が、誰の目にも映らないことのほうが、認められることよりずっとずっと多いことでしょう。

 けれど、神様は一人一人の生き方、していること、していないことをすべてご存知です。

 嘆かず、つぶやかず、真心を込めて自分の出来る最善を尽くしつつ、若人たちと共に今日も新たなスタートをいたしましょう。

 よき一日となりますように。

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コメント

 教育における評価について、現場をはなれ外から学校を見ていますと、不思議に思えることがけっこうあります。そもそも、評価などという、たいそれた物を生徒たちは、欲しいと思っているのでしょうか?通知表を喜んでもらいに来る生徒は、決して多くは無いです。渡したとたん、破り捨てられたことが、何度かありますが、少なくとも彼にとっては迷惑だったのです。(私も、その場は怒りましたけど。)
 頑張って事に対して、その場で、「頑張ったなー。すごいなー。」といった言葉をかけるといった、シンプルなものでいいのではないでしょうか。いずれにせよ、本人が一層やる気を起こすような、そういう工夫をすべきだと思うのですが、どんなものでしょうか?
 

投稿: 小島 | 2007年8月23日 (木) 05時57分

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