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2009年3月16日 (月)

ピアニスト グレン・グールド

Ca390027  『グレン・グールド発言集』( ジョン・P.L.ロバーツ著 宮澤淳一訳 みすず書房2005年 9月25日 発行) を読んでいます。

 グレン・グールドは1932年9月25日にトロントに生まれ、十代のときからカナダでピアニストとして認められました。

 1956年に発売した「ゴルトベルク変奏曲」のアルバムで従来のバッハについての解釈を一新し、話題を呼びました。以後、独自の選曲と解釈で名声を高めますが、1964年のリサイタルを最後に、舞台から退き、以後はレコードの録音と放送活動のみで活動しました。 終生トロントで暮らしたそうです。

 この本の最初に、グレン・グールドと親しくしていた著者が著作集をだすことを提案したら、グレン・グールドは、自分は百十歳まで生きるつもりだから、時期尚早だと断ったそうです。そういう本は人生の終わる間際であって、若い内から書くのは不吉だという考え方をしていたそうです。

 でも、グレン・グールドは、彼が予定していた年齢の半分もいかずに50歳で急逝しました。

 けれど、彼のレコードは1982年に彼が亡くなった後も根強い人気を博しているそうです。

  寿命は、天命ともいわれるように自分で決めることはできませんが、「人生は短く、芸術は長し」という言葉を象徴しているような人生ですね。

 彼は、変わった人だと言われることが多かったそうで、どんなだったのかとこの本から少し拾ってみました。

①ピアノの演奏中に、片手があくと、その手で指揮をしたがった

  ・・・協奏曲の時などは、オーケストラの指揮者が「指揮は私がするから、あなたはピア ニスととしてピアノに専念しなさい」と、穏やかならぬ思いになったようです。

② どんな曲の演奏中にでも静かに鼻歌を歌う癖があった

 レコードでも、彼の鼻歌がはっきり録音されているものがありますね。

③ 頭の中で練習する習慣があった

 指の訓練はあまりせず、両手を湯につけて温浴することで筋肉をほぐした

④ 手を大切にし、握手を避け、毛糸の手袋をはめ続けた

⑤ ④ともつながるのでしょうか、紅茶を用意するとき以外、キッチンには断固として足を 踏み入れなかった

⑥ 夏でも寒がっていて、一年中コートを着て、マフラーを首に巻き、毛糸の帽子をかぶっていた  ・・・ 血行がよくなく、健康には不安を抱いていたそうです

 けれど、著者の知るグレン・グールドは思いやりがあり、控え目で、才気あふれる温厚な人物で、たいへんユーモラスでいつも魅力的、後進の支援にも熱意を注ぎ、剃刀のように切れ味のよい精神をもち・・・ という人物だったそうです。

 握手についても、フアンのことを考え、わざわざこんな掲示を出したそうです。

 お 願 い

 ピアニストの手は予期せぬ怪我に見舞われることがあります。申し上げるまでもなく、たいへんな事態となります。 そこで、握手をご遠慮願えれば幸甚に存じます。このことであらゆる困難が取り除かれます。無礼をいたすつもりはございません。あくまで怪我をするあらゆる可能性をなくすのが目的です。 ご協力に感謝します。 グレン・グールド

 スタインウエイというピアノ会社の主任技術者に「背中に乱暴な平手打ちを受けた」ことが体に危害をもたらしたとしてスタインウエイ社を相手取って30万ドルの損害賠償事件を起こしたこともあるそうです。

 これも、そして人前でのリサイタルをしなくなったのも、体が弱く、健康に自信がなかったからではないかと察せられます。

 ベートーヴェンが人間嫌いだったように言われることがありますけれど、本来は人との交流が大好きだったけれど、耳が聞こえないことを悟られまいとして、ベートーヴェンが悲しくも自分に課した生活の在り方が世間にはそう受け取られたという面も多分にありましょう。

 芸術家に対しては、いろいろな風評ではなく、その芸術を通して自分が直接、その芸術家に出会うことが大切なのではないでしょうか。

 そして、芸術家ではない、他の人に対しても、風聞ではなく、直接に出会うことを大事にしたいと思います。

 さて、この本を読み進めながら、グレン・グールドの演奏を楽しむことにいたします。

 今日も、よい日となりますように。

 

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