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2008年11月14日 (金)

♪「せいくらべ」の歌詞から

 11月13日の月はまんまる ・・・ 冬満月と呼ばれるとのことです。

 と書き出して、なぜか季節外れの♪「背比べ」の歌について ・・・ 

「背(せい)くらべ」

海野厚作詞・中山晋平作曲

のきずは おととしの五月五日の 背くらべ
(ちまきたべたべ 兄さんが
(はか)ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何
(なん)のこと
やっと羽織
(はおり)の 紐(ひも)のたけ

柱に凭
(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸
(せのび) していても
雪の帽子
(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

 なぜ、柱の傷は,昨年でなくて一昨年なのか 

 それは ・・・ 作詞の海野さんについては次の記事がインターネットhttp://www.worldfolksong.com/songbook/japan/seikurabe.htm

にありました。

 海野 厚(うんの あつし/1896-1925)は、静岡県豊田村曲金(現在の静岡市駿河区)の出身。7人兄弟の長兄。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学するため、地元の静岡を離れ一人上京している。

 童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ、海野は童謡作家となった。都会の生活にも慣れ、俳句や童謡の世界に没頭した海野は、病弱だったこともあり、1919年を最後に地元の静岡には帰郷していないという。

 28歳でなくなったのそうです。 

 さて、ある待合室で手にした漫画誌に去年でなく,一昨年の背くらべになっていることの答えが載っていました。

 それによると海野さんの俳句の先生の父親の追悼記念の句会が5月5日に行われ、それに出席するためにその年、海野さんは帰省しなかったので一年とんだのだそうです。

 来年の5月までは覚えていられそうにないので、今日、書かせていただきました。

 なお、「やっと羽織のひものたけ」を文脈から私はほんの少ししか伸びていないと受け取っていましたが、14.5センチほどとか、柱の傷の高さは,かろうじて今年着ている羽織のひもの高さに届くほど低いところ ・・・ 2年の間にそんなにも伸びたとの解釈もあるそうです。

 また、背比べを、一昨年の自分と今年の自分とを比べているという取り方と、3人の妹、3人の弟の長兄である作詞者の背丈と弟たちの背丈とを比べているという受け取り方があるそうです。

 あなたは、どう感じられますか。

  一つの歌詞も,考え出すとなかなか ・・・  それでは、また。

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