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2008年10月 3日 (金)

プロとしての力量・生き方

 このところ、歌丸さん、圓楽さんと、お二人の落語家、「笑点」の司会者の著書を読みました。

 お二人に共通するのは、幅広い体験と知識、そして前向きの考え方をしながら歩んでこられたということです。

 そして、文章がその人らしい語り口になっているということ、ことば遣いの正しさということが、さすが話芸、落語の名人だなと感じ入りました。ことばのプロなのですね。

 でも、落語家の全部が、正しいことば遣いをしているとは限りません。

 つい先日も「的を得ていますね」と50歳近い落語家が口にしていました。

 「すごいおいしいですね」と、アナウンサーが語っている番組も一つや二つではありません。

 蛇足ですが、それぞれ「的を射た」・「すごくおいしい」が本来ですね。

(「すごい」は、連体形・終止形 「すごく」は連用形です。)

  ついでですが、「出る釘は打たれる」は「出る杭は打たれる」が正しく、「上手に書けれる」は「書く」が五段活用の動詞ですから「上手に書ける」と可能動詞を用いるのが正しいのです。

 さらについでですが、恩師を招くのに「枯れ木も山のにぎわいですから」というのは非礼ですし、親に海外旅行に行かせて欲しい子が昔から可愛い子には旅をさせろというでしょう」とねだるのは、これまた何をか言わんやです。

 また、対(つい)になることばということを厳格に考えると、人に向かって自分のことを「おれ」という人は、相手を「おまえ」「貴様」と思っているのですし、「ぼく」という人は、相手を「きみ」ととらえていることになります。・・・

 「私」と対になるのは「あなた」で、これがいいのではないかと私は思っています。

 さて、プロでない人の日常会話には、私も目くじらを立てず、容認というかあきらめの境地で、聞き流しています。

 でも、落語家、アナウンサーということばのプロのことば遣いとしては、許し難いというのを越えて、許せないのです。

 テレビに登場する機会の多いタレントにも「すごいうれしかった」的な言い方はしてほしくないのですが、そうするとかなりの人が不合格です。 まあ、テレビを消して、読書するのが心静かな過ごし方になるので、そういう効用はあることになりますけれど、

  あまり、こういうことを言ったり書いたりすると、私自身、いつも完璧なことば遣いが出来ているわけではないので、つらくなります。

 でも、お互い、寛容ではありながらも、簡単に妥協せず、ことばをできるだけ正しい形で保ちたいなとの思いを持ち合えないだろうかと、歌丸さん、圓楽さんの生きたよい見本にふれて、思う次第です。

 こうした変化を容認する立場の国語学者もおられます。けれど、先般、お亡くなりになった大野晋さんは、ことばが乱れたのは例外なく世の中が秩序を失い、乱れた時代のときだ、と厳しく指摘しておられました。

 プロである国語学者が、へんに物わかりよくことばの乱れに迎合したら、その存在価値はないどころか、害をもたらすこと限りない、という大野晋さんの立場を私は応援したく思います。

 大野さんの学説のすべてをよしとするわけではありませんし、妥協ではなく、寛容が必要な場面は人生にはたくさんあると考えていますけれど。

聖書のことば マタイによる福音書 5章13節

 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

 今日も、ひとりひとりの持ち味を生かして、よい歩みを為すことができますように。  

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