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2008年8月 5日 (火)

松尾芭蕉と鵜飼

 金華山と長良川という取り合わせは、岐阜市が全国に胸を張ってよい景観だと思います。

 人口四十万の都市を流れる川が、鮎がはねるほど水がきれいで、その川に斎藤道三、織田信長、木下籐吉郎など歴史上の人物に関わりのある岐阜城が建てられていた金華山が姿を映しているのですから。

 そういう舞台で、宮内庁式部職に任じられている鵜匠たちが巧みに鵜を操り鵜飼を披露するのです。それを照らすかがり火のあでやかなこと。

 さて、以下は『芭蕉と岐阜・大垣』(大野国士著・まつお出版。1993年7月1日第1刷発行)を参照させていただきました。

 俳人、松尾芭蕉は、貞享5年(1686年)6月に岐阜を訪れ、鵜飼を鑑賞し、次の俳句を詠みました。

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな

 この句は、謡曲「鵜飼」を踏まえているのだそうです。

 謡曲「鵜飼」

 甲斐の石和(いさわ)川で、そこが殺生禁断の場所とも知らずに鵜使いをして殺されてしまった老人の亡霊が、行脚の僧に罪障懺悔(ざいしょうざんげ)のために鵜を使った漁をみせてくれるというのであるが、鵜が魚を獲る様子のおもしろさと、やがて、月が出たために悲しくも冥土へ帰って行かねばならない哀愁とが対比されている。

 ◇ なにか、サラリーマンが、給料袋を手にして喜び、けれど、それもつかの間で、鵜が鵜匠に鮎をはき出させられてしまうのと似た身の上 ・・・ というような思いをこの俳句と重ね合わせることがありがちですが、芭蕉は謡曲のことを下地にしてもっと深い境地を詠んでいたことを知り、さすが、と今さらのように思いました。

 最初に書いたすばらしい景観を生かして、花火大会が催されたので、改めてブログで鵜飼のことを書かせていただきました。チャップリンも3回でしたか、鵜飼を見に来たそうです。よほど気にいったのではないでしょうか。

 今日も、よい日となりますように。

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