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2008年6月 8日 (日)

『人びとの中の私』

 『人びとの中の私』(曾野綾子著・集英社文庫 1980年3月25日第一刷・1993年第23刷) を読んでいます。

 次の一節は、曾野綾子さんらしさが出ていると思うので、少し長くなりますが、引用させていただきます。

        ◇  □  ○  ☆  ○  □  ◇

 日本人は、他の多くの国に比べて、青年たちが自分の職業を自由に選べる方途を持ちながらも、多くの当事者たちは、そのことに納得もしていなければ、満足もしていない、という奇妙な国である。どうしてそのようなことになるのだろう。

 一つには、私は、日本人は、自分の人生に夢を持ちすぎるのだと思う。「青年よ、大志を抱け」というのは悪くないが、大風呂敷を拡げ過ぎれば、満たされない不満ばかりが残る。どんな学者も、芸術家も、実業家も、一生にできる仕事の量は限られている。小さく守ってそこを充実させることの方が私は好きである。

 二番目には、日本人は、宗教を持たないからだろう、と思われる。パン屋の職人は、一生おいしいパンを焼き続けて、人びとに、実に多くのしあわせを与える。そのことを感謝し評価する人があろうがなかろうが、神の存在を信じていられれば、その人は胸を張って死ぬことができる。しかし神の存在のない人にとっては、パン屋より、大臣になる方が、はるかに体裁よく、虚栄心を満足させられる、ということになるのである。つまり、日本人の人生や職業に対する評価は、自分が満たされるかどうかより、他人がそれをどう思うかで決められる場合が多いから、一向に自足しないのである。

 青年が、自分が将来何になりたいかわからない、などと言っていることに対して、私はきわめて同情が薄い。自分が好きなものわからないようでいて、どうして生涯の設計など、できるものだろう。幾つかの好きそうな未来図を心に泛(うか)べつつ、自分がその一つ一つにたずさわっている姿を思い泛べてみると、これよりはあれ、、あれよりはそれ、という形に、より好きな道が、心の中に見えてくる筈である。というより、最後に、やはりこれだけは手放したくないという生活の姿が、わかってくるのが自然である。

 職業は、好きでなければならない。これが、唯一、最大、第一にして最後の、条件である・・・・・ (後略)

          ◇  □  ○  ☆  ○  □  ◇

 引用が長くなりました。何か、感じるところのあった方は、図書館などでこの本に出会ってくださいますように。

 今日は、日曜日。 キリスト教会へお出かけくだされば嬉しく存じます。

 よき日となりますように。

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