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2010年7月31日 (土)

タジン鍋

0001   皆様のご家庭でもすでに活躍しているのかも知れませんが、写真はタジン鍋という調理器具です。

 水が貴重なモロッコの砂漠で生まれたお鍋なのだそうです。

  三角のふたが特徴で、わずかな水分でも調理が出来るように、水分が蒸発しにくい仕組みになっています。野菜に含まれている水分だけでも、おいしい料理ができます。

 タジンというのはアラビア語で鍋という意味で、モロッコではタジンで作られる伝統的な煮込み料理のこともタジンと呼ぶのだそうです。

0003

 わが家では、ナスとタマネギを入れ、胡椒と塩で味付けしてみました。

 写真は、まだ途中のところですがこのあともうしばらくふたをかぶせて加熱して完成。野菜自体の水分で仕上がったので、栄養分もそのまま残っている感じでした。

  もし、まだで、興味を覚えられたkたはどうぞ。 でも自己責任でなさってくださいね。

 私事ではありますが、今日は母の誕生日です。

 かずかずの「おふくろの味」で育て、養ってくれた母に心から感謝の心を献げます。ほんとうにありがとうございます。元気でいてくださいね。

 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 今日も、よい日となりますように。 

聖書の言葉

 人はパンのみにて生きるにあらず。神の口から出るひとつひとつのことばによる

 

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2010年7月30日 (金)

読書感想文教室

 ある町の図書館で開催された読書感想文教室の講師に招かれて、行ってまいりました。1年生から6年生までの児童20人、引率・付き添いのお母さん方が13人でした。

 おいしい料理は、よい材料を手に入れることから、読書感想文も、よい本に出会う努力をすることから始めましょう

 食べ物の話といえば、本も、出来るだけ好き嫌いをしないで読むといいですね

 などなど ・・・ 

 書くときには、机の上を広くし、鉛筆の持ち方や前屈みにならない姿勢で、高学年の子は辞書を用意して ・・・ 書き始めたら集中し、すぐに冷蔵庫に詰めたい飲み物をとりに行ったりしないで根気よく

 などなど ・・・

   やがて、既に本を選んでいた子、図書館めぐりをして本を選んできた子が書き始めました。相談を受けつつ、その選ばれた本を手にとって読んでみますと ・・・ おお、こんないい本があるのかと、感動して見入る本のオン・パレードでした。

 つぶらな瞳をまっすぐにこちらに向けて「ありがとうございました」とはっきり言って帰って行く子たち

 うーむ、夏休みの課題を、この場で仕上げて、という雰囲気をただよわせている親子もおられたのですが、そういう願いにどれだけ応えることができたかどうかは分かりませんが、私には今思い返しても至福のときでした。

  ありがとうございました。

  世の中には、すてきな本がたくさんあること、特に子どもたちのためにすてきな本が出版されていること そのことをたいへん嬉しく思いました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年7月29日 (木)

ある校内研修会

 28日、岐阜市内のある小学校の校内研修会に講師として参加させていただきました。

 国語についての研修会でしたので、紀貫之が古今和歌集の序文に記している「やまと歌は人の心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」を引いて、言葉という葉は、心を根とし、家庭・学校・地域、そして歴史という風土を大地として繁るというお話でスタートさせていただきました。

 そして、野口雨情の「シャボン玉」という歌が、実は、幼子を亡くした詩人の悲しみを ちょっとした風にも消えてしまうシャボン玉に託して表現した歌だというお話をいたしました。

 そのように話を進める前に、シャボン玉の歌詞を提示し、私のハーモニカ伴奏で先生方に歌っていただきました。私といえば、「えーと、ハーモニカの向きはどっちだっけ」と迷うようなことでした。

 ところが、そんな私にお構いなく、皆さんが実に明るい声で、元気な歌声を響かせてくださったのです。これには感動いたしました。

 研修会、開始早々、いきなり「シャボン玉を・・・」といわれ、さわやかに声を合わせて歌える先生方 ・・・ 何とすてきな学校なのだろうと,嬉しく思ったのです。

 私のつたない話も、笑顔で聞いてくださり、暑さの続いている環境にもめげず、研修会が進められました。

 こうした先生方のそろっている学校で学ぶことの出来る子どもたち、そしてその子たちの家族の幸せを思い浮かべました。

 私の車がちゃんと出られるか、確認しながら送り出してくださった校長先生にも、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 校長先生、そして職員の皆様、ありがとうございました。子どもたちも、すこやかに夏休みを歩むことが出来ますように。

 ♪シャボン玉 夏暑けれど 清々(すがすが)し

 さて、今日もよい日となりますように。 少しは雨が降ってくれるでしょうか。

  

 

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2010年7月28日 (水)

長良川の鵜飼い

0001  長良川の鵜飼い ・・・写真は六艘の鵜舟が横一列になって,船端を叩きながら鮎を獲るフィナーレの場面・・・総がらみの一シーンです。

 鵜飼の遊覧船からでなく、岸辺にたたずんで、足を長良川の流れにひたしながら撮影しました。

 情緒と涼感たっぷりの宵でした。岸から眺めるのはお値打ち(無料)です。

 一人で十二羽の鵜をたくみに操る鵜匠さんは、宮内庁の式部職です。

 おもしろうて やがて悲しき 鵜舟哉 

 芭蕉が岐阜の地を訪れ、鵜飼見物をしたときの俳句 当時45歳

1688年6月のことだそうです。

 あのチャップリンも一度ならず鵜飼を見に訪れ、熱心に鑑賞したそうです。

 暑い日が続き、27日夕方のラジオでは、この日に暑かった日本のベストテンに、トップの多治見市をはじめ、何と五つが入っているのだそうです。

 うーむ・・・でも、暑さに負けぬ熱き心で、今日も歩みましょう。

 よき日となりますように。

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2010年7月27日 (火)

ムーミンパパの「手帖」

0006  ムーミンパパの「手帖」

東 宏治(あずま こうじ)著

青土社 2006年 12月30日 第一刷 発行

 「ムーミンパパのシルエット」というブログでこういう題名の本について書くと、ややこしいかと思いますが、ご了承ください。

 この本の著者は、トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズ 全8冊の新旧版、そしてその他のムーミンもの3冊、ヤンソンの自伝的作品2冊、ムーミン・シリーズ以後の著作8冊を、愛情を持って熟読してこの本を書いておられます。

 ムーミンパパの「手帖」には、「トーベ・ヤンソンとムーミンの世界」という副題がついていますが、とても勉強になりました。

 悪意など存在しないようなムーミンの世界と私など思っていたのですが、純情な少年に、自己充実しているミムラ姉さん(彼女は自分のことをこう言っています・・・「わたしミムラに生まれて本当によかったわ。あたまの天辺から足の爪先まで、とてもいい気持ちだもの」 )は、こんな話をして聞かせます。 少し長くなりますが、その部分を紹介させていただきます。

ミムラ: ムーミン谷には「怒りの森」というのがあって、ムーミンのうちの人たちは、憂うつなとき、腹の立つとき、ひとりになってせいせいしたいときには、裏へいったわ

 純情な少年、ホムサはそれに対して言い返します。「嘘っぱちだ、そんなこと。ムーミンたちは怒ったことなんてないんだ」

 ミムラ「言っときますけどね、ムーミンパパだってムーミンママだって,ムーミントロールだって,お互いの顔を見るのもいやになることがちょいちょいあるんですからね」

 ・・・ ホムサには、とりわけ彼がひそかに憧れているやさしいムーミンママが、腹を立てたり、人に憎しみを抱いたり、悲しみに浸ったりすることが信じられないのだ ・・・ しかし、何日か経って、たまたまホムサが裏山の「怒りの谷」に迷いこんだとき、彼はこの森の持つちからに触れるとともに、こうした森の必要性と、そうした空間を必要とする人間性とを理解するのである。

 そうだ、ムーミンママは,くたびれたり、腹が立ったり、がっかりしたり、ひとりになりたいときは、あてもなく、果てしもなくうす暗いこの森の中を歩きまわって、しょんぼりした気持ちをかみしめていたんだ・・・。ホムサには、まるっきりいままでと違ったママが見えました。すると、それがいかにもママらしく、自然に思えました。ホムサはふと、ママはなぜ悲しくなったのだろう、慰めてあげるにはどうしたらいいのだろう、と思いました。

 著者,東さんはムーミンシリーズの中から上記の引用をした後、続けてこう書いています。  最後の部分を読むと、ムーミンの物語は、少年少女たちの成長の物語でもあることがよくわかるだろう。

 うーん、体形にどこか通うところがあるというだけで、ムーミンパパの愛称をいただいているだけでは申し訳ない気がしてきました。

 この夏、ムーミンシリーズ8冊の何冊かは読むことにいたします。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年7月26日 (月)

アンデルセンの悲恋

 デンマークの生んだ創作童話の王様アンデルセン ・・・  先日読んだ『名作へのパスポート』では、彼はジェニー・リンドという愛らしい歌手に恋をしたのですが、彼女の方では、「お兄様への気持ちは何年経っても恋には変わりません」と、はっきりと拒まれたことが書かれていました。24日のNHKテレビでは、その後17年ほどアンデルセンはあきらめなかったと紹介されていました。(確か、35歳から52歳までだったと思います。)

 うーん、何と純情な人なのでしょう。

 アンデルセンが片思いした相手、ジェニー・リンドは、実は音楽家に恋をしていたのだそうです。メンデルスゾーンがその愛の対象だったそうで、何ということなしに「おお」と思いました。けれど、秘めた思いと本にありましたから、メンデルスゾーンに打ち明けることもなく、ジェニー・リンドは自分の胸の内にその思いをしまっておいたのでしょうね。

 うーん、純粋な恋の思いが必ずしも報われるばかりではないこと ・・・ もったいような、美しいような ・・・ アンデルセンの童話は、悲しい中で終わるものが結構あるように思います。 結ばれない恋に胸を焦がし続けていたことも一因でしょうか。

 詮索は控えて、童話は童話として読む ・・・ と書きつつも、何だかいろいろなことに思いを巡らしております。今宵は、メンデルスゾーンがシェイクスピアの戯曲をもとに作曲したあの曲を聴きながら休むことにいたしましょうか。

 曲名は、そう、「真夏の夜の夢」です。

 結ばれない恋も、それゆえにエネルギーを保ち続ける ・・・ そういう側面もあるのかもしれませんね。つい、がらにもないことを書いてしまいました。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年7月25日 (日)

ブドウの季節

  岐阜市の金華山近く ・・・ 長良橋の少し上流では鵜飼いが行われています。長良橋上流の長良川右岸では道沿いに何軒かの農家が季節の作物を販売しています。

  最近ブドウが店先に並ぶようになり、見る見る内にブドウを商っている店が増えてきました。それだけ急速にブドウが実りを結ぶようになってきた・・・そういう季節になったのですね。

  ブドウの季節が来てブドウが実を結ぶ ・・・ 当然のように思いがちですが、多くの労力、心配りがその年々の気候とブドウの木の状態に合わせて注がれていることを忘れない自分でいたいと思います。

木の実の実りと人生の実りを結んで語っている聖書の言葉を二つ紹介せていただきます。

聖書の言葉  

◇ 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
   詩篇第一篇1節~3節

☆ わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。  ヨハネによる福音書 15章4節

  今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけくだされば、神様が喜んでくださいます。

 よい日となりますように。

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2010年7月24日 (土)

相手を自分と同じ重さの存在として正対すること

 一つの国が、別の国の国民を力尽くで自分の国に連れて行き、その国の意図と目的を果たすために,人生をねじ曲げてしまう。命の生殺与奪の権利さえも握ってしまう。  これが、「拉致」の中身です。

 こんなことがあってよいはずがありません。

  自分の命と同じ重さで相手の命を尊重する ・・・ このことが実現しない世界は、平和な、手を携えて歩む社会を実現しえないと思います。

聖書 自分のして欲しいようにあなたの隣人にもしなさい

 このことばを、そしてそこに込められている真実の重さを受けとめることができますように。

 明日は,日曜日、キリスト教会では礼拝が行われます。どうぞ、ご出席くださいますように。  よき日となりますように。

 

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2010年7月23日 (金)

多治見市 39度4分

 ボクシングなどでいわれることばに「チャンピオンであり続けることは,チャンピオンになることよりも難しい」という言葉があります。

 次々と立ち向かってくる挑戦者の勝ち続けるには、自分自身との闘いにまず勝つ必要があるからでしょうか。

 多治見市がせっかく日本最高気温をマークしたので、その最高位を維持し続けようと努力しているとは思えませんから、地形的なことが土台にはあるのでしょうね。

 けれど、ウナギと河童を合わせたウナガッパの着ぐるみが登場していたニュースには脱帽です。着ぐるみの中の暑さを想像すると、これは、すごい意志と努力を感じないわけにはいかないからです。

  あなたは、何かのチャンピオンになられたことがおありでしょうか。そして、それを維持する為に励む立場になられたことがおありでしょうか。

 闘病生活を送っておられる方、その方を支えておられる家族の方々、医療に携わっておられる方に敬意を表します。

 また、照り返しの激しい道路の工事区間で、通る車の安全のために旗を振り続けておられる方々に頭が下がります。今日も、通勤の行き帰りにその方々のお世話になりました。

 飛騨育ちはどうもこういう暑さには馴染めないのですが、一日、一日を覚悟をもって歩みたいと思います。

 今日も、暑さに負けぬ熱き心で ・・・ どうぞ、熱中しすぎないでください。

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2010年7月22日 (木)

教員採用試験

 梅雨が明けたら「強烈な」暑さになるとの予報が的中したなあと実感する暑さの21日でした。

 この日は、岐阜県や近隣のいくつかの県で,教員採用試験が行われました。暑さに負けぬ情熱で若人たちは実力を発揮したことと思います。「安全に試験会場に着き,培ってきた実力を発揮できますように」と,若人たちのために祈りました。

 夏の甲子園にキリスト教系の高校チームが出場したとき「勝てますように。そして優勝できますように」とはその学校の生徒も教師も祈らなかったそうです。「大舞台ですが、日ごろの実力を出すことができ、よい思い出になる試合が出来ますように」という祈りを捧げていたそうです。 神様を知らず、したがって神様を信じていない相手チームに対してもフェアな祈りだと思い、感心いたしました。

 そのチームの名は桜美林と申します。確か、優勝を経験する機会があったように思います。

 苦しいときの神頼みということばもありますが、そうした苦しいときを通して、神様を信ずる道が開かれることも往々にしてあると思います。

 それはそれとして、スポーツの世界では天は自ら助くる者を助くというのが公平ではないでしょうか。練習不足を祈りによって補うということにならないようにしたいと思います。

 神様をアラジンの魔法のランプの精のように考えてしまって、神様を人間である自分のお願いを実現してくれる召使いのように勘違いしながら祈ることのないようにしたいと思います。「わが魂よ、主をほめまつれ」が正しい信仰であって、「主よ、わが魂をほめまつれ」では、いけないのです。

 「わたしの目にあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」と聖書を通して語ってくださっている神様が、その愛ゆえに人間が思っても見なかったような祝福を注いでくださること ・・・ それは、滅ぶべき人間のために御子、イエス・キリストをこの世に送って救いの道を備えてくださったことからも明らかです。 

 ただし、それは、神様の深い愛に根ざした恵みによるのであって、人間が自分の欲に基づいて勝手な買い物をして、その請求書の支払先を神様宛てにして「よろしくお願いします」ということになってはいけないと思うのです。尊敬する人物に対してもそんな態度では恩を仇で返すと世間ではいうのですから、まして、神様に対してそんなことがあってはならないと思います。

 さて、教育への情熱あふるる新しい教師が来春にはたくさんの教室に誕生しますように。  心から応援していますよ。

 今日もよき日となりますように。

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2010年7月21日 (水)

夕焼

0002  本格的な夏が来て、夕焼のスケールも大きくなってきました。そういう理由で、夕焼は、夏の季語と定められているそうです。

  ただし、季語として夏の夕焼が登場するのは大正以後のようで、それまではやはり秋の夕暮れと仲良くしているイメージが強かったようです。

 こんな俳句を思い浮かべました。

 夕焼は膳のものをも染めにけり  (夏:季語 夕焼)

                          富安風生 作 昭和12年

 暑い昼が幕を閉じて、家族が集まる安らぎの食卓が彷彿としてくる句に思われます。写真は、7月19日のわが家からの夕景です。

 さて、今日もよき日となり、安らぎの夕方を迎えることが出来ますように。

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2010年7月20日 (火)

『名作へのパスポート』

0004 『名作へのパスポート ー世界の文学案内ー』  こやま峰子著

 金の星社 1997年4月

  ある図書館から、夏休みに読書感想文の書き方の講座を計画しているので・・・とのお話があり、準備のために借りた本の一冊がこの本です。

  世界的な名作となった作品を書いた作家たちについて、今まで知らなかったエピソードも書かれていておもしろくおもったので、いくつかを紹介させていただきます。

「赤毛のアン」・・・1904年、モンゴメリが初めての小説を書き始め、約1年半後『赤毛のアン』が完成。どの出版社も出版の返事をしなかった。そのため、帽子箱の中で1年ほど過ごした原稿をモンゴメリが他の探し物をしていて見つけ、今度は出版してくれるところが見つかって世に出たのだそうです。

『ハイジ』・・・ヨハンナ シュピリが小説を書き始めたのは41歳。 『ハイジ』の出版は52歳のとき。夫がチューリッヒ市の官房長官になり、公務で忙しく留守がちになり、ひとりでいることが多くなったシュピリがせっせと友人たちに手紙を出すようになった。友人のひとりがあなたの文章はとてもすてきだから、小説を書いてみたら、と勧めてくれたのがシュピリが小説を執筆するきっかけになったのだとのこと。

『ピーター・ラビット』 ・・・最初、ヘレン・ビアトリクス・ポターは原稿を6社に送ったが、どこにも断られ、私家版で250部作ったそうです。評判がよかったので二か月後に200部増刷。シャーロック・ホーム・ホームズの作者コナンドイルもこの本を買ったとのこと。ナショナルトラストを生み出したローンズ牧師がこの本をフレデリック・ウオーン社に送り、子どもの手で持てる小さな本にすること、安い値段にすることを条件として出版したところ、1年間で5万部が売れた。ウオーン社の息子、ノーマンと婚約するが、ノーマンは白血病でなくなったそうです。

 この三冊の本の著者は、みな女性ですね。すぐには世に出なくても粘り強く出版にこぎ着けたこと、教えられます。

  このほか、『フランダースの犬』の作者ウイーダも女性だそうです。うーん、まだまだ知らないことがたくさんある私です。新しいことを学ぶこと、知ることは、楽しいですね。

  今日も、新たな世界が開かれるよい日となりますように。

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2010年7月19日 (月)

バートランド・ラッセル

 関根一夫という牧師さんのメールマガジンに次の文があり、心に響きましたので紹介させていただきます。 うーむ、私の手抜きと言えば,そうかも知れませんけれど。でも、いい文だと思うのですよ。

 そんなに言うのなら、ということで読んでいただければ,嬉しく思います。

 「元気を出しなさい」というメッセージの後半部分です。

  数学者バートランド・ラッセルの自伝の中に書かれている話ですが:
第一次大戦の期間中、ラッセルは何も出来ずに椅子に坐っているだけで、
人の役にも立てず、一抹の光もないような完璧な絶望感に打ちのめされ
る経験をします。
 1914年のクリスマス、彼はこの絶望感に打ち勝つ方法を見つけたと書い
ています。

 慈善委負会の一員としてラッセルは極貧にあえぐドイツ人を訪問し、
その境遇を調査し、彼らを窮乏から救済するという仕事を始めます。ラ
ッセルは、極貧のドイツ人の住む地域で、すでに自分たちもそれほど豊
かではない家主たちが、貧しいドイツ人のために無償で住宅を提供して
いることを発見し驚きます。家主たちに聞くと、現状ではドイツ人が職
を見つけることは不可能ですからというのです。

 ラッセルはこういう結論に至ります。「絶望に陥った時はくよくよ考え
ても癒されないので、自分にとっても他者にとっても何か有益だと思わ
れる「行動」をしてみることが一番である。」つまり、「家主さんたち」
は無償で住宅を提供することで、貧しいドイツ人に「元気を出しなさい」
と語っていたわけです。双方にとって、そこに希望を感じていたのです。

  パウロの「元気を出しなさい」という励ましの言葉は、パウロ自身の中
にある不安を打ち消す意味もあったかもしれません。自分が嵐に遭遇し
ているとき、誰かに元気を出しなさいと言えることで、こちらにも元気
が戻ってくることがあるからです。

  イエス様は、病んでいる人に近づき「元気を出しなさい」という言葉を
語りました。嵐の中で「元気を出しなさい」というパウロの言葉やイエス様の言葉を思い出しながら、元気に前向きに人生を進みたいものです。

 しかし、嵐ではなく、逆風程度でも、私たちは怖気づき、立ち止まって
しまうことがあります。そんな時、私たちは自分の心を元気にするために、
1自分の今もっている幸せを考えてみること
2「自分が過去に幸せだなぁと思ったこと」や、今から考えると「幸せだった」と思えることを、自分の記憶の中から探してみること
3「人の幸せ」から自分の幸せにできそうなものを見つけてみること。
4「夢や目標」を持つこと
5愛を持つこと。「幸せにしたい人」がいる人は、その人を幸せにする
こと、願わくは、互いに幸せにし合うこと

などはとても大事な要素だと言われています。

 父なる神は、私たちがキリストを同伴者にして、元気に生きるようにと願っています。旅には終わりがありますので、それまでの辛抱なのですけれどね。

ヨハネが第3の手紙に書き残した言葉を思い出します。

1:2 愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての
面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。

旅が終わるその日まで元気に生きましょう。その先に向かって元気に行
きましょう。 神様の祝福がありますように。 関根一夫牧師

  ムーミンパパが何かを付け加える、ということはとても出来ないように思います。

 今日も、元気を出して、よい日となりますように。

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2010年7月18日 (日)

玄関ポーチのディスプレイ

0002  梅雨明けが宣言されたとのことで、これからは夏らしい暑さが続くようです。

  家内が,写真のように玄関ポーチのディスプレイをしつらえました。お客様に歓迎の意を伝えることを期待しています。

 岐阜市の小中学生の夏休み初日でもありました。

 よい思い出が作られるこの夏となりますように。

  今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 よき日となりますように。

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2010年7月17日 (土)

五月雨を集めて早し最上川

 五月雨を集めて早し最上川  

 芭蕉が『奥の細道』で詠んだ句です。

 うろ覚えですが、同行していた曽良が

五月雨を集めて涼し最上川

と岸から眺めて詠み、その二日後だったか、芭蕉が舟に乗ってみると、「涼し」が「早し」と体感を伴った表現が生まれたと読んだように思います。

 降り続いた雨のため、私の住む岐阜県で、八百津、可児が大水のニュースの最初に報じられる事態となっています。

 これ以上、事故の犠牲者が出ませんように。

 皆様が、安全にお歩みになれますように。

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2010年7月16日 (金)

雨 雨 そして雷

 勢いよく雨が降り、雷鳴がとどろいています。

 梅雨が明けると「強烈な」暑さがやってくるとの気象情報・・・そんなことを言わないで、と気象予報士に頼もうとするのは、「サッカーの試合で負けたのは、おまえがスペインのほうに入ったからだ、食べてやる」とタコさんに向かって怒っている人と同じあやまちをしていることになるのでしょうね。

 簡単に申しますと、八つ当たりということでしょうか。

 おお、また雷鳴が・・・ というわけで、今日のブログはここまでにさせていただき、パソコンのスイッチを切って、早めに寝ることにいたします。

 どちらさまも、安全と健康を ・・・

 よい日となりますように。

  

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2010年7月15日 (木)

小中学校は,間もなく夏休み

  各地で大雨による被害が出ています。お見舞い申し上げます。これ以上、被害が出ないことを願っています。

  この梅雨が明けると、「強烈な暑さ」がやってくるとの気象情報があると聞きました。私の住む岐阜市では、今週の金曜日、7月16日に1学期の終業式をするそうです。例年より早くしたのは、土、日、月(海の日)と三日間休みが続くので、来週の火曜日に終業式をするよりも、16日で1学期を終え、代わりに8月31日から2学期をスタートするとのことです。 なるほど。

  なるべく火を使う場面は大人が一緒にいるときに下ごしらえしておいて、そうめんや,冷やしうどん、冷やしラーメン、ざるそば、サンドイッチなど、特にお昼ご飯を子どもたちだけでも調理できるようにトレーニングしておくことはいかがでしょうね。

 私の知人の家庭では、こうしたことを積み重ねた娘さんが手際よくいろいろな家事の出来るように育ったので、お母さんは「夏休みが待ち遠しい、娘にいろいろやってもらえるから」と笑顔で話しておられました。

 いつの日か、親元から巣立っていく日を迎えるために、子どもを鍛えておくことは、大人の都合ではなく、子ども自身のために必要なことだと思います。

  私も、身につけたはずの餃子やサバの味噌煮、スパゲッティのゆで方などきれいに忘れているので、作ってしっかりとレパートリーとし、新たなメニューを習わないと ・・・ と思っています。 野菜の天ぷら、ホットケーキ、グラタン、茶碗蒸しなど この夏には挑戦してみます。 なんだか、系統性がないような気もしますけれど。

 うっ、忙しくしないのが夏休みのはずなのに ・・・ へんだなあ、そういえば、私には特に夏休みはないのでした。 どこか小中学生気分がまだ残っているのでしょうか。  ちなみに、学生さんに得意料理を尋ねたところ、昨年は何故か「肉じゃがです」と笑顔で答えるケースが多かったのです。はて、どうしてだったのでしょうね。

 それはともかく、今日もよい日となりますように。 

    

 

 

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2010年7月14日 (水)

ローンレンジャー

0005  かなり以前、「ローンレンジャー」という西部劇がありました。

 窮地に陥った正義のガンマンが「ハイヨー シルバー」というと快速の白馬が現れて、事件を解決したガンマンはかっこよく去っていくのでした。

 確か、バックに流れるのはウイリアムテル序曲の勇壮なトランペットの音色 ・・・ と書いても、ある年代の方にしか分かっていただけないでしょうね。

 書きたかったのは、新しい愛車、三菱コルト・・・色もシルバーです。あっ、後ろ姿では失礼ですね。せめて横顔をみていただきましょう。

0004_2

 我が家では初めてのカーナビ付きですので、この夏は、遠出をしてみるかもしれません。

  昔ほど、一つの物と長くつきあわない世の中になってきたように思いますが、今朝の新聞にも、しばらく眠っていた万年筆がすらすらと書けるようになったとの記事が載っていました。  わが愛車にはどんな曲が似合うのでしょう。

 えっ、そもそも乗り手が似合っていないとおっしゃいますか・・・ あなたは率直で、残酷な人かも ・・・いえ、真実を語ることをおそれない勇気ある人ですね。

 あなたの車を教えてください。縁がぎざぎざの硬貨を持って、参上します ・・・ いえ、本気にしないでくださいな。

 先日、雨の中を郷里の高山まで往復したとき、1リッターあたり18キロほどの燃費でした。エンジンは1300CCです。

  聖書を人生のナビに活用して、この車も世の中のお役に立つように用いたいと思います。 私が夏やせすると、さらに燃費もよくなるかもしれません。

  今日も、よい日となりますように。

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2010年7月13日 (火)

ノーサイドの笛

 ラグビーの試合終了を告げる笛を「ノーサイドの笛」というそうです。それまで敵と味方の二つに分かれて闘っていたのが、この瞬間に敵側も味方側もなくなって一つになるのだと聞きました。

 熱戦の続いたワールドカップも終わりました。余波はあるものの、だんだんと静けさが戻って来ることでしょう。

  あのとき、あと数センチ ・・・ というような思いは残るかも知れませんが、基本的には、未来を目指すのが前向きの生き方というものでしょう。

 人生、生かすべき教訓は生かすとして、悔いを引きずらないで前進したいものです。人間の顔はもともと前向きに歩むように出来ていると言った人があります。その通りだと思います。

 今日も、前を向いて進むよい日となりますように。

 

 

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2010年7月12日 (月)

「、」の大切さ

 小学校の国語の授業を見せていただく機会があるのですが、その中の一つに「、」(読点)を打つ学習がありました。

 近松門左衛門が「、」を台本に打っているとき、ちょうど来合わせた珠数屋の主人が「そんなもの、わざわざ打たなくても、大丈夫でしょう」と言ったとかで、しばらくして、近松門左衛門がこのような数珠の注文書を送ったというエピソードがあります。

 「 二重(ふたえ)にしてくびに掛ける数珠を作ってほしい」

 皆さんには、もう、この文に近松門左衛門が仕掛けた罠がお分かりですね。

 数珠屋の主人は、一つの意味にしかとらなかったとしたら、「、」の大切さが身にしみてよく分かったことでしょう。

 ところで、下呂の小学校に赴任していたある寒い冬の朝、わが家ではこんなことがありました。

 なかなか寝床を離れようとしない子どもたちを起こすために、毛布を引っ張りました。

 子どもたちは、言いました。「お父さん、毛布とらないで」

 そして、次の瞬間、小学生だった彼らは、何かひらめいて、こう言ったのです。

 「お父さん、もうふとらないで」 ・・・ さて、どこに「、」を打ったか,お分かりですか。 ・・・ そう、そうなんです。

 失礼な子どもたち、もちろん、更に力を入れて、毛布を引っぱがしてやりましたよ。ええ。

 これが例文となってテレビに登場しているのを見かけたのは、それから数年後だったように思います。どこの家庭でも生まれる可能性を持っている文だったのですね。

 何か、面白い例文をおもちでしたら、コメントをお寄せくださればさいわいです。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年7月11日 (日)

キキョウの花

Photo   涼やかな印象を庭の桔梗からうけましたので、撮ってみました。

  確か、秋の七草の一つだと思うのですが、割と長い期間咲いているような気がします。

  それはともかく、梅雨が明けると本格的な夏ですね。今年の夏こそ、健康的に「夏痩せ」したく思います。

  うーん、何とまとまりのない文章でしょう。 えっ、いつものことですと・・・ ありがとうございます。そう感じながらも,このブログを訪れてくださっているということですから。

  でも、あまえずに、内容も表現も磨くように心がけさせていただきますね。 よき日となりますように。

  おお、これで終わろうと思いましたら、よい句に出合いました。

 きりきりしゃんとして咲く桔梗かな  ・・・ 何と、一茶の句です。

  今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。 

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2010年7月10日 (土)

どちらから読んでも トマト

0002  わが家の畑主任から,ご報告。トマトが収穫できました。

 写真の、赤いトマトと,別のところに実った少し小ぶりなトマトを取り入れ、さらにアスパラを二本(細身でしたけれど)。

 えっ、赤いトマトの隣の隣のトマトにしわが見える・・・ そうなんです。あまり雨に打たれ続けるとこうなりがちということで,ご近所の方がそういうアドバイスと共に、ビニール袋の大きなのと、パチンパチンと添え木にとめる専用クリップのようなものでおおいを作ってくださいました

 うーむ、野菜作りも奥が深いです。

 いったい、スーパーや八百屋さんの店には、どれだけの野菜ストーリーがあふれていることでしょう・・・そして花屋さんにも ・・・

  大学にも、小学校、中学校、高校にも,一人一人の歴史、ストーリーがどれほどあふれていることかと思います。 いいえ、他の人のストーリーもそうですが、まずは、自分自身の人生のストーリーを丁寧に書き綴っていかなくては・・・ これは、トマトのようにどちらから読んでも同じというわけにはいかないかも。

 明日は,日曜日。キリスト教会のれいはいにお出かけください。

  聖書のことば 

 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、
  あなたを助ける【主】はこう仰せられる。
  「恐れるな。・・・ (イザヤ書 44章)

 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 (エレミヤ29章11節)

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2010年7月 9日 (金)

幼児教育

 まもなく教員採用試験が行われます。すぐれた資質を備えた若い教師がたくさん誕生しますように。

 採用試験では個人面接、あるいは集団面接が行われますので、あがり症の学生さんにもせっかくの自分の良さが発揮できるように練習の機会を設けています。

  「幼稚園教諭の採用試験を受けますので、面接練習をお願いします」とのリクエストがありましたので、それを受けて、私自身もどんな内容を質問するか、勉強しました。

 そんな勉強の中、出会ったある幼稚園のホームページに、その日の園児の活動内容が紹介されているページがあり、その執筆者のなみなみならぬ力量とこどもたちへの愛情に敬服の念を抱きましたので、そのURL(アドレス)を記させていただきます。「いちょう日記」というページです。

http://www.ictnet.ne.jp/~niou-youchien/ityounikki2010-7.html

 小学校の低学年を受け持つ若い先生方にも共感を覚えていただける内容ではないかと思います。

 この幼稚園は、キリスト教系の幼稚園で、私自身、牧師である父親の作った保育園で育ちましたので、強く共感するところがあるのかも知れません。

 さて、学生さんたちの面接では、複数の教員免許を取得する学び・実習をしてきて、その中で幼稚園で働くことを希望する理由、幼いこどもたちと歩むとき、どんなことを大切に大切にしようと考えているか、この道で生かせそうなあなたの特技・趣味は? などを問いかけました。

 また、幼稚園と保育園のよいところを兼ね備えたところがほしいという声が大きくなり、幼保一元化の努力がなされていること、その一つとして認定こども園があることなども一緒に学びました。

 学生さんも、勉強していて、最近のニュースに、保育士の資格と幼稚園教諭の資格を合わせた資格として「こども士」という資格が検討されているというのがあったと話してくれました。うーむ、頼もしいですね。私も学ばなくてはと思いました。

 認定こども園では、ゼロ歳から就学前の年齢までの子どもを保育・教育するので、ゼロ歳から2歳までを担当するには保育士の資格・・・(実際は児童福祉法の保護下にある18歳まで担当年齢は広いのだそうです)、そして3歳以上の子の幼児教育をする幼稚園教諭の資格の二つを持っていることが望まれる・・・ここまでは予習したのですが、おそらく「こども士」は、この二つを合わせた性格の資格を、両者それぞれを取得するよりも効率的に取得できるような道を開くものではないかと思います。  

  うーむ、幼児教育のことを60台の私が学ぶということは、全ての道は老人教育に通ずというような気がしてまいりました。

  若人よ、遠慮なく私を追い越して先に進み、希望する進路への道を拓いてください。もちろん、私は私で励みますから。たどたど どたどた ・・・・・

 さて、今日も何か一つは芽を育てることのできるよい日となりますように。 

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2010年7月 8日 (木)

『バイオリニストは肩が凝る』

0002

 『バイオリニストは肩が凝る』

鶴我裕子 著 

ARC アルク出版企画

2005年6月30日 初版第一刷発行

 著者の鶴我裕子さんは、東京芸術大学卒・NHK交響楽団に入団し、長年第一バイオリン奏者を務めて来られた方です。

  そうした経歴の方ですから、きまじめ一辺倒かと思いましたら、これがとても楽しい内容なのです。N響をカイシャと書いたり、N狂と書いたり、たくさんの指揮者の個性・ひととなりや、オーケストラに長年勤めた人でないと書けないことを、また、そうした立場の人だとなかなか書かない内輪話を、楽しい筆致で書いておられます。

 コミックの「のだめカンタービレ」はテレビや映画で映像化され、多くの人をクラシックに招待しました。

 この本も、そうした役割を果たすかも知れませんし、逆にひょっとしたらクラシックフアンを幻滅させてクラシックから遠ざけるかもしれないと思わないでもないほど、奔放に書かれた、けれど、やはり真底クラシックにとりつかれ打ち込んでおられることが伝わってくる本です。

 何だか、どう受け止めたらよいか分からなくなっているかと思いますので、私がどうこういうより本文を引用させていただきます。

□ 昔の先生(楽器のお師匠さん)は、どうしてああ怒りっぽかったのだろう。あれでは、演奏と恐怖とが、同時に脳にインプットされてしまうではないか。それに、お金を払って教えてもらいに行ったトタン「バカヤロー、帰れ」では、ドロボーです。弾けないから教わりに行くのです。

☆ 30年近くガイジン(指揮者)をつぶさに観察していると、彼らの法則が見えてくる。彼らがあいさつの次にすることは、パワー全開の自己主張だ。まず、自分を知ってもらうこと。たとえ反撃があっても、ひるむどころか、ますます元気になる。ケンカもコミュニケーションの一種ととらえているフシがあるのだ。ただし、自分に不利なポイントを突かれると、しらばっくれてサッサと先に行ってしまう。まことに調子いい。・・・

 第二にガイジンは、そこで相手が静かな場合は「自分を受け入れた」と解釈する。日本人の多くは、相手に拒否反応を持つと静かになるものだが、そうすると彼らは「あ、これでいいのね、それじゃ」とますます自分を押しつけてくる。それはもう「ほどほど」「かねあい」なんてカケラもなく、笑ってしまうほどだ。楽員は休憩時間に、「あー、あきれた」「よく恥ずかしくないね」なんて言うが、恥ずかしくなどない。「自分が法律だ」をつらぬくのは誇りである。そもそも恥ずかしいことの基準が違うのだ。「こっちがイヤな顔をしているのが、目に入らないのかな」ーそう、入りません。そんな顔の民族なんだ、と思うだけだ。言いたいことは「言葉で」言わない限り、たとえ察したとしても、無視されるだろう。 

 ここまでがベースで力関係が決まり、ここからいよいよ「仕事」が始まるのだから、彼らが見た日本は「ベースのない国」と映り、「どんなふうにでも動かせる、甘い相手」としか思われない。だから押しまくられる。それが彼らの昔からのルールなのだ。

 あとで日本が「こんなに苦しんで犠牲を払ったのだから」と見返りを期待しても、「なんのこと? 自分のやりたい道を選んだんでしょ」と言われるだけだ。せめて「見返りとしてコレコレを要求する」と、先に言っておかなければ。

 オーケストラの楽員でも、この程度にはガイジンがわかる。(30年がかりですけど)。政治家はガイジン学を学ぶのが早道だ。配線が違うと思えばいいのだ。そうすれば、彼らを利用することができるし、逆に学ぶこともできるだろう。

 実は私は、日本人の白黒つけられない性質を愛(いと)しく思っている。ガイジンに真似できない長所って案外これかもね。頭がいいのに、英語でヘドモドする私たちって、なんてかわいいんだろう。 ・・・

 いかがですか。私は、しっかりと自分に軸足をおいて言いたいことを書き表している文章に爽快感を覚えました。

 国語科の立場から申しますと、ガイジン指揮者と日本のオーケストラの楽員ということだけでなく、同国人の間のコミュニケーションにおいても大切にしたい内容が含まれているように思います。

 長い引用になりました。お許しください。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年7月 7日 (水)

健全な肉体に

 「健全な肉体に健全な魂が宿る」 ・・・ 古代ギリシャの詩人が残した言葉だったと思います。けれど、たくさんのお相撲さんたちが野球賭博をしたということで、、相撲界も、相撲を愛する人たちも揺れています。

 元々の言葉は、「健全な肉体にどうか健全な魂が宿りますように」という願望を込めた詩だったようです。古代の人々の人間理解は、深遠ですね。

 どのような肉体にも、健全な魂が宿ってほしいと願います。

 総ての人は神様に愛されている存在だからです。

聖書のことば  イザヤ書43章4節

 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 

 今日も、よい日となりますように。

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2010年7月 6日 (火)

明日は七夕

 七夕 ・・・ 彦星と織り姫が年に一度、逢うことを許される日 ・・・ 宇宙で逢うのですから、地球に雲がかかろうと、雨が降ろうと、二人は逢うことができる、などというとロマンが薄れてしまうので、言わないことにします。

 勤勉だった二人が,相手を愛しく思うあまり、仕事が手に着かなくなったのが1年に1度しか逢えなくなった原因とされています。

 本来ならば、愛する相手のことを思えば思うほど、仕事にも身が入るのが望ましいのでしょうね。

 けれど、働きすぎて過労死してしまっては、愛し合う二人を死が分かつことになってしまいます。

 うーむ、こんなことをかんがえること自体、七夕のロマンをそこなうことになりそうに思えてきました。

 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ ・・・ 愛する二人が、年に一度の逢う瀬を楽しむことができますように。

 明日は、孫娘の一人の誕生日でもあります。ハッピーバースディ!!

 よい日となりますように。 

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2010年7月 5日 (月)

ほうば寿司

0011  ふるさと、高山に行ってきました。写真は、「ほうば寿司」です。ほう葉というのは、朴(ほう)の木の葉のことです。

 葉柄をピン留めのように活用して、見た目にも美しくラッピングされています。

 えっ、中身が見たい ・・・ はい、次の写真をご覧ください。

0010  寿司ご飯、しょうが、鱒あるいは鮭、山椒の葉 などなど。

 ほうばの移り香も楽しみながら、美味しくいただきました。

 「ほうば餅」というのもあります。炭火などで焼くにつれてほうばがはがせるようになり、全部はがせるようになると、焼き上がりです。ほう葉に包まれていると、かびずに長持ちします。

 「ほう葉味噌」は、枯れたほう葉をアルミホイールのように使い、味噌にしょうがやネギなどを入れて炭火などの上で焼きます。焼き上がるとジュージューという音とともにほう葉と味噌の香りが漂います。高山の喫茶店などには、「ほう葉味噌定食」というメニューがあって、なかなかの人気です。

 うーん、ふるさとは、いいものですね。醤油味の「みたらし団子」も、いい味です。飛騨牛の肉の串焼きも、登場して久しいです。 あなたのふるさとの料理も、折りがありましたら教えてください。

 料理は、見るだけでなく味わってこそ本領発揮となりますが、目で味わうことで、おゆるしくださいますように。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年7月 4日 (日)

詩 「ミミコの独立」

ミミコの独立
                                                    山之口獏


                                  とうちゃんの下駄なんか
                        
はくんじゃないぞ
                        
ぼくはその場を見て言ったが
                        
とうちゃんのなんか
                        
はかないよ
                           
    とうちゃんのかんこをかりてって
                        
ミミコのかんこ
                        
はくんだ と言うのだ
                        
こんな理屈をこねてみせながら
                        
ミミコは小さなそのあんよで
                        
まな板みたいな下駄をひきずって行った
                        
土間では片隅の
                        
かますの上に
                        
赤い鼻緒の
                        
赤いかんこが
                        
かぼちゃと並んで待っていた

  たしか、トム・クルーズ主演でしたか、「7月4日に生まれて」という映画があったように思います。

 7月4日はアメリカの独立記念日でしたでしょうか。・・・それにちなんで、「ミミコの独立」という詩を引用させていただきました。認識不足がありましたらおゆるしください。

 ミミコというのは、作者の娘「泉」さんの幼いときの呼び名だそうです。

 なかなか味わいのある詩だと思います。

 今日も、孤立ではなく、自立・独立の一人一人が力を合わせて歩む日とできますように。
 

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2010年7月 3日 (土)

若人との階段

 大学では、できるだけエレベーターに乗らずに階段を上り下りすることにしています。

  時には、二段とばしくらいで上ってくる学生がいて、やはり若者は足音一つをとっても勢いが違います。

 時には、階段でちょっとした会談をすることがあります。園芸用の枝きりばさみを持っていたので、何をしていたのかを尋ねたら「マタタビの葉の研究をしていますので・・・」との返事。べつに猫を陶酔させる研究というわけではないそうです。うーん、いろいろな研究があるのですね。

 元気そうな彼の後、おお、どうしたことでしょう、蒸し暑い岐阜の暑さにへばったような表情の若者たち ・・・ 聞いて納得しました。水泳の授業でたくさん泳いできたところなのだそうです。大学は90分授業・・・その後で、エレベーターに乗らずに階段を登ってくる根性ある若者たち ・・・ ひょっとすると、さらに次の授業に向かうところだったかも知れません。

 こうした若者たちの元気な姿に出会うこと自体、私にもエネルギーが伝わって来るような気がします。

 蒸し暑さに負けず、よき7月にしたいと思います。

 まずは、今日がよい日となりますように。

 明日は,日曜日、キリスト教会の礼拝にどうぞ。

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2010年7月 2日 (金)

小学校の玄関で

0003  7月の初日、岐阜市内の小学校を訪問させていただきました。

 玄関に、すてきに花が生けてありました。岐阜市の多くの小学校には公民館が隣接しているのですが、公民館のお花のクラブで立てた花を、小学校に飾ってくださるのが恒例になっているのだそうです。

 学校と地域のよき結びつきをうかがって嬉しく思いました。

 元気に挨拶を交わせる子どもたちが多いようにも感じました。

 家庭や地域で活気のある挨拶がされていることがうかがえます。

 以前、聞いたことがあるのですが、こうした地域では、空き巣狙いなど犯罪がおきにくいそうです。笑顔で声を掛けられると、よくない心も溶け去ってしまうのかもしれませんね。

 無心に咲く花が人と人の心を通わせる ・・・ 不思議ですね。

 今日も、よい日となりますように。

【聖書のことば】

栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。  マタイ 6:29

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2010年7月 1日 (木)

らっきょう

0006  今日は、らっきょうの話です。グルメに分類できる味になるかどうかは、何週間か後になりそうですが、まあ、めざしているということで,おゆるしくださいますように。

  このらっきょうを、根元の部分を切りとり、薄皮を除きます。

  手伝わせてもらって、ちゃんと家内にできているか検査を頼みました。却って時間がかかったかも。

0007

 一応、ご覧のように綺麗になりました。

 これを、3%の塩水に漬けるのだそうです。

     酢を使わずに塩で漬けたらっきょうが食べたいと身内の一人が要望してきたのに応えての作業ですが、果たしてどうなりますか。

 見た感じは大丈夫そうですが、すぐには結果が出ないところが楽しみと申しますか、奥ゆかしいと申しますか。

 らっきょうは、血液の流れをサラサラにする効能があるとか ・・・ 

それにしても、塩の働きには大きなものがありますね。

聖書の言葉 マタイの福音書 5章13節

 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

 今日も、塩が持ち味を発揮するような働きをなして、よい日となりますように。

  

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