静かな喜び
教員採用試験の願書提出の時期が来て、このところ学生さんが部屋を訪れる数が増えておりました。
それぞれの学生さんのよさ、教師になりたいとの志がよく表れるようにとアドバイスしますと、その場で懸命に下書きを練って書く学生さんもいます。
下書きが完成して、「あなたの思いが読み手に伝わるようになったよ」と励まし、彼らが帰って行った後、机の上に、消しゴムで何回も消したカスが残っているのに気がつきました。
呼び戻そうとも思ったのですが、すぐに次の学生さんたちが何人か来ました。その中に、かつて私が勤務した中学校の卒業生が一人いました。
その学生さんも、机に向かって下書きを仕上げたのですが、私が何も指示しないのに、机の上を綺麗にして、(先ほどの学生さんの分もすっかり片付けて)アドバイスのお礼を述べて帰って行ったのです。
私は、静かに、けれども深く感動しました。
それは、ほぼ20年前、その中学校で、校長先生が喜んでおられた生徒の姿と、今回のその中学校の卒業生の姿とが重なったからです。
校長先生が喜んでおられたのは、当時、生徒会の役員だった生徒が校長室を訪れて校長先生のお話を伺ったとき、(今は、岐阜市内はじめ、ほとんどの学校が禁煙になっていますが)、先客が机上にこぼしたタバコの灰に気がついた生徒が、自分のハンカチにその灰をくるんで、机上もきれいにして部屋を出て行った心遣いに対してでした。このときも、そのように指示されたわけではありませんでした。
20年過ぎて、同じ中学校に学んだ後輩が、おたがいの面識もないのに、指示もなく、主体的に自分がよごしたところではないところも綺麗にして、そのことを口にすることなく去室したこと ・・・ その学校に通算10年勤めたことのある私は、言いしれぬ感動に満たされました。
こういう姿は、テストの点数には表れてこないと思います。けれど、その中学校を訪れたある高校の校長先生が、玄関を掃除していた生徒が校長室に案内するその対応ぶりに感心して、「この学校が推薦される生徒さんだったら、安心して受け入れられます」と話して帰って行かれたこともありましたから、分かる方にはすぐ分かっていただける姿なのです。
非力な教師でしたけれど、教え子の心に輝くものを見るとき、また、次世代をになう若人に、静かで確かな心配り、すぐれた人格の実りを見るとき、教育の道に志して歩んできてよかったと味わうことができる幸せに満たされます。
もちろん、他の学校でも同じように子どもたちは育っています。
今日も、学生たちが実習させていただいている学校を訪問し、ある教室では「おっ、○○くん、今日はずいぶん積極的に発言するね、どうしたんや」とほめられている生徒を見ました。 ・・・実は、その生徒は、私が最後に勤めた小学校の卒業生なのですよ、久しぶりに私の顔を見たのでげんきに学んでいるところを見せてくれているのかもしれません と担任の先生に告げることもせず、幸せな思いでその教室を後にしたのでした。
わが大学の学生さん、そして、教育の道を志す若人たち・・・ 教員採用試験は難関ですが、苦労して挑戦する値打ちのある道です。 自分の持ち味を錬磨して、ぜひ合格してください。
今日もよい日となりますように。 明日は日曜日、キリスト教会では礼拝が開かれ、清楚に基づくメッセージが語られます。ご参加くだされば、嬉しく思います。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)



























最近のコメント