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2009年1月31日 (土)

国会って ・・・

 ラジオで国会の質疑応答を聞きました。

 話している人は、さすが、よく検討し,練り上げた内容を落ちついて語っています。

 でも、これが国民の代表たちの討議する国会なのか、これでは、国会が休みの時にからっぽの議場などを見せるしか、子どもたちには恥ずかしくて見せられない、聞かせられないなと思わずにはいられません。

 だって、練り上げた質問をきちんと話している時間中、ひっきりなしに野次、怒号が飛び交っているのです。

 そして,議長がそうした喧噪をたしなめもしないし、質問者も、静かに聴いてくださいと要請することもしないときが大部分だからです。 あきらめているのでしょうか。

 こんな話し合い ・・・ 話し合いにはなっていない極めて低度の喧噪の場 ・・・ 小学生や中学生の話し合いの手本にはなりません。非常に悪い見本として使えば使えるのでしょうけれど。

 それでいて、子どもの道徳性とか、今の教育うんぬん と打ち出してくるのですから、情けなくなります。

 まず、自らが人間として恥ずかしくない言動を示してくださいね、と言いたくなります。

  発言に つまる級友 励ます子 国会議員に 見せてやりたし

 私の好きな作家、宮城谷昌光さんの小説に次の言葉があります。

 「正しいことが必ず力をもつ。これを文化という。」

  こういう見方に立つと、野蛮な部分をたくさん抱えているのが我が国の現状ではないかと思えてきます。

 でも、部分を全体だと決めつけないで、希望をもって歩んでまいりましょう。

 今日も,よい日となりますように。

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2009年1月30日 (金)

木を植える心

 「モンテ・クリスト伯」 ・・・ 「巌窟王」の名でも知られているアレクサンドル・デュマの作品をDVDで見ました。

 こういう内容だったのかと思うところもありました。少年期に読んだ簡略版では分からなかったところもあるでしょうし、映画化に当たって脚色されたところもあるのでしょう。

 なかなかよい出来栄えの映画で、特別の期間に借りたので100円という値段でこれを見ることができたのはありがたいことでした。

 ふと思ったのは、原作者のデュマ自身は、自分の作品を映画で見ることはなかったのだということです。

 もし、見たら喜ぶ場合と、原作の意図とは違う、と悲しんだり、怒ったりする場合など、いろいろ出てくるのかもしれませんけれど。

 でも、世の中には、苦労してよいわざを始めた人がそのわざの実るのを見届けることも、その成果の恩恵にあずかることもなく世を去っていくことは、たくさんあるのだと思います。

 たとえば、木を植える人は、自分自身のためでなく、孫の世代のために前向きな気持ちでそれをしているのですね。

 近視眼的に、自分の去った後の世の中などどうなってもよいと考える生き方からは、木を植えるという行動は出てこないと思います。

 何年後に花が咲き、実がなるか分からないけれど、花が咲くためには今、最善のことをしておくこと ・・・ 教育もそうした尊い営みの一つと言えましょう。 

 岐阜市のある小学校で、国語の授業のひとこまに登場させていただく幸いな機会を得たこともあって、上記のようなことを改めて思いました。

 今日も、よい日となりますように。

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2009年1月29日 (木)

ティータイム

0014  若い友人から、プレゼントをいただきました。

  家内も喜んで、しばらくはこのパッケージのまま、冷蔵庫に保管

 けれど、意を決して、ついにティータイムに登場の運びとなりました。

 噂に聞くイギリスのアフタヌーンティほどの時間はかけませんが、心豊かなひとときをすごすことができました。

 そうそう、箱を開けたところも見ていただきますね。

0015  贈り主のあたたかな心が大きく広がりました。

 春の花は冬の厳しさを乗り越えて咲き出でる ・・・ 佳き春をお迎えくださいますように。

 そうそう、先日のブログで、名前を思い出せないままに書いたアラジンの魔法のランプの精 ・・・ ある方が、お知らせくださいました。 「ジーニー」 というのでしたね。

 ありがとうございます。  お箏(こと)の先生が「ジーニー」の名を教えてくださる ・・・ うーむ、お孫さんと「アラジン」に親しんでおられるのでしょうか。脱帽 (ロ_ロ)ゞ 

 よき日となりますように。

 

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2009年1月28日 (水)

「はい、どうぞ」「ありがとう」

 小学一年生の国語の授業を見せていただく機会がありました。

 特製の原稿用紙を列の前から後ろへ渡す場面があったのですけれど、感心したのは、前の席の子が「はい、どうぞ」と渡し、後ろの子が「ありがとう」と言いながら受け取っていたことです。

 原稿用紙は、三色あって、それが順に配られたのですが、その度にきちんと「はい、どうぞ」「ありがとう」が繰り返されるのです。

 大人だと、2回目、3回目は無口になりそうです。あるいは、1回目からむすっとして受け渡す人もいそうです。

 ことばの教育は、心の教育と重なり合うところが多いですから、この子どもたちのやりとりにはとても感心しました。

 家庭で、「お母さん、今日のお味噌汁、特においしいよ、ありがとう」 「あれ、そうかね、いいこと言ってくれるね。うれしいよ」というような会話がなされるのは、あたたかいですよね。

 「釣った魚には餌はやらねいんだ」 などと粋がっていないで、自然な会話がキャッチボールのようにやりとりされるよう、(不十分かも、という自覚がある人は)今日からでも努めてみましょう。

 よき日となりますように。

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2009年1月27日 (火)

マニュアルに従い、マニュアルを超える

 1月26日付けの記事、「ヴェルディの奥さん」が公開されているものと安心していたら、私の思惑と異なって、まだ下書き状態のままでした ・・・ それで、期待していた時間から21時間遅れの公開となりました。

 そういうことになったのは、私の設定のミスではあるのですが、気分としては「パソコンのやつ、気が利かないなあ」という思いです。

 マニュアルにはきちんと従うが、それを超えることはしない ・・・ その意味では、パソコンはアラジンのあの魔法のランプの精と似ているのです。でも、アラジンのシリーズの中では、気絶していて命令を出せないアラジンを助けるために、アラジンが命令を出したことにして彼を助ける場面も見かけたように思います。うー、ランプの精の名前を忘れてしまいました、ごめんなさい。

 と書いている間に、マニュアルに関連したことで、一つ思い出した話があるので、以前一度書いたかと思いますが、もう一度書かせていただきます。

 あるレストランに夫婦がやってきたので、ウエイトレスは二人用のテーブルに通しました。 その夫婦は、それぞれの料理をオーダーし、そして、さらに子ども用の人気メニュー、「キッズプレート」を注文しました。

 ウエイトレスは、お子さん用の特別メニューだと説明して断ろうとしました。すると夫婦は、「先日、子どもを亡くしたばかりなのです。今日は私たちの思い出として、あの子が好きだったキッズプレートを注文したいのです。」と改めて頼んだそうです。

 それを聞いたウエイトレスは、まず、夫婦を別の大きなテーブルに案内し、第三の席を設けました。そして、その席に「キッズプレート」を運んできて丁寧にセットしたそうです。更に、その後もそしてその席に、本当に人が座っているようにふるまったので、夫婦はとても慰められたそうです。

 最初、ウエイトレスが夫婦を二人用の席に通したのも、子どもの姿がないからと「キッズプレート」の注文を断ろうとしたのも、マニュアルに従ってのことでした。

 けれど、そのウエイトレスは、何のためにマニュアルがあるのかをよく知っていたのでしょう。だからこそ、マニュアルには書いてなかった、それを超えたサービスを提供することができたのです。お客のために最上のサービスをすることこそ、そのマニュアルの精神であったのです。

 ・・・・・ とこの話をパソコンにしても、パソコンは最初に示されたマニュアルを超えることはできません。

 うーん、人間って、素晴らしいですね。 今日も、すてきな日となりますように。

 あっ、パソコンさん、あなたはマニュアル通りでいいのだから、すねないで実力を発揮してこれからも助けてくださいな。 お願いしますよ (^_^;)

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2009年1月26日 (月)

ヴェルディの奥さん

 ヴェルディは、「リゴレット」や「椿姫」などの歌劇を世に送り出しただけでなく、今から100年以上も前に年老いた音楽家たちのために憩いの家を建てるなど、大きな貢献をした音楽家です。

 その彼を支えたのが、つらい時期の彼を支え、後に彼の妻となったジュゼッピーナ・ストレッポーニという歌手でした。

 長男を急な病で亡くし、それを悲しんだ妻も亡くなってしまったヴェルディは、そんな悲しい時期に喜劇の作曲を依頼され、苦しみの中で完成したオペラは大失敗 ・・・もう決して何も書くまいと決心したヴェルディを励ましたのが、スカラ座という大劇場のプリマドンナだったジュゼッピーナ。

 完成した「ナブッコ」という歌劇は大ヒット・・・そのヒットは、ジュゼッピーナが演ずるヒロインのドラマティックな歌唱に支えられていました。強い声の要求されるこのアビガイッレという役を見事に果たし続けた彼女は、すべての公演が終わったとき、のどをつぶしてしまっていて、まもなくステージを去らねばならなくなっていたそうです。

 その後も献身的にヴェルディを支え続けた彼女は、44歳の時に合法的な結婚ができたとのこと。ヴェルディは周囲に請われて国会議員になる一方、「マクベス」「運命の力」「アイーダ」などの歌劇を作曲しました。

 今日の冒頭にご紹介した老音楽家たちのための「憩いの家」を建てたヴェルディに「この家はあなたの最高傑作ね」と語り、そして彼女自身もつつましく暮らしてためたかなりの金額を、遺言であることに基金として捧げたそうです。

 彼女の死後、永久に毎年、50組の貧しい家族のためにその基金の利息を遣って欲しい・・・  

 すばらしい人生を歩んだヴェルディとその夫人は、「憩いの家」の礼拝堂に仲良くねむっているそうです。

 『五線譜の薔薇』 (萩谷由喜子 著 ショパン社 2002年6月10日 第一刷発行)に書かれていたことをご紹介いたしました。 

 今日の私たちの歩みも、人生のすてきな1ページとなりますように。

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2009年1月25日 (日)

♪「アンパンマンのマーチ」

  アンパンマンは、幼い子にも、そしてそれより上の年代の方にも、広く、根強い人気があることを最近になって知りました。おなかのすいた人には我が身をかじらせて力を与えるという文字通り献身的な生き方を貫くのがアンパンマンなのだそうです。

 生みの親のやなせたかしさんは、主題歌にアンパンマンのすべてを込めて表現しているとおっしゃっているそうです。

 たくさんの人に力を与えるアンパンマン、まだよくことばの分からない幼子がまわらない舌で歌い上げている光景に出会jつた方もおありかと思います。

 友人が上記の説明とともに自分も勇気を与えられているからと歌詞を送ってくれましたので、皆様にもご紹介したいと思います。

 今日は日曜日、できましたら、キリスト教会にお出かけください。

 よい日となりますように。  それでは、アンパンマンのマーチです (^o^)


そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから 君は行くんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

ああアンパンマン やさしい君は
行け!みんなの夢 まもるため

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないまま終わる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも

そうだ おそれないで みんなのために
愛と勇気だけがともだちさ

ああ アンパンマン やさしい君は
行け!みんなの夢 まもるため

時ははやくすぎる 光る星は消える
だから 君は行くんだ ほほえんで
たとえ どんな敵が あいてでも

ああ アンパンマン やさしい君は
行け!みんなの夢 まもるため

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2009年1月24日 (土)

「世界が違って見えます・・・」

  ピアノコンサートを聴きに行きました。出演者は大学の音楽科の先生とその研究室の学生さんたちです。

  ソロ 連弾 三人で一台のピアノに向かっての演奏  真剣なまなざし、的確な指の動き ・・・ 一人一人がこの日の演奏のために、どれほどの時間と心身のエネルギーを注いで備えてきたことでしょう。それが痛いほど伝わってきました。そして、感動しました。

 二日経った今日、学内でそのときの演奏者、三人を見かけました。

 「このあいだは、ありがとう。コンサートを終えて、今の心境は?」と尋ねましたら

「世界が違って見えます・・・」と一人が答え、他の二人も同感という表情でした。

 うーん、コンサートを節目として、一段とグレードアップした清々しい若人たちがそこに輝いていました。

 この三人の合計年齢が、ほぼ私の年齢なのですよね ・・・ でも、そんな算数はこの際忘れることにして、私は私なりに、とピアノに向かったのでした。

 そうそう、その学生さんたちを指導しておられる先生ご自身はフィナーレをラヴェルの「水の戯れ」で飾られました。水のうねり、しずくのきらめきがほうふつとするようなすばらしい演奏でした。

 もう一つ、その先生のすばらしさを私は見ました。それは、学生さん一人一人の演奏を見守りながら、ご自分もその曲を膝の上で弾いておられたことです。学生さんの弾く曲の全部が先生の中にある ・・・ そう感じました。卓越した師とその指導に応えて懸命に励むお弟子さんたち  その現在までの到達した世界を呼吸させていただいて幸せに思いました。 

 一日真摯に歩んだら、次の日は新しい光で輝いて見える ・・・ 今日もそんなよい日となりますように。

 

 

  

 

 

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2009年1月23日 (金)

真実を追究する力

 このところ、録画も含めて、検事、刑事の活躍するドラマを三種類見ました。

 「ヒーロー」 木村拓哉  「キイナ」 菅野美穂 「刑事コロンボ」 ピーターフォーク

 「キイナ」は今週始まったばかりです。コロンボは、だいぶん以前に放映されたものの再放送。「ヒーロー」は少し前に放送されたものの連続再放送です。

 そういう違いはありますが、大きな共通点を見いだしました。どの主人公も 悪を憎み、壁にぶつかっても 自分の力を精一杯駆使して、妥協せずに 真実を明らかにするのです。権力、社会的地位のある相手にも屈しません。

 そして、大切なのはこうした生き方を貫く主人公たちが支持されるからこそ、番組として制作され、放送されるのだということです。

 誠実に生きること、職務を正義感を持って果たすこと  このことをドラマの世界だけでなく、私たち、ひとりひとりがそれぞれの持ち場で果たすことを、大切にしたいと思いました。

 う・・・ 録画しておいたのを消化するために、テレビと仲良くする時間が長くなってしまいました。  反省。

 今日もよい日となりますように。

 

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2009年1月22日 (木)

『名人とは何か』

 昨日、ご紹介した岩波書店 落語の世界 3冊シリーズの2冊目 『名人とは何か』の冒頭に、小沢正一、野村万之丞、池内紀というお三方の座談会が掲載されています。

 その中で、野村万之丞さんが次のように述べておられます。

 狂言には「つっくり」という言い方があって、ただ何となくいて,淡々としゃべるのが一番いい芸だというんですよ。簡素美ですからね、落語も同じですよね。無駄なものを除き、観客の想像力の幅を広く渡せるのが、僕は上手な芸だと思います。これじゃなければいけないという、直球だけ投げてしまうのはわかりやすいけれども、あまり上等じゃない。座っているときも、目立つよう,目立たぬようと言われるんです。

  見ていると,上手な人は大きくゆっくり,遠くを見てやってますね。・・・だんだん芸がせこくなってくると、世の中と同じように、小さく早く目先をみるようになります。・・・大きな声でゆっくりしゃべって遠くを見るというのは,勇気のいることです。でも、明治の人たちは、そういう感覚を持っていたような気がしますね。

 これは、舞台の上に立つ、立たないということに関わらず、大事なことが含まれているように思い、心に残りました。

 今日もよい日となりますように。

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2009年1月21日 (水)

「高座返し」

 「高座返し」というのは、寄席で落語家が一席終わって下がっていったあと、次の演者が登場するまでの間に出て行って,座布団をひっくり返すことだそうです。

 技術的には、ひっくり返した座布団を、観客に埃をかけないように客席側から静かに定位置におくだけのことなのですが、これがなかなか難しいのだそうです。

  大勢の人間から見られていると思うと,緊張し、プレッシャーを感じて、なにかをアピールしようとしたり、お辞儀や演技をしたくなったりするのだそうですが、そういう誘惑に負けては失格なのだそうです。

 恥ずかしがったり、はにかんだり、無駄な動きをせず、ただ必要な作業を当たり前のように行い、当たり前のように袖に引っ込む ・・・ 

 上記のことが、『名人とは何か』( 岩波書店 落語の世界 3冊シリーズの2巻目 延広真治 山本進 川添裕 編 2003年7月10日 第一刷発行) に書かれていました。

 大勢の観客の前に出て行くのにはいろいろな思いが内面にわいてきて、それが動作にもさざ波のように現れそうなものですが、さりげなく当たり前のことだけきちんとして下がる・・・ 奥ゆかしい中に分をわきまえた確かさが込められているのですね。

 これは、ピアニストのリサイタルにおける楽譜めくりの役を果たす人にも、そしていろいろな場面にも通ずることかも知れないと思いました。

 今日もよい日となりますように。 

 私事ながら、今日は私の長男、明後日は初孫の誕生日です。誕生日、おめでとう。  元気でね。

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2009年1月20日 (火)

漢字覚え歌

 教育の道を志している学生さんたちに「国語科教育法」の講義をする機会がありました。

  受講後のレポートには、話と話の変わり目にちょっとはさんだ小さな話が印象に残ったと記されているものもあり、どんな内容がどのように受け止められるかを心して、講義全体を吟味して臨むことの大切さとやり甲斐を改めて感じました。

 その講義で,短時間で紹介したのが,漢字覚え歌です。これは、『漢字を楽しむ』(阿辻哲次 著 講談社現代新書 2008年2月20日 第一刷発行)からの引用です。著者の阿辻さんは実家が活字印刷屋さんだったので、小さいときから活字にふれる機会が多くあり、ついには漢字を中心とする文化史の研究に進まれることになったようです。

 さて、漢字覚え歌です。

 瓜 爪   「瓜にツメあり 爪にツメなし」   

 櫻     「にかいの女がきにかかる」

 巳 己 已  「巳は上に 己(おのれ) 己(つちのと) 下につき 

          半ば開くれば 已(すで)に 已(や)む  已(のみ)

 以上は、ご存じの方も多いかも知れませんね。

 続きです。

 「さむらいの フエ いちインチ」   壽

 そして、傑作は、次です。

 「リンカーンは アメリカンコーヒー 三杯飲んだ」

  なんと、「鬱」という漢字がこの歌で正確に書けるようになるのですね、驚きました。

 林(りん)の間に 缶 と書いて リンカーン

 ※(米印) と コを90度回転させ、ヒ を書いて アメリカンコーヒー

 彡 を書いて 三杯    

 実際には小学生にこうした漢字を覚えさせることはないと思いますが、難しい漢字も正確に書くように教えられるという先人の工夫例として学生さんたちに説明しました。

 皆さんも、何かご存じだったり、ひらめいたりした覚え歌がありましたら、お教えください。

 今日もよい日となりますように。

 

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2009年1月19日 (月)

♪「愛の讃歌」のエディット・ピアフ」

 『五線譜の薔薇』ー音楽史を彩る女性たちー  には、12人の女性のことが書かれています。

 その一人が、第二次世界大戦後最大の現実派シャンソン歌手といわれているエディット・ピアフです。

 彼女の章を読んでいて、飛行機事故、自動車事故が何回も出てくるのに驚きました。

 飛行機事故で亡くなったのは、ピアフの恋人でボクシングのミドル級の元世界チャンピオン、マルセル・セルダン。彼は、ファイトマネーをこっそりはたいて失明寸前の幼友達や幼児結核センターの子どもたちに援助の手をさしのべていた優しい心の持ち主だったそうです。

 ニューヨーク公演に出かけていたピアフは、後から船で来ることになっていたセルダンに早く会いたくて「船なんて遅すぎるわ。飛行機で来て!」と電話をかけ、結果的に、このひとことがセルダンが飛行機事故で亡くなる原因ともなった ・・・ そう感じたピアフは大きな悲しみに沈みました。

 そのセルダンの死を悼んでピアフが書いた詩に彼女の親友、マルグリット・モノーが作曲したのが♪「愛の讃歌」なのだそうです。

 イヴ・モンタンやアズナブールを応援して世に出したピアフ(これは、芸名で、雀という意味があるそうです) ・・・ 彼女自身がその後2度、自動車事故に遇い、それはモルヒネの中毒で苦しむ原因ともなりました。

 その後も作曲家ジョルジュ・ムスタキの車に同乗中に交通事故、さらに画家ダグラス・デイヴィスの車に乗っているときにも事故にあったそうです。

 ピアフは、奇跡のカムバックを遂げたものの、デイヴィスは車での事故の2年後に、今度は飛行機事故に遇って亡くなったそうです。

 いろいろな不幸に遇いながらも、体重33キロと小柄だった彼女は大きな感動を与えつつ、「わたしは何も後悔しない」とのことばを遺して47歳と10か月で亡くなりました。

 その7年後に、彼女の死後も彼女の遺した巨額の借金を返済し続けていたサラポという夫(21歳年下の歌手だったそうです)は不慮の自動車事故で天国に旅立ったそうです。

 何ということかと思わないでもありませんが、私たちは事故の数を数えるのはやめて、彼女の遺した歌、その歌声に耳を傾けることにいたしましょう。

 ♪「あなたの燃える手で あたしを抱きしめて  ただふたりだけで 生きていたいの

   ただ命の限り あたしは愛したい  命の限りに あなたを愛したい ・・・ 」

   日本語訳詩  岩谷時子    

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2009年1月18日 (日)

星は孤ならず、星座を為す

 『五線譜の薔薇』 (萩谷由喜子著 ショパン社 2002年6月10日 第一刷発行)を借りてきて、読んでおります。

 以前読んだ『音楽史を彩る女性たち』はこの本の続篇にあたります。

 私は、続篇から読み始めたことになります。

 さて、この本を読んでいて、有名な人には有名な人との出会い、親交があるという思いがいたしました。

 たとえば、この本には、ジョルジュサンドが登場していますが、彼女は、ショパンと恋愛関係に合った人です。そして交流の深浅はあったでしょうが、ほかにもリスト、詩人のミュッセ、『ボヴァリー夫人』の作者フローベルなどと出会い、交際しています。また、サンドの長男はドラクロワに絵を習っていたそうです。

 彼女の本名は、マリー・オーロール=リュシール・デュパン。修道院で育てられ、やがて成長して、出会った法律家志望のジュール=サンドという学生と共同執筆で書いた小説が当たり、この名前をもじって男性風の「ジョルジュ・サンド」というペンネームでたくさんの小説を書いたのだそうです。

 ショパンとの「生活は、8年ほど ・・・マジョルカ島ではショパンは風邪から結核を悪化させ、ノアン・・・サンドが以前結婚した貴族の土地と館をもらっており、ここは気候も生活環境もよかったようで、ショパンはこの時期に♪「英雄ポロネーズ」など、多くの傑作を書いています。

 この本から、もう数人を紹介させていただこうと思っています。

 今日は日曜日、よき日となりますように。

 

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2009年1月17日 (土)

子どもの笑顔を復興の原動力に

 阪神・淡路大震災 ・・・ そのとき、神戸の学校の再開の中心的な役割を果たされた方の講演を聴かせていただいたことがあります。およそ、次のように話されました。

 「このような未曾有の災害から私たち大人が立ち上がるためには、子どもたちの笑顔、明るい声が不可欠だと考えました。だから、子どもたちのためにも、そして大人たちのためにも学校を一日も早く再開したかったのです」

 子どもを、庇護されるだけの存在と考えないで、積極的に位置づけたその構えに私は大きな感銘を受けました。

 震災後、何年か経ったとき、ラジオで藤本義一さんが次のような話をしておられたのも記憶に残っています。といってもうろ覚えになっていますので、不正確なところがあってもお許しください。

 親を地震で失って施設に入った子どもたちにはPTSDの症状を示す子が多くいたけれど、夢の中に親が出てくると安定に向かう例が多かった。その中で、親の夢を見ることなく、荒れていた子がついに親の夢を見た。そのとき、彼に付いていた担当者が「君の親の夢を見ることができるのは、世界中に君だけなんだよ」と話した。

 その子は、「世界には何人くらいの人がいるのだ?」「その人数では見当が付かないけれど、満員の甲子園球場のいくつ分なのか?」

 と質問し、  「それだけの人の中で、父ちゃんたちの夢を見ることができるのは、おれだけか」  と考え込んでいて、それ以来、生活が大きく変わった。

 子どもも大人も お互いに支え、支えられているかけがえのない存在なのですね。

 今も、地震以来、大きく生活が変えられた影響の中を歩んでいる方々がたくさんおられると思います。どうか、過去だけでなく、現在とそれに連なるこれからに目を向けて歩んでくださいますように。

 今日も、よい日となりますように。

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2009年1月16日 (金)

指揮者カラヤン

 『カラヤン帝国興亡史 -史上最高の指揮者の栄光と挫折』(中川右介 著 幻冬社新書 2008年3月30日 第一刷発行)

 カラヤンは1908年に誕生し、1989年に亡くなっています。

 生涯にわたるコンサートとオペラの上演回数は、判明しているだけで3388回、残した録音はCDにして500枚近く。録音した曲数は1302曲 ・・・何度も録音した曲を1曲と数えても600曲近いそうです。

 日本には、ベルリンフィルと9回訪れているとのこと。ソニーのベータ方式を推薦して、これはVHS方式に敗れましたが、ソニーからデジタル録音の説明を受け、CDの企画案が当初は「11.5センチ・60分」だったのを「ベートーベンの第九が一枚に収まるのがいい」とカラヤンがひとこと言ったのが決め手となって、「直径12インチ・74分」となったそうです。そして、何と、カラヤンが住んでいたアニフというザルツブルク近郊の村にソニーの工場を誘致し、雇用創出の貢献もしたのだそうです。

 ナチスの党員だった時代があったり、フルトヴェングラー、バーンスタインとうまくいかなかった時期があったり、ベルリンフィルと蜜月になったり、確執があったり ・・・ でも、遺言によって、他の人が気がつく前に,ごく身近な人たちだけでお葬式を済ませ、アニフ村の教会にある墓もひっそりとしたたたずまいにしてあるとのことです。

 クラシック音楽の世界における彼の在り方については毀誉褒貶様々で、今もいろいろ取りざたされているようですが、カラヤンによって楽壇に登場する機会を与えられ、今も活躍している演奏家は少なくないのですね。

 彼の残したレコード、CD、映像などを鑑賞するときは、無心になって音楽そのものを純粋に味わえたら、 ・・・ それが一番よいのではないか などと思います。

 よい日となりますように。

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2009年1月15日 (木)

『瀧 廉太郎』

 『瀧 廉太郎』 (海老澤 敏 著 岩波新書 2004年11月19日 第一刷発行)

 副題に夭折の響き とあります。23歳と10か月あまり ・・・ その生涯に作曲して今も親しまれている曲は♪「荒城の月」「箱根八里」「お正月」、「花」など。

 そして、ピアノ曲「憾」(うらみ) ・・・ これは、この世を憾むのではなく、たくさんの方の恩に、また愛に十分報いることなく病でこの世を去らねばならない自分の命がうらめしいという心から命名したようです。

 瀧廉太郎は、念願かなって、ドイツに留学し、ライプツィヒ音楽院 ・・・これは、メンデルスゾーンが創立した音楽院だそうで、現在はメンデルスゾーン音楽演劇大学となっているそうです ・・・ で西洋音楽を学び始めました。 初登校は、1901年10月2日だそうです。希望に燃えていたことでしょう。ところが、この年の11月25日、オペラ「カルメン」の鑑賞に出かけた彼は、風邪をひき、それをこじらせ、肺結核を患い、学業を続けることができなくなり、退学。学ぶことができたのは、一か月と三週間あまりだったとのこと。翌年、帰国して、さらにその翌年の1903年(明治36年)、6月29日、故郷の大分で息を引き取りました。

 この本にも紹介されている映画「わが愛の譜(うた) ー 瀧廉太郎物語」には、東京音楽学校に入学した瀧廉太郎が「これがピアノですか」と生まれて初めてピアノに出会い、喜びながらピアノにさわり、弾く場面があります。

 瀧廉太郎が通った大分県直入群高等小学校に、大分県では当時、まだ非常に珍しいオルガンがあり、生徒としては、廉太郎だけがこのオルガンを弾くことが認められていたのだそうです。

  ・・・ 日本の誇る作曲家、武満徹は、友人が中古のピアノをリヤカーか、大八車だったかで持ってきてくれるまでは、何と紙に書いた鍵盤を頼りに練習したり作曲したりしていたそうです。

 こうした話を読むと、私なども、心と、そして(比喩的な意味ですが)身が引き締まります。

 瀧廉太郎は、1900年(明治33年)10月に洗礼を受けてクリスチャンになっています。大分でなくなる前にもブレビという英国人宣教師と親しくしていたことが記されています。

 人生は、長さではなく、深さだということばにふれたことがあります。瀧廉太郎の生涯を読むとき、正にそんな思いがいたします。

 今日という日、深く生きてよき日とすることができますように。

 

  

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2009年1月14日 (水)

チャレンジ その2

 家内の風邪はよい方向に向かっています。案じていただいた方、お礼申し上げます。

 ただし、咳がこんこんこん と続くときがあるので、大学の授業を控えていた私は、距離をおくようにしています。 公を大切にするのは、大事な心がけです。

 しかし、家庭も大切に、ということで、コーチを受けながら新たな料理を作りました。

0001  手羽元の八角煮 ・・・ 鍋にポン酢を入れ、同量の水を入れて煮立てます。手羽元を、キッチンタオルペーパーで拭いてから、鍋に入れます。八角を入れます。八角の代わりに、ニンニクを使うときも最初から入れます。 よく火が通ったかどうかは、手羽元の一つを開いてみて確かめるのが確かだとか。

 そこへ、落としぶたをしました。 ・・・ ついでながら、我が家の落としぶたは、洒落なのか、ブタの顔をしているのですよ。

 手羽元がよく煮えたら、別に処理をしておいたブロッコリーと(息子は幼いとき、ブッコロリと呼んでいました)、ジャガイモを入れます。クルミも入れました。この三つは火を止めてから鍋に入れるくらいでよいそうです。今回は、私がジャガイモを早く入れすぎたので、切り口がくずれています。

 ジャガイモは、ラップでくるんでレンジで加熱処理をしました。

 で、出来上がり。 ご飯は、炊飯器の表示があと3分となったところで止めるとおいしいということをTVで教わった家内が試したら、なるほど、ということになったので、それができるときには、そうしています。

 写真で、八角がきれいに写っているのは、「この料理の名前は?」と私が尋ねたら、家内が「手羽元の八角煮」と口にして、「あら、八角を入れるの忘れてたわ」と言って、完成間近に入れたためです。  あっ、このことは内緒にしておくのでした。 内緒だそうです。

 でも、ちょうどよい香りと味加減でしたよ。

  今日は、1月14日 ・・・ あのシュバイツアー博士の誕生日、そして私の身内の一人の誕生日でもあります。 よい日となりますように。

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2009年1月13日 (火)

詩「牛」

 今年の干支は牛 ・・・ ということで、高村光太郎の詩を掲載させていただくことにいたします。

 私が思っていたよりも長い詩でした。それを引用するだけで、今日のブログとさせていただきます。手抜きのような感じですみません。 でも、これだけ、一つの動物について詩を書くことは、なかなか難しいのではないかと読んでいて思いました。

 今日もよい日となりますように。

牛(高村光太郎)

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く

自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
じっと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうとないて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたえる
牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるおいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は自然が牛を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力じゃない
牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争わない
争はなければならない時しか争わない
ふだんはすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねじだ
阪に車を引き上げるねじの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力ははうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口で優しい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた鳴き声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

   ◇ □  ○  ※  ☆  ※ ○ □ ◇

 ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。それでは、また。

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2009年1月12日 (月)

新たなるチャレンジ

0002  写真は、鯖の味噌煮です。

 これのどこが、「新たなるチャレンジ」なのかと申しますと・・・画面をどれだけ見ていただいてもそれらしいところは見えてこないと思います。

 実は、作り手が私なのです。 ・・・ 家内が風邪気味ですので、こういうときに亭主ががんばると、スーパーのポイント何倍日 という感じで感謝されるのではないかとコーチしてもらいながら、作ってみたのです。

 家内自身も、NHKの料理番組で奥園さんという講師の方が放送しておられるのを学んで先日、一回だけ作ったのですが、これはいいということになった作り方です。

 まず、鯖をキッチンペーパータオルでそっと拭きます。表面をきれいにする効果があるとか。

0001  次にフライパンにごま油を引き、点火し、油があたたまったら鯖を入れ、両面を軽く焼き焦げ目を付けます。

※ 表面をテフロン加工してあるフライパンの場合、空焼きをしないほうがよいので、ガスに点火する前に油をひくこと、そして鯖は、皮の付いているほうから先に焼くこと。

 魚から出てくる油をキッチンタオルペーパーで拭き取りながら(やけどしてはつまらないので、箸でタオルペーパーをつまんで行います)焦げ目が付くまで焼いたら、水を魚がそこそこかくれる程入れて、スライスしたショウガを入れ、砂糖、そしてお好みに応じてお酒を少々入れます。これが煮立ってから麦味噌を溶き入れます。 ネギがある場合は、魚と同じに焼き始め、少し焦がします。

 そして  ・・・ これで出来上がりです。これに、白菜の浅漬け ・・・裂きイカを加え、塩と酢を少々で漬けたものを添えました。  こちらのほうは、家内の作り置きがありました。

 おいしかったです。 料理の得意な方には申し訳ないような内容ですが、おつきあいいただきまして、ありがとうございます。

 今日もよい日となりますように。 

 今日、成人式を迎えられた方、そしてそのご家族の方々、おめでとうございます。今までを土台にすてきなこれからを切り拓いてくださいますように。

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2009年1月11日 (日)

昼と夜

0011 0012 0010                                              我が家の庭の一角 ・・・ 左と中央は、白玉椿 右は、夕闇に同じ場所を少し離れて撮った写真です。クリックするとと少し写真が大きくなってイルミネーションを見ていただけるかと思います 。 

  このあと、多分満月だと思うのですが、明るい月が後ろの山の左手から上がってきました。

 同じ場所でも、時間によって光景が変わるものですね。

  いつ、神様が私たちを見ておられても、その心にかなう生き方ができていたらすてきですね。

 こういう気持ちになるときは、八木重吉の詩を思い浮かべます。このブログでも何回か紹介させていただいてますが、改めて掲載させていただきます。

 ねがい   八木重吉

 どこを

 断ち切っても

 うつくしくあればいいなあ

 今日は、日曜日、よい日となりますように。 できましたら、キリスト教会の礼拝に足をお運びください。

                        

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2009年1月10日 (土)

フラワーガール

 今日、10日 ・・・ 孫娘(3歳)が、結婚式で新婦を先導しながら花をまくフラワーガールの役割を果たすのだそうです。

 新郎新婦に幸いがありますように。

 フラワーガールを務めることを「私、結婚したわ」というふうに思い違いしないとよいのですけれど ・・・ 私の妹が幼いときに、それらしい思い込みをしたふしがありましたから。

 でも、そういう思い違いも何だかふんわりとしたあたたかい幸せな人生の時代が感じられ、それはそれでいいものですよね。

 いえ、まだ、孫娘がそういう思い違いをするかどうかもわからないのですけれど。

 どうも、お騒がせいたしました。  よき日となりますように。

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2009年1月 9日 (金)

「ごま和え」と「ごまよごし」

 わあ、驚きました。

 「ごま和え」(ごまあえ)と「ごまよごし」  ・・・ ちゃんと区別があるのだそうですね。

 テレビで放送されたそうですし、もともとご存じの方も多いのかもしれませんけれど。

 「ごま和え」 ・・・ 白ごまを使った料理

 「ごまよごし」 ・・・ 黒ごまを使った料理  とのことです。

  申仕上げるまでもなく、国語の教師といっても、国語に関するすべてのことをしっかりと知っているわけではありません。

 中学生のときだったか、めずらしく、お医者さんに行くことがあって、もらってきた薬の袋に「食前」「食後」にはさまれて「食間」という文字があり、その「食間」に○がうってあったので考えた末に、ご飯を一膳食べたところで薬を飲もうとしたこともありました。

 父が「何をしとる」と見とがめたので「食間とあるので」・・・と説明すると、「それは食事の中間という意味ではなく、食事と食事の間という意味だ。常識ではないか」と笑いながら教えてくれて、「まあ、それだけ、お医者さんや薬と縁遠かったということやな」とフォローしてくれました。

 確か、その時の袋には「食前」「食間」「食後」という順に印刷されていたので、よけいに間違いやすかったのですね。

 でも、辞書を引くか、素直に質問するかすればよかったと思いました。

 「聞くは一時の恥聞かぬは一生(末代)の恥」 ・・・ この国のある大臣が漢字を読み間違えてひんしゅくを買うのは、よき助言者がいてもそれに耳を貸さずに失言を重ねてしまう構え、体質がその背後にあることを多くの人が見て取っているからではないでしょうか。

 これが、読み過ぎでしたら謝りますけれど ・・・ 

 その大臣が「新聞は読まない」と公言しておられることが、ラジオの国会中継(衆議院の予算会議)で質問議員の口から聞かれました。本当だとしたら、聞く耳持たぬというイメージがさらに強まってしまいます。

  その放送は途中から聞いたのですが、周りに耳を貸さない裸の王様の夢を見た、という前置きでその国会議員の質問は始まったようでした。

 うーん、つい、この文を書き始めたときには予定していなかったことまで書いてしまいました。

 ことばを正確に、そして思っていること以上に書いたり語ったりして仮分数のような状態になることがない今日という日になりますように。 

 

 

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2009年1月 8日 (木)

米軍に入り♪「リリーマルレーン」を歌って慰問したマレーネ・ディートリッヒ

 先日書いた『五線譜のばら2 音楽史を彩る女性たち』(萩谷由喜子著 ショパン社)にマレーネ・ディートリッヒのことが書かれていました。

 映画「嘆きの天使」(1930年)に出演したとき、主演男優はのギャラは20万ドル、ディートリッヒは5000ドルだったそうです。この映画で一躍スターとなり、アメリカに渡り、「モロッコ」などに出演して、ハリウッドの大女優となった彼女にドイツ総統となったヒトラーからナチスのイメージを高めるためドイツに戻ってくれ、帰国したら優遇するとの強い要請がありました。

 けれど、彼女は、ヒトラーの要請に応じません。そしてドイツに戻らないだけでなく、ドイツの国籍を捨て、アメリカの市民権を獲得し、アメリカ軍に従軍し、夜は寝袋で寝ながら前線の兵士たちを慰問して回りました。

 その生活が実に3年間・・・100万ドルの脚と形容された美しい足にも無数の傷跡が残ったそうです。

 彼女が慰問してまわって歌った歌の中で最も有名になった歌、それが♪「リリーマルレーン」でした。

 1970年の夏、大阪で開催された万国博 ・・・ 会場の一角にある万博ホールでのショーの最後を飾ったのが、このマレーネ・ディートリッヒだったそうです。

 彼女は、『誰がために鐘は鳴る』を書いたヘミングウエイ、『西部戦線異常なし』を著したレマルクとも交流があったそうです。

  ヒトラーの全盛期に映画「独裁者」を制作し、彼を痛烈に皮肉り、最後に平和を強く希求する大演説をしたチャップリンのことはよく知られています。もし、ヒトラーが勝利を手にしていたら、どんな危険が身に及ぶかも覚悟の上での企画、制作だったことでしょう。

  私は、この本を読むまではマレーネ・ディートリッヒのこの勇気ある生き方を知りませんでした。

 そして、思うのです。ヒトラーによって、そして戦争によって、どんなに気高く、素晴らしい才能を備えた人たちがその能力を花開かせ、人類に宝を残すことなく抹殺されてしまったことかと ・・・。そのような歴史を繰り返してはならないのです。

 小さくても、人類の平和につながる何かを今日、為すことができますように。

 

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2009年1月 7日 (水)

ブレス(息継ぎ)

 ピアノの先生が「次のフレーズに移るとき、ここでブレスして ・・・ そうしないと聴いている人がえらくなりますから。」と教えてくださいました。

 おお、そうでしたか、そういえば聴いてくださる方よりも、まず私自身がえらさ(息が詰まって苦しい)に陥っておりました。

 教会で讃美歌の伴奏をさせていただくときには、皆さんが倒れてはいけないので、ブレスを意識しているのですが、ピアノ曲のときには、音符を音にするのに手一杯で、上記のようになってしまうのですね。

 そのとき弾いていたのはべートーベンの「さらばピアノよ」という曲です。この題名がベートーベン自身の命名なのか、そうだとしたらどんな心境のときの曲なのかなど実は高校時代から気になっているのですが、いまだに分かりません。

 ピアノの練習だけでなく、多くのことにこういうペースで取り組んで(止まって?)いるので、もう今年に入って7日目になるのかと、少しばかり驚いてもいます。

 さて、七草がゆ ・・・ 貴族は奈良時代から そして庶民は江戸時代から親しんでいるそうです

 うーむ、息抜きならぬ、息継ぎを大切にしながら、引き続き歩んでまいりたく思います。

 今日もよい日となりますように。

 

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2009年1月 6日 (火)

寒さを知る人のあたたかさ

 職を失った方々がしばらくをしのぐことができる日比谷公園の「年越し派遣村」の果たしている役割は大きいと思います。しかし、それも5日限りと報道されています。

 名古屋の中村公園もホームレスの方たちが寒さと飢えをしのぐために大切な場となっています。

 飛騨のかたが、年末の1週間で救援物資と募金を寄せてくださり、5トン以上の物資を各地に発送する働きをしておられます。その物資を乗せたトラックが直接、支援の続けられている拠点に到着し、大きな歓声で迎えられる場面もあったそうです。

 年が明けても、そうした善意が救援物資という形で寄せられ、必要なところへ届けられています。こんなメールが届きました。

 支援の荷物がまだ届きつつあります。今日も、私の手に余るほどたくさんお米が入った重い箱を10箱発送したところです。

 新品の立派な黒い鞄に男性の旅行仕事に必要な新品肌着、靴下、洗面道具一式
と、それに添えて希望が湧くようにと『来年のカレンダー』をセッティングして
下さった方もありました。

 ある方は年末の荷物に間に合わなくてお正月休みをあてて頑張って下さり、さ
まざまな荷物を持って来て下さいました。
その中に手編みのマフラーもあります。後でメールを下さったので知ったのですが…『昨夜、皆さんの幸せを祈って、急いでマフラーを娘と編みました。娘は間に合いませんでしたが、私のは1本入れることができました。』何とすばらしいんでしょう。

 今回 手作りの編み物は私が知る中ではこの方を含めてお三人です。

 あるお宅は、一昨年亡くなられたあるお祖母さまの押し入れを片付けていたらこういう品が出てきた、とひざかけやデンチコさんをたくさん届けてくださいました。これらの品は車椅子のかたがたのところへ行く荷物に入れることができました。多分、お祖母様は、このように使って欲しいと思われ、せっせと編み貯めてくださっていたのでしょう。お優しい人柄が忍ばれます。

 また、1月の飛騨24日市に出品するつもりで編んでいた帽子10個を「また編むでいいんやさ」と全部出して下さった方があります。

 皆様に感謝です!皆様のお心がしっかり伝わり、再出発の希望を新たにする方の手にそれぞれの品々が渡ることでしょう皆様からの、一本のマフラーがマフラー以上の働きをしてくれます。一個の林檎が、お握りが、一椀のお味噌汁が、一枚のジャケットが 手編みの品々がそれぞれに込められた心とともに大きな働きを果たすことができるように祈っております。心温かい皆様の貴重な働きに心からお礼申し上げます。

 寒さを知る飛騨の人々のあたたかい心を感じております。

 新聞に政治家の名が載りますけれど、人の世の大事な部分をになっているのは、歴史に名前の残らないこうしたかたたちなのだとしみじみと思います。

 今日もよい日となりますように。

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2009年1月 5日 (月)

メガネ

 メガネを拭いていたら、フレームに布が食い込んで、ほんのわずかですが糸くずがとれなくなってしまいました。正月の三日目に店を開けた眼鏡店・・・期待の初日でしょうに、所在なさそうに店員さんが立っているように見えたので、その糸くずを取ってもらうことにしました。

 糸くずを取り、ぴかぴかにしてもくれましたので、「検眼もいかがですか」の声に応ずることにしました、

 6年か、ひょっとすると7年前にあつらえたメガネは、現在の目には負担がかかる矯正具合になっていることが丁寧な検査の結果、分かりました。

 少年時代からの近視、そして乱視が入ってきて、年齢が高くなって老眼 ・・・ 検査技術も、そしてメガネのレンズもずいぶん進んできているそうです。

 価格も聞き、一晩考えて、フレームはそのままにレンズを新調することにしました。

 1週間ほどで、新しいメガネになります。

 新しいメガネによって、見える世界 ・・・ ついでにそのメガネのこちら側にある私の人を見る目、世の中を見る目も、新しくなりますように。

 ベッドは買えるが、安眠は買えない

 薬は買えるが健康は買えない

 聖書は買えるが信仰は買えない

 結婚指輪は買えるが、永遠の愛は買えない

  ・・・ 聖書に、見えるものは一時的だが、見えないものは永遠であるという意味のことばがあります。

 メガネに頼らず、見るべきものを ・・・ 人生において大切なものを見ることができる今年となりますように。  

 今日も、よい日をおすごしください。

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2009年1月 4日 (日)

久しぶりの山登り

 3日はよく晴れていましたので、久しぶりの低山登りをしました。

 以前にもご紹介した各務原市の尾崎団地にある「三峰山」 ・・・しばらく山には登っていないので、ちょっと懸念もありましたが、いざ登ってみますと20分ほどで頂上でした。

0005 0006           北京やシドニーなどの方向と距離数が写真の通り表示してあり、ユーモアを感じます。

 この山の高さのほぼ半分の所に駐車場があり、お得な感じがするのと、けっこう勾配があるので心肺機能や足の筋肉などを鍛える効果があるように思えるところがいいと思います。

 案内表示板を見て、人生のガイドブックである聖書のことを思いました。今年は通読に力を入れたいと思います。

聖書 キリスト誕生以前に書かれた旧約聖書 39巻

    キリスト誕生以後に書かれた新約聖書 27巻

 語呂合わせで さんく にじゅうしち と覚え、合計66巻です。

 それぞれの巻は章と節で構成されており(詩篇は 章と呼ばずに 篇 となります)

  旧約 929章 新訳 260章  合計1189章 ・・・ 毎日 旧訳を3章ずつ、新訳を1章ずつ読んでいくと、1年間で通読することができます。

 もしよろしかったら、お読みください。聖書の通読に関するホームページ(通読についての考え方、そしていろいろな通読の仕方とそれを記録する通読表をダウンロードできるURLを下に添えておきます。

http://biblestyle.com/

 今日もよき日となりますように。

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2009年1月 3日 (土)

寒さの中の熱き花

Photo  写真は、庭に花開いた侘び助椿です。

 1月2日朝、岐阜市なりに冷え込んだ寒い朝、けなげに咲いているこの花を見ていましたら、このところ読んでいる本の一節がうかんできました。

「成功とは何でしょう。わたしは、劇場に響きわたる拍手喝采が成功とは思いません。成功とは、自分の理想を実現することです。」ロシア出身の名舞踏家アンナ・パヴロワ

 この言葉は『五線譜のばら2 音楽史を彩る女性たち』(萩谷由喜子著 ショパン社発行 2005年12月2日第一刷発行)に書かれていました。

  人が見ていてもいなくても、冷え込む冬の朝にも、花は自分のベストを尽くして咲き出でる ・・・  りんとして咲く花と、厳しい切磋琢磨を自分に課して世界の舞台に立ち続けた舞踏家の高い志を語った言葉とが私の中で結びついたのかもしれません。

 今日もよい日となりますように。 

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2009年1月 2日 (金)

元旦の礼拝

 キリスト教会の元旦礼拝に出席してきました。ご理解いただけると思いますが、クリスチャンは、神社の初詣には行きません。

  聖書に基づく牧師のメッセージの中の、愛するとは、あなたのすばらしさを最高に光り輝かせるために私はベストを尽くしますということだとの一節が特に心に残りました。

 そういうふうに相手に期待し要求することはできても、そのように相手を愛することは、人間にはなかなかできないことです。

 聖書に「我が魂よ、神をほめまつれ」という言葉がありますが、神様に対しても、「神よ、我をほめまつれ」といわんばかりに願い事の長いリストを羅列してしまうことが私などはよくあります。 おお、これでは、魔法のランプの精に命令を下すアラジンのようではないかと反省しきりです。

 かつて、ミッション系の高校の野球部が甲子園に出場し、勝ち上がって決勝戦に臨んだとき、「神様、勝たせてください」とは祈らず、「神様、練習してきたことが発揮できるようにしてください。」と祈ったとのことです。

 結果的にこの高校、桜美林高校は優勝したのですが、私は優勝したこと以上に、その祈りの姿勢に感動いたしました。

 さて、礼拝の後に書き初めはいかがですかと、用具を準備してくださっている方がありました。 そのご婦人はとても美しい文字を書かれます。そして、何とその方の二人の娘さんの中学時代に私は国語の教科担任だったのです。その方の前で、私が書き初めをすると「こんな文字を書く人が大事な娘の国語の先生だったのですか」と叱られる ・・・ いえ、そんなことをおっしゃる方ではないのです、私がそう思うだけのことです。

 で、結局、その方に、ピアノを練習するときにその文字を眺めて、私の心の内の歌を引き出すためにとお願いして「歌」という文字を書いていただきました。

 こんなふうによいスタートの元旦でした。

 読んでくださっているあなたの元旦、それに続く2日以降も佳い日々の連なりとなりますように。  

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2009年1月 1日 (木)

2009年、どんな足跡を記されますか

 2009年、明けましておめでとうございます。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 皆様とご家族にとって佳い一年となりますように。

 ブログ「ムーミンパパのシルエット」、830を少し超えたところです。

 仮に、もし1000に達したら・・・それは半年近く後のことになりそうですが、そのときはどうしようかと、そのときに考えることにしますね。

 元旦から、引用なのですが、つぎのURLに掲載されていた「足あと」という詩を初めてではありませんが、紹介させていただきます。

 あなたは、この一年、誰と足跡を記しつつ歩まれますか。

 できれば、この詩に読まれているイエス・キリストと歩んでいただけば、嬉しく思う私です。

 それでは、よき2009年の初日となりますように。

   ◇    ○    □    ☆    ※    ☆    □    ○   ◇

http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1279044.html

「あしあと」という詩をご存知でしょうか。

Footprints という詩で、マーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性の作った詩です。
「あしあと 多くの人を感動させた詩の背後にある物語」(太平洋放送協会刊 1996年)に掲載されています。まずその詩を紹介いたしましょう。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」


英語の原詩も紹介します。

Footprints

One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there
is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."
He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."

いかがでしょうか。
クリスチャンではない方には違和感が残るかもしれません。
でもそれを乗り越えて、じっくり味わって感じたことをお教えください。
不思議な慰めといやしを与えられる詩だと思います。

この詩を初めて読んだのは、もう20年も前のことでした。
この詩は確か作者不詳となっていたと思います。
不思議に心に残る詩でした。
それから何度この詩に出会ったことか。

「あしあと」というこの本を読んでなぜこの詩が多くの人の感動を呼び起こすのか、少しわかった気がするのです。
こんな話しが紹介されていました。

夫(ポール)が事故で重傷をおい、集中治療室で寝ていたときに、朝早く看護婦がやってきて夫に尋ねました。
「パワーズさん、あなたと奥さんと娘さんのために、祈らせていただいてよろしいでしょうか」
ポールがうなずきましたので、看護婦は祈りました。
祈り終わったあとに、詩を書いたカードを取り出し、夫の手を握って静かに次の詩を読みました。

看護婦は読み終えると、夫を見つめていいました。「私はこの詩の作者を知りません。作者不明なのです。」
ポールは弱々しく手を上げて言いました。「私は知っています。作者を知っています。」
看護婦はクスリのために意識がもうろうとしているのだと思いました。しかし、ポールはもう一度言いました。
「私は作者をとてもよく知っています。……私の妻です。」と。

この詩は1964年に書かれた詩なのですが、その後、引っ越しのときに間違って配達されて行方不明になってしまった荷物の中に入っていました。それがいつのまにか誰かの手によって「作者不詳」ということで発表され、有名になってしまいました。
それがこのような形で作者の夫を励ます詩となって作者に戻ってきたわけです。

  ◇    ○    □    ☆    ※    ☆    □    ○   ◇

 ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。 よき日、佳き年を !

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