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2008年12月27日 (土)

文字の拾い読みから朗読までの距離

 フランスで『源氏物語』を朗読したら、日本語の分からないフランスの人も日本語の美しさに感動したと言われるほど評価の高い朗読の名手、幸田弘子さんという方は、樋口一葉の作品に魅せられて、『たけくらべ』や「大晦」などを暗誦されるそうです。

 覚えよう、暗記しようと思って読むのでなく、何回も何回も表現を味わいながら繰り返し繰り返し読む内に自然に自分に入っているのだそうです。

 幸田さんによると、文章を朗読することは、文章に自分の血を通わせることなのだそうです。あるいは、作家の命が文章を通して伝わってきて、読み手に作家の熱い思いが脈打つようになることと言ってもよいのかもしれません。

 これは、ピアノなどの楽器を演奏するときにも通ずるように思います。

 鍵盤を探り弾きして,楽譜の音符をたどたどしく音にすることと、作曲者の魂を感じ取りながら命を込めて聴衆に送り出す演奏との間には、とても大きな距離があります。

 それは、ちょうど、文字が読めるようになった幼児が本を声に出して拾い読みをしているのと、作品と血を通わせあって魂の底から発せられるプロの朗読との違いのようなところがあるのではないでしょうか。

 私の指について申しますと、ほぼ毎日ピアノに向かい続けている成果もあって、たとえば川の上流にあるごつごつした岩、粗い石が、水で運ばれ、削られ、中流、下流にいたると次第になめらかで小さいものになるように、鍵盤上で奏でる音がややなめらかになりつつあるように思います。(もちろん、まだまだなのです。あくまでも年齢の割には、というだけのことなのですよ)

 これを励みに、練習を続けつつ、もっと大きなこと ・・・ 自分ならではの魂の源流を豊かにして、それを底流としながら曲を演奏できるようになる高みへと進んでいきたいと思います。

 井戸を掘るときには、水がわき出るまで掘る ・・・ これが「徹する」ということなのだそうです。

 2008年の残りの時も、そしてやがて来る新しい年のどの日も、何かに向けて新たな一歩を踏み出しているような、そんな一日一日となるとうれしいですね。

 今日も,よき日となりますように。

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