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2008年8月 2日 (土)

息から始まる声の表情

 『声の力』(岩波書店 2002年4月22日 第1刷発行)という本に今日の見出しのことばの章があります。著者は、河合隼雄、阪田寛夫、谷川俊太郎、池田直樹の四人で、それぞれが書いた章と四人で対談していている章から構成されています。

 以下は、四人の対談の中で声楽家の池田直樹さんが語っておられた内容で、私が特にに惹かれたところです。

  ◇   □   ○   ☆   ※   ☆   ○    □    ◇

 1980年から1年間、文化庁の派遣でミュンヘンで勉強させていただいたことがありました。そのときにハンス・ホッターという世界的なバス歌手に1年間ついたんです。ハンス・ホッターの演奏そのものが好きで、彼のところへ行ったのですが、レッスンを受けてみると、とにかく四小節も歌わせてくれない。怒るんです。ワーグナーの「マイスタージンガー」の中にある「なんとニワトコの花の香りが甘く漂っていることか」というアリアを歌っていたときのことですが、私が歌うと、ふた言、み言でもう怒るわけです。まにがいけないの、どこが?ちゃんと楽譜どおり歌ってるじゃない、と思うんですが、もう一回、もう一回と言って、ちっともなちがいけないか教えてくれないんです。

 ほんとに困っていたら歌って聴かせてくれました。そのとき、ホッターが歌ったのを聴いて感動したんじゃなくて、歌う前に息を吸ったのを見て感動したんです。歌を歌う前のその瞬間、ほんとにホッターがニワトコの花の香りを嗅いだように見えたんです。

 ホッターはそれをそうとは説明してくれなかったんですよ。歌う前に白い息を吸わない。つまり怒る歌を歌うときには必ずその前に怒る息が入って歌い出す。笑うときには笑う息が入って歌い出す。悲しいときには悲しい息が入って、その悲しい歌が始まる。白い息が入って、声が出た瞬間から表情が始まるのではないというのを知ったのは、ホッターのそのレッスンのときです。それはもうほんとに衝撃的でした。

    ◇   □   ○   ☆   ※   ☆   ○    □    ◇

 以前に、「春の海」をヴァイオリンとピアノで演奏されるときに、ピアニストが弾き始める前に瞑想され、その瞬間、譜めくりの役目でそばにいた私は、確かに波の音が聴こえたという経験をしました。

 秀でた演奏家の場合には、音だけでなく、香りについてもそうした深いイメージの世界が事前にその魂の世界に描かれるのですね。すごいことだと頭がさがる思いがいたします。もっとも、そういう奥の深い世界だからこそ、取り組み続ける値打ちもあるのですけれど。

 今日も、よい日となりますように。

 

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