« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月31日 (月)

蛍光灯の取り替え

 30日の夕方、蛍光灯を買ってきました。丸い蛍光灯の同心円、二つと10ワットの直管です。(グローランプも)

 蛍光灯を取り替えると ・・・ 今までは何だったのか、と思うほど居間が明るくなりました。

聖書のことば

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

          マタイによる福音書 5章 14節

 年齢を重ねると、目も暗くなり、考えをまとめようと思っても、薄暗がり、あるいは闇夜の道を行くようなことになっていくのかもしれません。これは、蛍光灯と異なって、簡単に取り替えることはできませんね。

 ヨーロッパのある修道女は、だんだん記憶が薄れていくので、やがてイエス・キリストを忘れてしまうのではないかということをおそれていました。そのことだけが気がかりだったのです。

 でも、ある日、周囲の人はその修道女の顔が輝いていることに気がつきました。理由を問われて、修道女は次のように答えたそうです。

 「たとえ私がイエス様を忘れても、イエス様は決して私をお忘れになることはない。そのことに気がついて、私の心配は晴れたのです。」

聖書のことば

 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 

          ヨハネによる福音書  8章 12節 

  明日からの新しい1年は、閏年で366日あるそうです。

  あなたの人生が周囲の方の光となって輝きますように。

  そして、できますれば、イエス・キリストという光に照らされてあなたご自身の道を歩むことができますように。

 2007年、このブログを訪れていただき、ありがとうございました。

 2008年も時々は訪れていただければ、嬉しく存じます。それでは、よい年をお迎えください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月30日 (日)

2007年を象徴する漢字

 「偽」というのが、清水寺で先日発表された2007年の世相を反映した漢字ですね。 確かに今年は「偽装」の実態が明らかにされ、いくつものニュースが報道されました。

 歌舞伎などでは、そこまではいいだろう、と思うような、人の目に付かないところにまで気配り、目配りし、そういうことが舞台全体を支える土台となっているのだと読んだことがあります。

 たとえば、医者の役割で舞台に出ている役者は、持っている薬箱の中にちゃんと薬を入れておき、奥女中の役などの人の持っている裁縫箱もちゃんと糸と針などが中にあるのだそうです。

 そういえば、映画「戦争と平和」では、実際には読まれることのない封筒に入れられた手紙に、トルストイが設定した時代に合わせた字体でちゃんとした文章が書かれていたと映画のパンフレットに書かれていました。

 こういう構えは、どこまでいってもきりがないかもしれませんけれど、心がけたいのは、本物志向を貫くということではないでしょうか。

 でも、偽物が問題になるのは、世の中の大半は本物である証拠 ・・・ きっと賛同いただけると思うのですが、私はそう思うのですよ。  ですから「真」が2007年、多くの方の心が求めてた漢字ではないでしょうか。

  さて、今日は2007年最後の日曜日 ・・・ キリスト教会の礼拝では神さまの真実が聖書に基づくメッセージの中で語られます。お時間を作ってお出かけいただけたら嬉しく思います。

 よき日曜日となりますように。そして、あと二日間となった2007年のよきフィナーレの時間となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月29日 (土)

山登り

 山に登りました。そんなに時間をかけずに登れるのに、眺めはなかなかよくて割安感(?!)があると、家内がいうからです。

 登り始めて、ずいぶん前、岐阜市の金華山に登ったときのことが思い出されました。そのときは登り始めてすぐに幼稚園児と思われる男の子とゆっくり登るおじいさんを「お先に~」と追い越したのはよかったのです。けれど、すぐに息が切れて休憩している間に、その二人に抜き返され ・・・ それ以後、頂上までついに抜き返せませんでした。というより、大幅に差をつけられてしまいました。

 以来、山登りはできるだけ避けてきました。筋肉の弱さと贅肉の多さが一歩一歩体感されるからです。

 でも、家内の手前、いったん登ると決めたら、簡単にギブアップしたくありません。息が弾むのは、4個のおにぎり、お茶を入れた水筒、そしてインスタント味噌汁のためのお湯の入った重たい水筒、ソーセージなどを詰め込んだリュックを背負ったためということにして、登りました。

 ・・・ こう書くと、よほどの山に挑戦したみたいですね。 ・・・ 途中で一回休憩して、山頂のあずまやまで、約30分でした。山の中腹あたりに車をおいて、残り半分を登るという山なのですね ・・・ それは丘ではないか ・・・ いえ、ちゃんと三峯山という名前がついておりますよ。

 良い眺めを見ながら、山頂までちゃんと登った爽快感を感じつつ食べたランチは、おいしかったですよ。

そうそう、山頂にこんな掲示がありました。

Photo  ちょっと文字が見えにくいかもしれませんが、ユーモアを感じました。

 晴れていると、恵那山や御嶽山が見えるらしいですよ。この日は晴れていたのですが、霞が出ていたのでそこまでは見えませんでした。

 体にいいことは感じましたので、無理をせずに時々挑戦したいと思います。

 それにしても、もっと重いリュックを背負って、北アルプスなどを自分の庭のようにしている人は、尊敬に値しますね、私の妹の一人は、まさにそういう登山歴が長い人でして、うわさではそのパワーに感嘆した若い人たちから「やまんば」とおそれ(?)敬われているのだとか・・・

 挑戦する対象は何であれ、苦労した後のさわやかさを得られる日となりますように。

 明日は日曜日、キリスト教会がありましたら、どうぞ足をお運びになってくださいますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日 (金)

富弘さん Ⅱ

 昨日に引き続いて、星野富弘さんのことばを ・・・

 『たった一度の人生だから』 (日野原重明・星野富弘 いのちのことば社2006年10月1日発行)の結びには星野さんの次のことばがあります。

 たった一度しかない自分の人生だから、社会がどうあろうと、人が何を言おうと、そんなことにひるむことなく、大切な自分の人生を、志を持って進んでいけたらいい。

 書名と呼応していることばですね。星野さんが自らの人生を通して語っておられることばですから力が感じられます。

 もう一つ、こんな星野さんのことばが印象に残りました。

 人をゆるせたときに、いちばん平安を得るのは自分なんだ。

 ああ、そうなんだ、とすっと胸に入ってくることばですね。

 ゆるせないことがあって、長い間ゆるさずにいて、ゆるせずにいて、でも、そうした時間の後にゆるせるようになったその瞬間、とても大きな解放感が自分の中からわき出てきた・・・ 内容は書かれていませんけれど、星野さんにはそのような経験が確かにあったのだと思います。

 以前ほど、年内に借金の取り立てを意識するみそか、大晦日でなくなってきたのは、銀行振り込みが一般化してきたためでしょうか。

 でも年内に精算できることはしたほうがいいですよね。

 私たちの中に、もしゆるせない人、ゆるせないことがあるとしたら、2007年の年の暮れをゆるしを実行するよい機会とするのはいかがでしょうか。

 そういわれても、今、ゆるせるなら今までにとっくにそうしているという方もおありかもしれませんね。 余計なことを申しました。  そういう方は、どうぞ、余計なことをいった私をおゆるしください。

 さて、2007年も、28日、29日、30日、31日のあと四日間となりました。よきフィナーレを飾ることができますように。

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月27日 (木)

星野富弘さん

 体育の先生をしていた星野富弘さんは、24歳の時に大きなけがをして、9年間の入院生活をすごされました。その後も皆様がご存じの通り、車いすの生活を続け、現在62歳になっておられます。

 人一倍運動能力の高かった星野さんが手足を動かせなくなったつらさ、苦しみは想像を絶するものだと思います。

 口に絵筆、筆をくわえて星野さんが描いた絵、詩、文章は多くの人に希望を贈り続けています。それに感動した人が、ぜひ、子どもたちにも星野さんの生き方、心にふれてほしいと詩画集のカレンダーを学校にプレゼントし続けてくださっている例もあるそうです。

 その星野さんが、次のように語っておられるのを読みました。『たった一度の人生だから』 日野原重明・星野富弘 いのちのことば社発行 

       ◇  □  ○  ☆  ○  ◇  □  ☆

  大学生の時、将来の自分の職業を選ぶのに、三つの条件を挙げて、それを満たせる職業がいいと考えていました。

 一つめは、自分の好きなことをして、それが職業になったらいい

 二つ目は、自分が選んだ職業が、何らかの形で世の中のためになって人が喜んでくれる

 三つめは、その仕事で、何とか食べていける

 その三つが、見事に満たされましてね

           ◇  □  ○  ☆  ○  ◇  □  ☆

 淡々と語られていますが、壮絶な葛藤のあとの上澄みのような、あるいは琥珀のような深い美しさが感じられて心をうたれます。

 2007年も残るところ少なくなりました。いろいろな出来事・・・その中には苦しく大きな悩みもあったことでしょう。現在もその中におありの方もおられることでしょう。

 けれど、きっと、希望を持って歩んでいけば、星野さんのように振り返って語れる日が来ると思います。

聖書のことば  ローマ人への手紙  8章  28節

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 すぐには、そう思えないかと思います。でも、「人間万事塞翁が馬」ということばもあります。

 少しよごれただけの窓ガラスは、なかなか拭いてもらえないかもしれません。とても汚れた窓ガラスは、真っ先に、しっかりと力を入れて磨かれて、その仕上がりの美しさを喜ばれる ・・・ 大掃除とまではいきませんが、多少そのまねごとをしながら、そんなことを思い浮かべました。

 年末をひかえています。終わりよければすべてよし ・・・ 今日もよき歩みをなすことができますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月26日 (水)

ブログの名の由来

 このブログの名前「ムーミンパパのシルエット」の由来は、スタートしてしばらくして書かせていただきました。でも、あれからだいぶん経過していますので、もう一度、おつきあいください。

 一つは、丸っこい私の体型・・・そのため、アンパンマンとかドラえもんなどもニックネームの候補となることがありました。

 結局は体型だけでなく、おっとりしているように見える雰囲気が、上の例よりもムーミンパパに似ているということに落ち着くようです。

 けれど、これからお話しするのが本当の理由です。

   ○ ◇ □ ※ ☆ □ ◇ ○ ○ ◇ □ ※ ☆ □ ◇ ○

 私の長男が幼かった頃、ある休日の夕方に二人でテレビ ・・・アニメの「ムーミン」を見ていました。  (実写の「ムーミン」というのは、難しいですよね、多分)

 その日は平和なムーミン谷にめずらしく悪人が登場し、ムーミンのガールフレンド、ノンノンをさらっていってしまったのです。怖さを感じ、冷や汗を流しながらも救出に向かうムーミン・・・そのとき、私は長男に言ったのです。

「父さんは、お前にムーミンみたいな子になってほしいと思ってるんだよ」

 長男が息をのむ音が聞こえました。テレビを見ていた目を長男に向けると、なんと目には涙まで浮かべています。

 私は、たまの父親の一言はこんなにも子どもに大きな影響を与えるものか、と思い、ちょっといい気になりかけました。その時、彼はこう言ったのです。

 「父さん」   「うん、なんだい」

 「ぼく、あんな顔になりたくない」   「・・・・・・・?」

 「いつまでも人間の顔でいたいよー」

 おお、何というすれ違い ・・・ そしてなんとかわいそうな状況に私は子どもをおいてしまったことでしょう。私は心のことを言い、長男は、あのムーミンの外見 ・・・ しっぽもあるあの容貌のことをイメージしていたのでした。

  「ムーミンのように」 ・・・ 考えてみれば、テレビの主人公のように勇気を出して悪に立ち向かう子になってほしいと寝そべって語り、子どもが「うん、ぼく、がんばる」とまっすぐに受けとめて成長してくれたら、子育てはとっても簡単、ということになります。

 アニメの主人公をほめたたえ、そのように生きよというのではなく、身をもって「我が子よ、このように生きよ」と自分の生き方で示し続けてこそ親なのだと反省いたしました。

 それ以後、PTAの集まりでこの話を披露しますと、ドラえもんやアンパンマンを抑えて「ムーミンパパ」がニックネームとなる傾向が出てくるというわけです。

 ただし、ブログの開設にあたっては「ムーミンパパ」では原作者のトーベ・ヤンソンさんと実際の(?!)ムーミンパパに申し訳ないので、「ムーミンパパのシルエット」とした次第です。

 ブログを開設して間もない頃、そのシルエットがいつの日かスリムになりますように、とコメントをくれたのは次男でした。

 さて、友人ご夫婦が来訪し、クリスマスプレゼントとしてくださったのが写真の品です。ありがとうございました。

  0002_2

  子ども、若人に期待したり、課したりするのと同じ質の課題を自らに課す  ・・・  そのことを大切にしながら今日も歩むことができますように。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月25日 (火)

イヴの公園

 クリスマス、おめでとうございます。

 24日、イヴに岐阜市の長良公園というところに行ってきました。

 教会でのキャンドルサービス・・・ろうそくのあかりをともしてする礼拝のことで、訳すと「燭火礼拝」ということになります・・・に参加して、ゴスペルのチームに合流という動きでした。

0004_2  0005

  近隣の学校も参加して飾り付けられたイルミネーションがきれいでした。主催者の話によると、岐阜市民の数に合わせて、41万個だとのことです。

 ゴスペルとクリスマスストーリーの朗読 ・・・ うどん、たこ焼きなどの夜店を楽しんでいる人も多かったのですが、ステージの前にもかなりの人たちが集まって聞いてくださいました。

0006  ゴスペルの熱唱の影響もあるのか、心配したほど気温は低くなく、よきクリスマスイヴとなりました。

 皆様は、どのようにすごされましたか。

「クリスマス」はキリスト(救い主)+ミサ(礼拝)が語源です。

 この季節だけでなく、キリスト教会では毎週日曜日に聖書からのメッセージが語られ、讃美歌が歌われています。

 どうか、オール・シーズン開かれているキリスト教会の礼拝にぜひ参加なさってください。

 今日は25日 ・・・ イエス・キリストの誕生を祝う日です。

 サンタさんが来る年齢は決まっていません ・・・ 周囲の方にあたたかい心を贈りあう素敵な日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月24日 (月)

クリスマスケーキ

0004  アドヴェント(待降節)リースの4本のキャンドルが灯されて、クリスマス礼拝が捧げられました。

 礼拝後は、料理を持ち寄っての食事会 ・・・ 教会では愛餐会(あいさんかい)と呼んでいます ・・・ そのご馳走を紹介しているとたくさんになってしまいますので、一挙にクリスマスケーキへと進めさせていただきます。

0005  聖書のことばが書かれたクリスマスケーキ ・・・ このケーキを焼いてくださった方はプロのパティシエで、クリスチャンです。

 このケーキを切り分けた断面の写真もそえさせていただきます・・・こうした写真を掲載するのは、見る方は味わえるわけではありませんので、親切なのか、意地の悪いことなのか ・・・ そういう迷いはありますが、エーイと決断して掲載に踏み切らせていただきます。

0006  このケーキは、本当においしく、絶品といってよい傑作でした。

 イエス・キリストご自身は、こんなにおいしいケーキを食する機会はなかったことでしょう。ご自分を喜ばせることなく、十字架の死に至るまで、神様に従順に、何の罪を犯すこともなく歩まれたのです。

 このイエス・キリストを、私たちが自分自身の魂の救い主として受け入れることこそ、本当のクリスマスなのです。

  ・・・くわしくは、お近くの教会の牧師さんにお聴きいただければ幸いです。

  さて、クリスマス・イヴ ・・・ オーヘンリーの『賢者の贈り物』、デイッケンズの『クリスマス・キャロル』、アンデルセンの『マッチ売りの少女』・・・・・などなど、昨年のこの時期のブログにいくつかを紹介させていただきましたので、よろしければバックナンバーをご覧ください。

 今日もよき歩みを為すことができる日となりますように。

聖書のことば  ヨハネによる福音書 1章 1節から

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 

1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月23日 (日)

クリスマスコンサート

 岐阜大学医学部ピアノ部のクリスマスコンサートに行ってきました。

 「私の好きな曲を練習してきました。聴いてくださいね」という感じで、アニメの主題歌からショパン、プロコフィエフ、坂本龍一などなど、多彩なプログラムでした。

 大医学部の先生ですからお医者さんでしょうか、トランペットの演奏もありました。

071222_15260001  写真は、「ザッツ・エンターテイメント」の演奏に合わせて、バルーンアートというのでしょうか、風船ですてきな作品を作り上げて聴衆にプレゼントという粋な演出 ・・・ かわいいワンちゃんもたくさん作ってあり、休憩時間に配られました。   ああ、そうだ、牧師さんの娘さん用にもらってくればよかったなあ  ・・・ 残念。

 医学部は6年生まであるのですね。お医者さんの卵たちが音楽を楽しみながらすてきな世界を創りあげていること、とてもすばらしいことではないかと思いました。

 コンサートついでにお知らせです。

 23日(日)18時 瑞穂市総合センターにて 岐阜大学管弦楽団 第41回 定期演奏会

       ショスタコービッチ 交響曲 第5番

       ドリーブ バレエ組曲「シルヴィア」

       ムソルグスキー 交響詩「禿げ山の一夜」

  第1回、の定期演奏会は交響曲「新世界より」で、私も(けんそんでなく下手でしたが)トランペットの一員としてステージ上に居たのでした。

24日(月) 長良公園で、ゴスペル、クリスマス・ストーリーの朗読 

 夜8時半 と9時半の2回が予定されています。

 イルミネーションがきれいで、出店もあり、かなりの人出(主催者の予想では2万人)になりそうです。

 今日は、日曜日、教会ではクリスマスの礼拝、そしてクリスマスをお祝いする会が開かれます。

 すてきな日曜日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月22日 (土)

落とし穴

 年賀状に取りかかって、ずいぶん進んだつもり   だったのですが 

 ふと気がつくと・・・・・おお、なんということでしょう・・・・・今年は早めに転居した人のデータなども4月の時点で更新して備えてきたのですが、せっかく用意していたはずの住所録ではなくて、ずっと以前の住所録をベースに作業を進めてしまっていたのでした。

 気をつけていれば、住所録の作成年月日や更新の月日がちゃんと表示されていたので印刷する前に気がついたはずなのですけれど、確認を怠ったために、どんどん印刷が進み、ほとんど古い住所のままでの印刷が終わってしまっていました。

 その結果、過去へのタイムスリップが起きていて、市町村合併前の住所表示に逆戻りしていないかどうかなども確認する必要が出てきました。

 定年退職した今年は、例年よりもゆとりをもって取り組める状態にあったのに、ついついこんな失敗をしてしまったのです。油断大敵・・・まさに人は普段通る道でこそ落とし穴に落ちるということなのですね。

 でも、発送する前に気がついたのは幸いでした。心を込めて、一枚一枚照合して、お一人お一人のこの数年間に思いを馳せ、よき年をお迎えになられるよう、願いを込めて発送準備を整えることにいたします。

 あやまちを改むるに はばかることなかれ ・・・ それでは、今日はこのへんで・・・

 さて、  せっせ せっせ ・・・作業にいそしむ様子です ・・・  ウエーン  (×_×;)

  

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

冬の畑

 先日、我が家の冬の畑がにわかに活気づきました。

 家内の親切な友人が、畑の手伝いというか、それ以上のことをしに来てくださったのです。

 春菊の苗を守るために傘をさすこと・・・これを口でいっただけでは多分実行に及ばないだろうと、足を運んで、じきじきに作業してくださったのです。

 イチゴのライナーをどうすると来年の収穫につながるのかを教えに来て、実行してくださったのはしばらく前のことです。

 このほか、種から育てたパセリと先日苗を買ってきて植えたパセリとが我が家の冬の畑の眺めを構成しています。

 畑係の私は何をしていたのか、ですって・・・よくぞ聞いてくださいました。パセリの苗を植えるために土を掘ったこと、そしてぼかしを混ぜた残菜を埋める穴を掘ったこと、苗と腐葉土を買うとき、レジで支払いをし、車で運んだこと、などです。

 ちなみに聖人の「聖」(ひじり)は、もともとは「日知り」=「日を知ること」・・・いろいろな農作物をいつ植え付け、いつ、どんな世話をし、いつ収穫したらよいかをあやまつことなく知っている人のことをいうのだそうです。

 うーん ・・・ 私にはほど遠い境地です。脱帽のほかありません。

聖書のことば  伝道者の書 3章 1節 ~ 8節

3:1 何事にも時があります。
3:2 生まれる時  死ぬ時   植える時   収穫の時
3:3 病気が治る時  こわす時   やり直す時
3:4 泣く時  笑う時  悲しむ時  踊る時
3:5 石をばらまく時  石をかき集める時  抱きしめる時  抱きしめてはいけない時
3:6 何かを見つける時  物を失う時  たいせつにしまっておく時  遠くに投げ捨てる時
3:7 引き裂く時  修理する時  黙っている時  口を開く時
3:8 愛する時  憎む時  戦う時  和解する時

 今日という日が、よき時の集まりとなりますように

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

まかぬ種は生えぬ

 私の小さい頃、たしか郵便局の通帳に、シルエットになった絵がついていました。男性がじょうろで双葉に水をやっている絵です。そこに書かれていたのが「まかぬ種は生えぬ」でした。

 今の世の中、うっかりというか、ちゃっかりというか、「苦労する仕事はいやだけど、給料はたくさんほしい」という発想がかなり広まっていますよね。

 楽をして苦労している人と同じ収入、いえ、苦労している人以上の利益を得たい ・・・ こういう虫のよい考え方、生き方が蔓延する社会は、健全な発達を遂げることはありません。

 という私も、おいしいものは食べ、運動はあまりしないが、体重は減らしたいという怠惰で、いけない生活に浸りがちですから、大きなことはいえません。

 過程、プロセスが楽しいもののときは、それを省略することはしたくないのが人情です。 「働かずに高い収入を得たい」とは思っても「おいしいものを味わうことなく満腹になりたい」とは思わないものです。

 また、「汗はかかずに運動が上達したい」とは思っても「恋愛せずに結婚したい」とは思わないものです。

  でも、技倆を磨くことも、学問することも、困難を乗り越えたときにこそ、さわやかな本当のよろこびが獲得できるのですよね。これもまた、人間の本来的に備えているすてきな心なのです。

 2007年もあとしばらくです。春に咲くチューリップは、寒い冬を乗り越えて花開きます。何か、来年の楽しみにつながるような種を・・・と思います。 

聖書のことば  詩篇 126編 5節

涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。

 今日も、いつかよい花を咲かせ、よき実を結ぶ種をまくことができますように。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月19日 (水)

詩 いっぱい

0012  この詩は、以前にも紹介させていただいたかもしれません。

  2001年の夏休みに書かれたこの詩が提出されてから十日後に、アメリカで同時多発テロが起こされたのでした。

 そのテロの後にはこの詩は生まれなかったことでしょう。当時、小学5年生のこの作者にもそのニュースが目に入らないはずはないからです。

 でも・・・私は思うのです。あのテロも、この詩を消すことはできないのだと・・・・・・。

 今まで、何回かご紹介させていただいた児童の権利条約の根幹の精神となっていることばをもう一度書かせていただきます。

 「すべての大人は子どもに最善のものを贈る義務を負う」

 この詩「いっぱい」を目にするとき、私は全世界の大人が力を合わせて、子どもたちが安心して暮らせる世界を築き上げ、次世代にバトンタッチしなくてはという思いでいっぱいになるのです。

聖書のことば マタイによる福音書  5章  9節

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 今日も、争いではなく、周囲の人と和を創り出しながら歩むことができますように。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月18日 (火)

ひまわりの詩

0003  12月15日でご紹介した詩集の中から、もう一つ。

 本格的な冬を迎えようというときにこそ、こういう明るい詩が力の源泉となってくれるように思います。

 太陽に顔を向けると明るさの中を歩むことができます。背を向けると自分の影を見つめながらとぼとぼと歩いていくイメージになってしまいますね。

 心に太陽を 唇に歌を

 ・・・こう書きながら、寒くなり始めてから散歩の回数が減っている私です。まず心が寒さに負けないように今日という日を歩みたいと思います。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月17日 (月)

アドヴェント・リース

0006  クリスマスの一か月前からアドヴェント(待降節)に入ります。そしてリースに立てられた4本のキャンドルを1本ずつともしていきます。

 クリスマスの4週間前の礼拝では1本、3週間前の礼拝では2本・・・これが4本ともるとクリスマスというわけです。

 イエス・キリストの降誕は、生まれる何百年も前から予言されていました。その誕生の実現を待ち望みながら生涯を終えていった人の数はどれほどでしょう。

 でも、その人たちも聖書のことばが実現することを固く信じ、希望を持って地上の生を歩み抜いたのです。

 私たちは、実際にイエス・キリストが誕生してから、2千年以上経過した現代に生きています。

 それぞれの人生において、イエス・キリストとお出会いになることができますように。

聖書のことば   ヨハネによる福音書  3章 16節

  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 今日もよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月16日 (日)

よき医院

 いっぽうの耳がボーンとして少し聞こえにくいと感じたので、耳鼻科に行きました。

 問診、そして聴力検査・・・診断は 「突発性難聴です」   ドキッ

 「治ります。しばらく通院してください」             ホッ (ほんとかな)

 治療が始まりました。 耳に熱風があてられます。 超高周波とかいうことでした。

 そして、注射  ・・・   これは、ビタミン剤とか

 何日か通いました。  そして  もう一度聴力検査  

 お医者さんがグラフで前回との違いを示しながら「よくなってきましたね。もう少し通ってください。 ただし、こちらの聴力が落ちてきているグラフのほう(低い周波数のほうだったと思います)は改善しません。 こちらは、・・・年齢のせいです」

 「あのー、老化でしょうか」 「そうです。まあ、年齢が加わってくるとだれでもそうですから」

 という具合で、ほぼ「突発性難聴」の症状は、ほぼおさまりました。

  「繰り返す人もいるんですよね」 とさりげなくお医者さんはいわれましたけれど、それも、今後への心構えを持つために、知っておくべきことなのだと思います。

 これで、耳鼻科通院記(?!)は、結びといたします。老化による聴力の衰えも日常生活には何の心配もないレベルなので、ピアノの練習も楽しみつつ続けていきます。

 改めてベートーベンの偉大さを思いました。ほんの軽い症状を経験しただけの短い日数をもとに、こう書くのはとてもおこがましいのですけれど。

 さて、今日は日曜日 ・・・ どのキリスト教会の礼拝でもクリスマスについて聖書に基づいて語られ、クリスマスの讃美歌が歌われることでしょう。

 12月も半分・・・寒くなってきましたが、一日一日、よき足跡を記しながら2007年を歩んでいくことができますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月15日 (土)

前に向かって

  勤務した小学校の夏休み宝物展に手作りの詩集がありました。小学5年生の女の子が、スケッチブックに八編の詩と絵をかいたものです。

0014  手に取って、その子の前向きな明るさ、生き方が生き生きと表現されているのが伝わってきて、たいへん嬉しく思いました。(クリックしていただくと写真が大きくなります。)

 ご両親に慈しまれて育ち、クラスの仲間との生活も順調に進み、それがこの夏休みの宝物となって花開いていることがどの作品からも伝わってきて嬉しかったのです。

  現在、この子は高校生になっていますが、きっと今も前向きに歩んでいることでしょう。

 教育ということばは、「教え育てる」とも読めますが、双方が「教え合い育て合うこと」というのが、私の実感です。

 今日も、お互いに学び合いながら目の前のことに前向きに取り組みつつ歩む日となりますように。  

 明日は日曜日 ・・・ お近くのキリスト教会にお出かけくだされば嬉しいです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月14日 (金)

分母を大きくすること

 定年退職して、大学に勤めさせていただくようになって8か月半・・・教育の道を志す学生さんの若さ、懸命さに接していると、38年間、小中学校の教師として歩んだことを改めて見つめ、お伝えする何を自分がもっていて、何を自分はもっていないのかを明らかにする機会をいただいているということだな、と有り難く思います。

 このことは、自分が老いの坂を下る速度を緩やかにしてくれる作用もあり、幸せなことだと感じています。

 また、今週はスライドをスキャナで取り込んでデジタル化するという作業に取り組み始めたのですが、かなりの労力を覚悟して始めたこのことで相談した専門家がすぐに大学にある機材を確かめてくださって、相談してどれほども時間が経たないうちに、かなりのプロセスをオートメーション化して進められる環境が整いました。

 パソコンの技術的なことでその方に相談すると、ほとんど打てば響くという感じで適切な解決策が返ってきます。そうした人材が身近にいて、そして機材もある程度そろっているということに、大学という環境の有り難みを改めて味わわせていただいた今週でした。

 きっとパソコンのことだけでなく、学術的なことでもその道の専門家が、学内にはいらっしゃることでしょう。そうした専門家はその専門とする領域に数え切れないほどの時間を真剣に注いでこられていると思います。その膨大な時間をかけて獲得されたこと、築き上げてこられた所産が巨大な分母を形成しているので、いろいろな事態、多くの質問にも、その分母に支えられて適切に対応できる力となっているのではないでしょうか。

 ゴルフの中島プロでしたか、初心者にはダンプカー何杯分かのゴルフボールをまず打ってみなさいとアドバイスしておられるとか ・・・ これも、その人の中の分母を大きくすること、別の言い方をすると裾野を広げるということではないかと思います。

 今日も、自分の生き方の分母を大きくするような歩みができますように。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月13日 (木)

クリスマスコンサート

  12日の夜、名古屋でクリスマスコンサートが開かれ、すてきな音楽にふれてまいりました。

 名古屋柳城短期大学の音楽研究発表演奏会 クリスマスコンサート ということで、学生さんがたくさんの会場 ・・・音楽を教えている先生方ご自身がその腕前をひろうする年に一回の機会ともなっているようで、第一部はリストの難曲揃いという感じでした。

 でも、♪「愛の夢」、「ラ・カンパネラ」などが一度に聴ける機会は、そうそうないものですね。

 私を見捨てずに教えてくださっている先生は、最初に連弾で登場され、「ハンガリー狂詩曲第2番」の見事な演奏でトップバッターの重責を果たされました。

 先生方が、演奏会用の衣装でステージに現れると、会場の若い人たちが「オオーッ」とどよめき、演奏が終わるとたくさんの学生が花束やぬいぐるみなどをドドーッとプレゼントしに走るのです ・・・ 何ともあたたかい師弟関係が伝わってきて、とてもすてきなコンサートでした。

 第二部のハンドベルクワイヤの演奏、聖歌隊との合唱奏もたいへん美しく、すてきな音楽に浸らせていただいてよきひとときとなりました。

 名古屋駅や栄のイルミネーションもきれいでした。岐阜駅のイルミネーションも、なかなかいいなあと思いました。

 さて、今日も周りの方とよきハーモニーを奏でつつ歩むことができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月12日 (水)

クリスマスのお菓子 3

0002  私たちの教会で開いた子どものためのクリスマス ・・・ 牧師先生が聖書に基づいて語られるイエス・キリストの誕生の話を聞き、讃美歌を歌い、お祈りをして、第一部を終了。

 第二部は、カップケーキを、めいめいで生クリームなどでデコレートして、ジュースとの組み合わせでおやつタイム  小さい子もいたのですが、なかなかの傑作ができました。

 初めて教会に来た子もいたのですが、みな紳士・淑女のようで感心いたしました。

 自分の心に、救い主としてイエス・キリストを迎える ・・・ 本当のクリスマスを子どもたちとお祝いすることができたことを喜んでおります。

 今日もよき足跡を記すことができますように。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月11日 (火)

冬への備え

  今日は、車の12か月点検の案内が来ていたので、それを受けるのに合わせて、冬用のタイヤへの交換、そしてオイル交換もしてもらいました。

 数年前まで、タイヤ交換は自分でしていたのですが、タイヤの着脱をする工具に私が体重をかけるとどうも大きな力がかかりすぎることもあるようで・・・つまり、強くしめればいいというものではないことが分かって、専門家におまかせすることにしたのです。

 さて、上記のことは車屋さんがしてくれたので、余力のできた私としては、めずらしくガラス拭きをしました。

 まず、タイヤを替えてから、ガラス拭き ・・・ 順序を間違えると、めったに大掃除などに貢献しない私が働くことによって、突然、大雪が降ってもいけませんので、このような順序が正解だと思います。

 そうそう、これも大きな目で見ると冬への備えでしょうか、何人かのご婦人たち推奨の品で家内が欲しがっていたある装置を購入いたしました。

  ・・・・・ ジャーン   それは ・・・ 知りたい方は「続きを読む」をクリックしてください。暮れも近づいておいそがしい方は、どうぞ、たいしたことではありませんので、お仕事に向かってください。ここまで読んでいただいてありがとうございました。  (^。^)

続きを読む "冬への備え"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月10日 (月)

クリスマスの飾り

0004_2            クリスマスの飾りには、いろいろありますが、代表的なのは、やはりツリーでしょうね。

 写真は、私の通っている教会のクリスマスツリーです。

 みんなで力を合わせて飾りました。

  由来などは、とくに聖書に基づいているわけではないので・・・つまり、聖書に仕様が書いてあるのではないので、コメントはこれで終わりです。

0003  それから、クリスマスのリース ・・・ この写真のリースも、教会に飾られているものです。自作したり、購入しても「リース」というのは、なんだか落ち着かない気もしますが、きれいですね   ・・・ 。 

  寒くなって、夕方の散歩もとだえがちですが、とてもきれいなイルミネーションで道を歩く人の目を楽しませてくださっている家々があり、感謝の思いをもちながら見させていただいています。

 今日は、2枚の写真を掲載させていただいて、これにて ・・・・・

 よい日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 9日 (日)

クリスマスのお菓子 2

Photo  私の通っている教会では今日の午後、子どもたちのクリスマス会を計画しています。

 写真のクッキーは家内が焼いたもので、クリスマス会に来た子たちへのおみやげです。ほかの方と分担してある程度の種類、数をそろえることができました。透明な袋でラッピングしてプレゼントします。

 それはさておき、クリスマスの一番のプレゼント ・・・  それは、私たち、一人一人のためにおよそ2千年前にこの世界に誕生してくださったイエス・キリストです。

聖書のことば  ヨハネによる福音書  3章 16節

神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 

  クリスマスにプレゼントを贈るのは、プレゼントを贈り合うのは ・・・ その大もとは、まず神さまがイエス・キリストを私たちにプレゼントしてくださったところにあります。

 お近くにキリスト教会がありましたら、きっとこの12月、クリスマスについてのメッセージが語られます。おでかけいただければ嬉しいです。

 今日の日曜日、どなたさまにもよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 8日 (土)

『サンタクロースの部屋』

 先日の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんの本『サンタクロースを探し求めて』(岩波書店)のなかに『サンタクロースの部屋』(こぐま社)から素敵な文が引用されています。その本の著者松本享子さんは児童図書の専門家だそうです。

 すてきな内容なので、ご紹介させていただきます。

   ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇

 もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。

「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当は誰かを知る。・・・しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人のの重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」

 サンタクロースその人は。いつかその子の心の外に出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎えいれることができる。

 ・・・・・・・ のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。

     ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇ ☆ □ ◇

 友人の紹介でこの文を読んだとき、とても嬉しく思いました。自分一人では巡り会えなかったすてきな世界に導かれることができた感謝の念もわき上がりました。

 以来、読書の大切さなどと結んで、またピーターパンの中で、妖精のティンカーベルの命が危うくなったときの場面などともつないで、機会あるごとにお話し、紹介してきました。

 12月が進行しつつあります。 どうぞお風邪などをお召しになりませんように。

 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝に出かけ、クリスマスの意味をりかいしていただければ嬉しく思います。

 よき日となりますように。

 

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 7日 (金)

クリスマスのお菓子

 ドイツの伝統的なクリスマスシーズンのお菓子にシュトーレンというのがあります。

 白い粉砂糖にくるまれた焼き菓子で、木の実がたくさん入っています。

Photo  撮影用に厚く切りましたが、もう少し薄く切って長い期間楽しむのが本格的なのだそうです。

  「シュトーレンというお菓子があるそうよ」と、こたつで雑誌を見ていた家内が言ったときに、「ピンポーン」と宅配便が来て、それが我が家にシュトーレンが登場した最初でした。

 世の中に、こんな出会いって、そうそうあるものではありませんね。

 感謝しながら、できるだけ長期間楽しめるように、おとなになりたいと思います。

 さて、今日もよき日となりますように。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 6日 (木)

子どもの優しさ

 暉峻淑子(てるおかいつこ)さんは『豊かさとは何か』『豊かさの条件』(いずれも岩波新書)などを書かれている経済学者です。

 その暉峻さんが『サンタクロースってほんとにいるの?』(福音館書店)という本を書かれた理由を『サンタクロースを探し求めて』(2003年11月第一刷発行)のなかで次のように書いておられます。   前置きが長くなってすみません。

 暉峻さんのご長男は当時3歳だったそうですが、その年のクリスマス・イブ、「ぼく、サンタクロースに会いたいよ」と言って深夜まで寝なかったそうです。何とか言い聞かせてようやく彼が眠りにつき・・・そしてクリスマスの朝がやってきました。 さて・・・

          ◇   □   ☆   ◇   □   ☆

 翌朝、枕元に大きな積み木の箱があるのに気がついた長男は、ベッドの上に起き上がり、いそいそとして箱から積み木を出したり入れたり、しばらくは我を忘れて遊んでいました。ところがやがて私たちの枕元には何もないことにきがついたらしいのです。わたしをまじまじとみつめていましたが、やがて一本の積み木を取り出してそれを自分のまくらもとに置き、あとは積み木の箱ごとかかえると、重さで顔をまっかにして、いっしょうけんめいに、その箱を私の枕元に運んできました。そして、私を慰めるように言ったのです。

 「ママ、ぼくがサンタクロースにたのんだのは、あの一本だけだったの。あとはママのところにきたんだよ」

 いったい誰がそんな思いやりを長男に教えたというのでしょう。私は胸がいっぱいになりました。それは誰から教えられなくても彼の心に、自然にわき上がってきた心からの思いだったのです。

 そのとき、私は、サンタクロースが大人のところには来ないで、なぜ子どものところに来るのか、その理由がわかったのでした。子どもは愛されることによって、愛することを知るのだということを。

           ◇   □   ☆   ◇   □   ☆  

 こうして、暉峻さんは、おそらく生涯に唯一の絵本『サンタクロースってほんとにいるの?』を書かれることになったのだそうです。

  今日も、元気に歩むことができますように。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 5日 (水)

山道歩き

 登山・・・・・というほど大げさではないのですが、山道歩きを先週の土曜日にいたしました。その動機となったことが二つあります。

 第一は、家内が、関市であるバザーの会場まで、家から近くの山道を歩いていこうと提案し、今年は紅葉がきれいだから、と付け加えて私の美意識(?)に働きかけたこと。

 もう一つは、私と同じ所に勤務している同期生が、どうも最近、山歩きか、小登山をこつこつと続けているようで、私の体重に近づいたか、あるいは私を通過してもう少し軽量化に成功したかで、にこにこしていることです。・・・数値は教えてくれません、これがどうも私を落ち着かなくさせているのです。

 その友人は、先週の土曜日に岐阜市では一番高い山、百々ケ峰(標高418メートル)に登ると宣言していましたので、及ばずながら私もせめて家内と山道を歩こうと、重い腰・・・文字通り、重い腰なのですよ・・・を上げたのでした。

 天気もよく、思ったほど時間もかからず山道を紅葉を愛でながら踏破し、目的のバザー会場に到着しました。

 そこでは、腕達者のご婦人たち特製のランチ、そしてケーキとコーヒーセットが用意されており、食券を購入しておいしく味わわせていただきました。

 よく考えるまでもなく、せっかく、山道を往復歩いたのに、消費エネルギー以上に食物エネルギーを獲得してしまった私です。

 山道を歩くと、自分の筋肉のなさ、ぜいにくのたっぷりさを一足ごとに体感することになります。・・・昔の武将、山中鹿之助は「我に七難八苦を与えたまえ」と願ったそうですが、武将ではなく、不精者である私は、平坦な道を歩くのにも決心がいるようなところがあります。

 鍛錬するか、怠惰に過ごすか・・・その積み重ねは大きな差を生みますね。

 我が体重のよきライバルにおいていかれないように、ひそかに、しかし決然と体によいことを続けなければと思っている私です。

 マイナスの生活をして、プラスの成果を求めるような生き方に決別して、冬ごもり前の熊さん状態にならないように・・・と、さわやかなライバルの表情を見て自戒の思いを強めました。

 今日という日が、心身によい成果をもたらす、確かな意志に裏打ちされたよき日となりますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 4日 (火)

とっさの一言 4

 「今年は雪が少なくてありがたいですねえ」 ・・・ ということばは会話の中でよく登場します。

 でも、そのときのその一言はまずかったのです。スキー場を運営していて、それによって貴重な収入を得ている地域の学校に赴任している校長先生が村の人たちの集まりで言うのは・・・。

 上に書いたのは、地域と一体となって歩む学校に勤務する者の心得を語ってくださる方からうかがったお話です。おそらく心得をわかりやすく教えるための例話であって実話ではないのだと思います。もし、実際にそういうことがあったとしたら、その校長さんは村の人たちとは遠い意識でその村の学校に勤務している人、その地に根ざした生き方をしていない人として総スカンを食ってしまうでしょうね。

 こういう話を聞いて、失言しないようにしよう、というのは受け身で消極的な生き方になってしまいます。

     物言えば唇寒し秋の風 ・・・ 芭蕉

物いへば唇寒し穐の風

 ことばという葉は心を根として茂るものですから、一番もとになる生き方をまっすぐに整えることが肝要なのだと思います。

  やまと歌は ひとの心を種として よろづの言の葉とぞなれりける

                              古今和歌集序文から

 とっさの一言が、周りの方に感銘を与えるような、そんな生き方をしたいと願います。

 ねがい  八木重吉

 どこを

 断ち切っても

 うつくしくあればいいなあ

 今日もよき一日となりますように。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月 3日 (月)

とっさの一言 3

 あるお年寄りが、おやつなどを受け取るとご自分の肩越しにそれを床に落としてしまわれることが続きました。でも、そういうといき、いつもにこにこしておられたのです。

 「○○さん、どうしたの?」と尋ねると、ますますにこにこして「うちのお宝坊ややがね」と即答されたそうです。周りの人は、それを聞いて心を打たれました

 説明が必要でしょうね・・・このお年寄りはお孫さんを背負ってお守りしていて肩越しにおやつを渡していたころの記憶がしっかりと残っていて、おいしそうなおやつで孫を喜ばすことができると考えて肩越しにお菓子を運んでおられたのだということだったのです。

 認知症になられたご本人とご家族には大きな苦労や悲しみが生まれます。一つの救いは、それまでの人生で一番よかった時代のことがご本人に一番しっかりと残るらしいことです。

 うちのお宝坊 ・・・ 子どもは宝 ・・・ 

 今日も、幼少か成人か、老若男女にに関わらず、一つ一つの命が本当に宝として大切にされるそういう一日でありたいと願います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 2日 (日)

とっさのひと言 2

 家内が介護の仕事をしていたころ、よく感激して帰ってきました。今日、ご紹介させていただくのも、そうした感激の一つです。

 水仕事を中断してナースコールで駆けつける、ということもあったようです。

 そんなときに、気をつけていても介助する手がお年寄りにふれることがあると、「わあ、冷たい手でさわらんといて」と言われ、それはしごく当然のことでもあるのですが、あるお年寄りは、そんなとき、とっさにこういわれたのだそうです。

 「あれ、可哀想に・・・寒いところで仕事しとったんやね」

 その方のそれまでの生き方、優しい心根が、こうしたひと言に瞬間的に現れるのですね。

 明日も、お年寄りのことばをご紹介させていただく予定です。

 今日は日曜日、キリスト教会にお出かけくだされば、うれしいです。

 よき一日となりますように。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

とっさのひと言 1

「えっ、治りましたか!」 ・・・ 家内が介護の仕事をしていた時代に腰痛で通院した整形外科のお医者さんが、こう言われたのです。

 かなり痛みがあったのが、この整形で高周波の電気をあてるようになって何回目かの通院の時のことでした。家内が「おかげさまで、腰痛がほとんどなくなりました」と話したら、 「えっ、治りましたか!」とおっしゃったのです。

 何だか、とても謙虚なような、いい加減のような ・・・ でも、とても正直な方ですよね、このお医者さん。

 家内は、それからも何回か、通院し続けました。その整形外科での電気治療器に設置者であるお医者さん以上に信頼を寄せていた、ということになるのかもしれません。

 今は、べつのところに通っております。以前の病院より近くにできたということもありまして。

  さて、明日は日曜日、よろしければ、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 今日もよき日となりますように。

聖書のことば  マタイによる福音書 11章 28節

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

※ 「わたし」 ・・・ ここでは、イエス・キリスト自身がこう語っておられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »