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2008年9月30日 (火)

脳の血のめぐりをよくする

 先日、ご紹介したフレディ松川さん(医学博士・湘南長寿園病院院長)の著書『60歳でボケる人 80歳でボケない人』に、脳につねに血液が十分に流れ込んでいれば、ボケないと書かれていました。

 そして脳に血液がより多く流れる時を例として10項目挙げられています。今日は、それを紹介させていただきますね。

 ご自分には関係ないとお思いの方は、ここまでで読むのをやめて、味覚の秋など、いろいろな秋をその時間でお楽しみくださいますように(^o^)

1.天気のよい朝に散歩をしている時

2.料理や好きな趣味に打ち込んでいる時

3.楽器の練習に夢中の時

4.会話がはずんでいる時

5.競馬などで推理を働かせている時

6.お金の計算を暗算でしている時

7.手紙を書いている時

8.ゲームや囲碁、将棋をしている時

9.声を出して、文章を読んでいる時

10.旅行先で昔を回想している時

 だそうです。

 全部を網羅する必要はないようですが、たとえば、料理は頭を使い、手足を働かせるので、男性も得意料理をいくつか持つとよいこと、女性ならば30種類以上のレパートリーを持つとよいことなどが書かれています。

 30種類の数え方はシビアで、例えば鰯を焼く、鯖を焼く、鮭を焼く、サンマを焼く・・・ これは、1種類と数えます 

 私は、一度覚えたギョウザの包み方を思い出したいと思います。具を作るところから始めたほうがよいのでしょうね。

 今日も、頭の血のめぐりのよい、よい日となりますように。・・・9月のフィナーレですね。今日、お誕生日の方、おめでとうございます。 (・・・身内に該当者がいるものですから)

4.会話がはずむ

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2008年9月29日 (月)

千住 明 『音楽の扉』

 バイオリニスト千住真理子さんが12歳でデビューしてから、約25年間、二人の兄、千住博さんと千住明さんは「千住真理子さんのお兄さん」と呼ばれることが多かったそうです。

 千住博さんが日本画家、千住明さんが作曲家として確かな業績を築かれるようになってからは「千住三兄弟」と呼ばれるようになったとのこと。

 『音楽の扉』千住明 著 時事通信社 2003年3月1日 第1刷発行 には、上記のような文章が見られます。

 でも、千住明さんにとって、自分の曲に千住真理子さんを登場させるのは、最後の切り札であって、簡単には登場させないとっておきの存在なのだとも書かれています。

 この書の中で、次の文章がとくに印象的でした。

 「ぼくの目指しているのは人の心をえぐるような音楽、例えば傷ついている人を癒すのではなくその人と一緒に祈る音楽である。」

 お父さんは「人生はロングレース。空いている列車に乗れ」と語ったそうで、それを受けて作曲家としての道を志し、歩んできた千住明さんのこの書は、次の言葉で結ばれています。

   明日生まれる音楽と真摯に向き合いたい

      いつも孤高の鳥でいたい。

      いつも挑戦者でありたい。

  前向きに創造的な生き方、仕事をする人の厳しさ、構えが伝わってきますね。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月28日 (日)

手すり

 高齢の方をお迎えする機会があって、老化に・・・いえ、廊下に手すりをつけました。

 これが、なかなか難しくて、取り付け金具を別のタイプにしようということになって改めて購入に行くなど、普段物作りに慣れている人と、そうでない私のような人とは、こういうところで大きな違いが出るように思います。

 ふと思い出したのが、高校時代に、高山の実家の一帯で、有線放送を設置したときのことです。

 配線にやってきたのはご近所の方でした。無事に線を引き込み、開通の試験も無事終わったのです・・・その後で、線を引くときに活用したはしごの中を線が通っていることが明らかになりました。

 両端が我が家と隣の家にしっかりと接続された線がはしごの最上段のますと申しますか、□の中を通っているのは、ちょうど物干し竿に袖を通した浴衣のような状態に似ていました。

 「いつか線をはずすときに役に立つだろうから、はしごはそのときのために置いておけ」とか「はしごを切ったらどうや」などと言う人もいましたが、それは、そのはしごの持ち主ではありませんでしたので、却下されました。 

 苦労して工事してくださった方は、はしごを持って右往左往されましたが、結局、いったん取り付けた線をはずして、はしごを救出し、改めて線を接続し直し、もう一度開通試験をして、工事が終了しました。めでたし、めでたし。

 さて、手すりの取り付けは、会心のできとはいきませんが、実用には足りるとのことで、これもまずは、めでたしめでたし。

 なんにしても、実際に取り組んでみると、最初の予測とは異なることが起こるので、下準備や習熟などの大切さを改めて思いました。

 我が家に来てくださる方は、廊下の手すりを見ても、あまりさわらないようにしてください。ましてや、取り付けねじの具合をしげしげと見ないでください。それを武士の情けと申します。

 今日は日曜日 ・・・ お近くにキリスト教会がありましたら、聖書に基づくメッセージを聴きにお出かけいただけると嬉しく存じます。 私の手すりよりはるかに確かな人生の手すりに出会うことが出来ることと思います。 

 よき日となりますように。

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2008年9月27日 (土)

詩 「ぶどうの村」 

長年の友人が「心に沁みたから」と、次の詩を紹介してくださいました。

 私も、この季節らしいよい詩だと思いましたので、作者と友人に感謝しつつ紹介させていただきます。声に出して読んでいただくと、上質のワインのように味わえるかもしれません。

      ◇  ○  ☆  ※  □  ※  ☆  ○  ◇

          ぶどうの村    新川和江

  九月になると
  村ぜんたいが熟れてゆきます
  棚の下に
  ずっしりと重たくぶらさがる房は
  ひとつぶ ひとつぶが
  つぶらな 賢い瞳(め)のようです
 
  瞳(め)たちは見交わしあったのです
  天においでのあのお方と
  そうして優しくうなずきあったのです
  ひとつとして
  あのお方に見落とされることなく

  このわたくしにも
  まなざしを どうぞお注ぎください
  こころとからだを
  芳醇に醸(かも)させてください
  ぶどうの葉越しに祈りつつ見あげる
  九月の空

      ◇  ○  ☆  ※  □  ※  ☆  ○  ◇

 「長月」といわれる九月もあとしばらくとなりましたね。

 今日もよき日となりますように。

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2008年9月26日 (金)

映画「ベン・ハー」

 先日、テレビで「ベン・ハー」を放送していました。封切られたときに映画館で観て以来、何回か観たことがあり、大作なので、今回はかいつまんで観たのですが、記憶にある以上にイエス・キリストが大きく登場していることに今回、気がつきました。

 原作者は、神がいないことを証明しようと意気込んでスタートしたのだそうですが、聖書を初め、いろいろな書物、歴史書などを調べていく内に、神がいることを確信するようになりました。

 作者のその歩みを反映して、復讐心に燃えていたベン・ハーは神を信じ、愛に生きる人へと変えられていきます。

 聖書の最初の巻、創世記の冒頭は次の言葉で始まっています。

初めに、神が天と地を創造した。

 これが聖書に記され、あかしされている神です。この世を、そして人をも創造されました。

 人に作られた神ではなく、人をも創造された神なのです。

 ベン・ハーの原作者のように、「神などいるはずがない」というところから出発なさってよいのです。真剣に神様が実在するかどうかという問いに、人生をかけて向き合ってみませんか。

 聖書は、「創世記」から始まって、「ヨハネの黙示録」まで、66巻の書物からなっています。キリストが誕生する以前に書かれた39巻の旧約聖書と、 キリストが誕生してから以後に書かれた27巻の新約聖書。合計66巻です。ご存じのように紀元前と紀元後は次のように分けられています。

  紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と略して記されます。B.C.は英語の Before Christ で「キリスト以前」の意味。A.D.はラテン語の Anno Domini で「主の年」の意味です。つまり西暦は、 キリストであるイエスの誕生年を基準にしているわけです。 ーインターネット上の辞書Wikipediaより ー

 映画「ベン・ハー」から書き始めて、つい熱が入りましたが、どの人の人生にとっても、神がいるのかどうかという問いと真剣に向き合うことはたいへん重要だと私は考えています。

 今日もよい日となりますように。

 

 

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2008年9月25日 (木)

アルツハイマー型認知症と生活習慣病

 郷里の高山市に行って、体の空いた時間に身内のパソコンの整備を手伝いました。パソコン自身が作業を進めている間、手持ちぶさたになったので書棚に目をやると、こんな本が目に止まりました。

 『60歳でボケる人 80歳でボケない人』 医学博士・湘南長寿園院長 フレディ松川 著 集英社文庫 2005年4月25日 第一刷 495円+税

 この本の中では、アルツハイマー型認知症のことをボケと書くことにされています。以下は、この本からの引用です。

1.ある調査によると85歳以上の高齢者の25%から35%がボケると言われている

2.その原因を探ると、原因はひとつではなく、いくつかの要素がからみあっている

3.そうしたいくつかの要素の中に「生活習慣病」と同じ要素がからみあっていることが最近明らかになり、医学界で話題になっている

「生活習慣病の原因」

・血圧が高い

・肥満

・食事が不規則、脂肪分のとりすぎ

・運動不足(散歩やラジオ体操などをしていれば、この項目は合格)

・過度の飲酒

・喫煙

・糖尿病か、その予備軍

 以上、七つの内二つ以上の要因がある人は、生活習慣病となりやすく、そしてボケやすい

 ※  ※  ※  ◇  ○  ☆  □  ☆  ○ ※ ※ ※

 いかがでしょうか。

 著者は上記に続けて「体に悪いことは脳にも悪いと覚えておくとよい」と書いています。

 ただし、急激に、きつい運動を始めることなどは危険とのことです。

 私は、飲酒は、宴会のあるときだけ ・・・ ここ1年はそういう機会がめっきり減って10回ほどでしょうか。そして、タバコは最初の一本に手を出さないことにしていましたので、自分では一本も喫したことはありません。(受動喫煙のきつい職場にいたことはあります)

 けれど、前半の四つについては、最近、だいぶん改善されては来ましたが、まだまだ良好とは言いがたいところがあります。

 長年かかって増えた体重は、同じほどの年数をかけて減らせばいいという考えで、息長く取り組んでいこうと思います。

 このブログを読んでくださっている方には、この記事は私には関係ないと思ってくださる方が多いかも知れませんね。

 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2008年9月24日 (水)

芸術の秋

 秋分の日、岐阜県美術館に出展している友人から案内の葉書をもらったので、隣接の県図書館にも行きたくて、出かけていきました。

 友人は、木版画を三点、出品していました。丁寧に精魂込めて仕上げたことが伝わってくる美しいたたずまいの作品でした。

 彼が指導を受けた美術の先生は、飛騨の版画界に大きな足跡を刻まれた方で、私も教わったのですが、私の場合は版画の世界の深みに到達するどころか、入り口から数歩入ったとも言えないところで終わっています。もともとの素質の違いというのは大きな違いをもたらすものですね。

 ねたみは、人をひきさげようとするから醜いが、羨望は人を讃え、その高みに自分も近づきたいとの憧れだから、いい ・・・ そんなことばを読んだことがあります。

  ぼくの盃は小さいが ぼくの盃で飲むのです ・・・ ジョルジュサンドやショパンたちと同じ絵に描かれている詩人のことばです。

 うらやまず、卑屈にならず、自分に与えられている賜物をたいせつにし、誇りをもって歩んでいきたいと思います。

 芸術の秋 ・・・ よい芸術作品にふれる機会を積極的に創り出したいと願っています。 思いがけず虹を空に発見するというような出会いもありますけれど。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月23日 (火)

稲刈り

 ふるさと、高山(たかやま)に行って来ました。近郊では稲刈りが進みつつありました。刈り取った稲は、下の写真のように、「はさ」に架けてしばらく乾燥されます。

 このことに関わって、ある方から教わったことばを思い出しました。長年、農業に携わってこられた方です。

Photo

 こういう状態にしておくと一粒一粒のお米がふくらんでくるのだそうです。それは、わらとなる部分から栄養分が送り込まれるからだとその方はおっしゃいました。それをさして「どうばり」というのだそうです。多分「胴張り」と書くのではないかとのことでした。

 刈り取られてもなお、力を尽くして子どもに養分を送り込もうとする稲 ・・・ 私はそこに人間の親心と通ずるものを見た思いになり、感動しました。

 今日もよい日となりますように。

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2008年9月22日 (月)

詩 「果物」

 引き続き、八木重吉の秋の詩を、掲載させていただきます。

果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい

 うーん、そういうものだなあと感じてしまいます。

 コメントはないほうがいいですね。 

 それでは、今日もよい日となりますように。

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2008年9月21日 (日)

八木重吉の詩

 八木重吉は、1898年(明治31年)に生まれ、1927年(昭和2年)に30歳でこの世を去ったクリスチャンの詩人です。以前にもブログで紹介させていただいたことがありますが、文芸の秋ということで、再び書かせていただきます。

素朴な琴 八木重吉

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね(て)
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 今日は日曜日、キリスト教会では、聖書に基づくメッセージが語られます。

よい日となりますように。

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2008年9月20日 (土)

人を良くする=「食」のはずなのに

 「食」という漢字は「人」「良」 ・・・ それで、食べ物は人を良くする というふうに説明されることがあります。

 それなのに、健康被害は今のところ出ていないと説明されていますが、事故米が流通してコンビニのおにぎり、いろいろなところでの給食などに使用されてしまったというのです。

 今回の事故米が食用に使われたということ、そのおおもとに「食べ物は命を養っている」というという基本的な大原則を踏みにじって、利に走った人がいるのは許されることでしょうか。信頼を裏切る商売をした人もいるようです。

 水俣病がまだ明らかになっていないとき、体調が悪くなった子どもに、親が栄養をつけさせようとの親心から、それと知らずに有機第2水銀で汚染された魚を食べさせ続けていたという悲劇がありました。この原因となった企業は今、責任を果たしつつありますが、多くの人から健康で幸せな生活を送る人生を奪ってしまったことを償いきれるものではないと思います。

 今回のことも、大臣の辞職で解決できることではないと思います。

 食べることに関してだけでなく、社会保険庁の管轄である年金のことも、医療保険の先行きも、政治不信の材料です。

 目先の経済優先で進んできた国策、その経済も心配な状況に直面しています。いったい、何が残されているのでしょうか。

 たくさんの不正が明らかになることは、正しく、ひたむきに歩んでいる人が多いということを示すことでもあります。ですから、私は希望を失っていませんし、厭世観も抱きません。

 「米百俵の精神」 これを過去の美談やかけ声だけに終わらせないで、将来的な展望をもって子どもを本当に大事に育てることに力を入れる国でありたいと思います。大人が真剣に生きる姿を示さずに、子どもはまっすぐに育つことは至難のことです。いえ、ほとんど不可能でしょう。 

 利に走らず、時代を受け継ぐ子どもたちにすべての大人が最善のものを贈ろうと力を合わせること ・・・ そういう国になっていけたらと願います。

 台風の時も、太陽は雲の上で輝いています。 今日も、よい日となりますように。

 

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2008年9月19日 (金)

天使の羽の色

 妹の一人が、「天使の羽根は白だけではなく、赤や黒の絵も見かけるけれど、どう考えたらいいの?」との問いを抱きました。

 先日、岐阜県の美術館長さん ・・・ 古川さんとおっしゃいます・・・ の講演を家内が聴く機会があったので、できたら質問を、と送り出しました。

 幸い、時間をとっていただけ、答えが即座に返ってきたそうです。

 「天使に直接出会う機会を得る人は、なかなかいない。つまり、見た人がほとんどいないので、天使の羽をどんな形、どんな色にするかは、画家にとってイメージの描きどころ、腕の見せどころということになるのです。ちなみに、サンマルコ寺院には、極彩色の天使が描かれています。鳥の羽根にもいろいろな色があるので、天使の羽にもいろいろな色があっていいのではないでしょうか。」

 家内がうかがったお話を又聞きしたので、少し意訳してしまったかも知れませんが、およそ以上のようなお答えだったそうです。

 何事に寄らず、その道の専門家のお話が伺えるのは、目が開かれる思いがして嬉しいことですね。

  Photoちょうど、空を見上げたら、何だか、天使がつばさを軽やかに広げたような雲が浮かんでおりました。

  今日も、よい日となりますように。

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2008年9月18日 (木)

嬉しい握手

 以前勤めた学校の校区を夕方、歩いていましたら、向こうから来た男の子がとても懐かしがってくれました。

 「今年は運動会の応援リーダーになりました」と話し、「握手をしてください」と元気に手を差し出してくれました。胸には、赤色のホイッスルが誇らしげに下がっておりました。

 それだけの会話でしたけれど、こうしてブログを書いている今も胸の奥がほっかりとあたたかく感じます。

 その子に会う前に、楽器店で展示してあるグランドピアノを弾かせてもらいました。それと、その後、会議をした店にも、蔵を生かして作ったらしい落ち着いた部屋の中にすてきなピアノがあったので、会議の後、これも弾かせていただきました。

 欲張りというか、多くのピアノとお近づきになりたいという気持ちがあるのですね。

 二つのピアノで弾いた曲を並べてみると、「里の秋」、「枯れ葉」、「愛の讃歌」、「秋桜」、「花嫁人形」、「シェルブールの雨傘」だったと思います。 どちらも手入れがよくされていて、私の演奏はともかく、綺麗な音色で歌ってくれました。  うーむ、芸術の秋が近づいていますね。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月17日 (水)

音楽療法の講座 その16

 児童の音楽療法 その3 を受講しました。

 音楽療法のプログラムを立てるとき、個別かグループか 部屋の設定はどうか 時間の長さは何分にするのか 知っている曲や初めての曲それぞれの活用法は 楽器で伴奏するのか、CDをかけて活動するのか などなどを教えていただきました。

 カスタネット、いろいろなドラム、こきりこなどを用いて、椅子に座って活動する場合、立って活動する場合などなど、実際にグループを組んで実体験して学びました。

 楽器も、セラピストが配る場合、各自に選択させる場合、机の上に置いておいて自由にとらせる場合などなど、目的、意図によっていろいろなヴァリエーションがあることも分かりました。

 9月16日、16回目の講座、そして空には十六夜(いざよい)の月、と16尽くしとなりました。

 志を同じくする人たちと楽しく学べることがありがたいです。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 

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2008年9月16日 (火)

稲刈り、間近

 田に案山子の姿が見られるようになりました。間もなく稲刈りの季節なのですね。

 稲刈りで、思い出したことがあります。

 母は保母をしていました。(今は保育士というのですね。)保育園の休み時間に、園庭の近くを耕耘機が通りかかりました。刈ったばかりの稲を満載していたのを見たかったのでしょうか。園児がその耕耘機に走り寄ったそうです。

 耕耘機を運転していた人が気づいて止まってくださったのですが、そのとき、園児の足は、車輪の下敷きになっていたとのことです。

 耕耘機は、エンストし、その車輪の下に園児の足がある ・・・ 急いで駆けつけた母が耕耘機を持ち上げようとすると ・・・ 何と車輪が浮いて、その間に園児の足を抜くことができたそうです。

 お医者さんに診ていただきましたが、幸い、その子の足は無傷で、何の損傷もありませんでした。

 その日の夕方、稲束をおろした耕耘機を見かけた母が、もう一度持ち上げようとしたそうですが、持ち上がらなかったとのことでした。

 火事場の力持ち、というのでしょうか。私も、たとえば、女の先生が両手で渾身の力を込めても動かなかったガラス戸を片手でひょいと閉めるほどの力の持ち主でしたが、このときの母には遠く及びません。

 ふるさと高山市で健在の母です。昨日の敬老の日には電話しませんでした。年寄り扱いすることになりそうで ・・・ 広島の海で泳いで育った母は、60代になっても、市民プールで合計何百メートルかを楽しんで泳いでいました。下旬には、顔を見てこようと思っています。私が今日あるのも、元気でいつも祈ってくれている母あればこそと感謝しています。

聖書のことば  申命記 5章16節

あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月15日 (月)

おおぜいの力で

 私のお世話になっているキリスト教会のすぐそばに農業用の池があり、睡蓮が咲くと、画家のモネが「ぜひ、描かせてください」とやってくるのではないかと思えるほど、景観のよいところです。

 ところが、その池のほとりの松が、マツクイムシでしょうか、その被害にあって、あれよあれよという間に枯れてしまいました。松は長寿といわれますが、マツクイムシの猛威は激しいものですね。

 池にかなり張り出しているその松を、幹や枝などにロープを結んでおいて、少しずつ伐りました。木に登ってロープを結び、のこぎりで伐る ・・・ これは、体全体の筋肉を使う仕事だと、体験してみて分かりました。

 これを何日か続けると、筋肉質の体型になれるかもしてません。でも、少し立ち枯れしながらも、私の体重を支えてくれる松の木のけなげさあってのことですから、少し、複雑な感慨が湧いてきます。

 さて、ギーコギーコとのこぎりで伐り、ミキミキーッ(幹を伐ると、終わりごろにはこういう音がします) ・・・  そうすると、ロープをたくさんの方が引っ張って、伐られた部分が池に落ちないようにしながらたぐり寄せてくださいました。

 そのたのもしさ ・・・ そうです、あの「大きなかぶ」のお話をほうふつとさせる光景でした。おおぜいで力を合わせるって、心強く、ほんとうにうれしいことですね。

 長寿といえば、今日は敬老の日 ・・・ お年寄り、そして若い方、お年寄りになりかけの方が力を合わせて楽しく暮らせますように。

 聖書のことば 箴言 17章 1節

平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。

 リビングバイブルという分かりやすく意訳した聖書では、同じ箇所が次のように訳されています。

けんかしながら毎日ビフテキをぱくつくより、冷や飯を仲よく食べるほうがましです。

 よい日となりますように。 

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2008年9月14日 (日)

動物の気持ち

 聖書を少しずつひもとくメッセージをメールマガジンで送り続けてくださる牧師さんたちがいます。

 今日は日曜日でもありますので、その一つ、関根一夫という牧師さんの「箴言」からのメッセージをご紹介します。この牧師さんは、ホームページもおもちです。作曲もなさって、幅広い活動を続けておられます。

 よき日曜日となりますように。

【癒す言葉:箴言 12章10節】
神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情
すら残酷だ。
+++
 ペットは日本語では愛玩動物と言われていますので、ほとんどおもちゃのような取り扱われ方をしていますが、それでも「彼らの求め」よりも飼い主の思惑ばかりが優先していることがあるようです。

 「神に従う人は家畜の求めるものすら知っている」とは、思いやりが人々に対するばかりでなく、家畜にまで及ぶ人たちがいることを教えています。当時のことですから、犬や猫のことというより牛や馬のことだったと思いますが、自分たちの生活の延長線上に家畜のいのちと生活環境への配慮を持っていたのです。

 最近、ペットを捨てる人たちが増えていると言われています。いろいろな事情があるのでしょうが、出来ることなら、死ぬまでケアして欲しいものです。
 私のところにいる犬はビーグル犬ですが、前の飼い主に捨てられ、処分される2日前に救出されて、私たちのところに身請けされました。 来たばかりの頃の怯え方、人への不信感、食べ物への執着、落ち着きのなさは、自分の求めがことごとく拒否されてきたことで身についてしまった犬のそれだったように思います。2年半経って、ずいぶん穏やかで、人なつっこい、どこにでも安心して寝そべる犬になりました。

 犬も猫も馬も牛もしゃべりませんから、何を求めているのか、その表情や仕草を日常的に確認しながら考え出さなければなりません。
それには忍耐とか思いやりとか、寛容さが必要です。

 先日、ある小学校で4年生全体100名以上の子供たちにお話をする機会がありました。そこで私は質問しました。「あなたが自分の家のペットになったつもりで考えてみてください。病気になったり、おじいさんやおばあさんになったとしたら、家の飼い主にどのように取り扱われたいですか?」「もう役に立たないから捨ててしまおうって言われたいですか? 」「この犬は長く飼っていたけれど、病気になったからエサもあげずに、早く殺してしまおうって言われたいですか?」

 小学4年生の子供たちは、「せっかくかわいがっていたペットなのだから、最後まで大切にして欲しい」「捨てられたり殺されたりするのはいやです」と答えてくれました。
  まだまだ希望があると感じました。祝福がありますように。 

 牧師  関根一夫

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2008年9月13日 (土)

若さって、すばらしい

 大学での昼休みに、練習室を借りてピアノの練習をすることがあります。

 12日の昼、卒業後の進路が開けるようにと相談に乗ったことのある男子学生に練習室への途上で出会い、これ幸いと、彼が鋭意練習中のピアノ曲を弾いてもらいました。

 ベートーベンのピアノソナタ、「ワルドシュタイン」 ・・・ CDで聴いたことはあるのですが、生の演奏を、それもたった一人の聴衆として聴くことができ、たいへん幸せな時間でした。

 指の動き、ダイナミックな音の響き、大曲の構成をつかんでの表現とエネルギーの持続 ・・・ 若々しく力強い演奏でした。それを楽譜を見ないで、つまり、完全なる暗譜で彼は聴かせてくれたのでした。

 私の年齢の1/3 ・・・ その若さはすばらしい可能性をまだまだ秘めています。

 彼が展開してくれた若々しい演奏は、」私が逆立ちしても及ぶべくもありませんが、私なりの若さを燃え立たせてくれました。

 夕方、ある施設を訪問して、長年の友人にピアノを聴いてもらいました。その人もクリスチャンですので、讃美歌を数曲 ・・・ 喜んでもらえたのが伝わってきて嬉しく思い、また励まされました。

 おりから、33度を記録する残暑 ・・・ 暑さに負けぬ熱き心で励みたいと思います。

 今日もよい日となりますように。 

 

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2008年9月12日 (金)

茨木のり子さんの詩 

    九月のうた            茨木のり子

 のびきった マカロニのような

              夏とも

           もうお別れ

星宿りという すてきな木の名を

       教えてくれたひととも

       もうお別れ

こどもたちは  こんがり焼けた

        プチ・パンになって

  熱い竈(かまど)をとびだしてゆく

思えば幼い頃の宿題は易しかった

            人生の宿題の

          重たさにくらべたら

    ◇   ○   ☆   □   ※   □   ☆   ○   ◇

 Photo

  昨日に続いて、大学2年生の実習先の学校を訪問しましたら、校長先生がこんな話をしてくださいました。

「うちの学校の子どもたちは、あいさつに弱さがあるので、何か力添えをしてくれると有り難いと学生さんたちに話したら、子どもたちが登校し始める朝の7時半には来ていてあいさつの声を掛けている学生さんがいるんです。」

  いいお話を聞くことができて、嬉しい日になりました。

♪ 「若者たち」

         藤田敏雄作詞・佐藤勝作曲

君の行(ゆ)く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで

   君のあの人は 今はもういない
   だのになぜ なにを探して
   君は行くのか
   あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽
(ひ)がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる

  空にまた 陽がのぼるとき
  若者はまた
  歩きはじめる

※ 私自身が教育実習を終えるとき、当時よく歌われていたこの歌を子どもたちと歌って別れました。40年ほど前のことです。そのころは、管弦楽団に所属して練習していたので、トランペットの音色も少しはつやがあり、伸びたように思います。

 世代交代を感じつつも、よき若者たちにバトンを渡せる幸せを喜んでいます。

 うーん、久しぶりにトランペットを手にしたくなりました ・・・ いえ、はた迷惑だから、やはりピアノにしておきましょう。

 今日も、よき日となりますように。

 

  

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2008年9月11日 (木)

実のなる木

 今週、岐阜市内の1/3の小学校で、岐阜大学の2年生が一週間の教育実習をさせていただいています。

 訪問して様子を見ると、背の高い男子学生がさっとしゃがんで低学年の子の目線の高さになって会話をする光景がありました。

 おお、とっさにそれができるとは ・・・ いいぞ、いいぞ と嬉しくなりました。 子どもたちの名前も一生懸命に覚えている姿がありました。

 いまどきの若者たち、なかなか頼もしいなと思います。

 ある小学校では、実のなる木が植えられていて、ちょうどたくさんの実をつけていました。

Photo Photo_2   左が栃の木、右がナツメです。

 トチの実が見えにくいかと思いますが、なかなか風情があります。実のなる木もいいものですね。

 花も実もあるというのが、いちばんよいでしょうか。(欲張り・・・)

 いえ、目立たなくても花が咲くからこそ、実がなるのですから、花も実もちゃんとあるわけですね。 でも、いちじくは無花果と書かれますから、どうなのでしょう ・・・ 調べなくては ・・・

 ナツメの実は、ふるさと飛騨では、そのまま食べたり、砂糖醤油で煮たりします。成長期にナツメを食べると花粉症にならないと耳にすることがあります。私の家族では、飛騨で育った私だけが花粉症と無縁ですので、、私が花粉症になるまではその説を認めることにしています。

 さて、残暑はあるものの、実りの秋も着実に近づいています。

 来るべき秋が、皆様の人生においても、よき実りをもたらしますように。

Photo_3  アメリカで同時多発テロが起こったのが2001年の9月11日でした。それが起こる前の夏休みに小学5年生の女の子が左の詩を書きました。テロ事件の後だったら、この詩は書かれなかったことでしょう。

  けれど、逆に、大きなテロ事件も、この詩を消すことはできないのです。 私は、どんな強力な武器、軍隊よりも、子どもたちに、そして教育に平和をもたらす望みをいだいています。

 今日がよい日になり、そしてそれに続くよりよい明日がやってきますように。

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2008年9月10日 (水)

音楽療法の講座 その15

「児童の音楽療法」その2 を受講しました。

今回の講座の目的 「音楽療法で的確な支援をおこなうために児童の姿をどうとらえるかを把握する」

 二つのことばが心に残りました。

◇ 私たちも、すべてのことが完全に出来るわけではなく、苦手なことは人に助けてもらっている。 障がい者を特別な人と見ないで、自分と同じ、一人の人としてとらえることが、まず大切

◇ こちらの理解が正しいか、意図は適切か、プログラム、働きかけ、選んだ曲はふさわしいものであるか ・・・ その答えはすべて対象者が示してくれる

 熱心に多方面にわたって実践を重ねてこられた講師さんのことばですから、説得力を備えていました。

 上記のことは、音楽療法という枠を越えて通用する真理だと思います。

 このほか、音楽を用いてどのような意図でどんな活動をするとよいかを,具体的に体験させていただきました。感謝です。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月 9日 (火)

重陽の節句

 元旦、ひな祭り、子どもの日、七夕など、月と日の数字がそろう日を節句というようです。

 9並びの今日は、中国では重陽の節句を祝うようです。

 私の孫娘が5月5日、その上の孫娘が7月7日生まれです。親戚の好青年には6月6日生まれ、通っている教会に9月9日生まれの青年がいます。1月1日生まれの中学校の同窓生、3月3日生まれの教え子・・・こうなると、すべての節句生まれの人をそろえたくなります。

 ・・・でも、落ち着いて考えてみると、別にトランプの上がりのためにカードをそろえているわけでもないので、どの誕生日の方も大切にする本筋に立ち返ることにいたしましょう。どなた様も誕生日、おめでとうございます。

 昨日は、刀鍛冶が健在の、刃物の町、関市のパン屋さんに行ってきました。以前にも紹介させていただきましたが、ふらんすで修行され、アニメ映画「魔女の宅急便」に出てくるパン屋さんを模して作られたすてきなパン屋さんです。

Photo Photo_2 左が人気の高い野菜たっぷりの「ホカッチャ」(たしか265円)、右が「プレッツェル」・・・お祈りの時の手をかたどっているのだとか ・・・

 こうしたパンを時には食べながら、魂の糧としての聖書もたいせつにしたいと願っています。 No bible No bread  ・・・ 聖書読まずにパンだけ食べるな とでも訳せばいいでしょうか。 

聖書のことば  マタイによる福音書 第4章 4節

『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』

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2008年9月 8日 (月)

反撃?!

 高齢の親に、毎日、日付と曜日、名前、子どもである自分の名前などを聞いて、記憶がしっかりしているかどうかを確かめていた方が、新聞に投稿しておられました。

 それを続けていたら、ある日、親御さんがおっしゃったそうです。

「お前は、いつも同じことばかり聞くね。我慢して答えていたけれど、いったい何回、同じことを尋ねるんだい。ひょっとして、お前はアルツハイマーになったのと違うかい?」

 少しアレンジさせていただきましたが、およそ、上のような内容でした。

 小さな子どもに難しい単語は分からないだろうと、丁寧に説明していたら、「ああ、○○のこと、そんならそういえばいいのに」と先を越されて、ギャフンと感じた経験が多くの方にはおありだと思います。

 お年寄りの場合にも、こちらの思いを越えておられる方が多くおられるように思います。

 人生、なかなか奥が深いものですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月 7日 (日)

初秋の美濃市

 久しぶりに美濃市に行ってまいりました。我が家から15キロほどです。

 残暑はありますが、軒先の風鈴が涼感を贈ってくれていました。

  0001_3 1_3 0004_2  左の写真、番屋は、町の見どころなどを説明してくださいます。

 あとの2枚、屋根の端の高くなっているところが「うだつ」です。

 来月は、特産の美濃和紙を生かして作られたたくさんのあんどんが町並みを飾る「あかりフェスタ」が開かれます。

 ほどよい人数の観光客が散策を楽しんでいます。通りに何箇所も無料駐車場があり、訪れやすい、そして親しみやすいうだつのある町 ・・・

 よろしかったら、どうぞ。米粉入りのパン屋さんで値打ちなランチをいただきました。

 今日は、日曜日。キリスト教会では聖書に基づいたメッセージが語られ、讃美歌を歌って神様をほめたたたえます。

 よい日となりますように。

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2008年9月 6日 (土)

ウウッ、ゴールが遠くへ

 このところ、夕方にウオーキングをしています。

 今日は、傾斜のある道を歩いたのですが、そのコースが終わりに近づいた頃、同伴者(家内です)が「調子が出てきたから、このまま、もう一つのコースへ、どう?」と申しました。

 もうすぐゴールと思っていたのが、「あと一周!」と言われたみたいなものですが、あとにはひけません。

 25分ほどのコースがダブルになって、50分ほど歩いたことになります。

 この成果が楽しみです ・・・ もっとも、すぐ翌日には筋肉疲れが出ないのがある程度、年齢を加えた人の特徴とか ・・・ でも、何だか、もう後遺症の予兆が ・・・

 ああ、勇気を持って「ノー」と言える自分になりたい ・・・たとえ、相手が強い人でも ・・・

 あの、オリンピックでマラソン2連覇のアべべ選手は、ゴールしたほかの選手が倒れ込むようにしているときに、「もう一度走れと言われたら、走ってきます」と言ったとか ・・・ すごいですね  もちろん、誰もそんなことは言うはずはないのですけれど。

 ほどほどのがんばりを積み重ねるように心がけたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月 5日 (金)

野菜畑

0002  4日の夕方、友人が野菜を作っている貸し農園へご一緒しました。

 右の写真 ・・・ 背丈とほぼ同じなのですが、これが何だかお分かりでしょうか。

 実は、私は初めてこの野菜が畑で育っているところを見たのです。

 夜の食卓には、次のような姿で登場いたしました。もちろん、食べ方は、いろいろあるようですけれど。

0010  カナで、五文字です。

 粘り気があり、健康のためによいそうです。これを食べた私にも粘り強さ、根気が出てくるといいのですけれど。

 綿が実っているのを初めて見たときにも感激しました ・・・ 新しい経験が畑で広がるのは嬉しいことですね。

 この野菜の名は  ・・・ モロヘイヤ でした。 粘り強くここまで読んでくださってありがとうございます。

 今日もよい日となりますように。  

 

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2008年9月 4日 (木)

ある理科教師の観察眼

 以前、職場の同僚だった理科教師の観察眼に驚かされたことがあります。きょうは、その話を ・・・

 その教師は、年来の夢であった大きな車を購入して間もなく、いそいそと海に出かけていきました。(海に行くのですから磯磯と、と書いてもよかったでしょうか,いえ、冗談です)

 真水を入れたポリタンクを積み込み、海で、すもぐりしたり、磯で生き物を追っかけたりしたようです。

 ポリタンクの水で体を洗い、その後、ポリタンクに海水を入れて、海でとらえた生き物を飼育する水槽にその水を活用するという計画にも豊かな経験を感じました。

 前置きが長くなりましたが、そうやって飼育され始めたのは、小さなエビ、イソギンチャク、そしてカワハギなどでした。

 私は、干したカワハギしか見たことがなかったので、興味を持ってみました。

 そのとき、理科教師は、さりげなく言ったのです。「環境が変わったので、体の色が薄くなったなあ」

 皆さんは、魚の体色が薄いかどうか、お分かりでしょうか ・・・ 私は「ええっ」と聞き直したほど驚きました。その理科教師は、私の反応など気にもとめず、さらにこういったのです。

 「それから、目が充血しとる」 ・・・ うーん、皆さんは、魚の目が充血しているかどうか、見分けられますか ・・・ 脱帽です。

 こういう観察力とともに、彼は自分が食事するときには、海からとってきた生き物にも餌をやることを忘れませんでした。餌を水槽に入れると、普段隠れているエビなどがひょこひょこ出てきて、ちょっと表現しがたい光景が繰り広げられるのでした。

 生物の観察についてはとうてい私の及ぶところではありませんでした。

 私は国語が専門ですから、誤字脱字、用語の適、不適など文章の校正などが比較的得意でした。でも、最近はそれが怪しくなってきました。

【例】 ある店のメニューに「うなぎのひまつぶし」と書いてあったので、「ほお、うなぎも時間をもてあますことがあるのか、いったいどんな料理なのだろう」と、のんきにも考え始め、それにしてもなあ、と見直すと・・・そうです 「うなぎのひつまぶし」と書いてあったのでした。

 ピアノを練習するときも、実際に書いてある音ではなく、自分の頭の中で思い浮かべた音を楽譜の上に見たつもりでいるということがレッスンで明らかになったことがいったいどれほどあったことでしょう。

 「このごろ、夜、本を読んでいると文字が読みづらくなって」と言ったとき、その理科教師は、こともなげにこう言いました。「うん、順調な発達や」

 ・・・ ああ、これからは、発達不良か、きわめてゆっくりと発達したいと思いました。

 そう思ってから、20年近く経ちます。

 身体的なマイナス成長は比較的ゆっくりで、それは嬉しくないこともないのですが、読書やピアノなどは、時間を掛ける割に成長がきわめてゆっくりで、そのくせ歩留まりがよくなく、挑戦を続けていないとすぐマイナス成長しかかるところは、まるで、下りのエスカレーターに乗って上へ行こうとしているような感じです。つまり、常に登ろうとしていないと顔は前を向いているのですが、体は下へ下へと行ってしまうのですね。

 でも、これも世の習い、不本意ではありますが、さからわずに、でも、できるだけゆっくりと発達していきたいと思います。

 覚えていないほうが、自分も周りの人もより幸せになることは、どんどん 忘却できるように努めながら。これは、とてもよいことかもしれませんね。いいことだけ覚えているようにしたら、自分も周囲も明るくなると思いますから。

 どうも書き始めたときのテーマからはずれてきたように思いますが、お許しください。

 今日も、よい日となりますように。

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2008年9月 3日 (水)

音楽療法の講座 その14

 この講座も、夏休みがあったのですが、いよいよ後半の部が開講しました。

 9月2日は「児童の音楽療法 1 概論」でした。

 中身の濃い講義の中で、音楽療法士に求められること として次の三つを挙げられました。

◇ 基本的な信頼関係を築くこと ・・・ そのために、対象児の背景、思いを確実に把握すること。 

◇洞察力 ・・・ 個人特有の行動、反応を敏感にとらえる目を磨く

◇直感力 ・・・ 対象児からのメッセージをとらえ、適切に意志を受けとめる

 この三番目について、自分はどうかと考えたのですが、私の場合、事前に立てたプログラムを進めるだけにやっとの状態に陥り、相手からのメッセージをとらえることは多分できない確率が高いだろうと思います。

  以前読んだ本に、重度の障害のある方たちを訪問して精一杯やったけれど、何も反応を感じられなくて落ち込んで帰ろうとした人のことが書かれていました。 ・・・ ところが、意気消沈して帰ろうとした人のところへ、普段、その重度の障害のかたたちをお世話し、多くの時間を共に過ごしている介護者たちが、興奮してお礼を伝えに来たのだそうです。

 「あの子が音楽に合わせて体をゆすっていました。初めてのことです」

「車椅子を、あまり動かない足や手で叩いてリズムをとっていました」

「小さな声で歌いながら、指先で床に振動を伝えていました」

 などなど。  それを聞いて、落ち込んでいた音楽関係の訪問者は涙をこらえられなかったそうです。

 私も、敏感に相手からのメッセージをとらえることのできる人へと成長したいと思います。障害をもっている人からのメッセージを的確にとらえるには、五感と共に、心をしなやかに研ぎ澄ませることが特に必要だと感じています。

 このほかに 「子どもがやりたいことと、できることとは違う」 それで、

やりたい気持ちをたいせつにして、できる活動へと導く」

 また、タンバリンをたたこうとするけれどたたけない子にどうしたらたたけるようになるかを工夫する行動療法的な側面、そうしたことを通して、自己と周りを受け入れ、より人間らしくいきいきと楽しんで歩めるようにはぐくむ自己実現的な側面を音楽療法が備えていること

 などなどを学ばせていただきました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2008年9月 2日 (火)

子どもの力

 先日、新聞の投稿欄でこんな文を見かけ、改めて子どもの力のすばらしさに打たれました。書かせていただきますね。

 授業参観に出かけた母親の目の前で、その娘に向かって、あろうことか「おい、フランケン」と声を掛けた児童がいたそうです。その娘さんは、事故にあったかなにかで顔の手術を受け、皮膚の一部がまだしっかり定着しない状態にあったようです。

 思わず、血相を変えて「おい、フランケン」と呼んだ同級生に母親が詰め寄ろうとしたとき、娘さんがその子のほうを振り向いたそうです。

 そして「なあに」と応じたのだそうです。それも実に明るい表情で ・・・。

 そのお母さんは、「フランケン」と娘を呼んだ級友に詰め寄るのを止め、我が娘のたくましさに驚き、教えられた思いになったそうです。

 私も、打たれました。もちろん「フランケン」と呼んだ子を容認しては、その子のためによくないと思いますし、ましてや、いじめを受けて泣き寝入りせず、この女の子のように、明るく強く生きることを他の子に要求するということではありません。

 そういうことを越えて、まずは心を打たれたのです。

悪に負けてはいけません。 かえって、善を行なうことによって悪に打ち勝ちなさい。

 ローマ人への手紙 第12章 21節

※  「悪」というのは、上に書いた例にあてはめるには、成長途上にある子どもを決めつけてしまうことになるようで強く響くかもしれません。それで、ご自分でほかのことばを考えていただいてもよいかもしれません。でも、ことの本質からいうと、聖書のことばを割り引いて考えない姿勢が大事なのです。

 子どもの力を ・・・ 時に失敗する子どももいますが、それをも善導することも含めて・・・正しい方向に伸ばしていきたいと願います。

 教育は祈りである ・・・ 本当にそうだなあと思います。

 よき日となりますように。

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2008年9月 1日 (月)

自然の不思議

 大きな蝉の声を聞いた子が、やかましくおもったのでしょう、「一番、大きく聞こえるのはせみさんでしょう、耳があるとしたら、自分の声がやかましくないかなあ」といったそうです。

 うーん、不思議なことが、いっぱいありますね。

 毒蛇や河豚(ふぐ)が、自分の毒で死なないのは、どういうことになっているのでしょう。

 えっ、毒舌家が自分に向けては寛容なのと同じではないかとおっしゃいますか。うーん、説明には多分なっていないですよね。

 今日も、いろいろな不思議に出会って、感動することが出来ますように。

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