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2008年4月 2日 (水)

カップヌードル

 TVで日清食品の社長さんがこんなことを話していました。カップヌードルの会社のトップですね。

 うますぎると食べ飽きる ・・・ これ以上ないというほど最高の味にすると、すぐにあきられてしまう。ほどほどが長続きする。

 そのほかにもこんなことが印象に残りました。自社製品のなかで売れ行きがダントツのカップヌードルを打倒するために社内に競争するためのグループをほかに八つ作ってあるとのことです。何と、日新食品という会社の合い言葉が「打倒 カップヌードル」だそうですよ。

 外部の他社との競争に負けないために、内部でそれ以上の開発競争をさせるのだという考え方なのだそうです。カニバリゼーション ・・・ 共食い ということばも使われていました。

 追われる立場の「カップヌードルグループ」のリーダーは、王者ブランドをゆだねられているという誇りがプレッシャーより上回っているので、自分たちも前向きにさらに精進を重ねていると語っていました。

 ラーメンの新製品は年間800種類が売り出され、生き残るのはその一割以下、そして新製品は売り出して一週間の売れ行きで、売り続けるか、店先から回収するかを判断されるようです。

 各グループは仲が悪いわけではないけれど、お互いがどんな視点で何に取り組んでいるかは、一か月に一回の発表会のときにしか分からないそうです。

 うーむと思いました。

 企業は、利潤を追求するのですし、競争原理をこれだけはっきりと組織の根っこに据えて競争をあおっているのはむしろ痛快でおもしろいのではないでしょうか。

 ただし、これを教育にも適用しようとするのは、はっきりと間違っていると私は思います。企業は品物を作るのです。教育は人を育てるのです。

  東京、大都市では経済的に比較的豊かな親が子どもを私立に入れる傾向がずっと続いています。けれど、それは、あくまでも都市部にのみ見られることです。

 入学・入塾のときに試験を行い、かなり成績のよい子しか受け入れない塾や学校が入試での成績を誇り、「当塾はこのように成果を上げています」というのは、正しいことでしょうか。

 生徒を選ばずに懸命に育てている公立学校・・・それが日本の学校のとても大事な部分です。それなのに文部科学省までが「公教育の再生」などと声高に叫ぶことがあるのです。広い日本の中のいったいどこを見ているのか、という思いを抱かざるを得ません。誤解されないように申しておきますが、私立学校のよい面を否定しているのではありません。

 明治維新 ・・・ 鎖国していた日本が開国当時、世界でもめずらしいほど識字率が高く、生きることへの見識がきちんとしていて、学制が順調に整えられていったのは、江戸時代の寺子屋の功績だと言われています。現在の学校よりもはるかに多い数の寺子屋があったのですね。

 全国学力テストで岐阜県の中学生は5番目の成績だそうです。 ということを喜んで書くのは、競争にとらわれていることにつながりそうなので、深くは書きませんが、企業の競争原理を教育に適用することで教育を変えるのだという得意げなかたには、まず自らの認識を変えてほしいと私は強く思います。

 目に付く成果だけを教育に求めると、テストでいい成績を収めさせようとしている大人がテスト中にサインを出して子どもに正解を暗示、というより明示するようなあやまりが促進される実例がすでに報道されているのです。

 上にあげたのは、ほんの一例です。子どもの本当に大切に育てたいところを大人が見失って枯渇させてしまうことを私は恐れており、怒っているのです。

 つい熱くなり、失礼をいたしました。これも誤解のないように書き添えておきますが、カップヌードルをきらいではない私です。     よい日となりますように。 

 河合隼雄 『子どもの宇宙』より

 この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを誰もが知っているだろうか。それは、無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。

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