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2010年1月24日 (日)

『待ってくれ、洋子』

 『待ってくれ、洋子』 長門裕之 著 主婦と生活社 刊

  ご存じのように、タイトルにある洋子は南田洋子さんのことですね。

 2008年10月3日にテレビの「徹子の部屋」で、長門裕之さんが洋子さんを老老介護している現実をカミングアウトされ、その一か月後には『報道発 ドキュメンタリ宣言』第1回で「長門裕之、南田洋子の『老老介護の日々』が放映されました。

 この本は、画像ではなく、ことばで長門裕之さんが「老老介護」の日々を書き表したものです。

  洋子の中の何かが、手のひらから、指の間の隙間からぽろぽろとこぼれていく。俺は一生懸命それを拾い集めて洋子の手に戻そうとするんだけれど、落とす速度が速すぎて、おっつかないんだ。

 名優だった南田洋子さんが ・・・

 ・・・ 読んでいて思ったのは、老いは他人事ではない ということ、そして、すべての人が認知症になるのではないけれども、足腰なども衰えていくことにどのように備え、歩んでいくのかを、ちゃんと考えておかなければ、ということでした。

  上智大学のデーケン教授の「死生学」のCDを、まだ緒論のところですが、聴いてみました。とてもよく準備され、整えられた内容と、語り口に感銘を受けています。

  この本の内容とは離れるかも知れませんが、この世での生を終えようというときに「もう少し待ってください」と言いたくなるのが人情かも知れませんが、従容としてそのときを迎えることができるように日々を歩みたいと思います。

聖書の言葉  ピリピ 1章21節

私(パウロ)にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。

 今日は、日曜日、キリスト教会では聖書に基づいてメッセージが語られます。  よい日となりますように。

 

 

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コメント

私の両親は祖父の介護を経験したことがあり、それが認知症がきっかけだったことから、自分の子供には迷惑をかけないようにと、せっせとカラオケ教室に通っていました。でもどこから老いが始まるのかはわからないもので、父は背中と腰から弱っていきました。

ただ本当に大事なことは、年齢や病気に関わらず、いつ死んでも神様の前に立てるようにということだと思うのですが、残念ながらこちらの方も上手くいかず、父も母もイエス様に心を開くことができないようです。
そんなことを言っている私も、いざ死ぬとなれば「ちょっと待って下さい。子供が自立するまで。」とお願いしてしまうのでしょう。

※ ムームンパパより

 コメント、ありがとうございます。

 私も、孫娘が成長して結婚するまで とか いろいろお願いしてしまうことと思います。

 そのような人間的な思いをきっと私たち以上に分かってくださっている神様ですので、安心してお委ねしてそのご計画に従うことが、できるのでしょうね。

 涙のはてにも、たとえば、次のように祈ることが出来たら幸いです。

 私の計画とはちがいますが、神様、あなたの深い愛を信じて、あなたを信じ、おゆだねいたします。十字架の死に至るまであなたに従順であったイエスキリストに倣う者となることができますように、弱い私を強く立たせてください。私と私の家族を愛してくださっていることを感謝いたします。イエスキリストのお名前によってお祈りいたします。 アーメン

投稿: レモングラス | 2010年1月24日 (日) 17時42分

本当ですね。考えさせられ、自分の身に置き換え・・・
せめて家の中の整理を、と思いながら・・・
マーァ!「今日一日を大切に、明日生きて困らないよう」なんて勝手な理屈をつけて楽しています。
まだ、元気で幸せだから、こんな事が言えるのかも?
いつも、考えさせられ学ばせて頂けるブログを、ありがとうございます。

※ ムーミンパパより

 コメントありがとうございます。遠い将来にまなざしをむけ、高い志をもって生きようと願いながら、まずは、今夜はどんなものを食べようなどと思っているのが、私です。でも、全部を実行できなくても、ねがいをもって歩み続けたいと思ってはおります。いたりませんが、これからもよろしくお願いいたします。
 

投稿: よこ | 2010年1月24日 (日) 10時39分

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