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2008年8月15日 (金)

詩人 茨木のり子 ーその1ー

 来週、中学校の国語科の先生たちにお話しする機会をいただいています。

 せっかくですから、私の個人的な懐旧談に終わらないよう、自分が燃えて、そして先生方とともに燃える時間としたいと準備を進めています。

 当日は、私が出会って「おお、そんな読みをしたのか」と感動させられた生徒のことなどを中心に、国語の力を育て合う魅力ある教室をどのように創り出し続けるかを先生方と一緒に考え、光の見える会にしたいと願っています。

 一方的でなく、双方向、もっと申しますと参会した方々の間で国語教育を正面に据えて深め合えたらいいな ・・・ と思いますが、あまり欲ばると何も出来ないことになるので、よく煮詰めて臨みますね。

 前置きが長くなりましたが、その会で、どなたかに詩を朗読していただきたいと思い、久しぶりに詩集をひもといていましたら、次の詩に出会いました。

 国語の研究会に、詩が朗読される ・・・ これは、なかなかいいではありませんか。

その詩をご紹介して、今日のブログとしたいと思います。

 「汲む」   茨木のり子

      ー Y.Y  に ー

  大人になるというのは

    すれっからしになることだと

  思い込んでいた少女の頃

  立ち居振舞の美しい
 
  発音の正確な

  素敵な女のひとと会いました

  そのひとは私の背のびを見すかしたように

  なにげない話に言いました

  初々しさが大切なの

  人に対しても世の中に対しても

  人を人ともおもわなくなったとき

  堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

  私はどきんとし

 そして深く悟りました

 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子どもの悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外に向かってひらかれるのこそ難しい

 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 揮える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・

 わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

◇ いかがでしょうか。明日、もう一つ同じ詩人の詩を紹介させていただきます。私の精神的な贅肉をふるわせるような、鋭くも厳しい詩なのですけれど。

 今日も、よい日となりますように。

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