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2007年10月31日 (水)

うだつ

0001  美濃市の「うだつの上がる町並み」へ行ってきました。このように再訪したり、おなじみさんになって足を運ぶ人のことを「リピーター」というのでしょうね。

 けれど、「レポーター」はまだしも、「リピーター」は何となく、人の言うことをやたらに繰り返して話を遮る人のような感じもして、10年ぶりに改訂される広辞苑に載っているかどうかは分かりませんが、そういう語がたくさん収録されたという前評判の新版を購入する気にはなれません。

・・・別に私一人がそう思っていても何の影響もありませぬが、時にはこんなこともいってみたくもなります。寄贈するので、ぜひご覧くださいといわれたら、むげにはお断りいたしませんけれど  (^_^;

  されはさておき、上の写真が「うだつ」です。辞書によると、切妻造りなどの妻側の壁(妻壁)を屋根より一段高くして家の格式を示した、またこれに袖壁をつけて防火用とした・・・とか、京阪地方などで道路に接する連接家屋で、隣家との境に設けた防火壁、とか書かれています。(国語大辞典・小学館)

 なかなか雰囲気のある町並みですので、写真をあと2枚添えておきます。

0002 0003   由緒のあるひな人形を飾る春先も風流な雰囲気ですが、深まり行く秋に訪れるのも、なかなか情緒があってよいところです。

  左の写真の書店では、美濃和紙のほかに竹久夢二の画集などを独自の選択でそろえ、書架に配置しておられます。

 派手な演出をせず、しっとりした生活感を湛えて息づいている・・・そんな町です。無料の駐車場が何カ所かにあるのもうれしいですね。

※ どの写真も、クリックしていただくと少し大きくなります。(ようやくそんな技術も習得しました。)

 穏やかな秋の日、静かな中にも確かな歩みを記す日となりますように。

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2007年10月30日 (火)

続けることの難しさ

  先日、ジャイアント馬場さん直伝だといいながら、黒柳徹子さんが腕を前後に振りながらスクワット運動をテレビで披露していました。

 「あなたは1日に30回やればいいでしょう。でも毎日続けてください。今日できたことが明日出来なくなるというのが老いるということなのです。今日1日休んだら、明日も同じことが出来るかどうか、分かりません。」

 およそ、このようなことをジャイアント馬場さんから黒柳さんは学んだそうです。そして、その日から、黒柳さんはスクワット運動を1日も欠かさずに続けているとのこと・・・その実行力と、意志がすごいですね。

 それも、確か、黒柳さんは1日30回でなく、50回しているとおっしゃったような・・・。ジャイアント馬場さん自身は「ぼくは、2千回やります」と言われたそうで、プロの鍛え方は、これまたすごいと思いました。

  その日、私はテレビの黒柳さんの真似をしながら30回やりましたが、その翌日は腰が痛くて、自重しました。よく考えたら、以後、ずっと自重の毎日です。

  「毎日しっかりと3食食べよう」・・・こういうことは特に努力しなくても、実によく実行できるのですけれどね。

 今、毎日出来ているのはピアノに1時間ほど向かうこと、聖書を含め、読書をすること、ブログを書くことです。

  そして、ほぼ毎日できているのは、夕食の前に30分ほど歩くことです。努力というより、楽しい習慣になると続けられるように思います。

 向上、あるいは現状を維持する努力を毎日続けておられる方に敬服します。

 今日という日、大切にしておられることを為すことができますように。

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2007年10月29日 (月)

上・中・下

  いくつかのことが上・中・下の三段階で語られているのに出会いました。

 上農 ・・・草を見ず  草がはっきり姿を現す前に草引きを終えている

 中農 ・・・草を見て草をとる

 下農 ・・・草を見て草をとらず

 なるほど、端的に本質をついているように思われますね。

と、感心している私は、上記のランクの外にあります。(^_^;

 なにしろ、テーブルの広さほどの畑係に任命されましたが、草が生えているのかどうかさえも見ていないという状態だからです・・・いえ、自慢しているわけではありません。

 さて、虎は死んで皮を残し、人は名を残すといわれますが、次のことばもあります。

 財を残すは、  仕事を残すは、  人を残すは、

 これも、なるほどという思いになりますね。

 教え方の上・中・下については、次のようにいわれています。

 ・・・ むずかしいことを分かりやすく教える

 ・・・ むずかしいことをむずかしく教える

 ・・・ 易しいことをむずかしく教える

  教師時代の私を知っている人、上のことばと私とを結びつけないでくださいね、武士の情けです (^_^;

  自分では、「上」に属するように努めていたつもりですが、ひょっとするとこれもランク外の「何も教えない」というところに位置するかもしれません。

  さて、上・中・下について書いてきましたが、本当は、他との比較ではなく、それぞれの人の幼いときからの歩みで成長を眺望するのがよいのではないかと思います。特に、現在を肯定的にとらえることができますように。せっかく、励んで生きているのですから。 (^o^)

聖書のことば   イザヤ書  第43章 4節

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。

  神様は、一人一人を愛し、その髪の毛の数さえもご存じです。その神様が愛していてくださることをそのままに受け入れて歩むことができますように。

  今日という日、一人一人が賜物を生かし、それぞれの持ち場で明るく歩む日となりますように。 

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2007年10月28日 (日)

シャンソン

  最初にお断りしておきますが、私とシャンソンの関わりは、とても浅いのです。強いて言えば国語の授業で子どもたちに早口言葉をいわせるときに「新春シャンソンショーと3回、できるだけ早く言ってごらん」といっていたことくらいなものです。

  ああ、読まなければよかった、ですって ・・・ そう、私も、アー、書かなければよかったと思っています。 (^_^;

  それは、ともかく、このところ、クミコという歌手が出演する番組を二つ見て、彼女の歌うシャンソンに魅せられました。

 二十代から歌手を志し、歩んでいたそうですが、世に知られ、人気が出てきたのはつい最近のようで、テレビ番組「題名のない音楽会」で「少し遠回りだったそうですね」と司会者が語りかけると「少しばかりじゃないですよ、ずいぶん遠回りで、どうなることかと思いました」などと答えて聴衆を笑わせていました。五十代の後半に入っているようですから、30年ほどの遠回りでしょうか。トークもかなりのものとお見受けしました。

  でも、その30年間ほどのいろいろな経験が今、歌を歌うときの大切な肥料になっていることが聴き手に伝わってくる歌手だなあと思います。

 さて、シャンソンについて、インターネット上の百科事典ウィキペディアで調べてみると最初のほうにこんなふうに書かれていました。

  本来、シャンソンchanson)は、フランス語の意味である。したがって、少なくとも現代のフランス語圏においては、シャンソンは歌全般を意味し、特定ジャンルの楽曲を指すものではない。他言語圏ではフランス語で歌われる曲という意味で使われることが多く、この場合も何らかの音楽的特徴を持つものではない。なおイタリア音楽のカンツォーネ(Canzone)とは元々の語源は同じである。

  皆様のほうが長くシャンソンに親しんでおられる可能性が高いですし、エディット・ピアフの映画もヒットしているようですから、今日のブログはこのへんで。

  私のピアノのレパートリーの中に「枯れ葉」・「愛の賛歌」も入っているのですが、しばらく弾かないうちにそれこそ枯れかけているので、鋭意、練習したいと思います。

  岐阜の方は、11月4日(日)午後2時からサラマンカホールで元教師をされていた小島さんという方のシャンソン・リサイタルがありますので、関心とお時間、そして2千円(だったかな)のチケット代がありましたらお出かけくださいますように。 (私も行きたいのですが、その日は教会のオルガニストとしてのご用があります。)

 今日は、日曜日。よき秋の日曜日をおすごしくださいますように。

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2007年10月27日 (土)

ホームベーカリー

  ガソリン、灯油などの値上がりが報じられています。そして、トウモロコシからバイオ燃料を作る動きが進んだ結果、アメリカでは畑でトウモロコシを作る農家が増加し、そのため、小麦の作付面積が減少して、品不足の小麦粉が値上がりする・・・こういう傾向が現れてきました。

 小麦粉が値上がりすると、パンの値段も上がる・・・ということも予想され、進めてくださる方があって、しばらく使うと元がとれるだろうということで、このほどパン焼き器を購入いたしました。

 家内と説明書を読みながら材料を入れ、焼き上がりの時間をセットし、スイッチを入れました。とたんに機械が作動し始めたので「わあ、これでは夜中に焼き上がってしまって、朝には冷え冷えパンということになるのでは・・・」とあわててカタログを読むと、こねる動作だけはすぐに始まると書いてあったので、安心して眠ることにしました。

 夜中に、パン焼き器がどんな状態か見に行くなど、まるで遠足を控えた幼な子のようでしたよ  ・・・  食べることに関しては、何とまめな性分なのでしょう。

  アサーッ ・・・ 目覚めて早速見に行きました。よい香りが漂い、正に焼き上がる数分前  ピッピッピッピッ と焼き上がりのサイン・・・

Photo_3  ジャンジャジャーン

Photo_4  たいへん、幸せな朝食となりました。

  不思議なことに、この前夜、家内の友人がテレビの料理番組にも講師として登場される脇  雅世さん手作りのバニラビーンズ入りの白桃ジャムを届けてくださったのです。(おいしかったです)

  ほっかほかのパンとパン焼き器のニュース ・・・ 「あなたのところは幸せだったでしょうが、写真を見てもお腹がふくれるわけではないし」・・・とお怒りにならない心の広い方には、きっと近々、すてきなことがありますよ ・・・ あるんじゃないでしょうか 、あってほしいと思います。

 こんな内容のブログで失礼いたしました。お許しください。

聖書のことば  マタイによる福音書  第4章 4節

  『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』

 今日という秋の日、魂も体も飢えることなく、元気に歩むことができますように。

明日は日曜日、キリスト教会へよろしかったらお出かけください。

  

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2007年10月26日 (金)

秋の味覚

Photo  枝もたわわに実っているのは、ザクロです。私の通っている教会の庭に実りました。光線の加減もありますが、実際の色は、もっと鮮やかです。

  生け垣にはヤマブドウが実りました。写真を撮らなかったのが残念ですが、このヤマブドウで作ったゼリーは、たいへん美しく、そしておいしかったです。 

 ザクロでジュースを作りました。美味でありましたよ。

Photo_2  

 

  今の季節のことではありませんが、教会の庭にはアンズの木があり、春先にきれいな花を咲かせてくれます。これをジャムにしてくださった方があり、これまた素敵な出来映えでした。

  刈り入れのすんだ田園風景が広がり、コスモスの花がここかしこに咲いています。秋たけなわ・・・心が豊かになる情景が随所に見受けられますね。

聖書のことば  ローマ人への手紙  第1章  20節

  神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる・・・

  今日も、秋の美しさを心身に受けとめながら、さわやかに歩むことができますように。

 

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2007年10月25日 (木)

一人の人間として

  12歳から演奏活動を展開した千住真理子さんは、20歳の頃に大きなスランプに陥ったとのことです。「天才少女」ということばがついてまわり、人とは違った刺激的な演奏をすることが求められるのに疲れたということもあったようです。『聞いて、ヴァイオリンの詩』(千住真理子著・時事通信社刊より)。以下の内容もこの本を引用・参照しています。

 ステージに立つと手足はがくがく震え、頭の中は真っ白になり、期待されて臨む世界的なコンクールにことごとく落ちる日々・・・二度とヴァイオリンを持たず、プロとしてステージに立つことはしない、と決意して、お母さんにヴァイオリンを「もういらないから売ってきて!」と渡したそうです。

  彼女が再び、ヴァイオリンを人前で弾いたのは、ホスピスの末期ガンの患者さんたちにヴァイオリンを演奏しに来てほしいという誘いがあったからとのこと。最初は、「ヴァイオリニストをやめたので」と断ったそうですが次のことばが彼女を動かしたのだそうです。

   ◇   ○   ☆   □   ☆   ○   ◇

 「ヴァイオリニストとしてお願いしているわけじゃない。昔あなたのフアンだった人が余命いくばくもないのです。一人の人間としてどうされますか」と問われたとき、迷わずヴァイオリンを持って訪れようという思いに至った。・・・・・私の演奏する前に座って全身を傾けて聴いている20~30人の聴衆。その方向からくる強い"思い"が私の演奏を誘導する。彼ら彼女らは私に"完璧な演奏"なんか望んでいない。ここで完成度の高い優等生の音楽はいらないのである。いま必要とされているのは”心を入れた音”なのだ。 ー中略ー 一人の患者さんが近づいてきて、温かな眼差しを私に向けて言った。「生きていてよかった。毎日ただただ苦しんでばかりで、何のために生きているんだろうって思っていたんですよ。でもいま千住さんの演奏を聴いて、ああ今日までとにかく頑張って生きててよかったなあって、そう思いましたよ。ありがとう」・・・「私の方こそありがとうございます」・・・その方は一週間後に亡くなった。

     ◇   ○   ☆   □   ☆   ○   ◇

 そして、千住真理子さんは再び楽器を練習するようになったそうで、次のように書いておられます。

「それは、プロとしての練習ではない。ただ人間としてそのような場に遭遇したときに、私として精いっぱいの音が出せるように、という願いをこめた練習であった。」

  このブログを書くために、上記の本を読み返し、千住真理子さんのCDを聴きながら私は、こんなことを思いました。

 人には、いろいろな立場がある。けれど、大切なのは一人の人間としてまっすぐにこの世に立つこと・・・そのとき、観客があろうとなかろうとその人の生きている場所そのものが人生の確かなステージになるのだと・・・。

聖書の言葉  マタイによる福音書  第5章  14節~15節

  あなたがたは世の光です。 丘の上にある町は、夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。
  あなたがたの光を隠してはいけません。 すべての人のために輝かせなさい。 だれにも見えるように、あなたがたの良い行ないを輝かせなさい。

 今回で千住真理子さんをめぐるお話は終わらせていただきます。意欲的に演奏活動を続け、CDも出しておられますのでその演奏をお聴きになる機会がおありかもしれませんね。

 今日も、お一人お一人が積み重ねてこられたことを、真心込めてこの世で輝かすことができますように。

   

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2007年10月24日 (水)

喜びの中に才能は伸びる

 『聞いて、ヴァイオリンの詩』(千住真理子著・時事通信社刊・200年11月発行)によると、千住真理子さんがヴァイオリンを習い始めたのは、2歳3か月のことだったそうです。

 お父さんは理工学者、お母さんも、結婚するまで化学の研究をしていた学者系の方で、特に音楽に関係のある家系ではなかったそうです。

 ご両親の子育ての根幹は「何を志してもよい。その代わり、その道の超一流になりなさい」だったそうで、千住家の子どもたちは、それぞれの道で超一流になりました。千住博さんは日本画の大家、千住明さんは作曲家、そして千住真理子さんはヴァイオリニストです。

 もちろん、それぞれが大変な努力の上に道を切り開かれたのだそうで、この三人の間では「もし、お母さんが千住家の子どもだったら、きっと落ちこぼれていただろう。千住家の子どもであることは、それくらいとってもたいへんなことだったんだ」ということに意見が一致しているようです。

 ただ、お母さんは三人の子どもたちの大将のような在り方をしていたようで、一番おもしろいことを言い、誰よりも純粋に涙し、いろいろなことを楽しく克服できるようにくふうしてくれたそうです。NHK大河ドラマ「風林火山」のテーマ曲も、作曲を担当した千住明さんがお母さんの感想を求めたところ、「これでは馬が走っていない・・・こうしたらよい」とアドバイスしてくれ、そして次には「走っている馬の姿が浮かんでくる」と認めてもらえるものに仕上がったことを喜んでくれたそうです。

 千住真理子さんは、そうしたお母さんに育てられたことを振り返って、前掲の本に次のように書いています。

        ◇  ○  □  ☆  □ ○  ◇

  確かなことがいえるのは、"喜びの中に才能は伸びる"ということである。いやなことをいやいや頑張った根性モノでは、才能は確実にしおれていくと私は確信している。

        ◇  ○  □  ☆  □ ○  ◇

  さて、努力の末に、千住真理子さんは小学校の高学年対象のコンクールで、全国優勝し、演奏活動に入りますが二十歳の頃、ヴァイオリニストとしての道を休止し、楽器をしまい込んだままの日々に入ったそうです。

 それについては、また次回に。

 たしか、10月24日は、東京オリンピックの最終日・・・大松監督の率いるバレーボールの女子チームが金メダルを獲得した日だったと思います。本当に強いチームでしたね。

 チームワークよく歩むよき日となりますように。

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2007年10月23日 (火)

「ストラディヴァリ」

 「ストラディヴァリ」は、弦楽器を作るためのすばらしい樹木に恵まれたアルプス近くのイタリアのクレモナ地方に住んでいた一族の名だそうです。

 弦楽器の製作をなりわいとするその一族の中でも1644年に生まれたアントニオが93年間の生涯をかけて製作した作品はとてもすばらしく、「ストラディヴァリ」と言われるのは彼が作った楽器を指しているのだそうです。

※ 「ストラディヴァリウス」と発音されることもありますが、イタリア語では末尾の「ウス」を読まないのではなかったかと思います・・・一度、正確なことをメモしたのですが、そのメモを見失っているのが私らしいところです。不正確だったらお許しください。

 生涯に弦楽器を3000ほどアントニオは作ったそうですが、現存するのはその一割ほどではないかと言われています。・・・もし、あなたの家に「ストラディヴァリ」が眠っていたら、これは、大変な宝物ということになります。

  さて、千住真理子さんは、そのストラディヴァリの一つ「デ・デュランティ」と奇跡的と言ってよい出会いをして、現在この楽器で演奏活動をしています。この楽器や、それが彼女のもとにくることにいたったいきさつは、一冊の本(『千住家にストラディヴァリが来た日』(千住文子著)になっていますので、ここでは省きます。

聖書のことば  マタイによる 福音書  第13章 45節・46節

 天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。

 それでは、この続きは、次回とさせていただきます。

 今日もさわやかな秋の日を歩むことができますように。

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2007年10月22日 (月)

クイズの答え

 昨日のクイズ、1万円を銀行に預け、2万円おろそうとしたらある楽器の名前を言って断られた・・・さて、その楽器はナーニ という問題でした。

 マンドリン ・・・ マンダリン ・・・1万円足りないから、万足りん

 とお考えになった方、なかなかのものです。

 正解は「ヴァイオリン ・・・倍(ばい)下(お)りん」でした。

 ヴァイオリニスト、千住真理子さんの生演奏を聴いたことがあり、それがきっかけとなって、千住家の家族の本を3冊ほど読みました。

 明日以降、本からの引用も含め、何回かにわたってヴァイオリンのことを書かせていただこうと思います。

 今日も、よき秋の日となりますように。

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2007年10月21日 (日)

幼な子のクイズ

 幼い子が大人に出すクイズは、簡単そうでなかなか解けないものですね。

 時には、こちらが降参して、得意げに明かされる答えを聞いても、なぜそれが答えなのか分からないようなクイズもありますし。(^_^;

 幼いときの姪がこんなクイズを出したことがあります。

 「銀行に1万円預けました。2万円おろそうとしたら、銀行の人はある楽器の名前を言って断りました。さて、何と言ったのでしょう。」

 答えを書こうと思ったのですが、キリスト教会に出かける時間が迫ってきましたので、明日のこのブログで解答させていただきます。お楽しみに。

聖書のことば 出エジプト記 第20章  8節

  安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 よき日曜日となりますように。

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2007年10月20日 (土)

秋の七草

 チェコの作曲家ドボルザークの歌曲集「ジプシーの歌」は7曲からなっています。その4番目に魅力的な題名の歌があります。「 我が母の教えたまいし歌 」というのです。ボヘミアの詩人の詩にドボルザークが曲を付けたのだそうです。題名からもお察しの通り、どこか懐かしい、そして親しみやすい感じがする曲です。
 もうこの曲をご存じの方もあるかと思いますが、関心をもたれた方はどこかで捜してお聴きください・・・おお、何とそっけないブログでしょうか。

 お許しくださいね。何しろ、今日の本題は「秋の七草」であって、ドボルザークのことはそこへいくための前座なのです。

 つまり、私に「秋の七草」の名の覚え方を教えてくれたのが、他ならぬ私の母だということが言いたかったのです。 ・・・何と強引な文章の展開でしょう。再び、お詫び申し上げます。

 ・・・ では、お許しいただいたものとして・・・あなたは「秋の七草」をご存じですか?

 母は「すきなおふくは 秋の七草と覚えるとよい」と教えてくれました。

ー すすき

ー ききよう

ー なでしこ

ー おみなえし

ー ふじばかま

ー くず

ー はぎ

  さて、これで小学生のときの私は「秋の七草」を知っているつもりになっていたのですが、実は本当に知っていることにはならないのですね。

  「秋の七草を知っている」と胸を張って言うためには、秋の野に出て、紛らわしい草たちもたくさんある中から、上記の七つを実際に選び出せるのでないと本当に知っていることにならないと思います。

  それは、私には至難の業ですが、けれど、少なくとも「秋の七草」の名前だけは自信を持って言えることを教えてくれた母に感謝しています。

聖書のことば   第5章  16節 

 あなたの父と母を敬え。

 映画にもなった「十戒」の一つですね。

 さて、明日は日曜日 ・・・ キリスト教会へお出かけになれますように。

 今日も、両親を敬いながら歩めますように。また、自分の子どもたちにそうした心を親としてはぐくむことができますように。

 

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2007年10月19日 (金)

外と内

 昨日引用させていただいた『生きることは学ぶこと』(福原義春 著・ごま書房刊)に、徳島の鳴門山上病院を取り上げた資生堂のコマーシャルの話が書かれていました。

  それは、一か月に一回、資生堂の社員たちが奉仕して山上病院のお年寄りのみなさんにお化粧をしてあげることを続け、院長さん、婦長さん、介護されているお年寄りの皆さんの許可を得て、ご本人たちに出演していただいたコマーシャルだそうです。

  その当時(1997年頃)は、患者さんや介護の必要なお年寄りの方にはお化粧を制限しているところが多かったそうなのです。お化粧をしていると顔色がわかりにくいから、お化粧を認めないとか、衛生と手入れの時間の面から髪は断髪にするというような理由からだそうです。

 けれど、当時資生堂の社長を経て会長になられた福原さんは、日本は世界でも有数の高齢国家への道を歩んでいますから、高齢者とともにいかに生きていくかという心の在り方も大事な問題だと考えられて、上記のような試みをしたのだそうです。

 すると、老人性痴呆の方の三割が快方に向かっているという効果が表れたそうです。お年寄りだからとか、病人だからという理由で、人間が本来もっている美しくありたい、美しくなりたいという心を封じ込めることに警鐘をならす役割をこのコマーシャルが果たしたのか、現在、各地の介護施設ではお化粧が認められ、施設によってはむしろ積極的にそのための時間を日課に位置づけているところも増えてきているそうです。

 高齢者の方のためのある介護施設では、毎朝、「整容」(せいよう)という時間を設け、洗顔、ひげそり、肌の手入れ、そして着替えなどをゆったりと会話しながら、あるいはことばをかけながら行って、ご本人たちやご家族、そして訪れる方たちから大変好評だとのことです。

  人間の外見と内面は別のもののように思われがちですが、両者は大いにつながっていて、相互に影響し合っていること・・・それを再認識させていただいた私でした。

聖書の言葉  コロサイ人への手紙  第3章 22節

人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。

 今日も、内面と呼応する優しさを表面に表しつつ歩むことができますように。

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2007年10月18日 (木)

育て合う人間関係

 『生きることは学ぶこと』・・・資生堂会長 福原義春著・ごま書房刊1998年6月10日発行 という本にこんな一節がありました。

 資生堂の女性社員が、研修で北京に派遣されたときの話・・・店に素顔のきれいな若い女性がやってきて、「私にお化粧をしてください」と言いました。そこで、女性社員がお化粧をしてあげて、鏡を見せると、その若い中国人女性は、涙を流し始めました。びっくりして、「何かご不満がおありですか」と聞くと、「自分がこんなに美しくなれるとは思ってもみなかった」と言って泣き続けたのです。このとき、その女性社員は、「自分の仕事はこんなにも貴いものだったのか」と驚き、感動したといいます。

 それまでは、「自分はプロだ。アマチュアのお客さんに、お化粧法を教えてやれば喜ぶだろう」という気持ちがどこかにあったのでしょう。それが自分が仕事をすることによって、お客様がきれいになり、それをお客様が喜び、感動してくれることで、自分もまた感動する。そのことによって、自分の力、大きさを知って、お客様といっしょに、人間としてレベルアップする・・・(以下略)

       ◇  ◇  ○  ☆  ○  ◇  ◇

  印象的な話ですね。上のお話をお借りして、教育のことを考えてみたいと思います。

  「教育」を「てる」と読むと、どちらも教える側からの働きかけとなります。

  大人がえ、子どもがつ  と考えると、双方向に近づきます。

  教師と生徒、そして生徒同士がえ合い、て合う ・・・ これが理想型でしょうか。

  もちろん、教師はプロとしてそういう場を設定する力量を有し、簡単には「まいった」と言わない実力・見識を磨き続けていることが大前提です。上の「教育」は内容、場によってどれもあってよい在り方ですね。

 ある子のことばを思い出します。その子は私にいきなりこう言ったのでした。「校長先生の将来の夢は?」

 うーん・・・「あなたたちが立派に育つことだよ」と答えたものの、「それは、私たちの将来のことであって、あなた自身は将来どうありたいの?」とさらに尋ねられたら、どう自分は答えたのでしょう。幸い、その子はそこまでは問い詰めずに「ふーん、じゃあ、がんばるね」と質問を収めてくれましたけれど。

  その日、ああ、自分にもまだまだ将来があるのだ、と自分の人生を改めて前向きに考えるきっかけを与えられたことを喜んでいる私自身がいました。

聖書のことば  ゼカリヤ書 第14章 7節

   夕暮れ時にも、なお光がある。

 今日も、教え合い育て合う喜びの生まれる日となりますように。

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2007年10月17日 (水)

解体新書をめぐる二人の道

 10月17日は『解体新書』の翻訳者の一人、前野良沢がなくなった日です。

 オランダ語を翻訳することは至難の業で、「フルッフヘンド」という単語一つを「鼻」と訳すのにも何日もかかったと読んだことがあります。「フルッフヘンドとは、うずたかく積もれるものという意味らしい。」「うーん、顔の中でそれにあたるのは何だろう」「鼻だ!それに違いなかろうと存ずる」というような翻訳作業だったそうです。

 出版をめぐって、杉田玄白が「粗雑でも、未熟でも、できるだけ早く刊行しよう」と主張したのに対して、語学が堪能だった前野良沢は「時間はいくらかかってもよいから、できるだけ完全なものにしよう」と意見を述べ、ついには、「不完全なものを刊行するなら、私の名は公表しないでほしい」と『解体新書』に共同作業者として名前を記載することを固辞したのだそうです。

 こうして出版された日本初の科学的な解剖学翻訳書『解体新書』の評判は高く、杉田玄白は名声を博しました。

 一方の前野良沢は清貧の内にオランダ語の研究を続け、1803年の10月17日に81歳で世を去ったとのことです。(以上、『今日は何の日』PHP研究所編集・発行による)

 最善を期すことと、拙速で次善以下かもしれないがとにかく速く、ということはいつの世にも選択肢として現れ続ける命題だと思います。そして、その内容、緊急性、状況、不確かな部分のもたらす弊害・・・などなどによって、どちらが是、どちらが否とは、いちがいには言えないと思います。

 また、「勝てば官軍」というようなことばでは決着のつかない大切なことを『解体新書』をめぐる上の例は含んでいるような気がします。

聖書の言葉  ヨハネによる福音書  第8章 32節

 あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

  『レ・ミゼラブル』の主人公、ジャンバルジャンは自分と間違ってとらえられた人をそのままにしておいて自分を自由の身にすることができる状況に恵まれました。けれども、彼は馬車を走らせ、現在は市長であるという権限を用いて法廷に入り、自らがジャンバルジャンであることを明らかにし、再び官憲に追われる身となりました。人間的なためらい、戸惑いは強くありましたが、ミリエル司教との約束を破ることを自分にゆるさなかったのです。

 この後、ジャンバルジャンは市長としての名声も地位も剥奪され、官憲に追われる身となり、上記の聖書のことばとは逆に不自由な身になったように一見、思われます。

 けれど、神様の前に出たとき、今の社会のニュースで報じられているような偽造事件の首謀者たち、あるいは偽りが見つからないままにこの世での生を終える人たちとジャンバルジャンのどちらの心を神様がよしとされるかは、明らかではないでしょうか。

 書き始めの思いとは異なることへ発展して書いてしまいましたが、『解体新書』にちなんで、心の中を解剖した一例と、大きな心でおゆるしくださいますように。

 本日も、よき秋の日差しをあびておすごしください。

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2007年10月16日 (火)

世界食糧デー

 1945年の10月16日に国連食糧農業機関が設立されたのを記念して、1981年にこの日が「世界食糧デー」と制定されたそうです。

 ドラえもんの声を長年勤めた大山のぶ代さんの誕生日でもあります。 あのドラえもんのポケットから、食糧が出てくるといいのですが、無尽蔵に世界の人を養う食糧をドラえもんに期待するというのは、やはり、本来的な解決にならないでしょう。

 マザーテレサは、世界に食糧などの絶対量が足りないのでなく、一部の人、一部の地域に物質や富が偏っていることが問題なのだと語りました。また、愛の対義語は憎しみではなく、無関心であるとも語りました。

 日本国際飢餓対策機構では、「あなたの一食分をささげてください」と呼びかけています。

 食事の時間が来ても、食卓の上には食べ物がない・・・それが普通の状態になっている人たちが地上にはいるのです。自分の子が飢えているのに食べ物を与えることができない親の心は、どんなにつらく、悲しいことでしょう。無関心に見過ごすのでなく、小さくても行動によって愛を示すことができるようにと願います。

聖書のことば  使徒の働き 第20章  35節

 『受けるよりも与えるほうが幸いである』

 私たちが与えることが出来るのは、物質だけとは限りません。

 私たちの周囲に居る、私たちの愛を必要としている方に、愛を示すことができる日となりますように。

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2007年10月15日 (月)

言わぬが花、秘すれば花

  NHKの大河ドラマ「風林火山」 ・・・ どうも策謀が多すぎるように思えてイマイチ心が愉しまないのですが、10月14日までの放映分・・・41回ですかをほぼ見続けています。

  諏訪御前と呼ばれた由布姫は、戦乱の世に振り回されながらも、「私が男に生まれて育ち、武将となったら、その私にお前は勝てるか」と武田の軍師である山本勘助に言い放ち、凛とした姿をくずしません。

 病が篤い身になった由布姫は、おそらくそれが最後の対面になることを自分に言い聞かせつつ、戦いに向かう山本勘助に、生きて戻ったら妻帯することを約束させ、勘助に見えないところで涙を流します。

 胸のうちにある思いを相手に察知させながら言葉には出さぬ見事な別れ ・・・  言わぬが花 、世阿弥の言う秘すれば花

 世は国際化ということもあって、「黙っていては、分からない」「雄弁は金、沈黙は銀よりも劣る」という時代となりました。

 与謝野晶子に次の歌があります。

 言葉にも歌にもならじ我が思い その日その時胸から胸へ

 表記がうろ覚えですみません。

 雄弁の効用は認めながら、ことばの数の数字的な多さ、少なさではなく、そのことばにどれほどの真実と志を込めて語るか・・・そのことが大事なのだと思います。

  よき日となりますように。  

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2007年10月14日 (日)

ウメボシ爺さん

  このところ、近くの農協に足を運ぶ回数が増えています。新鮮な野菜、あるいは漬け物などが安く手に入ることを体験し、知ったからです。

  そうしたJAの商品の中にびっくりするほどおいしい梅干しがあり、次にそれを手に入れようと行ったときには品切れ・・・けれど、そうこうする内に、その梅干しの作り主がたまたまJAの店にやってこられているときに家内が居合わせ、ついに念願の梅干しを予約することができ、次の日、JAで購入することができました。 ・・・(ちょっとまわりくどく書いたのは、JAを通して正規のルートで購入したことをその方のためにも明記しておきたかったからです。)

  家内の話によると、その方は、大きな病気と闘ってほぼ克服なさった方ですが、とにかく、それ以来自分のしたい農業を精一杯して、人生を歩み抜こうとの決意をますます強くされ、梅干しはその中でも力を入れている自信作なのだそうです。

  家内がその方の梅干しを一口食べて大フアンになったこと、注文できて幸せだとお話しすると、とても喜んでくださって、深々とお辞儀して見送ってくださったそうです。

  地産地消・・・地域の生産物を地域で消費する・・・のとてもよい理想形ではないかと、その話を聞いて思い、ふだんは家内ほどには梅干しを食べない私も、その方のとてもおいしい梅干しをせっせと味わっているこのごろです。

聖書のことば  テサロニケ人への手紙  一  

   第5章 16節 ~ 18節

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

  もちろん、悲しみにうちひしがれる日もあります。でも、そういうときにも一緒に悲しんでくださり、やがて人生に向かって再び立ち上がらせてくださるのが、イエス・キリストなのです。

 今日は日曜日、キリスト教会にお行きになれますように。

 どなたにも、よき秋の日となりますように。

  

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2007年10月13日 (土)

マツタケの話

 味覚の秋が深まりつつあります。

 数ある山の幸の中でも、松たけはまた別格ですね。「香り、松茸、味しめじ」などと言われるように、松茸の香りはとてもよいものです。

 松茸は、養殖してまとまった数を生産するということができないもの、そして輸入物は香りがイマイチなので、国産の松茸は、高値安定なのだと聞いています。

 さて、今日ご紹介するのは昔、松たけの収集、出荷に関わっていたある家族のお話です。

 その家のお母さんは、松茸を見つけるのに熟練していて、ちょうど出荷に適した時期のものが採れると、みずみずしい内に集荷場に持っていったそうです。あまり時間が経つと、目方がその分軽くなるように思ってとにかく急いで持っていったのだと、当時を思い出しながら話してくださいました。

 けれど、何しろ、松茸が生えるのは広い山の中のどこかですし、時には葉っぱの下に隠れていたりするので、見つけたときには傘が拡がりすぎている松茸も少なくないのだそうです。

  そうした松茸は、出荷されず、生産者の家庭の食卓に上ることになりました。 ・・・ そんな事情で、秋の一時期、松茸づくしのメニューになることがあったそうです。

 えっ、何と豪華な食卓で、うらやましいですって ・・・ 私も話を聞いてそう思ったのですが・・・

  松茸の吸い物、松茸入りの雑炊、それから、七輪の上で松茸を焼いてポン酢で食べる、そして松茸入りのうどん ・・・   これが何日も続く  ・・・

  そうした何日目かに、その家庭の一員である小学生の女の子が、朝目覚めて、家中に満ちている松茸の香りに、つい泣き顔になって言ったそうです。  「また、松茸・・・ もう、イヤヤー・・・」

  松茸にその声が聞こえたのでしょうか。・・・それから、幾星霜が過ぎ、その女の子が大きくなって嫁いだ家庭にはめったに松茸は姿を現すことなく、ただマツダケ・・・・・  こんなオチで失礼をいたしました。

聖書のことば  マタイによる福音書 第4章 3 ~ 4節

  誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」


  イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

 明日は日曜日、お近くのキリスト教会の礼拝にお運びください。

 どなた様にもよき秋の日となりますように。

 

 

  

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2007年10月12日 (金)

コロンブスの日

  「イヨー、クニが見えた」・・・という語呂合わせで1492年と覚えたコロンブスのアメリカ発見がその年の10月12日だったそうで、アメリカではコロンブス・デーという記念日が制定されているそうです。(『今日は何の日』PHP研究所編集・発行より)

  ただし、よく知られているように、コロンブス自身は、インドへの航路を探していたので、アメリカ大陸ではなく、インドに着いたつもりだったのですね。その早合点から先住民を「インディアン」(インド人)と呼び、後に間違いが分かったものの「アメリカのインディアン」という呼び方が残ってしまいました。

  また、「アメリカ」という名前は、後にアメリゴ・ベス・ブッチという人が新大陸を旅して旅行記録を書いたのにちなんで付けられた名前なので、「コロンブス、アメリカ大陸を発見」と書くのも、ちょっと考えなくてはいけない表現なのですね。

 詳しく書くと、下記のようになるのだと思います。

 「コロンブスが後にアメリカと呼ばれるようになった新大陸を発見したが、本人はインドへの航路を見つけたつもりだった日。見つけた側にとっては大変有益だったが、見つけられた大陸の先住民にとっては大変迷惑だったことが歴史上明らかになっていくその端緒の日」

 おあとがよろしいようで・・・・・。

 イチローが「2001年からは大リーグでプレーする決意です」と発表したのが2000年10月12日だそうで、7年連続でパ・リーグの首位打者になり、パ・リーグの新記録の3割8分7厘という打率を刻んだ年のことでした。

  コロンブスがアメリカを発見しなかったら、イチローが大活躍する大リーグは生まれなかったのかどうか・・・それは人智を越えたところにある問いになりましょう。

  それはともかく、私たち自身、日々自分の新しい歴史を刻みつつあるのだと上記のことを書きながら思いました。

  そう考えると「毎日がメモリアルデー」なのかもしれませんね。

聖書のことば  箴言  第19章  21節

  人の心には多くの計画がある、しかしただ主(神様)の、み旨だけが堅く立つ。

  一般的な言い方では「人事を尽くして天命を待つ」というのが上の聖書のことばに通うものがあるでしょうか。ただし、天命というのが運命というようなニュアンスがあるのに対して、神様は愛と意志を備えた存在であるところが大きな違いではないかと思います。

 今日も元気に歩んで、よきメモリアルデーとすることができますように。

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2007年10月11日 (木)

味覚の秋

  向田邦子さんは、ご存じのように脚本家、エッセイスト、小説家など文筆で身を立てた方です。ご本人は、おいしいものが大好きで、いろいろな店に足を運び、その味を自分で再現しようとチャレンジしたり、地方からおいしいと評判のものを取り寄せたりしたそうです。本当は板前か、せめて小料理屋のおかみになりたいとかなり本気で考えていたそうです。

 妹の向田和子さんをおかみとする「ままや」は向田邦子さんが内装、メニュー、皿小鉢、お品書きにいたるまで一緒に取り組み、「おいしくて安くて、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店」として東京の赤坂に開店・・・平成10年に惜しまれながら20年の歴史を閉じたそうです。

 『向田邦子 暮らしの愉しみ』(向田邦子 向田和子 著 新潮社発行・税別1400円)には、レシピや愛用の皿小鉢、そして食べることをはじめ、向田邦子さんと九つ違いの妹である和子さんの暮しをこころ豊かに愉しむエッセイなどがおいしい料理のように盛りつけられています。

 ちなみに、最近の我が家の食卓はこの本からのメニュー・・・「鶏のしそ焼き」「トマトの青じそサラダ」「海苔弁」(写真)などが登場しています。

Photo

  味覚の秋と題しましたが、読書の秋とも結びつきましたね。

聖書のことば  詩篇   第23篇

  主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。
主は私を牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれます。 傷ついたこの身を立ち直らせ、私が最高に主の栄光を現わす仕事ができるよう、手を貸してくださいます。
たとい、死の暗い谷間を通ることがあっても、こわがったりしません。 主がすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるからです。
主は敵の面前で、私のためにおいしいごちそうを備えてくださいます。 たいせつな客としてもてなしてくださったのです。 まるで、あふれんばかりの祝福です。
生きている限り、主の恵みといつくしみが、私についてきます。やがて、私は主の家に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう。

※ 詩篇は150篇まであるのですが、それを全部暗誦している方 がおられるそうですすごいですね。

 今日もすてきな秋の日となりますように。  

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2007年10月10日 (水)

余韻

  芸術の秋 ・・・ ピアニスト小山実稚恵さんのCD「夜想曲」を貸してくださった方があって、それを聴かせていただきながら、このブログを書いています。

  何と卓越したピアニズムなのでしょう ・・・  リサイタルで生演奏を聴いて間もないこともあって、澄んだ美しい音が、魂にしみこんでくるようです。  コンサートの余韻と響き合っているのか、初めて聴く曲も多いCDですが、すっかり魅せられています。

  そのCDのジャケットに印刷されている詩を記して皆様にも芸術の秋のおすそ分けをさせていただきたく思います。

「河畔の秋の夜」  ゲーテ 井上正蔵 訳 『ゲーテ詩集』白鳳社刊より

夕闇が降りてひろがり  近くのものが遠のいて見え

宵の明星が  もう空にのぼって   きよらかな光をはなつ

朦朧(もうろう)とすべてを溶かし  霧が上方へながれる

漆黒の影をうつして  湖水がひっそりとやすらう

いま ひがしのかなたに  月の光の明るいきざし

細いしだれ柳のしなやかな枝が  近くの水面をなでている

ゆらゆらゆれる枝のかげから   魅惑の月光がふるえ

夜のすずしさが 目から  心へやわらかく沁み入る

 

  美しいものに出会い、感動深き時間を味わえる今日という日になりますように。

聖書のことば  ヤコブの手紙  第5章 13節

  あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。

 お礼 ・・・  このブログへののべアクセス回数が今夜か明朝に1万回を越えようとしています。訪れていただく方々にご報告かたがた、感謝を申し上げます。 本当にありがとうございます。 これからもよろしくお願いいたします。

Hanatab

※ 10月9日、夜11時台に3人のかたがこのブログを訪れてくださったことが記録されています。どなたかということまでは分かりませんが、この3人の真ん中の方が、のべ1万人目、後の二人の方が前後賞ということになります。デパートや遊園地と違って花束贈呈などはありませんが、訪れてくださるすべての方に感謝申し上げます。

  

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2007年10月 9日 (火)

プロのピアニスト

  10月7日のテレビ「題名のない音楽会」はピアニストの中村紘子さんが、プロのピアニストを目指す子ども、そしてほぼピアニストといっていい技倆、経歴の持ち主に公開レッスンをするという内容でした。

  厳しさとあたたかさの両面を兼ね備え、「こうしたらいいのよ」と実際に鮮やかに弾いてみせる指導は、早くから世界を舞台として活躍して来た中村紘子さんの面目躍如といったところでした。

  この「題名のない音楽会」を司会していた羽田健太郎さんに私の年格好が似ているといってくださる方があったので、月とすっぽんではありますが、予約録画しておいて見る習慣が羽田さん亡き後も続いている私です。

  それはさておき、さて、私、このたび、かねてからCDも何枚か購入して、「生きている間に一度はこのピアニストの生演奏が聴きたい」と願っていたその願いがかないました。岐阜市のサラマンカホールで開催された小山実稚恵さんのピアノリサイタルを聴きに行くことが出来たのです。

 手の動きのよく見える席だったのですが・・・・・結果的にはよく見えませんでした。あまりに指の動きが速くて目にとまらなかったのです。 (^_^;

  すべての曲が暗譜・・・ピアニッシモもフォルテッシモも美しい音色で歌っており、夢の中にいるようでした。世界に通用するプロのピアニストというのは、本当にすてきで、そしてとても大きな存在だと思いました。拍手に応えてアンコールはショパンを3曲・・・夢の時間をすごし、帰宅して、あまりの違いにもめげることなく自分は自分なりにとピアノに今日も向かった私でありました。

  皆さんはどんな夢をおもちでしょうか。それがかなう日が来ますように。

聖書のことば  ローマ人への手紙 第5章 2節~6節

 キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

  今日も、患難にあうかもしれません。けれど、失望に終わることがない希望をもって歩んでまいりましょう。きっと、きっと道は開けます。

  

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2007年10月 8日 (月)

足袋

 10月8日は、十と八を組み合わせて「木」となるので、木の日(1977年制定)、またカタカナの「ホ」の字もできるので骨と関節の日(1994年制定)とのことですが、おもしろいのが1988年に制定された足袋の日です。

 木綿の足袋は、大名、細川忠興のお母さんが茶室で足が冷えないようにとそれまでシカの皮で作っていたのを木綿で作るくふうをしたのだそうで、1657年の江戸の大火以後、綿花の栽培が普及し、木綿地が安くなったという事情もあって一般に広まったのだそうです。(『今日は何の日』PHP研究所・編集発行)

  『アンクルトムの小屋』に南部の綿花を摘むのに奴隷が酷使されていた様子が描かれていますが、江戸時代に日本で綿花が栽培されていたとは・・・と思いめぐらしますと、白戸三平の『カムイ伝』か『カムイ外伝』だったかに、綿の花が音を立てて咲く場面があったように思います。

 私が初めて実際に綿の花を見たのは、中学校に勤めていて、家庭科の先生が生徒と畑を開墾して綿を育て、「これが綿の花ですよ」と見せてくださったときでした。その先生は「化学繊維は、石油がなくなれば作れない。けれど、天然繊維は、人が種を蒔いて育てて収穫し、またその種を蒔いて、・・・というように循環していけば、ある意味で無限・・・」とおっしゃいました。

 今から30年ほど前の、まだ環境の保全のことなどがそれほど問題になっていない時代のことでしたから、すばらしい考え方に基づいた実践だったと思います。

  足袋にしても、綿にしても、いろいろなことに奥の深い歴史があること、また、社会情勢もひとつのことを追究していくと見えてくるのだということをこの秋の夜更けに思っております。

 聖書のことば イザヤ書  第40章  8節

草は枯れ、花はしぼむ。 だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。

  ごく最近のことですが、少し以前につくられた「The day after tomorrow」という映画のDVDを貸してくださる方があって観ました。「ターミネーター」シリーズのように核の問題かと思いこんでいたのですが、実は、環境問題と氷河期の到来をベースとして描かれた映画でした。

  有限な化石燃料に比べれば、土を耕し、植物を育て、収穫し、また種を蒔くという営みは無限に思われます。けれど、聖書にはこの世に終わりがあることが書かれています。そして、そういう日が来ても、神の言葉は永遠に立つ、と聖書はいうのです。何と心強いことばでしょうか。

 今日もよき日となりますように。

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2007年10月 7日 (日)

美濃市のあかりフェスタ

  10月6日、そして7日と美濃市で「あかりフェスタ」というのをしています。たまたま、6日の午後に行きましたら、和紙で作った行灯といったらよいでしょうか、いろいろな作品が、うだつの上がる町並みの路上にセッティング中でした。

071006_15520001   夜には、それにあかりがともるのですが、夕方まで日の光で見て帰ってきました。作者の本意ではないと思いますが、「昼行灯」もなかなかよいものです・・・えっ、言葉の遣い方が間違っていないかですって・・・そうかもしれませんが、まあ、時にはこんなふうに羽目を外すのをお許しください。

 ・・・いつも、けっこうはずれてるではないか、と聞こえるような気がいたしました。空耳でしょうか (^_^;  071006_16420001

 明るい内から、おでんやお菓子、とびっきりおいしい梅干し、和紙の製品、コロッケ、団子、手作りパンなどの店が開かれ、町並みの各店も張り切っておしゃれなレイアウトをしていました。

 あかりフェスタは、14回目だそうですが、今年から「絵手紙展」も開かれ、全国から応募があったそうです。ちょうど、市長さんも列席して入賞者の表彰式が開かれていました。071006_16220001

  二胡や津軽三味線などのコンサートも雰囲気のある家屋で開かれており、時間のある方には明日のお出かけ、お勧めです。明日は、「美濃にわか」というのもあるようですよ。

  10月7日は、日曜日ですし、行灯に灯が点るのは夕刻からですから、午前中はキリスト教会の礼拝に行き、午後にお出かけになるのがよろしいかと存じます。  

  どちらか一方へ行かれる方も、両方、お行きにならない方も、どうぞ、よき日、よき今週をおすごしくださいますように。

聖書のことば   マタイによる福音書 第5章  14節~16節

 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
  このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 

 

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2007年10月 6日 (土)

読書の秋

  以前、読書指導に関する本を読んでいましたら、こんなことばが記されていて、おやっと思いました。

  「本を読みすぎる子」・・・・ 学校ではたくさん本を読むことが勧められており、それはよいことだ。けれど、休み時間も放課後も図書室に足繁く通い、その結果、本を友だちとしているのは確かだけれど、人間の友だちができないでいる子もいる。・・・

 という記述がありました。

 私も本を読まない日は、おそらく一日もありませんけれど、「本を読みすぎる夫」になっている可能性がなきにしもありません。

  そうだ、『男の料理』 というような題の本を買ってそのままになっています。それを読んで、家内に何か驚くような手料理をふるまってみましょう。 ・・・ あれっ、結局、本に向かうことになるのか・・・うーん。

  さて、皆様の読書生活は、どんな具合なのでしょうか。

聖書のことば   伝道者の書 第1章  18節

  実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、 知識を増す者は悲しみを増す。

  読書は、生涯学習の最も手近で確かな手段、そして実用にならなくても精神生活の糧となってくれます。

  そのことに疑いはありません。けれど、一緒に生活する人と共に豊かな内面生活が高まるような生かし方も考えたいですね。

  さて、明日は、日曜日・・・キリスト教会へ足をお運びになってください。  よき三連休となりますように。

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2007年10月 5日 (金)

ゴボウのつみれ

Photo  写真は、「ゴボウのつみれ」です。クリックしていただくとサイズが大きくなります・・・大きくなりすぎるかもしれませんが、お許しを (^_^;

  大学の環境を整えてくださる方は、人数は少ないのにとても有能な、そして心くばりの優れた方々です。広い講義室の清掃をするときには、それぞれの机を力を込めて洗剤で一つ一つ磨いて、美しい環境で学生さんたちが学べるように整えてくださっています。

  また、いろいろなチューリップの球根を取り寄せ、キャンパスを美しく装ってくださるなどの心遣いをさりげなく、限りなくしてくださっているのです。本当に頭が下がります。

  そのお一人が「ゴボウがたくさんとれたから」と持ってきてくださったのをいただいて、家内が喜んで作ったのが写真の「ゴボウのつみれ」です。「つみれ」から、何となくスミレを連想するのか、フライパンで一気に焼いてそのまま大皿に移されたのを見て、何と大まか・・・いえいえ、ダイナミックなのかと驚きました。

  けれど、これは、NHKの料理番組で高山なおみさんという方が全国放送で伝授されたとてもおいしい料理なのです。片栗粉と鶏肉のミンチを混ぜた生地にゴボウを入れ、フライパンで焼く・・・あとは、酢醤油とマヨネーズ。

 くださった方のお心と共においしくいただきました。ありがとうございます。

  夏痩せしなかった私には、味覚の秋・食欲の秋は警戒情報発令というところですが、せっかくの自然の摂理にあらがうことは、健康によかろうはずがありません・・・という論理で、自然体でこの季節を大いに満喫することにいたしました。

 聖書のことば  伝道者の書  第3章  11節

 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

  皆様も、どうぞ健康で、このよき季節を味わうことができますように。

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2007年10月 4日 (木)

都市の日・鰯の日

 10月4日は語呂合わせで都市景観の日 (10、4、日 で都市美)、そして1(イ) 0(ワ) 4(シ) イワシの日だそうです。

  旧ソ連の宇宙開発関係者はこの日が好きなのか、世界初の人工衛星スプートニク1号を1957年、月の裏側の写真撮影に成功した月探査機ルナー3号を1959年の10月4日に打ち上げて成功しているそうです。

  ソ連に先を越されたアメリカは世に言うスプートニクショックを受け、国策として科学教育にずいぶん力を入れ、月に乗組員の乗ったアポロを着陸させて挽回したことは、世に知られていますね。

  でも、世界にこの方に勝る一番はいません。まさに唯一無二です。

聖書のことば  創世記 第1章  1節

 初めに、神が天と地を創造した。

  ところで、いわしは水から離されるとすぐに弱ってしまうので、「鰯」という漢字で書かれるようになったとか。

  私たちは、何から離されると弱ってしまうでしょうね。 ・・・ 空気とか、水、そして食べ物は必須で、それらは別格として ・・・  小さい子だとお気に入りのおもちゃなどということになるのでしょうけれど。

 愛する対象のそばにいて、力を得ることが出来る日となりますように。 

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2007年10月 3日 (水)

長距離ドライブ

 友人ご夫妻が九州まで行ってこられました。行きも帰りもマイカーです・・・もっとも、片道だけマイカーという選択肢は、ほとんどないでしょうけれど。

  奥様と交替で運転とのことですが、渋滞もほとんどなく、片道9時間ほどのドライブだったそうです。

  私と同年齢なのですが、まず、九州までマイカーで往復しようというその気持ちの若さに敬服します。

  そして、奥様と運転を交替するということ・・・その信頼の厚さに脱帽します。と申しますのは、私はそこまで家内を・・・いえ、家内の運転技術を信頼できない面があるのです。

  これは、家内の運転が未熟ということではありません。家内に高速道路を運転させたことがないのは、私がこうしたことに慎重すぎるせいです。海に行っても背が立つところまでしか行きませんし(一応、昼寝して海面に浮かんでいる鯨かトドくらいには泳げるのですよ)、スキー場ではあまり急な斜面を滑ることはいたしません。(一応、雪国の生まれ、育ちなのですよ。)

  高速道路では、普通の道路よりも車間距離をとるのが順当だと思うのですが、どういうものか、速度を上げるほど車間距離を縮めたがる傾向の人も少なからず居るように感じてしまうのです。

  そんな私ですので、ご夫婦で運転を交替しながら九州までの長距離ドライブを無事に成し遂げられた友人ご夫妻に・・・特にその厚い(熱い)信頼関係の絆に改めて敬意を表します。

 祝 偉業達成 (^o^) ポン ポポン ポポポポポポポーン 

(お祝いの花火です。)

聖書のことば   箴言 第31章 10節・11節

  ほんとうに良い妻を見つけたら、宝石よりもすばらしいものを手に入れたのです。 彼女は夫に信頼され、夫に決して不自由な思いはさせません。

 本日も、よき日となりますように

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2007年10月 2日 (火)

ノーと言わない脳

  岐阜市民病院の院長先生の講演を聴く機会がありました。その講演で『感動する脳』(茂木健一郎著)の内容の紹介・引用があり、印象に残りました。

◇ 物忘れは、認知症のサインではない。感動しなくなることが認知症 のサインだ。  美しいものを見て感動することを大事にしよう。

◇ 脳には、定年も余生もない。生きている限り、脳は成長し続ける。年齢を経たからこそ活発に働く部分もある。

◇ 思いやることが出来る力と学力は比例する・・・これは、「ミラーニューロン」という脳の神経細胞の存在が明らかになって、学術的にはっきりしたこと。  他人の状況・心を自分の体験と鏡のように照らし合わせて察知、感得するのが「ミラーニューロン」・・・これが豊かに形成されている脳は、状況把握、問題把握、問題解決などの力が豊かである

 私の理解が浅く、不十分なところ、間違ってとらえたところがあるかと思いますが、希望の湧くお話しでした。早速書店によったのですが、この本は在庫が切れておりました。近日中に入手して読みたいと思います。

  教室において、間違った競争原理に走らないで、思いやりの心を育てることは人間としての豊かな学力を育てることなのだと自信を持って、教育を進めるときの基盤を得られたように思います。

 それが、私にとってこの講演からの大きな収穫です。

 一気に秋が進んだような気温です。いろいろなことにおいて実りが得られますように。

  生涯かけて、成長することをノーと言わない脳 ・・・その脳によき感動体験をプレゼントする今日という日になりますように。

聖書のことば  コリント人への手紙 第一  第13章  13節

 いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

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2007年10月 1日 (月)

山羊がつくったきっかけ

 『今日は何の日』(PHP研究所 編集・発行)を読んで、10月1日は、いろいろな記念日が制定されていることを知りました。

 その中でおもしろいと思ったのは1983年に全日本コーヒー協会が制定した「コーヒーの日」です。

 上記の本によりますと、山羊がコーヒーの種を食べていつもと違う様子になったのを見たある僧侶が自分も真似して食べてみたのが、コーヒーの作用の発見につながったのだとか。

 この僧侶があの、西田佐知子さんのヒット曲「コーヒー・ルンバ」の歌詞にある♪「アラブの偉いお坊さん」だったかどうかまでは書いてありませんでした。

 とにかく、最初は種をたべていたのが、飲み物として活用されだしたのが13世紀頃で、日本にはオランダ人によって紹介されたそうです。

  生産国にとっては、貴重な輸出産業の品、収入源になったことは間違いありません。そこで思い出したのは、あのバッハに♪「コーヒーカンタータ」という曲があることです。若い娘がコーヒーを愛飲し始めたので、貴族である父親が「そんな外国製品でなく、国産の飲み物を愛用しなさい。」とお説教する・・・そんな歌なのです。

  バッハは1685年生まれですから、その時代にも貿易摩擦があったらしいことは何かおもしろいですね。聖書の次の箇所はこういうことを言っているようにも思えます。

聖書のことば  伝道の書  第1章 9節~11節

昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。

 さて、それはともかく、私を畑主任に推挙・任命した我が伴侶は、私をコーヒー主任にも任命してくれました。分担としてはコーヒーは私、紅茶は家内ということなので、しばらくは家内の入れる紅茶をほめちぎって、コーヒーの出番をなくしていたのですが、そうそういつまでも気がつかないひとではありません。

  豆をひいてコーヒーを・・・というのは、初めてのことでしたが、おっかなびっくりでやってみると、家内は「わあ、おいしい・・・あなたにはとてもかなわないわ。」と申します。

  どうも、紅茶で私がやっていたことをそっくり適用されている感じですが、まあ、それで家庭が平和ならばということでコーヒー主任は比較的真面目にその任を果たしています。

  飛騨にいる私の兄は、もっと本格的に道を究めていて、たいへんおいしいコーヒーをいれてくれます。

  さて、今日から10月、急に涼しくなったように思いますが、読書、芸術、スポーツなどなど諸事に適している秋の本格的な到来です。

  元気に、一日一日をよいもので満たしつつ、この季節を歩んでまいりましょう。

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