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2008年10月12日 (日)

「米百俵」海を渡る

 「米百俵」海を渡る  ・・・ 著者の竹元正美さんは、中米ホンジュラス特命全権大使です。日之出出版 2004年6月24日初版発行

 ご存知とは思いますが、まずは「米百俵」のお話しから

米百俵

 1868年、長岡藩(現新潟県長岡市)は、戊辰戦争で消失率85%という焦土となった。家も食べ物もなく困窮していた長岡藩に支藩であった三根山藩(現新潟県西蒲原郡巻町峰岡)から救援米が百俵送られてきた。

 この救援米が分配されるものと思っていた藩士たちを体を張って大参事小林虎三郎が説得し、米百俵は売却され、代金は教育にあてられた。

 この故事をもとに、山本有三が1943年に戯曲「米百俵」を執筆した。

 ・・・ おれは、この落ちぶれた長岡を見ていると、胸が締め付けられるような気がする。あの時、さきの見えた人物がおりさえしたら、同胞はお互いに血を流さないでもすんだのだ。・・・町は焼かれはしなかったのだ。そして、武士も町人も、こんなに飢え苦しむことはなかったのだ・・・国がおこるのも、ほろびるのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。だから、人物さえ出てきたら、人物さえ養成しておいたら、どんなに衰えた国でも、必ずもり返せるに相違ないのだ。・・・のう、今日のことだけ考えずに、さきざきのことを、よっく考えてくれ・・・この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかり知れないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ち上がれない。あたらしい日本はうまれないぞ。   山本有三著 「米百俵」 新潮文庫版より

 この「米百俵」が、さまざまな人の力添えにより、中米のホンジュラスで公演され、貧しさの中で新しい国作りをとの希望をはぐくむ力を湧きあがらせてくれる何よりの贈り物として評価されているとのことです。

 この公演に出演したのは、ほとんどホンジュラスの人たち、それに青年海外協力隊員も琴の演奏や、着物の着付け、日本の文化、歴史を伝えることなど、大きな力となったそうです。

 また、宇宙飛行士の向井千秋さんも協力者の一人。スペイン語訳のもととなったのはドナルド・キーンさんの英語訳で、キーンさんも支援。向井さんは、日本が無償でホンジュラスに提供した中米で初めてのプラネタリウムの開所式に、「夢に向かってもう一歩」との言葉で有名な向井千秋さんに来ていただいて子どもたちに夢を語って欲しいという著者(ヒューストンに総領事として勤務したことがある)の発案からホンジュラスとの縁ができたようです。

 「米百俵」を2001年5月7日の首相としての所信表明演説の中で引用した小泉元総理は政界を引退するようです。

 紹介・引用が長くなりました。私は、ホンジュラスから留学に来た方に日本語をコーチしたことも思い浮かべながらこの本を手にしたのですが、ホンジュラスだけでなく、今の日本自体が、この「米百俵」の精神を真摯に受け止め、教育を建て挙げていきたいとの思いに駆られています。

 今日も、よい日となりますように。

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