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2009年3月 5日 (木)

『エミール』

 『エミール』(ルソー著 平岡 昇 訳 河出書房 昭和41年4月1日 発行)

  『エミール』は副題が「または教育について」となっています。大切な本だとは思いながら、私は断片的にしか目を通すことがないまま今日に至ってしまいました。

 まだ読み始めたばかりですが、最初のほうにこんなことが書かれています。

 父親が子供をもうけて養っている場合、それだけでは、その父親は自分の任務の1/3をはたしているにすぎない。彼は人類からは人間をあずかっており、社会からは社会人をあずかっており、国家からは市民をあずかっているのである。

  この三重の債務を支払う能力があるのに、それを実行しない人間は、みな罪があり、それを中途半端にしか実行しない場合は、おそらくさらに罪が重いだろう。父親の義務を果たすことができない者は、父親となる権利はない。貧困も、仕事も、世間への思惑も、自分の子供たちを、自分の手で養い育てる義務から免れる理由にはならない。

 ・・・ 子供を養い育てるだけでは1/3であり、社会人として、そして市民として育て上げる任務が父親にはあるのだと、確信を持ってルソーは書いています。

 そして、この任務はお金を出して家庭教師を雇うというようなことで他人に肩代わりしてもらえるような性質のものではないとも書いています。

 現在の社会では、ルソーのいう1/3である子供を養い育てるということにおいても心配な状況が報道されています。

 古典を現在の状況と照らし合わせながら読むことで、足元を見つめ直す ・・・そんな思いになっています。

 少なくとも、人類社会がずんずんと理想の高みに向かって進み続けてきているとは、とても言えないことを改めて思いました。

 読んで学んだことを前進へのエネルギーへと生かしたいです。

 今日も、よい日となりますように。 

 

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