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2008年9月26日 (金)

映画「ベン・ハー」

 先日、テレビで「ベン・ハー」を放送していました。封切られたときに映画館で観て以来、何回か観たことがあり、大作なので、今回はかいつまんで観たのですが、記憶にある以上にイエス・キリストが大きく登場していることに今回、気がつきました。

 原作者は、神がいないことを証明しようと意気込んでスタートしたのだそうですが、聖書を初め、いろいろな書物、歴史書などを調べていく内に、神がいることを確信するようになりました。

 作者のその歩みを反映して、復讐心に燃えていたベン・ハーは神を信じ、愛に生きる人へと変えられていきます。

 聖書の最初の巻、創世記の冒頭は次の言葉で始まっています。

初めに、神が天と地を創造した。

 これが聖書に記され、あかしされている神です。この世を、そして人をも創造されました。

 人に作られた神ではなく、人をも創造された神なのです。

 ベン・ハーの原作者のように、「神などいるはずがない」というところから出発なさってよいのです。真剣に神様が実在するかどうかという問いに、人生をかけて向き合ってみませんか。

 聖書は、「創世記」から始まって、「ヨハネの黙示録」まで、66巻の書物からなっています。キリストが誕生する以前に書かれた39巻の旧約聖書と、 キリストが誕生してから以後に書かれた27巻の新約聖書。合計66巻です。ご存じのように紀元前と紀元後は次のように分けられています。

  紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と略して記されます。B.C.は英語の Before Christ で「キリスト以前」の意味。A.D.はラテン語の Anno Domini で「主の年」の意味です。つまり西暦は、 キリストであるイエスの誕生年を基準にしているわけです。 ーインターネット上の辞書Wikipediaより ー

 映画「ベン・ハー」から書き始めて、つい熱が入りましたが、どの人の人生にとっても、神がいるのかどうかという問いと真剣に向き合うことはたいへん重要だと私は考えています。

 今日もよい日となりますように。

 

 

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コメント

 たしかチャールストン・ヘストン主演の映画でしたね。スペクタル映画として、十戒などともに有名な映画ですね。神話にはなぜか共通点があって、混沌や大洪水のあとで、男女(雌雄)一対が残って、そこから世界が始まったというようなことが書かれています。記紀では、イザナギ・イザナミ、中国では山の頂上へ逃げて生き残った二人の青年男女、キリスト教ではノアの箱船の動物などがあげられます。
 神の存在を信ずるかどうかは別として、宗教で対立して戦争をしたり、キリスト教の信者が多い国が、多くの命を一瞬に奪う兵器を使用して、尊い命を奪ったうえに、その謝罪すらせず、残虐な行為をもなぜ正当化しようとするのかが、私の大きな疑問です。

※ コメントをありがとうございます。正しい疑問を抱き続けることは不確かな答えに満足することに勝ると思います。最初の人類、アダムとイヴに生まれたカインとアベル ・・・ 兄であるカインが弟のアベルをねたんで殺し、最初の殺人者になってしまったことが創世記には書かれています。有島武郎の「カインの末裔」という小説の題は、ここからとっているのですね。最初の家族がそのように悲惨であったこと、洪水を生き延びたノアとその家族のその後が必ずしも感心した生き方ばかりではなかったこと、ダビデやソロモンも人間としてのあやまちを犯したことなどなど、聖書には、イエスキリスト以外には清らかな生き方を全うした人物、国は描かれていません。しかし、それでもなお、神が人を見捨てず、永遠のいのちに至る道を開いています。 こんな人類を愛し続けている存在はほかにあるだろうかとの思いが、私の場合、強まってくるのです。
でも、これは私の場合ですので、もちろん他の人に強制することではありません。正しいと思われる答えに、疑問を原動力として行き着いてくださいますように。

 「ねがい」 八木重吉
 どこを
 断ち切っても
 うつくしくあればいいなあ

 みにくさを自覚すればするほどねがいは強まる ・・・ そういう詩だと思います。

投稿: kou. | 2008年9月26日 (金) 05時40分

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