« 美濃橋 | トップページ | 月夜のガーデン »

2009年10月 5日 (月)

ピアノの調律

 やっぱり、調律後のピアノの響きはひと味もふた味も違っています。

 前回の調律から、二年を経過していました。その間、毎日、ほぼ1時間弾いていたのですから、年数を経て安定しているとはいえ、ピアノも調律を欲していたのです。

 調律師さんは、我が家のピアノとちょうど同い年、40歳の熱心で穏やかな方です。丁寧に調律、そして各音の部品の具合などを調整してくださいました。

 お話ししていて、私が以前勤めていた学校の保護者だということが分かり、いい方に巡り会ったなと喜んでいます。

  さて、快くピアノに向かったあと、自分自身の生き方、人生に向かう姿勢の調律は大丈夫だろうかと省みています。

  インドのタゴールという詩人は、「張り詰めすぎた弦は良き音色を奏でること能わず」と書いているそうですが、私という人間の弦は、張り詰めすぎる心配はなく、ゆるみすぎることが多いので、引き締める方向を大事にしなければなりません。

 クリスチャン作家の三浦綾子さんは「罪とは、神様のほうを見ない,的外れの生き方のことだ」と書いています。

 調子外れの音ではなく、神様のほうを向いて、小さくてもよき音色を奏でる今日でありたいと思います。

 今日もよき日となりますように。

 

|

« 美濃橋 | トップページ | 月夜のガーデン »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ピアノの調律:

« 美濃橋 | トップページ | 月夜のガーデン »