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2010年6月25日 (金)

『子どもと悪』河合隼雄

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『子どもと悪』今ここに生きる子ども 河合隼雄 著

岩波書店 1997年5月20日第一刷発行

 書名には、ちょっとどきっとしますが、深い人間洞察が随所の込められている本です。

 表面の理屈で言う限り「子どもが悪い」と言うのに抗弁できないが、「それでは子どもがあまりにかわいそう」と感じることが多すぎる。そんな子どもたちの気持ちを代弁する気持で書いたようなところもある。自己実現のはじまりは、悪のかたちをとってあらわれることをよくしっていただきたい。(あとがきより)

本分の中から少し引用させていただきます。

 ともかく、日本の親や教師は、教えたり、指導したりすることにせっかちで、子どものなかから自ら育ってくるものを待つことができない。・・・子どもの心のなかから悪と見える形をとって芽生えてきたものが、どのように変容するのか、その経過を見る前にすぐにその芽をむしりとってしまう大人の「善意」が強すぎるのである。

 どうしてこうまで大人は子どもに善意の押しつけをするのだろう。基本的には、子ども自身の成長の可能性に信頼を置いてまっておればいいのに、それができない。なぜ、子どもを信頼できないのか。それは自分自身を信頼できないからである。などというとすぐ反論されそうである。・・

 子どもの「悪」についてよく理解することは必要であるが、それは決して甘くなることを意味していない。理解することと厳しくすることとは両立し難いようだが、理解を深めれば深めるほど、厳しさの必要が認識されてくるので、厳しさも筋金入りになってくるのではなかろうか。理解に裏づけられていない厳しさは、もろいものである。

 いかがでしょうか。よろしかったら、お読みください。明日は、この本の裏表紙に書かれた谷川俊太郎さんの詩をご紹介させていただきます。

 今日も、よい日となりますように。

 

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コメント

 聖書は、人間を神に逆らう原罪を持つものと定義しており、そういう意味ではキリスト教は性悪説にたつ宗教かもしれません。
 福音書には「子供のように素直に神の国を受け入れなければ救われない。」という記述もあります。
 結局のところ、子供は大人に比べて知識も経験も不足して不完全だが、先入観やしがらみの無い純粋な存在と考えられます。
 幼い子供が周囲の世界を興味深々に眺めている様子などを見ますと、彼らがこれから接する世界が、期待どおりの素晴らしいものであることが望まれます。それが大人の責任なのでしょうね。厳しい結論ですが、できることからやっていきたいものです。

※ ムーミンパパより

 力強いコメントをありがとうございます。

 ある牧師さんは、性善説・性悪説と関わって、「人間は失われた存在」となったが、その人間を取り戻すため、イエス・キリスを遣わされたと語られました。

 創造主である神様の前には、頼りない、誤った道を歩んでしまいがちな人間ですが、神様に見捨てられず、愛されている存在であることに喜びと望みを置き、祈りつつ元気に歩んでまいりたいと思います。

投稿: 小島 | 2010年6月25日 (金) 23時31分

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