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2008年6月19日 (木)

ファニー・クロスビー

 1820年にアメリカのニューヨーク州に生まれ、1915年に94歳で天に召されるまでにファニー・クロスビーは8000曲以上の歌詞を書いたと言われています。

 生後6週間ほどして、目に腫れ物ができ、かかりつけの医師が町を留守にしていたため、別の医師が手当てをしたそうですが、その処置がまずかったために、ファニーは失明してしまいました。

 さらに、彼女が1歳になる前に父親のジョンがなくなったそうです。

 けれど、彼女は、馬に乗り、木に登り、母の読んでくれる聖書などを記憶し、8歳か9歳のころ、こんな詩を書きました。

私の魂は幸せでいっぱい

私には何も見えないけれど

この世を必ず満足して生きていく

私には幸せがいっぱいある

ほかの人たちにはない幸せが

目が見えないからといって泣いたり ため息をついたり

そんなことはできないし、するつもりもない

 また、83歳のときにこう書いています。

        ◇  □  ☆  ○  ※  ○  ☆  □  ◇

 誤って私の視力をなくさせたこの医師は、いつまでも謝っていたという。しかし、もしいまその医師に会うことができたら、私はこういうだろう。「ありがとう、ありがとう。私の視力が失われたのがあなたのせいだったとしたら、あなたに本当に感謝します」と。

 これは本心だ。心からそう思う。もし、明日から完全に見えるようにしてやるといわれても、私は断るだろう。医師の側に誤りがあったとしても、神の誤りではないからだ。主を讃えて歌い、聴く人の心にも同じ気持ちをおこさせる日に備えて、闇の中で生きなさい、というのが、神の御心だったに違いない。視力があってあれこれ気が散っていたら、何千曲もの讃美歌を書くことはできなかったろう。

   ◇  □  ☆  ○  ※  ○  ☆  □  ◇

 また、スコットランドのある牧師が訪れたとき、こんな会話をしたことも伝えられています。

「私が生まれるとき、もしなにか一つだけ創造主にお願いできたとしたら、盲人として生まれさせてくださいといったでしょう」

「それはまた、どうして」

「私が天国に召されたとき、はじめて得た視力で見る最初の顔が、わが救い主、イエス・キリストのお顔なのですから」

 心の底から、神様を信じ、人生を歩んだファニー・クロスビー ・・・ 彼女の作詞した讃美歌に心の慰めを得ている人の数は、神様のほかには誰も数えることができないことでしょう。

 逆境を逆境としないで生きる ・・・ なかなかできないことですが、そういう力を与えてくださる存在を信じて受け入れることができたとき、人はどんなことができるのかを示す実例がここにあります。

 ファニー・クロスビーの眠る場所には次のように彫られた小さな石板があるそうです。

 ファニーおばさん

 ファニー・J・クロスビー

 力のかぎりをつくして生きた

 今日も、力を出して、歩むことができますように。 

【参考にした文献】 『魂のうた ゴスペル ー信仰と歌に生きた人々ー』チェット・ヘイガン著・椋田直子(むくだ なおこ) 訳  音楽之友社1997年9月10日 第一刷発行 

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コメント

 素晴らしいお証しですね。私にはとても真似できないと思います。
 最近秋葉原で残虐な殺人事件が有りましたが、犯人の青年は、俺がこんなになったのは、全部まわりが悪いからだ、というようなことを言っていました。まわりが悪ければ、どんなことをしてもいいのか?と考えるのが普通でしょうけど、評論家の中にはこのように考える若者はたくさんいて今後も同様な事件が起こるだろうと言っている人もいます。
 重要なのは何が起こったかではなく、その出来事にどんな意味を見出すかだ、という言葉を聞いたことがあります。後ろ向きな思考が、後ろ向きな人生をつくっていく事を肝に銘じ、自らの人生を反省したいおもいです。

投稿: 小島 | 2008年6月19日 (木) 01時01分

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