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2010年1月31日 (日)

温かい配慮

Ca390052  盛岡の町を歩いて、おっ、いいなぁと思ったので、シャッターを押しました。夕刻でしたので、見えにくいかと思いますが、歩道と自転車道がきちんと分けて設けられていたのです。

  幅もしっかりと確保され、間にはフェンスがありますので、歩行者も自転車での通行者もお互いに安全です。

  雪が降る町なので、よけいに積雪時の交通に配慮されているのかも知れません。そこがすばらしいなと思いました。

 歩道と車道をしっかりと分ければ、人身事故は起こりにくくなります。

 自転車専用道路も、またしかりです。

  気温が下がる北の町に、温かい血の通う行政の在り方を感じました。

  盛岡出身の新渡戸稲造氏は、『武士道』などの著書、そして世界的な働きをして太平洋の架け橋となりました。完全に正しい方である神様は、正しくないことを意図的、無意図的に行ってしまう私たち人間のために、架け橋として、イエス・キリストをおおくりくださいました。

 今日は、日曜日、キリスト教会では、聖書に基づくメッセージが語られ、讃美の歌が歌われます。

 よろしければ、ご出席ください。あなたの為したことではなく、あなたの存在そのものを愛してくださっている神様に出会っていただけたら、嬉しいです。  よき日となりますように。

 

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2010年1月30日 (土)

みちのくの旅

 お待たせしました。わんこそばに、私、ムーミンパパは挑戦したでしょうか。

 実は、ここしばらく、息子家族のいる盛岡に滞在しておりました。

 わんこそばには、今回は挑戦しませんでした。機会を作れば作れないことはなかったのですが、もし行けば、三桁の数字・・・100杯を越えることに挑んでしまいそうな私なのです。

 盛岡で乗った体重計 ・・・ デジタルなのですが、ここしばらくの間で最もスリムな数字を示したのです。岐阜へもらって帰ろうかと思ったほど、少なめの体重を表示してくれた体重計でした。これが、わんこそばに挑戦という思いにブレーキをかけてくれたのかも知れません。

 けれど、帰りの車中では、「イーハトーブ花巻」という駅弁を堪能しました。

Ca390086 Ca390088         実は、行きの車中にあった旅行誌の最初のほうにこの弁当が紹介されていたので、帰りには、ぜひと思っていたのです。

  ウニ、鮭、牛肉、そして、そばも入っており、たいへん魅力ある地産地消のお弁当でした。詳しい材料名も分かっているのですが、皆様の食欲をかき立ててどうする、ということにもなりますので、写真を目で味わっていただくことで・・・。

  岐阜に戻って、我が家の体重計に乗りましたら、盛岡のような数値は出ないのです。・・・原因は、分かりました。時差・・・ 旅に出る前に節制した効果が盛岡で出た数字で、盛岡で心づくしの料理を心ゆくまで賞味した結果が、帰宅してから出ているのです。わざわざ、体重計を送ってもらうには及びませぬ。

 うーむ、我ながら、みごとな分析力 ・・・ でも、それを生かしてスリムなスタイルになるようにしなければいけませんね。

 体重の後遺症の話はそこまでにして、久しぶりに会った孫娘たちが今頃はなにをしているかなぁと考えている自分に気づくことが、しばしばです。こういう後遺症には、どう対応したらよいのでしょうか。

 思い出とバックミラーは、見とれてしまうためではなく、よりよき前進のためにある・・・また、孫たちに会うとき、私自身も成長しているように、地に足を着けて歩んでまいります。

 明日は、日曜日、キリスト教会へお出かけくだされば嬉しいです。

 今日も、よい日となりますように。    

  

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2010年1月28日 (木)

深い井戸の水を汲む

 昨日、宮城谷昌光さんのことを書きました。

 近年は、『新三河物語』『風は山河より』などで家康やその父のことなども書いておられますが、もともと中国の人物 ・・・ 太公望や管仲、晏子(あんし)などなどを描くことから出発されたようです。

 どの作品だったかにこんな言葉がありました。

 短い縄のつるべでは深い井戸の水を汲み上げることはできない

 幼い子どもの純粋な心を、ついつい忙しくすごしている大人が思い及ばずに理解できないでいるというようなこともあるでしょう。

  燕雀 いずくんぞ 大鵬の志を知らんや という言葉に通ずるかもしれません。

 吉川英治の『宮本武蔵』の結びにも、深いところに棲む魚にふれて、これらと通い合う言葉があったように思います。

 他にも、「正しいことが必ず力を持つ これを文化という」と、宮城谷さんの作品にあります。

 それこそ、どれだけ宮城谷さんの深い世界を汲み上げられるか分かりませんが、いつも読みたい本が10冊くらいは心にある、そんな日を重ねたいと思います。

  いえ、本を重ねるのでは、よく言われる「積ん読(つんどく)」になってしまいますので、実際に読み味わいつつ、歩みたいと願っています。

 今日も、新しいページを開きましょう。(テレビの「題名のない音楽会」のぱくりになってしまいました。)

 よい日となりますように。

 

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2010年1月27日 (水)

漢字の問題  国語科教師としては スリルあり

 ある夜、ふるさとの母から電話 ・・・ 「新聞の漢字クイズに取り組んで最終解答は分かったけれど、空欄もいくつかあるので、教えてほしい」とのこと。

 猶予をもらい、取り組んでみると、これがなかなかの難問 ・・・ 翌日、仕事に出かけるときに家内に、もしできそうならばやってみて、とバトンタッチ。

 戻って来ると、家内の表情の清々しいこと ・・・何と、漢字クイズの空欄が全部埋まっています。

 何でも、電子辞書も駆使して取り組んだとのこと。その機動力と根気に頭がさがりました。

 早速、母と電話でやりとりしながらいくつかの空欄を埋めたのですが、米寿の母が独力で出していた最終解答が正解であることも確認でき、それにも脱帽いたしました。

 一週間後の新聞に掲載された正解 ・・・ 見事、全問正解であることが確かめられました。

 やや、日をおいて、母から電話 ・・・「釣魚」と書いて何と読むのかという質問 ・・・ 幸い、釣りの成果を「釣果」(ちょうか)と読むことが思い浮かんで、「釣魚(ちょうぎょ)」だと思うと答えて、辞書を調べるとその語がありました。

 「さすがやねぇ」 と言ってもらえて面目をほどこしました。 けれど、いつ、他の問題で答えを求められ、解答に詰まるかもしれない運命に国語科教師はあることを改めて思いました。

 答えられなかったそのときは、「それでも国語の専門家?」ということになるでしょうし、質問の素材は限りなくあるでしょうから、答えられるかどうかは時の運ということになりそうです。「さすが」と「それでも」は紙一重の差 ・・・ いくつになっても謙虚に学び続けたいものです。

  そういう私から見ると、蒲郡出身の宮城谷昌光さんの 『三国志』、未完ですが、この方の漢字力、歴史を広く深く知悉しておられること、登場人物それぞれの個性の描き分け、心の機微の表現などなど、すばらしいですね。

 ただ、『三国志』は登場人物が多く、長い時代にわたるので、一人の傑人の歩みを描いている作品に、より多くの魅力を私は感じています。

 さて、今日も、よい意味のスリルを味わいながら、等身大の歩みを為す日となりますように。

 

めて、清々しい表情 

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2010年1月26日 (火)

わんこそば

 新聞に幼児の発したことばを集めている欄があって、その中にこういうのがありました。

 「きつねそばは、油揚げが入っていて、天かすが入っているのがたぬきそば」 と大人が話しているのを聴いて、幼い子が、「犬が入っているのがワンこそば?」と真顔で尋ねた。

 かわいいですね。それはともかく、黒柳徹子さんは、なぜかわんこそばのお代わりを入れる人は、食べている人がいる部屋のふすまとふすまの間がわずかに開いていて、その隙間からそばを見事におわんに投げ入れるのだとずっと思い込んでいたのだそうです。

 実際にはそばについていてお代わりを入れることが分かった後も、隙間からのスローイングをやったら面白いでしょと提案された徹子さんは、お店の方に、「そんなことしたら、部屋中びしょびしょになってしまいますよ」といわれたそうですが、いつか、実現しないかなあ、おもしろいのになあと今も思っておられるようです。

 私もわんこそば体験をしたいと思っているのですが、年甲斐もなく記録に挑戦してしまいそうなので、危うきに近寄らずにおこうかな、とも思っています。100杯を越えると記念の証明書のようなものがもらえる店もあるそうです。

 ムムッ、うずうず、いや、やめておこう ・・・ さて、私はわんこそばに挑戦するでしょうか、理性が働いて思いとどまるでしょうか。ご想像ください。

 答えは、近日、このブログで発表させていただきます。

 さて、今日もよい日となりますように。

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2010年1月25日 (月)

向き 不向き

 最近、書道甲子園というのがあることを知りました。

 とめ はねっ とかいうコミック本が原作のテレビドラマが放映されているな、と思ったら、ある日、実際の書道甲子園の様子がニュースで報じられていたから、驚きました。

 自慢ではありませんが、私は習字、書道に皆目自信がありません。他の国語の先生たちが書道協会から来た封筒の宛名書きを「さすがだ」と感心しているのをのぞき込んで 「???」(はてー はてー はてー)、どこがいいのだろうと思うくらい、書には縁がないのです。

 これも自慢ではありませんが、自分の小学時代、「火のみやぐら」と教科書にあったのを清書して提出したら、最後の「ら」に三重まるをいただきました。その先生は一字一字を評価してくださる先生だったのです。

 三重まるをいただいた「ら」 ・・・ それは、当時、二人がけの机だったのですが、隣の子が動いて机が動いたはずみで、私の手元がくるい、そのため、私の意図しなかった「ら」になった文字でした。

 つまり、私が書こうと意図しなかった「ら」、それのみが三重まるをいただいた ・・・ そして私の今までの生涯で三重まるが付いたのは、その「ら」だけなのです。

 落ち込んでも、やけになってもおりませんけれど、これで、今日のタイトル、「向き」「不向き」の意味がお分かりになっていただけたのではないかと思います。

 けれど、そういう自分であることが、ワープロ、パソコンで文字を打つことに割合早くから親しむようになったきっかけとなったように思います。

 きれいな手書きの文字を書かれる教頭先生がPTAの案内文書の清書をワープロを覚えたての私に頼んでくださったときには(えっ、そんなことってあるの)と夢のような気がしたものでした。その教頭先生の、私を育てようという意図、温情も込められていたと、今になって思いますけれど。

 人には向き 不向きがある と思います。でも、そのことによって思いもよらない展開が生まれることがあるのは、なかなかおもしろいことだと思います。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年1月24日 (日)

『待ってくれ、洋子』

 『待ってくれ、洋子』 長門裕之 著 主婦と生活社 刊

  ご存じのように、タイトルにある洋子は南田洋子さんのことですね。

 2008年10月3日にテレビの「徹子の部屋」で、長門裕之さんが洋子さんを老老介護している現実をカミングアウトされ、その一か月後には『報道発 ドキュメンタリ宣言』第1回で「長門裕之、南田洋子の『老老介護の日々』が放映されました。

 この本は、画像ではなく、ことばで長門裕之さんが「老老介護」の日々を書き表したものです。

  洋子の中の何かが、手のひらから、指の間の隙間からぽろぽろとこぼれていく。俺は一生懸命それを拾い集めて洋子の手に戻そうとするんだけれど、落とす速度が速すぎて、おっつかないんだ。

 名優だった南田洋子さんが ・・・

 ・・・ 読んでいて思ったのは、老いは他人事ではない ということ、そして、すべての人が認知症になるのではないけれども、足腰なども衰えていくことにどのように備え、歩んでいくのかを、ちゃんと考えておかなければ、ということでした。

  上智大学のデーケン教授の「死生学」のCDを、まだ緒論のところですが、聴いてみました。とてもよく準備され、整えられた内容と、語り口に感銘を受けています。

  この本の内容とは離れるかも知れませんが、この世での生を終えようというときに「もう少し待ってください」と言いたくなるのが人情かも知れませんが、従容としてそのときを迎えることができるように日々を歩みたいと思います。

聖書の言葉  ピリピ 1章21節

私(パウロ)にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。

 今日は、日曜日、キリスト教会では聖書に基づいてメッセージが語られます。  よい日となりますように。

 

 

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2010年1月23日 (土)

すてきな働き手

 勤務している大学の教育学部の、小中学校でいえば校務員さんにあたる三人の方は、とても働き者です。  

 外で広い範囲の雪かきをしておられると思っていたら、知らない間に七階建ての大きな建物の廊下、階段、教室などの掃除を手際よく進めておられます。教室の机の上も机の中も美しく整えてくださっています。半端な数ではありません。

 改修されたトイレに、いつの間にか、こんなふうに花を飾ってくださっています。近景と遠景を・・・

0024 0025          トイレの数もたくさんです。「一隅を照らす」という言葉が浮かんできます。

 自費をつぎ込んで、いろいろな種類のチューリップの球根を仕入れ、学生さんたちや私たち勤務者を憩わせようと、心を尽くしてくださっています。  空いた土地で育てた野菜を懇親会のバーベキューなどに提供してくださったりもしているようです。

 頭が下がります。そのお気持ちに応えて、微力ですが励んでおります。

 皆様の周りにも、きっとこういう方たちがおられることでしょう。そして、これを読んでくださっているあなたご自身もそうした存在ではないかと思います。

 さあ、今日も、よい日となりますように。 

  

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2010年1月22日 (金)

すてきな歌声 そしてダンス

Ca390001  岐阜大学コーラスクラブの第52回定期演奏会が、今週土曜日、岐阜県庁近くのサラマンカホールで開かれます。17時半開演、全自由席500円です。

  所用ができて本番には行けなくなったので、せめてと練習を見に行きました。

  岸田衿子 詩 津田 元 曲 「うたをうたうのは わすれても」

 鍛えられたたいへんきれいなハーモニーです。

 この曲集から二曲を練習し、それに続いて、演奏会当日は第三部になっている To You  ~ ありがとうの歌束 ~ の練習が始まりました。

 歌もすてきですが、若さあふれるダンスにも魅了・圧倒されました。

  厳しく、適切な指導が要所要所で入り、私にはブロードウエイのミュージカルの練習風景もこんなふうではないかと思われるほどでした。

  もし、距離的、時間的に都合が付く音楽好きな方がおられましたら、ぜひ、この若人たちのすてきなコンサートにお出かけください。

 今日も、よい日となりますように。

  

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2010年1月21日 (木)

ぼた餅

0042  昨日が「花餅」 ・・・ 花餅も鑑賞し終わったら、枝からはずして、揚げてあられにして食べられるのですが、おなかを満たしてくれるということでは、「ぼた餅」が勝ります。

 先日、書かせていただいた羽島市の保育園では、13日の午後に地域の方に教えていただきながらお餅つきをしたのでした。

 その保育園のリーダーの立場である方が、きっと私がお餅に思いを残しながら園を後にしたであろうと思いやってくださったのでしょう、我が家まで届けてくださったのです。

 何と、お優しい心遣いでしょう。とても嬉しくて、食べてしまうのはためらわれました。でも、おいしい食べ物は、食べられるためにこそあるのだと、感謝しながら早速いただきました。

 そのおいしかったこと、おいしかったこと ・・・ 文にも書けないおいしさでした。  ごちそうさまでした。重ね重ね、本当にありがとうございました。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 今日は、私の身内の一人の誕生日です。ハッピー バースディ・・・これからも元気に歩んでくれますように。

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2010年1月20日 (水)

花餅

 近くのコミュニティセンターに行きましたら、花餅が飾ってありました。

0036

 いろいろな地方にあるようですが、ふるさと飛騨では、こんなふうに花餅の由来を考えておられる方がありました。

 

 貧しく、苦しい生活をしていた農民が「餅のなる木があったら、どんなにいいじゃろうなぁ」との願いを込めたのではないか

 ・・・ 心に残りました。

 温室などのない時代、冬の生活のいろどりにと工夫されたのではないかとのお話も伺いました。

 生活に、何かやすらぎの感じられるものを工夫して生み出す ・・・ そういう心の働きって、すてきですね。

 こうした心を生かして、ものも、そして人生も、子どもたちの未来をもデザインする人が多くなったら、世界は今以上にすてきなところになるのでは、と思わずにはいられません。

  よきデザインの生まれる日となりますように。

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2010年1月19日 (火)

『徹子さんの美(み)になる言葉』

 『徹子さんの美(み)になる言葉 ー その後のトットちゃんー』

  黒柳徹子 著 講談社 2008年10月10日 第1刷発行

0046  徹子さんがユニセフの親善大使になったのは1984年のことだそうです。きっかけは、元国連避難民高等弁務官の緒方貞子さんが英訳されたばかりの『窓ぎわのトットちゃん』を当時ユニセフの事務局長だったグラントさんに渡され、アジアの親善大使を探していたグラントさんが「このくらい、子どものことを、わかってくれる人だったら」と考えたことだったそうです。

 子どもの賢さの例が書かれていて、なるほどと思いましたので、ご紹介いたします。

 ◇   ○   □   ☆   □   ○   ◇

 私(徹子さん)が好きなパンダの話ひとつとっても、子どもがいかに賢いかがわかります。パンダと聞くと、大人の質問はだいたい、「笹を食べるんですか?」「1日にどれくらい?」という程度のものですから、すぐ答えられるのです。

 でも、子どもの質問はいつも同じ。

「なんで白と黒なんですか?」 これに尽きます。でも、パンダがなぜ白と黒なのか、それは専門家でも説明できない。

       ◇   ○   □   ☆   □   ○   ◇

 テレビの「徹子の部屋」は今も続いていますが、2007年で32年、この番組の関係で、のべ8500人の方の話を聴かれているそうです。

 歯切れとテンポのよい文章で、心に残る内容が綴られていますので、よろしかったらお読みください。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年1月18日 (月)

冬の散歩道

Ca390059  お気に入りの散歩道、ほとんど雪が溶けたので歩いてきました。聖書に出てくるお話にちなんで「エマオの(途みち)」と家内は名付け、友人が来てくださるとお誘いしているようです。

  「エマオの途」と、看板を作って立てたいほどに家内は思っているようですが、長男が、「そういう違法行為には加担できない」とかなんとか、やんわりといさめたためか、家内が自制する気になったのか、幸いにして、実行にはいたっておりません。

  このところ、寒いとか、雪で滑って転ぶといけないとか、口実を設けて散歩をあまりしなかったので、今回を契機に、散歩をできるだけ日課にしたいと思います。

 「運動していないから、今日はご飯抜き」というふうには思考が働かないのが私の特徴です。

 よく食べ、よく活動するよい日となりますように。

  

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2010年1月17日 (日)

自分のことと思えない 思いたくないのが人情かも、 しかし

 阪神・淡路大震災が起こってから15年 ・・・ 昨日、ラジオで防災について考える番組が放送されていました。

 最初に、会衆にこんな問いかけがされました。

「東海地震は必ず起こると思いますか」 ・・・ 一人を除いて、さっとそう思うという意思表示がされました。

「ご自分も、その被害に遭うと思いますか」 ・・・ さきほどの人数から激減しました。

 この後は、目的地 ・・・ 音楽タイムを共に楽しんでいただく施設に到着したので、詳しくは分かりませんでした。でも次のことは分かりました。

 地震の研究も進み、エネルギーが蓄積されて、かなりの確率で東海地震が起こることは、頭では多くの人に理解されていること、しかし、自分はその地震の被害を受けたくないと思っているし、被害に遭わずに済むのではないかとほとんどの人が思っていること   ・・・ これが人情というものではないかと。

 頭で分かっていることと、それが腑に落ちているかどうかは、別なのですね。

 生まれた人は死ぬ。早い遅いはあるけれど、死亡率は100%です。

 そのことに異議を唱える人はいないと思いますが、でも、自分は死なないんじゃないか、できれば死にたくないと思っている人がほとんどではないでしょうか。

 防災に関したその番組は、頭で分かっていることを、感情で割引しないで、地震は起きるもの、自分に降りかかってくるものとして、具体的な対策を講じ、物質的にも精神的にも備えておきましょうという趣旨だったようです。

聖書には、次のように書かれているところがあります。 

聖書  ヘブル人の手紙  9章27節~28節

 人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 リビングバイブル という聖書では、次のようになっています。

 人間には、一度だけ死んで、その後さばきを受けることが定められているように、キリスト様も、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。 そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。
その時の目的は、彼を熱心に、忍耐して待ち望んでいるすべての人に、完全な救いを与えることなのです。

 イエス・キリストが十字架にかかったことは、歴史的な事実です。次に来られることを「再臨」といい、それは必ずあることとして聖書には書かれています。「再臨」をテーマにした有名な絵画も描かれています。

  私はクリスチャンですから、「再臨」についても頭で理解しているつもりです。でも、胸にまでしっかりと受け止めているかどうか ・・・ 大きなことは言えません。

※  ただ、読み返してみて、地震は、発生してほしくないことであるのに対して、キリストの再臨は、希望にあふれていることという大きな違いがあることに改めてですが、気がつきました。1日遅れとなりましたが、書き加えさせていただきます。

 今日は、日曜日 ・・・ キリスト教会で牧師先生から聖書に基づくメッセージを聴くのですが、あなたもいかがでしょうか。

 長いタイトルとなりました。このブログ史上、最長かもしれません。

 よい日となりますように。

  

 

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2010年1月16日 (土)

ピアノコンサート

 ここ三日、絶対量は多くないものの、雪が降ったり、溶けたりを繰り返している岐阜市です。山間部では、たくさん降りほとんど溶けないという状態のようで、さすがに冬ですね。

 どうぞ、あたたかくしておすごしくださいますように。

 15日夜、岐阜大学のピアノの先生とその研究室で学ぶ学生さんたちのコンサートがありました。

 昨年も聴かせていただいたのですが、おおーっと驚きました。この一年の間に、それこそ毎日30時間ほども練習したのではないかと思われるほど、伸びの大きさが感じられたのです。

  のんびり屋の私にも学生さんたちの進歩が感じられたのですから、専門家である先生方にはなおさらのことだろうと思います。もちろん、それに満足させずに、若い彼らを厳しい課題に向かわせ、さらに育てて行かれるに違いありませんけれど。

 「どの学生も、より高いところに目標を置いて、精一杯の挑戦をしている」・・・ 指導者の先生は、そういう意味のことを先日、私にお話しくださいました。 (私はといえば、まだ♪「冬のソナタ」が「どなた」状態です。)

 それにしても、猫が鍵盤の上を歩いても音が出る構造のピアノが、弾く人が交代すると、その人その人独自の音色を響かせるのはどうしてでしょうね。不思議です。

 特に、学生を育てておられる先生ご自身の音色の端麗さは、なまで聴いていただくしか、伝える術がないと思います。

 とても質のよい時間をすごさせていただきました。質のよい食べ物が体によいように、質のよい音楽、時間は、魂によいに違いありません。

 ありがとうございました。

 今日と明日はセンター試験 ・・・ 培ってきた実力をどの受験生さんも発揮できますように。

 天候も落ち着いて、よい日となりますように。

 

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2010年1月15日 (金)

シュバイツァーのバッハ演奏

 昨日 ・・・ 1月14日は、アフリカのランバレーネで医療に尽くし、聖者と言われたシュバイツァーの誕生日でした。

 30歳で医学の道に進むことを決意したのだそうですが、そのころには既に優れたパイプオルガン奏者として世に知られていたようです。

 私の父がシュバイツァーと誕生日が同じだとのことで関心を抱いたのですが、教科書に書かれていたシュバイツァーの伝記には、「自分は幸せに暮らしてきた。30を過ぎたら、世界の人々の幸せのために働こう」という意味の言葉がありました。

 この言葉は、宮沢賢治の「世界の人全体が幸福にならない内は個人の幸福はあり得ない」という言葉と通ずるところがあるように思います。

 そのシュバイツァーがバッハを演奏したおりのCDが販売されているとのことで、関心を持ち、文章だけを通して知っていたシュバイツァーの演奏を聴くことができるとは、と驚き、そして喜び、そして聴きました。

  何と堂々とした演奏でしょう。感激しました。シュバイツァーは、ヨーロッパでコンサートを開いて、その収益をアフリカの病院のために用いていたと読んだことがあったので、崇高な動機に裏打ちされた演奏はよけいに崇高に感じられたのかも知れません。

 考えてみますと、かなり前に生きたバッハの曲がシュバイツァーによって演奏されたのを私たちが鑑賞できること自体が不思議ですね。偉人の足跡はその生き方を反映して、長い時を越えて、やはり偉大です。

 目の前のことも大事にしながら、瞳を、そして志を高く上げて歩もう ・・・ そう思いました。

 よい日となりますように。

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2010年1月14日 (木)

元気な保育園児たち

  羽島市の保育園にうかがって、園児たちと音楽を楽しみ、保護者のかたたちにお話をさせていただく機会がありました。

 この冬は、けっこう雪が降るのですが、園児たち、「ポニョ」と「ドレミの歌」をお母さんがたや、先生たちと元気に歌ってくれました。

 昇降口には、チューリップや、写真のような飾りがあり、二階には大きなトトロとバス停がしつらえてあるなど、園全体に明るく楽しい雰囲気が満ちているのを感じました。

Ca390052 Ca390053         帰り支度をして廊下を歩いている私に気がついて、元気に挨拶してくれた子たち ・・・ 午後には、地域の方が協力してくださって、お餅つきを楽しんだとのこと ・・・  たくさんのお餅を食べて、「ポニョ」の歌詞にあるように「まんまるおなか」になった子もいたでしょうか。

  私のつたない話を熱心に聞いてくださった明るくさわやかな保護者の方たち、「ドレミの歌」などでいきいきと役割を果たしてくださった先生方、保育園に協力してくださる地域の方たち ・・・ こうした方たちのチームワークによってはぐくまれている子どもたちの幸せを思いました。

 しばらく、寒波は厳しいようですが、園児たち、雨にも負けず、雪にも負けず、元気に育ちますように。

 招いてよい時間を過ごさせてくださり、ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。  

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2010年1月13日 (水)

魁皇の幕内八○八勝

  ラジオで大相撲初場所を聞きながらの帰途、魁皇と千代大海の取り組みが放送されました。

 土俵に上がって22年間 ・・・ 大関から小結に落ちた千代大海とは54回目の対戦だそうです。

 送り出しではなく、厳しく送り投げをしての勝利 ・・・ 千代の富士と並んだ807勝に新たな1勝を加え、堂々の歴代一位。

 解説の舞の海の言葉が印象に残りました。

 「勝った瞬間、ガッツポーズをすることなく、むしろさびしげにさえ見えた。侍の心ですね。」

  武士の在り方に結んで、歴代一位の八○八勝の新記録を達成した魁皇の偉業を讃えていました。

 イチロー選手は、先人の記録を抜いたときに、「ほっとした。これからは時分とだけ闘えばいいのだから」と語りました。

 大記録を樹立した人は、そういう人でなければいえないことばが生まれる境地に達するのでしょうね、

 ふるさとの博多では、花火も用意したそうですが、怪我とも闘いながら達成した栄光を讃えたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

 生きている ひとひ ひとひが 晴れ舞台

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2010年1月12日 (火)

教え子の来訪

 日曜日の午後、ピンポーンと音がして、来訪者 ・・・ 今は関東地方に住む教え子が、会いに来てくれたのです。

  彼が我が家に来たのは36年ぶり ・・・ 前回は、彼が中学2年生の時でした。

 今は、社会人として大きな責任を果たして活躍すると同時によき家庭を築いています。

 話がはずみました。球技大会のときに作曲した応援歌も、彼は二番まですらすらと歌いました。作曲した私も、辛うじてメロディは記憶の中から引き出せましたけれど。

  高速道路を運転して順調でも5時間はかかるとのことで、引き留めるのは我慢しましたが、本当に楽しいひとときでした。

 Photo元気で ・・・ 教え子とその家族のみなさん、どうかすこやかで、お歩みください。 写真は、彼が岐阜に向かってくるときに購入してきてくれた中津川名物の栗きんとんです。

 あ、いえ、こういうおいしいものを持ってきてくれたから喜んでいるということでは、ありませぬ。信用してくださいませね。

 今日もよい日となりますように。

 

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2010年1月11日 (月)

干し柿

Ca390020  勤め先の同僚が、ティタイムにと干し柿を持ってきてくれました。奥さんの力作だとのことでした。

 皮をむき、熱湯につけ、気候にもよるでしょうが、一か月ほどでしょうか、日光を浴びさせ、その間に二回、焼酎につけて更に干して仕上がった逸品です。

 おいしかったです。 

 パソコン上で角川の俳句歳時記 第四版で「ほしがき」をひいてみますと、下記の説明と俳句が出てきました。

 干柿(ほしがき)  【季語の分類一覧】
吊し柿(つるしがき) 串柿(くしがき) 甘干(あまぼし) 枯露柿(ころがき) 柿干す(かきほす) 柿簾(かきすだれ)

「秋-生活」の季語
渋柿の皮を剝(む)いて日に干したもの。吊し柿は縄に吊して干したものであり、串柿は竹や木の串で貫いて干し、晒(さら)して作る。一個ずつ作ったものを枯露柿といい、真っ白に粉がふいているのが良品。
 → 柿

釣柿や障子にくるふ夕日影     丈草
干柿の緞帳山に対しけり      百合山羽公
干柿の種のほつそり物思ひ    鍵和田秞子
吊柿鳥に顎なき夕べかな      飯島晴子
山国や星のなかなる吊し柿     木内彰志
半日の陽を大切に吊し柿      甲斐遊糸
甘干に軒も余さず詩仙堂      松瀬青々
柿干してけふの独り居雲もなし   水原秋櫻子

 うーむ、日本の生活にしっかりと根を張っている感じがいたしますね。

 ごちそうさま、ありがとうございました。

 さて、今日も、よい日となりますように。

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2010年1月10日 (日)

星とたんぽぽ

星とたんぽぽ  金子みすゞ

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる、
晝(ひる)のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

 岐阜市を流れる長良川 ・・・ その長良川と金華山が一体となった景観は、すばらしいです。

 1月7日の朝、金華山頂は、雪に包まれていました。けれど、そこには、まぎれもなく岐阜城が存在していました。

Photo Photo_2

  「見えぬけれどあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」

 今日は、日曜日 ・・・ 神様を直接見ることは、人にはほとんどできません。けれど、神様のおつくりになったこの世の被造物によって、目には見えない神様を人は知ることができます。

 今日は日曜日、キリスト教会では聖書に基づいて神様からのメッセージが牧師先生を通して語られます。 どうぞ、礼拝におでかけくださいますように。

 よき日となりますように。

聖書のことば   ローマ 1章 20節

 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。

  

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2010年1月 9日 (土)

冬の朝のフロントガラス

Ca390013  これは、車の運転席からフロントガラスを撮った写真です。

 車を電子レンジに入れるわけにもいきませんので、あたたかい日光の力を借りようと考えました。

Ca390009  側面の窓ガラスは、すぐに溶け始めました。

 太陽のありがたみを感じます。

Ca390015   前面は、なかなかしぶといので、内側からもあたたまってきたエンジンの熱を吹きかけます。

 卵がふ化するとき、外側から親鳥が殻をつつくのと、内側からひな鳥が殻を破るのとがあいまってひな鳥が誕生するのを啐啄(そったく)、あるいは啐啄同時などというそうで、特に教育の世界ではときどき紹介される言葉です。

 岐阜市の長良東小学校には、写真のような「啐啄」の碑があります。

Sottaku 冬の朝のフロントガラスから、視界が開けるようになるまで、そんなことばを思い浮かべておりました。

  しばらく、冷え込む日が多くなりそうですが、おすこやかで、よい日となりますように。

 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝では、聖書に基づくメッセージが語られ、讃美歌を歌って神様をほめたたえます。

 あたたかい日光をそそいでくれるからといって、その太陽を拝むのではなく、その太陽をも創造された神様を信じて歩むのがクリスチャンです。どうぞ、キリスト教会で、人生をあたためてくださいますように。

聖書のことば 創世記 第1章 1節

 初めに、神が天と地を創造した。

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2010年1月 8日 (金)

『俳談』 高浜虚子

 『俳談』 高浜虚子著 岩波文庫 1997年12月16日 第1刷発行

  昭和18年9月に高浜虚子の古稀(70歳)を記念して出版された本の文庫版だそうです。

Ca390017  153の項目のほとんどは、虚子が主宰していた『ホトトギス』に発表された座談会の中の発言だとのことです。

 文章の歯切れがいいのです。それは、俳人だからということでもありましょうが、序文に「善解する人は善解してくれるであろうと思う」と書いている潔さが虚子の生き方の根底にあることによるのだと思います。

 印象に残った文を引用させていただきます。

 私は芭蕉の真似、子規の真似はしない。どこまでも虚子で推し通す。古往今来唯一人である虚子で推し通す。にせものの芭蕉や子規にはならず、本ものの虚子で推し通す。

 うーむ、堂々としていますね。さすがだと思いました。

 さて、今日も、古今東西、この世にただ一人の自分として、堂々と歩みましょう。

聖書  マタイ 5章 14節

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

今日は、私の身内の誕生日です。おめでとうございます。これからもお健やかで。

 

 

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2010年1月 7日 (木)

きんかんの甘煮

Ca390004 Ca390008   きんかんの甘煮 ・・・ シロップも含めて風邪の予防などになるとのことで、おせち料理の仲間にも入っているようです。

 竹の串で種を取り除き、切れ目を入れてコトコトと。

  我が家の食卓に登場するのは、ちょっと遅めになりましたが、松の内には間に合いました。 実は、私の冬休みの期間に合わせたように、家内が風邪で寝込み、金柑を煮込むのものびのびになったのです。(寝込みと煮込みは似ているけれど、えらい違いですね。) 

 風邪の初期は、「何年ぶり」と言っていたのが、しばらくして「何十年ぶりの風邪」に格上げされ、とうとう「こんなにひどいのは、生まれて初めて」という表現にまで昇進いたしました。    

 早めに金柑の甘煮を作って食べていれば、風邪はひかなかったのかもしれませんが、まあ、骨休めができたということで、よしといたしましょう。

 現在は、優しい旦那様(? ウゥッ 誰のこと)の看護もあって、ほぼ快復してきましたので、ご安心ください。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年1月 6日 (水)

「冬ソナ・ロード」

0007  私の住んでいる岐阜市のとなりの各務原市は、ニンジンがたくさんとれるところです。おいしいキムチも名産。そして公園、山など緑の環境などの充実に力を入れていることにかけては、世界でもトップクラスだそうです。

  写真は、その各務原市の誇る「冬ソナ・ロード」です。

 時期にもよるのでしょうが、歩いていたヨン様のような人が「この道の夜のイルミネーションは雰囲気があってきれいだよ」と教えてくださいました。

 すぐそばに、「霧の泉」やカラスウリの木があったので、その写真も撮ってきました。市民に親しまれていることが、散策する人たちや親子連れで広い空間を楽しんでいる方たちが多いことから伝わって来ました。

0008 0009         あたたかい季節には、お弁当をもって訪れ、ゆっくりとたたずみたいと思います。

  身近なところに親しめるスポットがあるのは生活を豊かにしてくれる ・・・ そんなことを思い  ました。

  さて、今日もよい日となりますように。

 聖書のことば マタイ  11章 28節

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

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2010年1月 5日 (火)

『新編 春の海』

 宮城道雄随筆集 『新編 春の海』 千葉潤之介 編 岩波文庫 2007年9月14日 第4刷発行

Ca390001  新年を迎え、テレビやラジオから流れてくる箏や尺八の音色。それを耳にすると、ああ、お正月だなあ、という実感が湧いてまいります。

 特によく演奏されるのが♪「春の海」 ・・・ その「春の海」など、4百曲を越える名曲を作曲した宮城道雄さんの随筆集を、縁あってお琴の先生からいただき、読ませていただきました。

 眼疾のため、八歳の頃から失明した宮城道雄さんは、目が見えないためにご不自由はあったに違いありません。けれど、そのために心を閉ざすことなく、本質的に明るく、積極的、創造的に生きられた方だということが、この本に収められた43編の随筆、作家、林芙美子さんとの対談から、生き生きと伝わってきました。

 11歳で箏曲の演奏者として免許皆伝となり、家庭の事情があって13歳で師から離れ、朝鮮に渡り、やがて既習の曲を弾き尽くしてしまったことから、自分で曲を創り始める ・・・ これは、誰にもできることではないですね。

 新しい楽器の考案にも熱心に取り組み、十七絃、八十絃、大胡弓などを生み出したとのことです。

 この本には、聴覚を鋭敏に生かしての自然界の豊かなとらえ、そして、尺八の吉田晴風をはじめ、内田百閒、水谷八重子など多くの方との交流、スペインやフランスなどに出かけたこと、来日したヘレン・ケラーと会っての印象などが収められています。

  口述筆記してもらったものを聞き直してリズムなどにも配慮して仕上げられたということで、ちょうど箏曲を聴くときのように、ことばの調べを心地良く読み進むことができるように感じました。

 機会がありましたら、ぜひ、お読みください。

 さて、今日もよい日となりますように。

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2010年1月 4日 (月)

燃料満タン

 車の燃料はガソリンスタンドに行けば給油でき、だいたいどこまで走れるか、予想はできます。

 テレビで、お笑いの番組を見ていると、新しいギャグを連発する人たちが登場し、いつもネタを開発していることに感心します。

 芭蕉は、句作について「不易と流行」ということを語っています。

 漫才、コントの演目は、流行の世界でしょうね。これに対し、古典落語は、流行の中で生まれ、時代の中で磨かれて、不易の域にあるように思います。どんなあらすじか分かっていて、オチはこうだぞ、と知っていて、それを聞いて笑う ・・・ 約束事が守られる伝統の世界ともいえましょうか。

 そうしたことが成り立つのは、クラシックの曲のコンサートに似ていて、曲は同じだけれどもあの指揮者とこのオーケストラはベートーヴェンの曲をどのように演奏するだろうかという期待、楽しみがあるからではないかと思います。

 それはそれとして、私自身の内面が淀まないで、毎日を新鮮に生活するにはどうしたらよいのかと思います。

 2010年は「国民読書年」だと新聞にありました。

 小学校・中学校に勤めているとき、子どもたちに、「毎年、自分の身長の高さまでは読んだ本の厚さが達するように読書しましょう。」と話していました。

 毎日の食べ物を積み重ねたら、一年間かからぬうちに身長の何倍かの高さになることでしょう。

 心の糧となるような、読み応えのある本を、せめて身長の高さまでは読みたいと思います。

 宣教師にこんなことばを教わりました。「No Bible no bread.」 ・・・聖書読まずにご飯をたべるな、ということでしょうか。

 人は、パンのみにて生きる者にあらず  ・・・体のための食べ物だけでなく、魂の糧となる神様の言葉の記された聖書を読み続けたいと思います。

 ほかには、「レ・ミゼラブル」「ジャンクリストフ」、そしてトルストイの作品などを読みたいです。

 テレビを見る時間を減らしますね。

 よい日となりますように。

聖書  マタイ 4章 4節

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』

 

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2010年1月 3日 (日)

新年の雪

Ca390027 Ca390028           2010年は、雪景色をもってスタートしました。

  キリスト教会に元旦礼拝に行きまして、その帰り道、赤い橋と雪との取り合わせを写真に撮ってみました。

 飛騨の生まれ、育ちですので、あまり雪や寒さを苦にしないたちですが、車での通行は、相手があることですから気を配ります。幸い、道路の地肌がすぐに現れましたので、スピードを抑え気味にして出かけ、戻ってまいりました。

 さて、今日は2010年最初の日曜日 ・・・ キリスト教会では、聖書に基づくメッセージが語られ、讃美歌を歌って神様をほめたたえます。

 正月三が日、あなたはどのようにすごしておられますか。三日坊主といいますが、この年にやり遂げようと考えたこと、続いていますか。

 私も、三日坊主、いえ、三日クリスチャンとならないようにこつこつと続けたいと思います。

 毎日 聖書を読むこと 体重計に乗ること ピアノを練習すること ・・・

うーん、ちゃんと書いて張っておかないと私は、はやばやとわすれてしまいそうです。

 目立つところに大書して、初心を忘れずに歩んでまいりたいと思います。

  さて、1月は、正月、あるいはむつみ合う月ということで、睦月と呼ばれます。2010年になってから、平静な心で、人と和してこの三日目まで歩んでこられたでしょうか。よき日となりますように。

聖書のことば   マタイの福音書  5章9節

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
 

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2010年1月 2日 (土)

ナンバー2の存在の大切さ

 日本一高い山 ・・・ それは富士山です。

 では、日本で2番目に高いのは  ・・・ この質問によどみなく答えられる人は、ぐんと少なくなることでしょう。

 1月1日に比べ、1月2日は存在感が弱いでしょうか ・・・ でも、元旦と同じ24時間ですし、大切な人生の一日であることは間違いありません。

 タイトルに、「ナンバー2の存在の大切さ」と書きましたが、カレンダーの場合、ナンバー365までそろって一人前のカレンダーです。一年中、どの日にも、その日が誕生日の方があり、何か大事なことを予定している方があり、何も食べなくてもよい日というのは(断食を定期的に実行している人は別として)ありません。

 スポーツのチームに花形選手というのはいますが、本当に強いチームには、実力では花形選手に遜色のない選手たちがひしめいています。

 それに、花形選手がどんなにすぐれていても、団体競技においては、その選手一人だけで相手チームと戦うことは不可能です。エントリーして試合に出場することすら不可能です。

 名選手ほど、そのことは自覚しており、高給取りの選手の中には、年間を通じて観戦者を招待できる席を買い取っておいて、いろいろな人を招いたり、シリーズが終わったときに、裏方の方たちに感謝するパーティを開いたりする人もいます。

 プロ野球で最速の球を投げるピッチャーの居るチームには、その最速の球を受けることのできるキャッチャーが居る

 すぐれたリーダーがその手腕を発揮している組織には、必ずすぐれた補佐役がいます。

 1月2日という日付から、そんなことを考えてみました。昔の人は、元日だけに花を持たせず、1月2日に始めるとよいことも習わしとして設定しているのですね。生き方の奥行きを感じます。

 そんなわけで、よき1月2日となりますように。

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2010年1月 1日 (金)

日はまた昇る

 2010年の初日が上りました。

   初日出づ一人一人に真直ぐに  中戸川朝人

 どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。

 2010年 続けたい私の日課 (玉石混淆ですけれど・・・)

◇ 聖書の通読

◇ 体重計に乗ること

◇ ウオーキング、またはスローステップ運動

◇ 「ムーミンパパのシルエット」

◇ ピアノの練習

 というところです。

  岐阜県音楽療法士の認定を受けるための学びは3年目に入ります。学ばずに独りよがりの音楽タイムを実行すると、健康になっていただくつもりが、活力を低下させる一因となってしまったなどというのはいけませんから、しっかりと学びます。

 作れる料理のレパートリーを増やしたり、演奏できる楽器の種類を豊かにしたり、読み応えのある本 『レ・ミゼラブル』『ジャン・クリストフ』などに読み親しんだり、評判のよいミュージカルや映画を鑑賞したり、という気持ちはありますが、まあ、実現すればよし、そうでなくても生きてはいけるという感じで歩んでまいります。

 あなたの2010年がすてきな日々の連なりとなりますように。

聖書のことば    イザヤ書 43章から

  あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。
  「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
  わたしはあなたの名を呼んだ。
  あなたはわたしのもの。

  あなたが水の中を過ぎるときも、
  わたしはあなたとともにおり、
  川を渡るときも、あなたは押し流されない。
  火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
  炎はあなたに燃えつかない。

  わたしの目には、あなたは高価で尊い。
  わたしはあなたを愛している。
 

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